僕があんまりじっと見てしまったからか、その女の人も困ったような顔で僕を見返した。
「工藤、どうした?」
 秋山くんの声にハッと我に返ると、
「あ、秋山くんの知り合い?」
 彼女もホッとしたように笑った。
「高校の同級生です」
 そう言って、秋山くんはカウンターから出てきた。
「どうしたんだ?」
「あ、昨日、電話できなかったから」
「なんだ。そんなことで」
 なんでもないことのように笑う秋山くんが、どこかよそよそしく感じられた。高校の同級生という紹介も、その通りなのだけれど――。
「わざわざ来ること無かったのに」
 そう言って僕の肩に手を当てて、さりげなくドアの方に向いた。
(あ……)
 ここに来たことが迷惑だったのだと気が付いて、
「ごめん」
 僕は、急いで外に出た。
「あ、おい」
 秋山くんも一緒に出てきた。
「ごめんね、バイトの邪魔して」
「別に邪魔じゃない」
「じゃあ」
「あ、おい、待てよ。この後……」
「秋山、何してる。こっち手伝ってくれ」
 ダンボール箱を抱えたおじさん(たぶん店長だ)が裏から現れて、店の前で立ち話をしている(ように見えただろう)僕たちに言った。
「はい、今行きます」
 秋山くんは大きな声で返事して、そして小声でささやいた。
「今夜、電話するから。十時半ごろ。電話のそばにいろよ」
「あ、うん」
「今日は長丁場なんだ」
 片手をあげてちょっと笑って、お店の裏に走って行った。
 ふと視線を感じて振り返ると、さっきの女の人が店の中からこっちを見ていた。くっきりしたきれいな眉が心配そうにひそめられている。目が合うと、その視線が和らいだ。僕はペコリと頭を下げて、足早にその場を立ち去った。


 誰だろう。
 きれいな人だった。
 秋山くんの肩に腕を回していた。
 何か内緒話をしようとしていたみたいだった。
 親しいのかな。
 
 家に帰っても、ずっと彼女のことが頭から離れなかった。




 十時半を五分過ぎて電話が鳴った。
「あ、僕」
 リビングで待機していた僕は、急いで受話器を取ると、コードレスのそれを持って部屋を出た。階段に座って話をする。秋山くんは、歩きながら話しているようだった。
「お疲れさま。月曜はバイト長いんだね」
「ああ、これからメシ」 
「大丈夫? これから作るの?」
「いや、今日はコンビニ弁当。もらったんだ。結局、コンビニ弁当食べてるっつーの」
「野菜もとってね」
 お母さんみたいなことを言ったら、やっぱり笑われた。
「鎌倉どうだった?」
「うん。ちょっと疲れたけど、楽しかったよ」
「あいつ、もう帰ったんだろ?」
「うん、今日。うちの大学見たいって付いて来ちゃって、前原さんや高橋くんにも会った」
「なんだ、そりゃ」
 秋山くんに聞かれるまま、伸くんの話をして、でも、僕が聞きたいことは聞けなかった。

 あの女の人、誰? 
 秋山くんと親しそうだったね。
 仲良いの?

 頭の中をグルグル回ったけれど、口に出したら醜い言葉のようで。
 秋山くんに呆れられたり、うっとうしいと思われたりするのは嫌だ。
 それでも、どうしても気になって、バイトの話を持ち出してみる。
「バイト、大変?」
「え? いや。そうでもない」
「楽しい?」
「楽しいってわけでも。まあ、ようやく慣れてきたってとこ」
「そう。……あの」
「ん?」
「今日……その……ごめんね。バイトの邪魔して」
「だから、別に邪魔じゃないって。他のバイトの奴も、友達が店に来ることとか結構あるし」 
「あっ、あの、ね」
 聞けるかもしれない。
「僕が行った時」
 一緒にレジにいた人 ――と続けたかったのに、
「何?」
 秋山くんに聞き返されて、
「……声かけてきた人……あれ、店長?」
「ああ、そう。村上さん。結構、人使い荒いのよ。いい人だけどね」
「そう」
「あのでかいマンションのオーナーなんだぜ。不動産収入で暮らせばいいのにってみんな言ってんだけど『ローンがあるから』ってさ。それこそ、コンビニで稼げる金額じゃなさそうだけどな」
 秋山くんが笑うから一緒に笑ったけど、内心、溜め息。
(やっぱり、聞けない)
 それにしても、秋山くんの方から一言も無いのもおかしいんじゃないか。僕が彼女のことを気にしているのは、秋山くんなら、気がついてくれてもよさそうなものなのに。さりげなく話題にして、何でもないよって言ってくれればいいのに。――なんて、とんでもなく虫のいいことを考えていたら、カンカンと耳慣れた音が受話器の向こうから聞こえてきた。
「ひょっとして、アパートに着いた?」
 外階段を上る音。
「ああ」
「じゃあ、切るね」
 秋山くんは、これからご飯だ。
「明日また電話する。これくらいの時間、いいか」
「あ、だったら僕のほうからかけるよ」
「うーん、それでもいいけど、店にいたら出れないし、あがる時間もその日ビミョーに変ることあるから、俺から電話するよ。今日みたいに」
「そう。わかった。待ってるね」
「ああ、じゃあな」
「うん。おやすみ」
 彼女のことは聞けなかったけれど、秋山くんの声を聞けて、いくらか気持ちが軽くなった。

