「伸生君、中野に住んでるの?」
「はい」
「私もよく知ってるわよ。駅のどっち? 駅から近いの?」
 伸くんと話す時になると、お母さんはまた標準語に戻った。
「北口ですけど、駅からは遠いですね。歩くと三十分くらいかかるし」
「あら、それじゃあ中野というより西武線の方に近いんじゃないの」
「はい。でも、中野ってことにしておいて下さい」
「しておいてって」
 ケラケラ笑うお母さんは伸くんのことがとても気に入ったらしく、
「どうせ東京に帰るなら、私たちと一緒に帰りましょうよ」
 と、誘った。

 親戚が大勢集まっての夕方からの宴会は、和室でまだ続いていたけれど、僕は早々に引き上げさせてもらって、伸くんと一緒に食堂で夕飯を食べさせてもらっていた。そこにあまりお酒が強くないお父さんもやってきて、呼びに来たお母さんも結局居座って、伸くんとおしゃべりしている。

「いいんですか? 俺、フェリー乗ったこと無いんですよ。何でも、近いうち廃止されるって聞いたから、機会があったら乗りたかったんですよね」
 伸くんは嬉しそうに笑って、
「じゃあ、一緒に帰ろっかな」
 僕を振り返った。僕もその顔につられて笑って、何か言わなきゃと考えて、
「伸くんがいると、船の中でも退屈しないですむね」
 と、答えた。
 実際、伸くんは、話してみると明るくて気さくで、お母さんだけじゃなく、うちのお父さんとも楽しそうに話をしている。人見知りの激しい僕からすれば、羨ましい限りだ。
「あーちゃん、今度うちに遊びに来てよ、中野」
「あ、うん」
「野方駅で降りた方がいいんじゃないの」
「やだなあ、叔母さん。大丈夫、ちゃんとマイカーで迎えに行くから」
「あんた、いつ免許なんかとったんね」
 冷蔵庫に用があったらしい益代伯母さんが、聞きつけて呆れた声を出す。伸くんはマグロの刺身を三枚一緒に醤油につけながら、
「チャリだよ、チャリ。地球に優しいエコカー様よ」
 そして、
「エコカーで行こかーなんちゃって、うっサムっ」
 自分の駄洒落(というかかなりのオヤジギャグ)に震えている。
「まったく。……葵ちゃん、こんなバカにつきあわんでいいからね」
「あ……いいえ」
 僕は、こんなとき咄嗟に気のきいたことが言えない。せっかくの楽しい雰囲気を壊したんじゃないかと気にしたけれど、
「あ、友音が泣いてる」
 伸くんの一言で、伸くんのお兄さん(僕にとっては従兄の耕治さん)の赤ちゃんの話題になった。
 それでホッとしたのもつかの間、
「それにしても、耕治君がもうお父さんなんてねえ。姉ちゃんもお婆ちゃんか。まあ、老けるはずだわ」
 お母さんの一言に、
「あんただって葵ちゃんに子どもができたらお婆ちゃんじゃが。ねえ、葵ちゃん」
 伯母さんからいきなり水を向けられて、僕は慌てた。
「あっ、いいえ、僕は」
「葵に子どもなんて十年早いわよ。ねえ」
 お母さんは笑い飛ばして、僕ではなくてお父さんの背中をバンバン叩いた。
「痛いじゃないか」
 お父さんはわざとらしくムッとした顔を作って、それから僕をチラッと見て言った。
「そんなこと言ってると、ある日いきなり綺麗な彼女連れてくるぞ。なあ、葵」
「えっ」
 心臓がドキリと跳ねる。
「えっ、うそっ。あーちゃん彼女いるんだ」
 伸くんが身体を乗り出す。
「い、いないよ」
「とかいって、顔が赤いし。なんだよ、ズルイなあ」
 ズルイって?
「あら、葵、いつのまに?」
「ちが……」
「そう言えば、大学入ってからいつも帰りが遅いのよね。友達と会うとか、コンパだとか。でもねえ、葵、お酒は全然飲めないはずなのよ。やっぱりおかしいわよねえ」
 お母さんは、人の悪い顔で、伸くんに言いつける風に言う。
「何言ってんだよ、やめてよ」
 帰りが遅くなるのは、秋山くんと会っているからだ。そう思ったらやたらと顔に血が上って、自分でも赤くなっているとわかった。
「まあまあ、叔母さん。男には、いろんな付き合いがあるんですよ」
 伸くんは分かったような口をきいて、僕を見た。
「なっ、あーちゃん」
(ヤメテ……)

