従兄弟が来るので夕方には家に帰らないといけないと告げると、秋山くんは露骨に嫌な顔をした。
「何だよ、その従兄弟って。あの宮崎の?」
「うん」
「なんていったっけ、あの」
「伸くん」
「そう、そいつなんだな」
「うん」
 秋山くんの不機嫌そうな顔。朝の電話で言えなくて、会ってから言うことににしたのだけれど、失敗だったかもしれない。せっかく久しぶりに会えたのに、ものすごく気まずい。
「ゴメンね」
「……謝られてもな」
「うん……」
 悲しくなってしまってうつむくと、秋山くんの溜め息が聞こえた。それを聞いたとたん、涙が出そうになった。
「悪かった」
「え?」
「そんな顔するなよ」
 秋山くんの両手が、僕の頬を包む。
「泣きそうな顔」
「泣かないよ、そんな」
「そうか? ウル〜ってなってるぞ」
 僕の目を覗き込んで苦笑する顔からは、もうさっきの不機嫌さは消えていて、僕は安心すると同時に本当に泣きそうになって秋山くんの胸に顔を埋めた。情けないと思う、男の癖に。
 でも、僕にとって『秋山くんに嫌われてしまうかもしれない』という恐れは、一種のトラウマみたいになっていて、こういうちょっとしたときに不意に現れては、僕の心を不安定に揺らす。
(片思いの期間が長かったから……)
 ぎゅっとしがみつくと、ポンポンと背中を叩かれた。あやされる子どものようで恥ずかしいけれど、それだけで幸せな気持ちになれる。
「ありがとう。秋山くん」
「何だよ、今度は」
 クスクス笑って、秋山くんは僕の身体を離すと、
「じゃあまあ、今日は久しぶりに健全な昼間のデートを楽しむか」
 暗い雰囲気を吹き飛ばすように言ってくれた。
「どーする、公園でも行くか? バトミントンとか」
「うん。いいね」
「マジで? ってゆうか持ってねえよ」
 秋山くんの笑顔に見惚れながら、僕は、さっきの不安を握りつぶす。
 大丈夫――自分に言い聞かせて。



 結局、近くのホームセンターで五百円のバトミントンセットを買って、大きな公園に行った。天気が良くて人も多かったけれど、ベンチのある木陰の方が人気で、広い芝生の上では好きなだけ走り回われた。いや、好きで走っているというよりは、お互いの羽根に走らされているというか。
「なんか、この羽根、まっすぐ飛ばないんじゃねえの」
「そんな、気がする」
 何とか追いついた。僕の返した羽根はまた右に飛んで、秋山君を走らせる。 
「安物だからかな」
 シュッという小気味よい音とともに、綺麗に返って来た。
「でも、こういうものなのかも、あっ」
 打とうとした羽根がラケットの角に当たって、カツンと真下に落ちた。
「あーあ」
 僕のへたくそな返球を、秋山くんはその運動神経のよさでいちいち拾ってくれていたのだけれど、さすがにこれは無理だ。
「残念。結構、続いていたのにな」
 クルクルとラケットを回しながら秋山くんが歩いてくる。
「ひと休みしよう」
「そうだね」
 日陰を見つけて腰を下ろすと、秋山くんも隣に座った。
「何か買ってくる?」
「後で」
 秋山くんはごろんと横になると、僕の投げ出していた左脚に頭を乗せた。
「あ、秋山くん?」
「重い?」
「重くはないけど……」
 これって、膝枕?
(じゃないか。脚片方だけだし、伸ばしてるし、でも……)
 男同士でこんなかっこうしているのは変じゃないだろうか。人目が気になって落ち着かない。
「恥ずかしい?」
 秋山くんは片目を開けて僕を見つめる。
「う、うん……」
「ちぇ」
 秋山くんは、頭をずらして芝生に寝転んだ。
「気持ちよかったのにな」
「…………」
 一瞬、また、言いようの無い気持ちに襲われる。
 僕が女の子だったら、堂々と膝枕してあげられたのかな。
(秋山くん……)
 瞳を閉じた秋山くんは、今、何を考えているのだろう。





