夜、僕がつい衝動買いしてしまって「今度一緒に見よう」と言っていたDVDを持って、秋山くんのアパートに行った。
 いつものようにコンビニでお惣菜を買って行ったら、
「わざわざ買って来なくていいって言っただろ」
 軽く叱られてしまった。しゅんとした僕に、
「毎回買ってたら大変だろ」
 秋山くんは、少し慌てて付け加えた。
「別に大変じゃないよ、これくらい。それより秋山くんのほうが自活だし、大変じゃない」
「ああ、まあね。でも一応、仕送りもらってんだ、家賃分くらい。あと自炊しろって米と野菜送ってきた」
 秋山くんは、台所に置かれたダンボールを爪先で指した。
「自炊?」
 ダンボールの中にはキャベツやジャガイモや玉ねぎ、あとニンニクだとか、色々入っている。
「食費だって金を渡したら、コンビニ弁当しか食わないだろうからってさ」
「う……」
 まさにそのコンビニ弁当を買ってきてしまった僕が言葉に詰まると、
「あ、悪い、そう言う意味じゃなくってさ」
 秋山くんは、笑って僕の手からビニールを取り上げると、冷蔵庫からビールの缶とウーロン茶のペットボトルを取り出して、お惣菜のパックをローテーブルの上に広げた。
「せっかく買ってきてくれたんだから、今日はこれ食べよう。ありがとうな」 
「…………」
(……僕が女の子だったら)
 こんな時、「何か作ろうか」なんて言って、あの野菜を手際よく洗ったり切ったりするんだろう。でも、残念なことに僕は、中学の調理実習でも盛り付け専門だった。包丁を握るなんて勇気はとても無い。
「工藤? 座れよ」
「あ、うん」
「どうした?」
「ううん」
「何だよ、気になるなぁ。ひょっとして、さっきのこと怒ってるのか? だったら、ゴメン」
「えっ? 何のこと? 怒ってなんかないよ、そうじゃなくて……」
 僕は、正直に、今思ったことを口に出した。
「……それで、作って上げられなくて悪いなあって思って」
 秋山くんは黙って聞いていたけれど、
「バカ」
 呆れたように言った。
「バカ、って」
「変なこと気にすんなよ、お前にメシ作ってもらおうなんて思ってないよ」 
「う、うん」
「てゆうか、多分、俺の方がうまいぜ」
 秋山くんがくすっと笑った。
「えっ?」
「うち、オヤジがたまにメシ作るような家だから、休みの日とか。で、俺も兄貴も『将来一人になっても困らないように』とか何とか母親にうまいこと言われて、小学校の時に米とがされたり、ジャガイモの皮剥かされたりしてたの。玉ねぎのみじん切りなんか必ず俺の役だったね、ガキん時。目が痛くてどうしようもなくて、水中眼鏡つけてやったもんだ」
「本当?」 
「どうも騙されてると気がついて、やんなくなったけど。野菜炒めくらいはできるし」
「すごい、秋山くん」
「いや、野菜炒めでスゴイとか言われても」
「ううん、すごいよ」
 僕は、感激した。秋山くんの、知らなかった面を見ることができて。
 小学生の時の秋山くんは足が速くて泳ぎが得意で、どんなスポーツもできてクラスの人気者で、その秋山くんが、家では水中眼鏡をかけて玉ねぎのみじん切りをしていたんだ。
「何、嬉しそうな顔してんだよ?」
「だって嬉しい。もっと知りたい、秋山くんのこと」
「ばっ、バーカ」
 僕の頭をクシャッと撫ぜる秋山くんの目元が、微かに赤く染まっている。
「ほら、さっさと食って。DVD見るんだろ」
「うん」
 照れているのかな。何だかかわいく見えて、僕は口元が緩んでしまった。


