「ふさわしくないとか嫌わないでくれとか、何、寝言ほざいてんだよ」
 秋山くんはブスッと言って、いきなり口づけてきた。
 突然だったので(というのは言い訳かもしれないけれど)抵抗らしい抵抗もできず、気がついたらずい分長い間、唇を重ねていた。
「ふ…ぁ」
 ようやく開放されて息をつくと、秋山くんの困ったような顔が目の前にあった。
「俺がお前にメロメロだって、わかるだろ」
 親指で乱暴に唇を拭われて、僕はどう答えていいかわからず、ただ秋山くんをじっと見つめた。
「ああもう。何で素直にうなずかないかな、こいつは」
 バフッと上に圧し掛かられて、思わず「重い」と呟いた。
「お前、まさか、忘れてんじゃないよな」
 秋山くんは僕の上に乗っかったまま、僕の頭の横で言った。
「高橋だって前原だって、お前のこと好きだったんだぞ。お前、ずっと俺に片想いしてたとか言うけど、俺だってずっとそうだったんだ。お前が『片想いが長すぎたから自信がない』なんて言うなら、俺だってそうだよ。大体お前、気がついてないだろ、自分がどんな風に映ってるか」
(どんな、って?)
「あの三隅だって、お前のこと本気(マジ)だったと思う」
 いきなり三隅先輩の名前が出て驚いた。僕の卒業式の日に薔薇の花束を持ってきてくれたのだけれど、パフォーマンスの好きな人だから、あれに意味があったとは思えない。
(でも、秋山くんは気にしていたのかな……)
 だったら悪いことをした。と、反省しかけた時、
「あの従兄弟だってな」
「えっ、伸くん?」
「ああ、お前に気があるよ」
「それは無いよ。絶対」
 さすがにこれは否定した。
「ありえない」
 すると秋山くんはわずかに身体を起こして、呆れた顔で僕を見た。
「だから、本当に、お前はわかってないんだよ」
「だっ、て」
 三隅先輩には、冗談にしろそれらしいことを言われたことがあるけれど、伸くんには……
「伸くん、女の子好きだよ。しかも面食いだと思う。前原さんのこととか気にしてたし」
「まあ、お前がそう思ってるんならいいけど」
 秋山くんは、ゆっくりと僕の上からどいた。
「ヤバイ」
「え?」
「おばさんが下にいるってのに、こんな勃っちまった」
「うそ」
 と言いつつ僕も、さっきのキスで半分その気になっていた。秋山くんの言う通り、ここは僕の部屋で、下にはお母さんがいるっていうのに。
「なあ、俺んち行こうぜ」
「今から?」
「ああ」
 秋山くんは淡々と肯いたけれど、僕は顔に血が上った。だって、この流れからいって秋山くんのアパートに行くということは――
(わ、バカ、何を考えてるんだよ)
 はしたなく反応して、慌てて枕を掴んだ。抱え込んで、熱くなった顔を埋める。すると、秋山くんはベッドの端に座りなおして、
「ヒトがせっかく我慢してるってのに、そういう態度で煽る?」
 枕をずらして、僕の顔を覗き込んだ。
「別に、俺は、今すぐここででもいいんだけど」
 僕はブンブンと首を振った。





「あっ、絵」
 部屋を出るときに秋山くんに言われた。
「あ、そうだ。待ってて、カバーかけるから」
「もう勝手に持ち出すなよ」
「うん。ごめんなさい」
「なんちってな」
 秋山くんは笑って僕の手から絵を受け取った。持ってくれるらしい。
 階段を下りる音に気がついて、お母さんがリビングから出てきた。
「葵、お茶の準備できてるわよ」
「あ、うん。ごめん、お茶はいいよ。せっかくだけど」
「出かけるの?」
「うん」
「遅くならないんでしょう?」
「う、うん。……もし、遅くなりそうだったら電話するから」
 遅くなるってわかっていて、こんなことを言う僕。お母さんの目を見られなくて、下を向いたまま急いで靴を履く。
「すみません、おばさん。お邪魔しました」
 絵を抱えた秋山くんは、何事も無かったかのように挨拶している。僕のほうが、変に動揺していてあやしい感じだ。
「じゃあ」
 家を出て、角を曲がるまで、ドキドキした。
「工藤がビクビクしてるから、俺も緊張した」
「嘘ばっかり」
 秋山くんは、堂々としていたじゃないかと言うと、
「んなわけないだろ、内心ヒヤヒヤだって」
 そう言って、いきなり屈んで耳元に唇を寄せた。
「お宅の息子さんにヤラシイことしてすみませんって謝ったんだぜ」
「バカ」