 それなのに、次の日。
 
 九時過ぎにかかってきた電話に、
(もう?)
 秋山くんからだと思って急いで出たら、
「あーちゃん? 俺。この間はどうも」
 相手は伸くんだった。
「どうしたの?」
「いや、この間のお礼と、あと、今週末、うちに来ない? よければ俺の大学の友人も呼ぶから」
 泊りに来いという誘いを、
「ごめん、今週末は先約があって」
 悪いとは思ったけれど、即行で断った。
「そっか。じゃあ、来週の土日は? 別に平日でもいいけど」
「あ、うん……まだ予定が立たないから」
 都合のいいときにこちらから連絡すると言葉を濁す。
「そっかあ」
 伸くんは特に気を悪くしたふうでもなく、おかげで僕はますます罪悪感を覚えたのだけれど――
「ところで、俺、今日さ、秋山と彼女見た」
「え?」
 一瞬、意味がわからなかった。
「偶然なんだけど、新宿の紀伊国屋でさ」
「秋山、くん?」
「そう。一緒にいたの、彼女だろ? 美人だったなあ。仲間由紀恵が髪短くしたような感じ。背ぇ高かったけど、秋山も大きいから、モデルのカップルみたいで。ちょー目立ってたよ」
 すぐにあのコンビニの彼女の顔が浮かんだ。
「声掛けようかと思ったんだけど、あんまりいい感じだったから、できなかった」
 心臓がドクドクと音を立てる。
「あーちゃんも、知ってた? あの彼女」
 耳の後ろが激しく脈を打って、息が詰まりそうになる。
「あーちゃん?」
「あ、うん」
「ホント、あーちゃんの周り美形率高いよ。類友ってか?」
 そして伸くんはその後も、前原さんは女優の誰に似ているとかしゃべっていたけれど、僕の耳にはほとんど残らなかった。
「……それって、何時くらい?」
「へ?」
「秋山くんを見たの」
「あ、ああ、その話」
 伸くんは、噛み合わなかったらしい会話にもちゃんと答えてくれた。
「今日の、昼過ぎだな。一時くらい。俺、大学行く途中でちょっと気になる本があって電車降りたんだけど」
(一時……)
 その時間なら講義があったはずだ。秋山くんは、彼女とデートするために休んだんだろうか。
 胸に針が突き刺さったように痛んだ。
「あーちゃん、どうした?」
「あ、ううん。ごめん」
 なんでもないよ。という声が震えそうになった。
「本当に秋山くんだった?」
 信じたくなかった。でも、伸くんが嘘を言っているはずは無い。彼女の特徴も、ぴったりそのまんまだ。
「え? なんで? 見まちがうわけないけど、何で?」
「ごめん、また電話するから」
「えっえっ? いいけどさ、あーちゃん? どうした?」
 ごめんねと、もう一度言って、受話器を置いた。
 苦しい。見てもいない二人の姿が、まざまざと浮かんでくる。


 その夜、秋山くんから電話が掛かって来たのは、十一時も過ぎてからだった。


「悪い、こんな時間に」
「……ううん」
 待ってた。
「なんだよ、やっぱ怒ってるな、電話遅くなって」
「怒ってなんか、ないよ」
「声が暗いぞ。あ、ひょっとして、この時間だと家の人にマズイのか」
「大丈夫だよ」
 どうしよう。
 秋山くんの口調があまりにいつもと変らないから、余計に苦しい。
「何かあったのか?」
 心配そうに訊ねる声が、胸を押し潰す。
「……今日」
「うん?」
「……バイト、遅かったね」
 こんなことを言いたいんじゃない。でも、秋山くんは、この言葉で、やっぱり僕が電話を待ちくたびれて拗ねているのだと思ったみたいだった。
 笑いを含んだ声で謝って、言い訳をする。
「入りが遅くなったら、そのまま時間ずらされたんだよ」
(遅くなって……)
「どこか行ってたの?」
「え?」
「入るの遅くなったって」
「ああ、ちょっとね」
「ちょっとって、何?」
 しつこく聞いている自分が嫌だ。自己嫌悪で吐き気がする。
 受話器を耳に当てたまま、膝を抱えて小さくなると、
「ちょっと、サークル関係で」
「サークル?」
 意外な言葉に顔を上げた。
「秋山くん、サークル入ったの?」
 知らなかった。
「あ、ああ、まあ」
「何の?」
「えー、まあ、色々……それはまた今度会った時にでも直接話すよ」
 秋山くんは、言葉を濁した。それで、ふと、サークルって言うのは、
(嘘かもしれない……)
 と、思った。
「工藤は、サークル入ってないんだよな」
「うん」
 だって、秋山くんと会う時間が減ると思ったから。
「絵はもう描かないのか?」
(何で……)
 何で、こんなことを言うんだろう。
「また描けよ」
「どうして?」
 どうして、こんなことを言う?
「どうしてって、だって、工藤、絵描くの好きだろ」
「……」
 その後、秋山くんがアパートに着くまでの間、何となくギクシャクした会話を続けた。僕は、胸の中に疑いとか不安がいっぱいになっていて、いつもの僕じゃなかったし、秋山くんも、どこか変だった。


 電話を切ってからも、しばらく階段に座ったまま、じっと考えた。

 ちゃんと聞かなかった僕がいけないのだけれど、秋山くんは、彼女のことを口に出さなかった。新宿に行ったとも、一言も言わなかった。代わりに、突然、サークルに入ったなんて言う。僕にも絵を描けと言う。
 
 何で今ごろ、僕に、そんなこと言うんだろう。

(ひょっとして……)
 
 邪魔になった? 僕のこと。
 


 




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