「あ、のぶ、伸生くんが来たから切るね」 「……ああ。じゃあな」 それっきり。 電話は秋山くんのほうから切れた。 (最悪……) 肩を落としていたら、伸くんが言った。 「なに? 電話の相手って、秋山?」 「えっ」 僕は驚いて振り返った。 「どうして」 わかったの? 「だって、俺が来たからって言って電話切ったろ? まさか俺ん家ってわけないし、そしたら今のところ共通の友達って秋山くらいじゃん」 僕は伸くんの洞察力に恐れ入ると同時に、いつのまに『共通の友達』にまでなっているんだと複雑な気持ちになった。おまけに、気がつけば、秋山くんのことを呼び捨てにしている。 (僕だって、呼び捨てにしたことないのに……) 『周介って呼べよ』 秋山くんの言葉を思い出して、顔が熱くなった。 「あれ? アイス買ってないの?」 伸くんは僕が手ぶらなのを見て取って、不思議そうな顔をした。 「これから買おうと思ってたんだよ」 その前に急用を思い出して、とか言い訳をしながらコンビニに入った。 (月曜日、秋山くんに会いに行こう) ハーゲンダッツのラムレーズンとストロベリーに悩むふりをしながら、心の中で決心した。月曜日、授業をサボってでも秋山くんのアパートに行こう。秋山くんは二限からだから、朝のうちに行けばつかまえられる。そうしないと、このままじゃ―― 『……ああ。じゃあな』 秋山くんの声、冷たかった。すごく――冷た…… 「冷たいっ!」 僕は飛び上がった。 「何するんだよ」 伸くんがアイスクリームのカップを僕の首の後ろに押し付けたのだ。 「ぼんやりしてるからさぁ」 「ぼんやりなんかしてないよ。悩んでたんじゃないか、どっちにするか」 「どっちって、それ?」 伸くんは僕の両手を見て、 「あーちゃん、あいかわらず可愛いなあ」 ケラケラ笑った。 「イチゴなんて、似合いすぎ」 言われて僕は、ストロベリーを冷蔵の棚に戻した。 「ラムレーズンにすんの?」 「うん」 「俺はこれ〜」 僕の首にくっつけたカップを見せた。 「シロクマってさー、宮崎じゃフツーにあるけど、こっちじゃないんだよな」 「ああ、そう」 「あれ? あーちゃん、何か怒ってる?」 「別に」 「ならいいけど」 伸くんは何がおかしいのか、楽しそうに笑っている。 (もう……) 「でもさー、秋山って、ホントかっこいいよな」 部屋でアイスを食べながら、いきなり秋山くんの話題になってドキリとした。何か含むものがあるのかと横目で見たけれど、アイスのふたを舐めている伸くんに深い意味はなさそうだ。 「モテるだろうなあ。彼女とか、いっぱいいそうだよな」 「いっぱい?」 「うん」 「いないよ、そんな」 彼女がいっぱいって、どんな奴だよ。 「そうかなあ」 伸くんはカキ氷とバニラをしゃくしゃくかき混ぜながら、 「遊んでそうじゃん。なんとなく」 失礼なことを言う。 「遊んでないよ。秋山くんは、そんな人じゃない」 思わずきつくなった僕の言葉に、伸くんはちょっと驚いたようだ。 「あ、悪かったよ。ゴメンな」 「…………」 「て、いうか、悪口言ったんじゃないぜ。うらやましいって言うか、ほら、本人にその気がなくっても、周りがほっとかなさそうじゃん」 伸くんが言うことは、もっともだった。 秋山くんは、もてる。高校のときも女子からすごく人気があった。二年のときなんか、一年間に三回彼女が変っていた。あの頃は、秋山くんのことはあきらめていたし、気にしないように努めていたけれど、思い出すとやっぱりモヤモヤする。 「でも、まあ、ちゃんとした彼女がいるんなら、遊べないか」 「ちゃんとした彼女って?」 「今、あーちゃん、そう言わなかった」 「……言ってないよ?」 「あれ? なんかそう聞こえたんだけど、ちがったか」 伸くんは首をかしげた。 僕は何も言えず、かたすぎるラムレーズンアイスをスプーンの先で削り取ることに専念した。 