 
 秋山くんのアパートに着いたら、玄関に入るなり抱きしめられた。
「あっ、待って。靴」
 そのまま部屋に引っ張りあげられそうになったけれど、靴を履いたままだ。秋山くんと違って僕は、スニーカーの靴紐はキッチリ絞めるほうだから、すぐには脱げない。
「いいよ」
「駄目だよ。土足厳禁」
「誰が決めたんだよ。俺の家だって」
 秋山くんはクスッと笑った。
「じゃあ、早く脱げよ」
「うん」
 僕がスニーカーの紐を弛めると、横から秋山くんが手を出して、あっという間に靴を外してしまった。両足とも。靴下まで一緒に脱げてしまったので文句を言うと、
「どうせすぐに全部脱ぐんだから」
 と言い返された。
 そのまま脇に抱えられるようにして、秋山くんのベッドに倒れ込む。
「痛いよ、秋山くん」
「優しくして?」
「そんなこと言ってない」
「言えよ」
「…ん」
 秋山くんの唇に塞がれてしまったので、結局、何も言えない。秋山くんの言った通りすぐに全部脱がされて、そして夜まで延々愛し合った。
 お母さんに「秋山くんの家に泊る」って電話したときはものすごく後ろめたかったけれど、それでも身体中が満たされていて、とても幸せだった。


 誤解が解けて、前よりもずっと秋山くんと気持ちが通じた気がする。
 今まで何となく抱いていた不安も、完全に無くなったというわけではないけれど、前よりは小さくなっている。


「お前と同じくらい、俺だって不安なの」
 秋山くんは、僕の髪を撫でながら言った。
「お前が俺のこと好きだって言うのが気の迷いで、いつかハッと気がついて『何でこんなヒトと付き合っているんだろう』なんて言って離れて行ったりしないかとか」
「何それ」
「あの三隅が現れて、お前のこと奪って行ったりしないかとか」
 まさか。
「あと、いつかお前が男の自分に目覚めて『やっぱり相手は女のほうがいい』とか言って、前原とくっついたりしたらどうしようとか」
「うそ」
 僕はクスッと笑った。
 そんなこと、ありえない。
「僕が、秋山くん以外の人を好きになるなんて考えられない」
 髪をくすぐる秋山くんの手を取って、そっと両手で握り締めた。
「だって、僕は、生まれてはじめて好きになった人が秋山くんで、それからずっと、秋山くんのことが好きだったんだもの」
 指先にそっと口づける。
「秋山くんだけ……」
 ほかの誰のことも好きにならなかった。
 これからだって、秋山くんだけ。
「葵……」
 だから不安なんだよ――と、溜め息のように呟いて微笑む秋山くんの顔は少し切なくて、見ていると胸が締めつけられた。
「秋山くん」
 秋山くんも、不安になるのだろうか。僕なんかのことで、本当に。
(僕は、こんなに秋山くんのことが好きなのに)
 秋山くんの首に両腕をまわして抱きしめる。すべすべした肩口に顔を埋めて、
「大好き……秋山くん」
 思わず気持ちを声に出すと、
「なあ、名前で呼んでくれよ」
 笑いを含んだ声で囁かれた。
「そろそろいいだろ」
(周介)
 本当は、何度か胸の内では呼んでいた。恥ずかしくて、なかなか口に出せなかっただけで、
(でも、今日は……)
「……周介」
 小さく呟いただけなのだけれど、
「おっ」
「さん?」
「なんで『さん』が付くんだよ。っていうかそれもいいかな、何だかインビな響きで」
 秋山くんは、ひどく嬉しそうだ。
「もう一回呼んで」
「秋山周介」
 照れくさくてフルネームで呼ぶと、優しく頭を叩かれた。全然痛くはなかったけれど、
「痛いよ……周介」
 上目づかいで睨んだら、
「キタ。ゾクッときた」
 含み笑いで抱きしめられた。
「責任取れよ」
「うん」
 下半身を押し付けられて、僕の背中にも甘い痺れが走る。全身が秋山くんを欲している。
「愛してる……葵」
「僕も……周介」 