「もうそろそろ行かないと」
 腕時計を見て、僕は言った。時計の針は四時を回っている。
「もう?」
「うん……駅に五時についているって言ってたから」 
 本当は六時に迎えに行ってもいいのだけれど、待っているとわかっていて待たせるのは好きじゃない。だから、本当は、断りたかったのだ。
 秋山くんとももっと一緒にいたいけれど、
「ゴメンね、また明日」
 未練を断ち切る。
「明日は、午後からずっと会えるんだよな」
「午後っていうか、夕方からかもしれない」
 伸くんが何時に帰るのかわからないし。そう告げると、
「その伸くんっての、俺も会っとこうかな」
 いきなり秋山くんが言い出して、僕は目を丸くした。
「えっ、何で」
「いいじゃん。お前の従兄弟で同い年なんだろ? 紹介しろよ」
 紹介って? 友達になりたいの?
「それとも何か会わせたくないわけとかあるのか」
「ないけど」
「よし、じゃあ俺も行く。そしたら、まだしばらく一緒にいられるだろ」
「うん……」
 どうしたんだろう。秋山くん。





 駅前のスタバは、開店当時はやたらと混んでいたのだけれど最近はそうでもなくなっている。今日は時間帯のせいか、いつも以上に空いていて、奥のソファには伸くんの他には誰もいなかった。
「伸くん」
「あ、なんだよ、もう来たのか。早かったな」
 顔を上げた伸くんは、すぐに僕の隣の秋山くんに気がついた。誰だと目が訊ねている。
「あ、あのね、伸くん。僕の、高校の同級生の秋山くん」
 秋山くんを急いで紹介して、秋山くんには
「従兄弟の、椎葉伸生くん」
 紹介する声がだんだん小さくなってしまう。
 何故だか二人はしばらく黙って見つめ合っていたけれど、
「ひょええぇ」
 気の抜けた声をあげたのは、伸くんだ。
「すげえ〜、さすが東京」
「はい?」
 何を言い出すの?
「こんなイケメンがフツーにいるよ。同級生ってことは、俺とも同い年なん? すげえ、大人っぽいなあ。さすがトーキョー」
 しゃべりながら伸くんは立ち上がった。
「ども。椎葉伸生です。この四月に上京したばっかの田舎もんだけど、ヨロシク」
 伸くんの人懐っこい笑顔に、秋山くんも
「あ、俺は、秋山周介。その、たまたま今日は俺もこっち方面に用があったもんだから」
 付いて来てしまったのだと、取って付けたように言い訳をした。
「いやいや、こんなカッコいい人とお友達になれて光栄っスよ」
 やっぱりここでも調子のいい伸くんは、秋山くんを改めて上から下まで眺め回して、
「服とかどこで買ってるん?」
「今度教えて」
「脚長いなあ。身長いくつ?」
「その髪は? 色抜いてるんだよね? 美容院どこ? やっぱ青山?」
 もうすっかり友達になったように、馴れ馴れしく話し掛けている。
 秋山くんは、それに気圧され気味。
「伸くん、もういいでしょう」
「へっ?」
「秋山くん、この後、用事あるから」
 秋山くんを助けるつもりで口を挟んだ。
「たまたま一緒に来たから紹介しただけだから、また今度」
「ああ、そっか。そうだな。また今度」
 伸くんは、秋山くんの右手を握って、
「今度は、色々、店とか教えてくれよ」
 ブンブン振った。
 秋山くんもすっかり毒気を抜かれたような顔をしていたけれど、
「しっかし、あーちゃんにこんなイケメンの友達がいるなんてなあ」
 伸くんの言葉に、ピクリと眉を動かした。
「あーちゃんも綺麗な顔してるんだけど、全然タイプ違うね」
 秋山くんが不機嫌オーラを出した。『あーちゃん』がまずかったみたいだ。
「じゃあ、あの、また電話するから」
 心の中で秋山くんに手を合わせて別れた後、
「ねえ、伸生くん」
 僕は改まって、伸くんに言った。
「あーちゃんは、恥ずかしいから、やめてくれないかな」
「何で? あーちゃんは、あーちゃんだろ? こないだもそう呼んだじゃん」
「そうなんだけど、やっぱり、大学生にもなって『あーちゃん』って呼ばれるのは……」
「おかしくないよ。俺の周りにもいっぱいいるって。タッちゃんとか、ナベちゃんとか。あ、知ってた? 全国のワタナベさんの八割はナベちゃんって呼ばれてるって」
 この前のトリビアで言っていたのだとかなんとか、話がそれてしまって、結局、呼び名を変えてもらうことは出来なかった。