そして、翌日曜日は、浮かれる伸くんとお母さんに振り回されながら、明月院(あじさい寺)に行って、それから大仏を見て、銭洗い弁天ではお金を洗って(ちなみに、このときも伸くんは、小銭を洗おうとした僕にお札を洗えと言って大騒ぎだった)、ようやく日が暮れたと思ったら、 「叔父さん、叔母さん、今日は本当にありがとうございました」 伸くんは、さわやかに頭を下げて、ホッとした僕を吹き飛ばす爆弾発言をした。 「それで図々しいんですが、今夜もう一晩だけ泊めてもらえませんか」 (ええっ!) 驚いたのは、僕だけだったようで、 「いいけど。伸生くん、明日、大学は?」 お母さんはケロリと答えている。 「あ、俺、月曜は午後からなんですよ。それで、明日、あーちゃんの大学に行ってみたいと思って」 (うそ……) 「ああ、よその大学って、見てみたいもんだよなあ」 お父さんってば、何をわかった風にうなずいているんだ。 「はい。もちろん、あーちゃんの迷惑にはならないようにしますから (もう十分、迷惑なんだけど……) なんて、とても口には出せない。 伸くんは悪くない。高橋くんだって、秋山くんの大学を見たいってもぐり込んでたし、僕だって。 だから、伸くんが僕の大学を「見たい」って言うのも、ごく普通のことなんだけど、 (そうなんだけど……) そのおかげで、月曜の朝、秋山くんのアパートに行くと言う計画は潰れてしまった。 「え? 工藤くんの従兄弟なの?」 月曜日は一限から必修の授業がある。いつものように前原さんが僕の隣に来て、逆隣にいる伸くんに目を瞠った。 「全然似てないのね」 「うん。母親同士が姉妹なんだけど……」 僕は父親似だから。と、内心でつぶやいたら、伸くんも、 「あ、俺は父方の祖父(じい)さんにそっくりだって言われてんですよ」 頭をかきながら言った。 (そうなのか) でも、中身は、妙にうちのお母さんに通じている気もする。 そして伸くんは、いきなり僕の耳もとでささやいた。 「あーちゃんの友達って、みんなこんな?」 「え?」 「友達、顔で選んでる?」 「そんなわけないだろ」 「何? 内緒話?」 前原さんが、身を乗り出して僕と伸くんを交互に見る。 「あ、いやあ、あんまり美人だから」 伸くんの率直な言葉に、前原さんはクスッと笑った。 「あーちゃんの友達ってみんな美人なんだ。と、感想を言っていたわけデス」 「あら、みんなって?」 前原さんは聞き逃さない。 「あ、美人ってのは変か。男だから。まあ、顔が良いという意味で」 「男?」 前原さんが僕を見た。 「あ、秋山くん、土曜日に、たまたま……」 「たまたま、ね」 前原さんは、含みのある顔でうなずいた。 「きれいな人ばっかりでキンチョーするよ、俺」 自分の胸を大げさにさする伸くんに、前原さんはニッコリ微笑んで話しかける。 「それより、椎葉くん、工藤くんのこと、あーちゃんって呼んでるの?」 (また……) 「えっ、ああ。昔からなんで」 「ほら、やっぱり変なんだよ」 これ幸いと、やめてもらおうとしたけれど、 「いいじゃない。ねえ、昔って、幼稚園? もっと前? 工藤くんって、どんな子だった?」 「前原さんっ」 何を言い出すんだ。 「私が初めて工藤くんに会ったのって、小学校六年のときなのよ」 「ああ、それじゃ、俺が最後に会ったのがそれくらいですね」 二人の話が弾んできた。 しかし、僕を挟んで、僕の話をするのはやめて欲しい。 困っていたら教授が来て、とりあえずその場は収まった。 収まったはずなのに、結局、カフェテリアでその続きが始まった。 高橋くんも合流している。二限の一般教養で一緒だから、前原さんがメールで呼んだのだ。 「だから、俺、あーちゃんのこと、小学校入るまですっと女の子だと思ってたんだよ」 伸くんは、持ち前の人懐っこさで、すっかり打ち解けてしゃべっている。 「俺や兄貴が、木に登ってても、ずっと木の下で大人しくしてるし、気がついたら、小枝持って、地面に花の絵とか描いてるし」 「ああ、工藤くんらしいわ」 前原さんは、いちいち楽しそうにうなずいている。 