 
「あ、そうだ。工藤、豊島園行かないか?」
 DVDをセットしに立ち上がった秋山くんが、テレビ台に乗せていた封筒を手にして言った。
「豊島園?」
「そう、うちの親が荷物ん中に一緒に入れてきたんだけど、タダ券」
 見ると入場券に乗り物券が三回分ついたチケットが四枚あった。
「六回ずつ乗れるな」
「二人で行くの?」
 四枚あるから四人かと、ぼんやり前原さんや高橋くんの顔を思い浮かべていた僕は、秋山くんの言葉に聞き返した。
「もちろんそのつもりだけど。工藤、二人じゃ嫌なの?」
 わざとらしく眉をひそめた秋山くんに、慌てて首を振った。
「そんなことないよ。ただ、入場券が四枚あったから」
「んなの」
 秋山くんは二枚のチケットを重ねて、ビリッと入場券だけ破って捨ててしまった。
「はい、これで入場券は二枚です」
「秋山くんてば」
 おかしくて笑ったら、秋山くんは、僕の隣に腰をおろしながら言った。
「よく考えたら、二人で遊園地とか行ったことないよな」
「あ、そう、かも」
 高校卒業する時になって初めて両思いになって、その後の短い春休みは、引越しがあったり、それに伴っての買い物があったり、二人とも新しい生活を始めるのに夢中になっていて、いわゆる普通のデートらしいことはしていなかった。
「映画にも行かないしな」
「だって、DVDあるし」
 入学祝い兼一人暮らし記念に、秋山くんがお兄さんから譲ってもらったものだ。
「まあ、そうなんだけど」
 秋山くんは、リモコンのボタンを押しながら、
「でも、本当のところ」
 僕の肩を抱いて引き寄せた。
「外出歩くより、こうしたいから」
「あ」
 秋山くんの長い脚が僕の腰を挟んで、あっという間に、背中から抱かれてしまった。男らしい腕に拘束されて、身動きできない。
「我ながらサカってるよなあ」
 前に回った手がいたずらするように僕の胸をくすぐる。
「秋山くん……」
 自分でも恥ずかしいほど声が甘えている。
「ダメだよ、見れないよ」
 テレビの画面には、もうオープニングが流れている。
「うん」
 うなじにキスされて、
「あっ…」
 身体がピクッと跳ねる。
「や、やめ、ダメ」
 秋山くんの腕を押さえて
「映画、見るんでしょ」
「後で」
「ダメだよ、今日は……帰るんだから」 
 何とか誘惑を退けて抵抗したら、
「ちぇっ」
 意外にあっけなく秋山くんの腕が緩んだ。
「明日、一限からだっけ」
「うん」
「しょうがない。予定通り、いい子でテレビを見よう」
 そう言いながら、秋山くんの腕は僕の腰を軽く抱いたまま。僕も離れがたくて、秋山くんに背中を預けたまま、魚のお父さんが子どもを探し回る綺麗な南の海の映画を見た。



 
 そして日曜日、約束どおり僕たちは豊島園に行った。ディズニーランドほどではないにしろ、ほとんどのアトラクションに長蛇の列ができているのを見て、僕たちは反省した。
「ちょっと、豊島園を侮ってたな」
「うん」
「よく考えたら、大学生になってまで、日曜に来ることなかったんだよ」
「あ、そっか」
「平日にすりゃ良かった」
「うん……でも」
 一年の僕たちは、平日は、結構しっかり授業が入っている。
「秋山くん、もう授業サボったりしてる?」
「あ? いや、今んとこ全出席。まだよくわかんないからな、四月は様子見ってとこ」
「僕も」
「この次は、平日授業サボってどっか行こうな」
「うん」
 とりあえず、二人して目に付いたアトラクションの列に並んだ。