「で、明日は来れないのか?」
「ゴメン。明日、急に家族で出かけることになっちゃって」
 その夜、コンビニに行くといって外に出て、秋山くんの家に電話した。日曜の予定をキャンセルするために。
「家族って、あの『伸くん』も一緒なんだろ?」
「あ、うん」
 もともと伸くんが来たから、うちの親が気を使ったのだ。
「どこに行くって?」
「鎌倉」
「そりゃ、楽しそうだな」
「別に楽しくないよ。僕は、もう何度も行ってるし。ただ、伸くんが行ったことないって言ったら、お母さんが……」
 少し早いけれどあじさい寺がきれいじゃないかとか言い出して、楽しいおしゃべりと少しのビールでいい気分になっていたお父さんが、その気になったのだ。
「…………」
 受話器の向こうに秋山くんの溜め息を聞いたような気がして、胸がしめ付けられた。
 僕だって、行きたいわけじゃない。家族で鎌倉に行くよりも秋山くんと会っている方が楽しい。
(秋山くんと一緒にいたいよ――)
 その一言が声にならず、受話器を握り締めていると、
「じゃあ、次は?」
 秋山くんの声が聴こえた。
「次は、いつ会える?」
「いつでも」
 と、言ってしまってから、秋山くんのバイトのことを思い出した。
「あ、今度の土曜日は、絶対……」
「土曜か……」
 秋山くんの声が暗い。
「バイト始めなきゃよかったな」
「秋山くん?」
「なんてな。嘘。生活かかってるし」
「秋……」
「んじゃ、来週な。でも電話はよこせよ。ってか、さっさとお前もケイタイ買えって」
 僕は、今時珍しくも携帯電話を持ってなく(それはうちの大学でも一割に満たない少数派らしい)、こうして公衆電話から電話をかけている。秋山くんは親を説得して早く買えと言うのだけれど、僕の親はむしろ買ってくれようとしていた。「入学祝いに」と言われたそれを、僕が断ったのだ。「そんなに使わないから、もったいないよ」と。
 確かに僕の狭い交友関係では、あまり携帯電話の出番はなさそうだ。けれども「持ちたくない」本当の理由は他にある。誰にも言っていないけれど、携帯電話が苦手なのだ。言葉を変えれば、怖い。いつでも自分の居場所を突き止められる。僕が携帯電話を持ったら、うちのお母さんなんか喜んでかけてくるだろう。秋山くんと一緒にいるときに、そんな電話に出たくない。鳴って欲しくない。電源を切っていたら切っていたで詮索される。そんな目にあうのは、嫌だ。
 けれども、こんなふうに秋山くんと会えなくなるのだったら、
(やっぱり、携帯、持ったほうがいいのかな……)
 ぼんやり考えていたら
「工藤?」
 呼びかけられて、ハッとした。
「あ、うん」
 いけない。どれくらいぼんやりしていたんだろう。すると、
「……やっぱ、色気ないよな工藤って」
「えっ?」
 僕に色気がないと言われたのだと思い、突然何を言い出すのかと焦った。けれど、そういう意味ではなかったらしい。
「葵。それとも、俺も『あーちゃん』とか呼ぼうかな」
「何、言ってるの?」
「俺は『周ちゃん』でいいから」
「何を言って……」
 名前の呼び方、まだ気にしているんだ。
 クスッと笑ったら、
「あーちゃん?」
 後ろから声を掛けられた。
 振り向くと、伸くんが立っていた。風呂上りで、スウェットの上下に首からタオルを下げている。
「コンビニ行ったっていうから、俺もアイス買おうと思って追いかけたんだけど、誰と電話してんの?」
 







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