僕は、居たたまれなくて黙っている。 高橋くんは、伸くんのおしゃべりに少々呆れているという感じ。 「そういえば、うちの兄貴がアオダイショウ捕まえてきて、あーちゃんに見せたら、すごい勢いで泣き出して」 「勘弁して……」 僕は、ぐったりとテーブルにふせた。 「まあ、もう二限が始まるからな」 高橋くんが助け舟を出してくれた。 「あ、本当、残念」 前原さんも腕の時計を見て立ち上がる。 「二限って、何?」 「般教、社会学原論」 「へえ」 伸くんは、これも出る気だ。 「あ、持つよ」 みんなが飲んだアイスコーヒーのカップをトレイに乗せて返しに行こうとした前原さんを、伸くんが追いかける。 二人が離れて、高橋くんが僕に言った。 「今みたいな話、さ」 「ん?」 「秋山には、あんま聞かせんなよ」 「えっ……」 なんで? と目でたずねると、 「妬くよ、たぶん」 高橋くんは肩をすくめた。 秋山くんが、僕なんかのことで妬いたりするかどうかはともかく、その夜、伸くんと別れてから、僕は家に帰らずに秋山くんのアパートに向かった。 結局、夜になってしまったのは、伸くんが午後もずっと一緒だったからだ。 「午後から、授業があるんじゃなかったの?」 帰らない伸くんに言ったけれど、 「ああ、代返頼んだから平気」 携帯のメールでやり取りしてすましている。 秋山くんのことを遊んでるとかなんとか言ってたけど、伸くんよりは秋山くんの方がずっと真面目だと思った。 うちの大学から、秋山くんのところはけっこう遠い。 「もうこの時間じゃ、バイト行ってるかな」 はっきりとおぼえていないけれど、たしか月曜日は授業が少なかったから、夕方からシフトが埋まっていた気がする。貰ったシフト表は手帳に挟んでいたのだけれど、 (家に置いてきちゃった) アパートに行くより、駅からまっすぐバイト先のコンビニに行った方がいいだろう。どうせ通り道だし、いなかったらアパートで待っていよう。そう思って覗いたコンビニに、はたして秋山くんの姿があった。 「秋山くん、レジお願い」 「はい」 コンビニの制服を身につけて、長めの髪を後ろに一つにまとめた秋山くんは、カウンターの中にいた人に呼ばれて、レジに入った。 「温かいものと、袋、別にしますか?」 「一緒でいいです」 「ありがとうございます。二百五十二円のお返しです」 接客をする秋山くんを見て、僕はその場に立ちすくんだ。正直、見惚れてしまったのだ。 (かっこいい……) 『ほら、本人にその気がなくっても、周りがほっとかなさそうじゃん』 伸くんの言葉がいきなり聞こえてきた。 (確かに) 店中の女の子が、みんな秋山くんをチラチラ見ている気がする。気のせいかもしれないけど。ううん、気のせいじゃない。ほら、秋山くんのレジに列が出来た。女の子ばっかり。 「…………」 かっこ悪い。こんなことで、ヤキモキしている自分が。 高橋くんは、秋山くんが「妬く」とかいったけれどそれは無いよ。妬いているのは、いつだって僕だ。 「お待ちの方、こちらにどうぞ」 隣のレジから呼ばれて、渋々というふうに列が動く。でも、絶対に動かない子もいた。その女子高校生に話しかけられて、秋山くんが何か答えている。 『周りがほっとかなさそうじゃん』 (本当) 僕は、溜め息を一つ吐いた。 全員の会計が終わって、ほとんど人がいなくなったのを見計らって、僕はコンビニのドアを開けた。それと同時に、隣のレジにいた女の人が秋山くんに近づいた。 「えっ」 思わず出たのは、僕の声だ。 秋山くんは、女の人に肩を抱かれたまま振り返った。そして女の人は、僕の姿を見てすぐに離れると、 「いらっしゃいませ」 慌てて言った。 背の高い、きれいな人だ。 僕は、つい、その人の顔をじっと見てしまった。 |
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