 いろんな付き合いと言われても。
(僕と秋山くんの付き合いなんて、絶対に言えない……)

 伯母さんが言ったように僕が子どもを作るということは、ありえない。うちは僕しかいないから、僕が子どもを作らなかったら、お父さんとお母さんに孫の顔は見せられない。そう思うと、二人に申し訳ない気がした。さっき、耕治さんの赤ちゃんを嬉しそうに抱っこしていたお母さんを見たあとだから、余計にそう思った。
 だからといって、秋山くんとの付き合いをあきらめるなんて考えられないけれど。





 お母さんの実家には二泊して、それから一日は宮崎観光をして、そして宮崎港から川崎行きのフェリーに乗った。途中、お土産物屋に寄る機会はたびたびあったのだけれど、
「あーちゃん、彼女にお土産? 何買うの?」
 常に後ろをついてくる伸くんのおかげで、ソテツのキーホルダーを買う機会を逸してしまった。せっかく、おぼろげな記憶そのままの、猿顔のそれがあったのだけれど、
「すごいシブいの見てるな。そう言うの、趣味?」
 背中から伸くんに声をかけられて、慌ててもとの場所に戻した。買ってしまって、誰にあげるのかと聞かれても困るし。結局、大学の友達にという言い訳をわざわざしながら、食べ物を買おうとしたら、
「だったら、これ、チーズ饅頭。宮崎銘菓、これしかないって」
 と、箱入りのお饅頭を手渡された。
「チーズ饅頭は、いろんな所から出てるけどここのが一番なんだよ」
「あ、ありがとう」
 買ってしまった。
(秋山くん、甘いものそんなに好きじゃなかったんだよね)

 久しぶりに会った幼馴染にペースをくずされつつ(といっても僕のペースなんて、頑固に守るほどのものは無いのだけれど)ゴールデンウィークは終わった。





「秋山くん、これ、お土産……の、代わり」
 久しぶりの秋山くんのアパートで、僕はビニール袋から包みを取り出した。
「え?」
 買って帰ってから分かったのだけれど、宮崎銘菓チーズ饅頭の賞味期限はとても短かった。フェリーでのんびり帰ったりしていたので、秋山くんと会うときにはダメになっていて、僕はちょっとだけ伸くんを恨んだ。捨てるのはもったいないからと、賞味期限を一日過ぎても食べたお母さんは「美味しい」と喜んでいたけれど。
「地鶏? 宮崎のだろ、土産じゃないのか?」
「よく見てよ。新宿の名産店で買ったんだ」
 買ったお店のシールがついている。
 自活している秋山君のことを考えると、お菓子よりも食事になるものにしようと思って、鶏にした。
「わけあって、宮崎では、猿のキーホルダー買えなかったんだ」
「それは、いらないって言っただろ」
「実を言うと、新宿のその店にもあったんだけど、そこで買うのはなんだか違う気がして」
「そっか? でも、言わなきゃわからないのに」
「わからなくても、僕が嫌だ。秋山くんに嘘つくみたいで」
 言ったとたんに、抱きしめられた。
「あ、秋山くん?」
「本当におまえ、かわいいな」
「なに言って……」
 久しぶりの秋山くんの匂いに、身体が反応してしまう。
「一週間も会えなくて、寂しかったぞ」
「……僕も」
 答える声も、かすれてしまう。
 秋山くんの指がシャツの下に滑り込んで、僕は身体を強張らせる。胸を触られるときは、どうしても構えてしまう。気をつけないと変な声を出してしまいそうで。
「んっ」
 思わずうつむくと、秋山くんが唇と顎に手を当てて仰向かせた。
「顔、隠すなよ。久しぶりなんだから」
 囁かれた低い声に、体温が急上昇してしまう。
「秋山くん……」
「名前で呼べよ」
 秋山くんの親指が、僕の唇を割って口の中に入ってくる。
「あ……」
「俺の名前、知らない?」
 笑いを含んだ声に、ふるふると首を振る。
 どうしてだか、秋山くんのことを名前で呼ぶのは恥ずかしかった。
「葵……」
「や…ぁ、っん」
 指で口を犯されて、シャツは胸まで捲られて、そんな自分のいやらしい姿に昂ぶってしまって――
「いや、だ……」
 恥ずかしくてたまらない。
 どうして、こんな恥ずかしいことをしてしまうのだろう。どうして、こんな恥ずかしい姿を、大好きな秋山くんに見せられるのだろう。恥ずかしくて死にたいくらいなのに、
「脚、開いて」
 言われるままになる。剥き出しにした下半身を、晒してしまう。
「色っぽ過ぎ」
 秋山くんにむしゃぶりつかれて、僕は、両腕で目を覆った。






