このお話は、第一回人気投票『ありがとうSS』の続きです。そちらを読んでいない人は、
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「これ、さっきの百万石の生徒が落として行ったんじゃないか」
ミス和亀高校コンテスト実行委員の一人が小さな手帳を拾って言った。
海堂はたまたまそこに通りかかった。
「見せろ」
二年C組の代表がよその学校の生徒だったということで一時中断したミス和高だったが、無事に再開して海堂ようやくお役御免。その飛び入り参加の偽生徒が面白くて、何となく気になっていた。
「アドレス帳だな」
高遠が隣から覗き込む。アドレス帳はまだ新しく、買ったばかりという感じ。
「一個しか書いてねえ」
と、その住所を見て海堂が目を瞠った。
「うちの近所だ」
「あ、本当だ」
「トラノスケの散歩のついでに届けてやろう」
と、アドレス帳をポケットに入れた海堂に
「え?だって、そこが家かどうかもわからないぞ」
高遠は呆れたように言う。
「タァコ!新しい手帳に住所が一個しか書いてないんだから、本人の家か親しいヤツの家だろ?どうせ散歩の通り道だし」
久しぶりのタコ呼ばわりに、高遠はおとなしく従うことにした。


その頃、利一の従兄弟の替え玉がばれてしまった強は、急いで着替えを済ますと、泉、利一と一緒に都立和亀高校から逃げ出していた。何しろ、ジルが学園の様子を聞きたがって大変だったのだ。
「ここまで来れば大丈夫だな」
強が後ろを振り返る。泉は、強に腕を引かれてぐったりしている。
「ツヨくん、僕、もう歩けない」
「大丈夫か?泉」
利一が心配そうに覗き込む。
「どこかで休んでいくか」
と、そこでいきなり携帯の着信音。
「あっ」
泉が慌ててポケットからメタリックピンクの携帯電話を取り出した。この四月に大学に進んだ沢木に無理やり持たされたもの。
「あ、あっくん?うん…うん…今、ツヨくんと一緒なの。ううん、そんな…嫌じゃないよ」
泉の伏せた睫が震えて目元が赤く染まる。
「お呼び出しだな」
強が言うと、利一はガックリと肩を落とした。
「ごめんね、ツヨくん、僕…」
携帯を閉じて泉が涙ぐむ。この涙に深い意味は無い。泉だから。
「いってらっしゃい。沢木に呼ばれたんだろ?」
強は片手を挙げて振った。
「俺と利一は飯食って帰るよ。お前も、あんまり遅くなるなよ」
「うん…じゃあ、また後でね」
泉は涙目のまま花のように笑って、駅の方に駆けて行った。
「もう歩けない、って言ってたよな。さっきは…」
泉を好きな利一は、その後ろ姿を未練たらしく見つめている。
「しょうがないだろ?どっかで飯食おうよ、リイチ」
「あ、俺、病院行くわ」
「は?」
「ポンが救急車で運ばれていたこと、思い出した」
「今までは、忘れていたのか?」
「泉もいなくなっちまったし」
「やっぱ、それか…」
「本当に、ちょっと心配ってのもあるし。強、今日は付き合ってくれてサンキューな」
利一はちょっと申し訳無さそうに頭を下げると歩き出した。
強は一人取り残されて、腕の時計を見た。
「春日、帰っているかな」
試験とレポートで忙しいと聞いていた。今日も『調べものがある』とか言っていたけれど、この時間なら帰ってきているかもしれない。
(顔見て帰ろうかな…)