「工藤、大丈夫か?」
「大丈夫……でもないかも」
 ムカムカする胃を押さえると、
「実は俺も」
 秋山くんも自分のお腹をさすって、ウエッという顔をした。
 二つ目に乗ったアトラクションが余りにもグルグル回って、乗り物酔いの気分になった。
「忘れてたけど、豊島園の乗り物ってこういう系ばっかだった。中学ん時はえらい楽しかった気がしたんだけど、なんか今日はキタなあ」
「子どもの時の方が、こういう揺れとかに強いんじゃないかな、よくわからないけど」
「まあ、ちょっと、一休みしよう」
 二人でベンチに腰掛けた。
 しばらく休んでいたのだけれど、
「あ、あれ」
 ぼんやりと見たゲームセンターの入り口に、UFOキャッチャーを見つけた。
「リラックマだ」
「何?」
「絵本で見たんだけど、クマ。かわいいんだよ。へえ、UFOキャッチャーの景品になってるんだ」
「やってみれば?」
「うん」
 本当はUFOキャッチャーなんて得意じゃないけれど、薄茶色のクマがあんまりかわいくて、ぼくは立ち上がった。
 そして、
「あーっ、外れた」
 五百円使ったけれど、全然ダメだった。掴んだと思ってもすぐにポロリと落ちてしまう。
「よし、俺の出番だな」
 ニヤニヤ笑って見ていた秋山くんが、おもむろに財布から五百円玉を取り出した。
「こういうのは背中のヒモにかけるとか、引っ掛けて落とすとかしないとダメなんだよ。重いんだから」
 なんだか知ったようなことを言うので期待して見ていたら、
「あれ?」
「あーっ」
「うまくいかねえなあ」
「あ、ちくしょ」
「かすってんじゃねえよ」
 あっという間に五回終わってしまった。
 さっき笑われたお返しに「ぷふっ」と吹いたら、
「あーっ、ムカツク。絶対取る。取ってやる。見てろ」
 むきになった秋山くんは、財布から五千円札を出して両替しに行った。
「あ、秋山くん」
 五百円玉をジャラジャラさせて帰ってきた秋山くんは、
「あの一番デカイのとるから」
 枕サイズのリラックマを指差した。まるで予告ホームランのように。
 そして有言実行の男は、五百円玉をあと三枚使って、そのクマを引っ掛けて落とすのに成功した。
「やった」
 左手でガッツポーズ。
「すごい」
「ほら」
 出てきたリラックマを手渡されて、お礼を言おうとしたら、
「すごーい、上手ですねえ」
「私も欲しい」
 いきなり後ろから声がした。
 振り返ると大学生か、ひょっとしたら高校生かもしれない、かわいい女の子が二人並んで立っていた。
「いいなあ、リラックマ」
「私たちも、すごく欲しかったんです」
 人懐っこい顔で近づいてくる。
「取ってもらえませんか?」
「お金は出します」
 片方の子が財布から五百円玉を出して指を伸ばしたのを、
「待て」
 投入口を手のひらで塞いで、秋山くんが止めた。
「悪いけど、無理」
「え?」
 その女の子は、大きな目を瞠って、秋山くんを見上げた。
「俺、これ一個取るのに二千円も使ってんの」
「えーっ、ホント?」
「買ったほうが安いですね」
 二人はキャラキャラ笑った。
「うん、だから、もっと上手いヤツに頼んでよ」
 そう言って、秋山くんは僕の背中を押してその場を離れようとした。
「あ、ちょっと待って」
 二人は前に回って、秋山くんを引きとめた。
「男二人で、遊園地来てるんですか?」
「そうだけど?」
「私たちも、女二人なんです」
「一緒に回りませんか?」
 積極的な女の子の言葉に唖然としたけれど、
「悪いけど、俺たちデート中だから」
 秋山くんの言葉に、心臓が飛び出そうになった。
「えーっ」
「うそーっ」
 全く信じていないらしい二人は、揃ってはしゃいだ声をあげた。
「おホモだちってヤツ?」
「もったいなーい」
 カッと顔に血が上った。
「あ、こっちの子、赤くなってる」
「うそ、マジだったりして?」
「違う」
 思わず否定したけれど、すぐいたたまれなくなって、逃げ出した。
「あ、おい、工藤」
 秋山くんが追いかけてくる。
「待てよ」
 女の子が付いて来ていないことを確かめて、立ち止まった。
「急に逃げるから、あの子らビックリしてたぜ」
 秋山くんは、笑っている。
「だって……」
 秋山くんが、変なこと言うから。
「なんだよ、怒ってるのか」
「…………」
 黙っていたら、僕の手からリラックマをうばって、
「おこらないで、機嫌なおして」
 変な作り声で、僕の顔の横で振った。
(ぷ……)
「お、笑った」
 秋山くんがクマの手を取って、僕の頭を撫でる。
「葵ちゃん笑った、よしよし」
 また作り声。
「変な声」
「なに?」
「似合わない、その声。かわいくない」
「じゃあ、お前やってみろよ」
 リラックマを押し付けられた。
「やだ」
「やってみろって」
「嫌だよ」
「お前の方がかわいいから、たぶん」
「何言ってるの」
 最後は二人して笑っていた。





「さて、次はどうする? ていうか、そろそろメシ?」
「そうだね」
 歩きながら、
「やっぱり男同士で遊園地来るのって変なのかな」
 ポツリと言ったら、
「何言ってんだよ、いたるところにいるぞ。あそこにも」
 秋山くんの指差す先には、高校生の男の子たちが集団でいた。
「あれは二人じゃないし」
「二人組だっているだろ、探せば」
 キョロキョロとあたりを見回して、本当に探す様子の秋山くんの袖を引っぱる。
「そうじゃなくって……もういいよ」
「なんだよ、工藤」
 男同士の二人組が何組いたとしても、僕たちみたいに恋人同士っていうのは、少ないと思う。


『おホモだちってヤツ?』
『もったいなーい』

(もったいない……か)
 秋山くんの男らしい端正な顔を見て、女の子がそう言うのもわかる気がした。








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