 
 秋山くんと二人で過ごす時間に夢中になっていて、そのころ我が家で何が起きていたかなんて、考える余裕は、当然、無かった。

 それを知らされるのは、次の日、日曜日の夕方。
 連絡したとは言え、さすがに外泊の翌日に遅くなるのは気が引けて(名残は尽きなかったけれど)早めに家に帰ると、伸くんが来ていた。
「どうしたの?」
 僕が驚くと、
「うん。田舎から宅急便が届いたから」
 うちにもお裾分けをしに来てくれたらしいのだけれど、何だか少し様子が変だ。
「俺、もう帰るけど、あーちゃん、途中まで付き合って」
「うん。いいけど」
「あ、ええっと、伸生くん」
 お母さんが、そわそわと台所から顔を出した。
「ご飯食べてからにしたら? もうすぐうちの人も帰ってくると思うし」
「いいえ、今日は遠慮しときます」
 伸くんは『らしくない』遠慮をして、挨拶を済ませると、僕を目で促した。
(なんだろう)
 お母さんの様子も変な気がする。
 何だか嫌な予感がして、そしてその予感はやっぱり当たった。


「あーちゃん、秋山とは、どういう関係なんだよ」
 門扉を出て何歩も行かないうちにそう切り出されて、僕はビクリと身体を震わせた。
「な、なんで?」
 立ち止まりかけたけれど、思い直して、歩きながらたずねた。面と向かってできる会話じゃなかった。
「昨日、秋山んちに泊ったんだろ」
 伸くんも、僕の横に並んで、歩きながら話す。
「そんなの。友達の家に泊りに行くのなんて普通じゃない」
 顔に血が上ってくるのを意識しながら、わざとそっけなく言うと、
「ただの友達じゃないんだろ」
 伸くんは低い声で切り替えした。
 心臓が跳ね上がる。
「昨日、秋山があーちゃんちに来た時のこと、叔母さんから聞いた」
「え」
「宅急便届いたから、夜、電話したんだけど、あーちゃんいなくって。それで叔母さんと話して……」
「…………」
 心臓がドクンドクンと音を立てた。何を話したというんだ。
 伸くんがそれっきり黙っているのが絶えられなくて、僕は自分から口を開いた。
「それで、お母さんが、なんて?」
「……あーちゃん、高校の卒業制作でコンクールの賞取ったってね。それって、モデルは秋山?」
「…っ」
 予想もしなかった言葉に、思わず息を飲んだ。
 あの絵が秋山くんだということは、五人しか知らない。僕と秋山くんの他は、前原さんと高橋くん、そして三隅先輩。「初恋」なんてタイトルをつけてしまったから、前原さんに頼まれて描いたのだと嘘までついた。表彰式にも前原さんに出てもらって、あの時は、前原さんがうちの親にも上手に言い訳してくれたのだけれど。
「叔母さん、その絵のことも気にしてたけど。……昨日、秋山が来たとき、お前、泣いてたんだって?」
「なんでっ」
 なんでお母さんは、そんなことを伸くんに話しているんだ。
「関係ないじゃないか」
「関係無くない。親なら心配して当然じゃん」
「伸くんは、僕の親じゃないだろ」
「そうだけど、叔母さんに頼まれたんだ。さりげなく聞いてくれないかって」
 眩暈がした。
「でも、さりげなくなんて俺には無理だから、単刀直入に聞くんだけど」
 伸くんは、立ち止まって、真面目な顔で言った。
「あーちゃんと秋山って、ホモなの?」
 頭の後ろを殴られたようなショック。
 息が詰まって、ガンガンと耳のすぐ側でドラム缶を叩くような音がして、何も考えられなくなって――
「なあ、あーちゃん」
 伸くんが伸ばしてきた腕を振り払った。
 そのまま逃げるように角を飛び出してしまって、
「あーちゃんっ!!」
 伸くんの叫び声と、激しい急ブレーキの音が聞こえた。
 
 


 




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