「ここだ、たぶん」
トラノスケを連れた海堂と高遠。一度家に帰って着替えた海堂は、水色のパーカーのポケットから件のアドレス帳を取り出した。
「3の8の20の501。このマンションの501号室だ」
大きな通りに面した広いエントランス。ドアはオートロックになっている。かなり立派なマンションだ。
「トラノスケは連れて入れないから、海堂、行って来いよ。俺、ここで待ってるし」
「あー、そうだな」
海堂はそのマンションを見上げて、頷いた。
「すぐ戻る」
「うん」
インターフォンを押すと、中から男の声がした。
「はい」
「すいません、落し物拾ったんですけど」
「落し物?」
相手は怪訝な声を出した。海堂はモニターカメラに向かってアドレス帳をヒラヒラと振って見せた。
「これ、百万石学園の、名前、何ていったかな、忘れちまったけど、そこの生徒がうちの学祭で落として行ったんだよ」
「ああ」
返事と同時に、エントランスの扉が開いた。
エレベーターに乗って五階へ。501号室は、エレベーターホールを出て右に曲がった突き当たり。途中にもう一機エレベーターがあった。かなり大きいマンションだ。
「わざわざ、届けてくれたの?」
玄関から顔を出した人物がめったに見ないような美人だったので、海堂は一瞬変な顔をしてしまった。
(こいつ、男?)
男にしては線が細いと思った。自分のことは心の中の広い棚の上に乗せている。
そしてその男、春日もやはり目を瞠っていた。
(女の子?じゃないよね…)
インターフォンから聴こえた低い声はどう聴いても男だったが、モニターに映った姿も目の前の顔も、到底、男のものでは無かった。しかし、
「これ。今日うちの、都立和亀高校の、学祭に来たヤツが落としていったんだよ。ここの住所が書いてあったから」
「ああ、わかるよ。ありがとう」
都立和亀高校といえば男子高校だ。だったら、この目の前の子も男なのだろう。春日は理解した。
(確か、今日そこに行くとか、言ってたな。強)
アドレス帳は春日が強にやったものだ。自分からは電話一つかけてこない強に、嫌味たらしく自宅のアドレスを書いてプレゼントした。
「悪かったね、わざわざ。ええと、お茶でも飲んで行く?お礼に」
ちょうどコーヒーを入れていたところ、春日は、社交辞令半分声をかけた。
「いや、人と犬、待たせてるし」
「犬?」
春日が目を細めた。実は、動物好き。
「何?うち、実家では飼ってるんだよ、柴犬。ここじゃ飼えなくて、残念なんだけどね」
柴犬と聞いて、海堂の瞳が輝いた。
「うちのも柴犬だよ。黒柴だけど」
「え?うちもそうだ。黒柴」
「へーっ、偶然だな」
海堂はニコッと笑った。トラノスケの話題となると、ホワイトエンジェル海堂。
その顔があまりにかわいらしくて、春日もつられて笑う。
「見てもいい?」
「いいけど、下まで見に降りるのか?」
「ちょっと気分転換しようと思っていたところだから、ちょうどいい」
春日は、靴を履いた。
海堂は、トラノスケを見たいと言って貰えて、気分がいい。
二人してニッコリ笑って玄関を出た。

そして、強は偶然そこに居合わせた。
エレベーターホールを出て右に曲がった突き当たり、その部屋のドアが開いて、春日ともう一人やたらとかわいい女の子が出てきた。
そう、私服姿の海堂は、口を開かなかったら女の子にしか見えないのだ。
ついでに言うと、自分がさっき立っていたミス和高の舞台の上にいた審査員と結びつけることも、当然、強にはできなかった。
とっさに、もう一つのエレベーターホールの角に隠れる強。その目の前をニコニコと笑いながら寄り添って通り過ぎる二人。
強は、自分でも意外なほどのショックを受けた。
(あいつ、今日はレポートで忙しいって言ってたじゃねえかっ)


「あーっ、本当に黒柴だね。このしっかりした足、キリリと巻いた尾」
「へへっ」
高遠は海堂がいきなり人を――それもかなりの美形を――連れてきたので、驚いた。
そして、つい先ほど、ミス和高の舞台で見た男の子が居住者の開けたエントランスに滑り込むように入っていったことも、言うタイミングを逃してしまった。
「この近くに住んでいるんだ。じゃあ、散歩の途中で会うこともあるかもね。僕は、ここに越してきてまだ二ヶ月だから」
春日はトラノスケの胸を撫で、背中を撫で、満足すると部屋に戻った。
ほんの少し前に強が自分を訪ねてきているなどと夢にも思わず、コーヒーを入れるとレポート作成の続きを始めた。


「ただいま、ツヨくん」
泉が帰ってきたとき、強はベッドの中で丸くなっていた。
「どうしたの?」
「別に…」
泉は、強の顔を心配そうに覗き込んで、そっとその前髪をかきあげた。
「何か、考えごとしているんだね」双子だからわかるんだよ、と微笑む泉。
強は、胸がきゅっと痛んだ。
「僕には、相談できないこと?」
「泉…」
けれども、強にはとても本当のことは言えなかった。恋愛についてはとっても晩熟な上に、男が恋愛相談なんて、こっ恥ずかしいとか思うタイプ。
「何でもないよ」
「そう?」
心配そうに小首をかしげる泉に、無理に微笑むと、強は毛布を引き上げた。
「ちょっと疲れた、今日は…」
「うん、早く寝たほうがいいね」
ポンポンと毛布の上から肩を叩かれ、強は目をつぶった。
(明日、春日に電話しよう。こんなことでくよくよするの、俺らしくない)


ところが、次の日、強は電話をすることが出来なかった。
理由は三つ。
一つには、強の性格。なんて言って電話すればいいかわからない。
浮気していたのか?新しい彼女を作ったのか?と聞けるならあの場で聞いていただろう。
強気に見えて、恋愛事には弱いのだ。
そして二つ目が、環境問題。いや、オゾン層の破壊とか地球の緑を心配しているわけじゃない。要は公衆電話の場所。百万石寮の電話は、エントランスと食堂にあるが、どちらも人通りの激しい場所で、携帯の普及にともなって使用する生徒は減っているが、聞き耳を立てる生徒は減ってはいない。
人気者の羽根邑家双子の電話なら尚更だ。
そういう理由もあって、沢木は泉に携帯電話を持たせたのだが、春日が同じ申し出をした時に断ったのは強自身。
「用があったら、寮に電話すりゃいいだろ?」
あっけらかんと言ったあの時は、こんな思いをすることなど想像もつかなかった。
そして最後の理由は、これは、決定的。
「電話番号……どこやったっけ?」
春日から貰ったアドレス帳が見当たらない。どこに置いたのか?ポケットに入れっぱなしにしていた気もする。
それが無いと、電話番号もわからない。今まで、自分からかけたことも無かったのだ。
「サイテー、俺って…」


