「本当に、ここに置くの?」
「ああ」
「やっぱりやめようよ」
「何で?」
「だって……恥ずかしい」
「恥ずかしいって、俺?」
 秋山くんは、壁に立てかけた絵を眺めて、
「自分の肖像画を喜んで飾るなんて」
 ヨーロッパのお貴族様だと、ふざけて笑った。
「この和室にはあわないよ?」
 僕は、せめて、いつも自分が過ごす六畳一間の和室に飾るのだけは止してもらおうと抵抗した。
「うーん、じゃあ台所か? 台所に絵ってどうなんだ」
「別にいいんじゃない」
 僕はコソコソと絵を持ち上げて、玄関脇の台所に運ぼうとした。
「工藤、そうやってなるべく目立たないようにしようとしてるだろ」
「う……うん」 
 うなずいたら、ポカリと頭を叩かれた。そして、
「これは俺にとっちゃ、マジ大切な絵なんだ」
 秋山くんが急に真剣な顔で言うから、僕も慌てて言った。
「僕にとっても、大切な絵だよ。ものすごく」

 僕が高校の卒業制作で描いた秋山くん。市のコンクールで入賞したのだけれど、そんなことはどうでも良くて、この絵のおかげで僕は秋山くんと両思いになれた。その大切な記念の絵。小学校のときからずっと片思いで、絶対に思いが通じることはないと思っていたんだけれど――
「この絵がなかったら俺、お前に気持ち伝えることなかったし」
 秋山くんの言葉に僕も大きくうなずいた。
 そう。この絵があったから僕の気持ちが秋山くんにばれてしまって、そして信じられないことに、
『俺も、お前が初恋だった』
 この絵の前で、秋山くんに告白された。
 絵の神様が助けてくれたのだとしか思えない。この僕が『初恋』なんてタイトルをつけたのも、今思うと本当に不思議だ。

「だから、いつでも見えるところに飾っておきたいんだ」
 秋山くんは僕の手から絵を取り上げると、壁際のクローゼットの横に置いた。
「何困ったような顔してんだよ」
 秋山くんが呆れたように僕を見る。
「まさか、俺にやるって言ったの後悔してるんじゃないよな」
「そんな、違うよ」
 誤解されたくなくて、急いで首を振った。
「秋山くんが『欲しい』って言ってくれたとき、すごく嬉しかった」
 ただ、いざ飾るとなると恥ずかしい――というだけで。

 秋山くんは何か複雑そうな顔をして、僕をじっと見た。

「何?」
「いや、なんか今のセリフにドキッとした」
「何が?」
 その言葉に、今度は僕の心臓がドキッとする。
「欲しいって言われて、嬉しかった?」
 秋山くんは、突然いたずらを思いついた子どものような顔になる。
「えっ? えっ?」
「工藤が、欲しい」
 左腕をつかまれて、引き寄せられた。
「あ、うそっ」
「工藤が欲しい。欲しくて、たまんない」 
「あ、待って、ちょっ、と」
 抱きしめられて、僕は焦った。まだ外は明るいのに。
「……葵」
「んっ」
 耳元で名前を呼ばれて、くすぐったくて肩をすくめる。
「やだ、やめ……」
 やめて欲しいと言っているくせに、僕の指は秋山くんの両腕にすがっている。秋山くんの舌が耳の中をくすぐって、僕は立っていられなくなる。
「秋山、くん……」
 ずるずると崩れ落ちて、クローゼットに背中を預けると、秋山くんがゆっくり覆い被さってきた。唇が重なって、僕の息ごと舌を絡めとる。
「ん…っ」
 秋山くんの脚が僕を跨いで、
(あっ)
 秋山くんの固くなったものが腿に触れて、僕自身もズキンとした。
 嬉しい。
 秋山くんが僕に欲情してくれていることが、たまらなく嬉しい。
 秋山くんの指が僕のシャツのボタンに掛かったので、僕も秋山くんのシャツに指を伸ばした。そうしたら、
「やる?」
 秋山くんが僕の目を見て、意地悪く言った。
「って……」
 はじめたのは秋山くんなのに――思わず睨むと、
「ゴメン、そんな可愛い顔すんなよ」
 ぎゅっと抱きしめられて、顔中にキスされた。
「じゃ、カーテン閉めるな」
 立ち上がってさっさとカーテンを閉める秋山くんには余裕があって、なんだか僕は自分がとっても恥ずかしかった。