「結局、一番の土産はこれだったな」
 ご馳走さまでした、と秋山くんが笑った。
「バカ」
 シーツに顔を伏せると、秋山くんの指がゆっくりと髪をすいてくれる。僕は、この時間がとても好きだ。このまま眠ってしまいたい。そう思ったけれど、
「そういえば」
 秋山くんに起こされた。
「さっき、わけありで買えなかった、とか言ってたな」
「えっ」
「猿のキーホルダー、宮崎で買えなかった『わけ』って何だ?」
「あ、うん」
 さっき自分でそんなことを言ったのも、忘れていた。
 秋山くんの記憶力に驚きつつ、宮崎の田舎で会った幼馴染の伸くんのことを話した。


「のぶくん?」
 秋山くんは、男らしい眉をひそめた。
「あ、うん」
 何かいけないことを言っただろうか。突然不機嫌になった秋山くんにうろたえると、
「なんで俺のことは名前で呼べなくて、その幼馴染ってのは『伸くん』なんだよ」
 と、きた。
「それは……小さいときから、一緒に」
「俺だって、小さいとっからの付き合いだろ」
 秋山くんは、僕の描いた絵を目で指した。
「そ、だけど……」
 秋山くんのことは、小学校のときから『秋山くん』としか呼んでないじゃないか。
「俺のことも、周介って呼べよ」
「ええっ」
 困ってしまった。
「何で呼べないんだ」
「だって、恥ずかしいよ」
「こういうコトしてて、何が恥ずかしいだ」
 僕のお尻に手を伸ばして、ぎゅっと掴む。
「やだ、やめてよっ」
 僕はその手を振り払って、ベッドの端に転がって逃げた。
「それとこれとは別だよ」
「何が別だよ」
 追いかけてくる秋山くんを
「別です」
 枕で撃退。

「あー、今日は、名前で呼ぶまで返さねえぞ」
「やめ…っ、ひゃっ」
 圧し掛かられて、くすぐられてしまった。
「もう、やめてってば、秋山くんっ」
 じたばたと身体を揺すって抵抗すると、持っていた枕とシーツごとすっぽり抱きしめられた。
「だから、周介って呼べば許してやる」
「…………」
「このお姫様は、意外に頑固なんだよな」
 きつく抱きしめられて、耳たぶにキスされる。
「んっ」
 裸の身体に、シーツごしの秋山くんの体温が心地いい。
「葵」
「う、ん」
 さっきの疲れで、眠くなってきた。
「ほら、名前」
「う……ん」
 いきなり睡魔に襲われた。
「ごめ、ん、眠い……秋山く、ん」
「あ、こら」
 ごめんね。


 そのまま眠ってしまって、無断外泊をしてしまったことに気がついたのは、翌朝だった。






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