けれども、その日の夜、春日のほうから電話があった。
泉のポケットから聴こえる着信音に、
(また、沢木からだな)
と、ぼんやりと考えた強に、
「ツヨくん、春日先輩からだよ」
泉が携帯電話を差し出した。
「え?」
ドキッとして出ると、間違いなく春日の声。
「元気か、強」
「あ、うん…」
「最近、何か変わったこと無かった?」
アドレス帳を落とした強、その手帳を自分が持っていることを伝えたいだけなのに、こういうストレートでない言い方をしてしまうのは春日の悪い癖だ。
「変わったことって…」
強の頭には、春日の部屋から出て来た美少女(注・海堂)の顔が浮かぶ。
「お前こそ、何か変わったことあったんじゃないのか」
「えっ?俺?」
切り返されて、春日は面白がった。
「例えば?」
「……新しい彼女が出来たとか」
強にして見れば精一杯の発言。
三秒ほどの間が開いて、春日が吹き出した。
「何?それ」
クスクスクスと春日は笑う。思いがけない台詞がおかしくて、一瞬、言葉も出なかった。
けれども、強はその『間』を疑った。
苦手な電話。春日が今どんな顔をしているのかわからない。笑っている振りで誤魔化しているんじゃないだろうか。
だって、あの子はむちゃくちゃ綺麗だったし。二人して、楽しそうに笑っていたし。
「俺が彼女なんて、作るわけないだろ」
受話器の向こうの声は優しくて、信じたくなるけれど――
「でも、部屋に遊びに来たりするんだろ?」
「ない、ない。女なんて、うちの玄関半径一メートル以内に入ったことも無いよ」
その言葉に、強は傷ついた。
(春日が、嘘をついた)
大学の友達だと、何でもないと、そう言ってくれたら問題なかったのに。なのに、春日は嘘をついた。強はそう考えて、胸を詰まらせた。
「だったら…いい…」
(嘘つき野郎)
プチッと携帯を切る。
切れた電話の向こうで、春日は驚いた。
再び、泉の携帯が鳴る。
「ツヨくん、春日先輩。まだ話が終わっていないって」
「眠いって…寝たって言ってくれよ」
「ツヨくん?」


翌日、春日は大学にレポートを提出しに行き、ついでと言っては語弊があるが二限と三限の一般教養の試験を受け、そして家路を急いだ。
強の様子がおかしかった。
大学から直接向かってもよかったのだが、アドレス帳を忘れたのでそれを取ってから行こうとした。マンションのエントランスを出てしばらく歩いていると、
「あれ、また会ったな」
前から来たのは海堂だった。
「やあ、散歩?」
黒柴トラノスケを連れている。トラノスケはクンクンと春日の足元を嗅ぐ。
海堂の隣に、先日同様に高遠が立っているのを見て、春日は微笑んだ。
「今日も、一緒なんだ。仲良いね。クラスメイト?」
深い意味もなく尋ねると、
「ううん、恋人」
海堂が当たり前のように応えた。
「わっ、馬鹿、海堂、何言うんだ」
慌てたのは高遠。
春日は目を瞠る。
「だって、本当のことじゃん。今は、クラス違うし」
「だからって、普通、言わないよ」
高遠の顔が赤くなっている。
「いいじゃん、どうせまた会うかもしんないし、いつか話すかもしんないし」
「海堂〜っ」


二人の様子に、春日は微笑ましくなって笑いがこぼれた。
「いいね。ええと、ごめん、名前なんていったっけ?」
「トラノスケ?」
「いや、君」
「海堂龍之介。こっちは、高遠」
「龍之介くんか。宜しくね。今度ゆっくり話させてよ」
春日の言葉に、海堂は首をかしげる。
春日は、このストレートな海堂にどこか強の姿を重ねて、無性に強に会いたくなった。
「じゃ、出かけるところだったんで、これで失礼するね」
「おう、またな」
屈託無く手を振る海堂。
高遠は、ちょっとだけ落ち着かない。
春日の姿が小さくなるのを見送りながら、
「カッコいい、っていうか、綺麗なひとだな」
呟くと、海堂が高遠を見上げて笑った。
「高遠のほうがカッコいいぜ」
「なっ…な、わけ、ねえだろ」
「何でだよ」
「それより、お前、会うヤツ会うヤツに変なこと言うのよせよ」
「変なことって?俺たちが恋人同士ってこと?何で、変なんだよ」
「うっ」
「本当のことだろ?」
「そうなんだけど…さ」
「へへっ」



そして、春日は百万石寮に着く。
勘違いして拗ねている強を自分のマンションに連れさらってわからせるのは、けっこう楽しいモノだった。




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