「工藤くん、サークルとか入らないの?」
 教育学部隣のカフェテリア。日当たりのよい場所を選んで座りながら、前原さんが言った。
「うん」
「そう」
 自分のアイスコーヒーにミルクを入れて、そのまま僕のグラスにも、同じように入れてくれる。ガムシロを入れないことは聞かなくても知っている。相変わらず姉のような前原さんだ。
「でも、絵は続けるんでしょう?」
「うん、まあ。でも、絵なら一人でも描けるし……」
「暗っ」
「そんな」
 露骨に眉をひそめられて、
「どっちにしても、まだ落ち着かないから。落ち着いて、一人で描くのがつまらなかったら、それから考えてもいいかなって」
 言い訳がましく言う僕に、前原さんは容赦なく――
「とか何とか言って。サークルなんか入ったら秋山くんと会う時間が減ってしまう。とか思ってるんでしょう?」
「う」
 図星を指されて、僕は頬が熱くなった。
「耳まで赤くしないでよ、まったく」
 前原さんはストローをクルクルと回し、氷が涼しい音を立てた。
「ごめん」
「謝らないでよ。何なのよ、私」
 クスクス笑う。その顔が綺麗で、つい見惚れた。
「何?」
 前原さんが小首をかしげる。
「ううん。前原さんって、本当に綺麗だね。前から綺麗だったけど、大学入ってますます綺麗になったよ」
「ちょっとやめてよ」
 今度は前原さんが顔を赤くした。
「あーもう、ほんと、工藤くんって魔性の男」
「何それ」
 いきなりな言葉にビックリした。
「わかってないのね。フツーそう言うセリフって口説き文句よ」 
「えっ?」
「はいはい、そんな気ないのは、よーくわかってます」
「えっ、えっと」
 拗ねたような前原さんにうろたえていたら、
「何だよ、一緒にいるんならメールくらいしてくれよ」
 背中から高橋くんの声がして、ちょっと救われた。
「もうメシ食ったの?」
 高橋くんはクラブハウスサンドを乗せたトレイを持っていた。
「当たり前じゃない。今何時よ? もう二時半よ」
 前原さんは、自分で時計を見て答えを出した。
「三限の授業が終わって、この後空いてるからお茶してたんだよ」
「あー、俺は今来たとこ、これも朝昼一緒っていうか」
「どうせさっき起きたんでしょ」
「あたり」
「それで、足りる?」
 少ないんじゃないかと、隣に置かれた皿の上を見たら、
「いや、十分。ってゆうか、二日酔いなのよ。頭痛くて」
 高橋くんは頭を押さえた。確かに、お酒の匂いが残っているのがわかった。
「大丈夫?」
「バカねえ」
 僕と前原さんが同時に言って、
「はああ」
 高橋くんが、テーブルに肘を突いた。
「心配してくれるのは葵だけだよ」
「ちょっと、工藤くん、そういう発言はよして。バカが甘えるから」
「えっ」
「未成年のくせして酒飲んで、二日酔いになるようなヤツは『バカね』が正しい取り扱いなの」
「正しい取り扱い……」
「なんだよ。バカの後は、ひとを家電みたいに」
「そんな便利なもの?」
「あのな」
「高橋、酒くさい」
「ったく、マジ冷てー女」
 前原さんは高橋くんのことを呼び捨てにするようになっている。まあ高橋くんも高校のときから「前原さん」とは呼んでいないけど。
 この二人のおかげで、僕の大学生活はけっこう賑やかだ。本来、人見知りな僕は、新しい環境にすぐに馴染める方ではないのだけれど、ここはエスカレーター式に進んだ大学だから高校からの知り合いもいるし、何より前原さんが同じ教育学部で授業も重なっていて、何かと一緒にいてくれて、そして学部は違うけど高橋くんともこうしてしょっちゅう顔を合わせる。
(ここに秋山くんがいれば、最高なんだけど……)
 ついつい贅沢なことまで考えてしまって、慌ててその考えを振り払う。
 秋山くんは、自分の目標を持ってわざわざ外部受験したんだから。
「どうしたの?」
「いきなり頭振って、どうした?」
「えっ、ううん。なんでもないよ」
「なあ、葵、この後空いてんなら、うちの授業受けに来ない?」
 高橋くんに誘われた。
「次の授業って何?」
「尾田の民法。大教室だから」
 潜り込んでもばれないと言うけれど、
「民法か」
 正直、あんまり興味はないかも。
 けれども、
「あら、いいじゃない。私、法律も勉強してみたかったのよね」
 前原さんが乗り気になった。
「つーか、前原はダメ」
「何でよ」
「うちの学部、女少ないから、前原が来たら浮く」
「大丈夫よ。まだ、授業始まって何回もないでしょう。顔なんか覚えてないって」
 前原さんは元気に立ち上がった。
「待てよ、俺を置いてってどうする」
 高橋くんがサンドイッチの残りを口に押しこんだ。この分だと二日酔いの方も、大丈夫らしい。
「浮いても知らねぇぞ」
 高橋くんの言葉どおり教室には女の子の姿は数えるほどしかなく、その中で、美しい前原さんはとても目立っていて、教授までがチラチラとこっちを見ている気がした。
「な、うち女っけないから」
 高橋くんが小声で言う。
「教育は、女の子多いだろ」
「そうだね」
「うらやましいなあ、とか言ってみたりして。関係ないっつーの」
 高橋くんのひとりボケ突っ込みに、どう答えていいかわからず口ごもる。男の秋山くんとつき合っている僕のことを言っているんだと思うけど、
(でも……)
 かつて僕のことを好きだといった高橋くんは、今でも女の人より男のほうが好きなんだろうか。
(訊ねるわけにも行かないし……)
 いろいろ考えていたら、
「な、俺寝るから、終わったら起こして」
「高橋くん?」
 高橋くんは机の上の両腕にうつぶせて本格的に寝てしまった。僕は教授の視線にいちいちビクビクしたけれど、高校と違ってチョークが飛んでくることはなかった。  
 前原さんは、最後まで真面目に授業を受けていて、
「今度から、この時間はこれに出ようかな」
 驚くべきことをつぶやいた。









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