もぐもぐ版「暴れん坊将軍」をまだ読んでいない人は一応こちらが先だとお伝えしておきます。下の方にコソッと……
「御屋形様、本当にそのお姿で江戸城にいらっしゃるのですか」 隻眼の若い侍は、呆れた声にならぬよう気を使いながら、控え目に訊ねた。 御屋形様と呼ばれた男は、 「いかぬか」 おかしそうに振り返った。花鳥風月を染め抜いた派手な友禅が翻る。側には、鳥の尾羽で飾ったべっこうの唐人笠。金糸で飾られた陣羽織は、加賀から呼び寄せた職人に三年がかりで作らせたものだ。 「ご存知の通り、吉宗公はことのほか質素を好まれると……」 「なればこそ。あの紀州の山育ちに、この世にはこれほど美しい物があるのだということを教えてやらねばならぬ」 小さな溜息とともに黙ってしまった侍を見つめて、男の瞳が妖しく細められた。俯いた顔に指をかけて上向かせる。 「のう、美しいであろう」 「……御屋形様は、何も身にお付けでない時が、一番美しゅうございます」 「ほう。言うようになったな、焔。いや、丞之進か」 「焔と……昔のように、焔とお呼びください御屋形様」 侍は、耐え切れぬように、想いを寄せる主の胸に擦り寄った。 侍の名は姫川丞之進。元は尾張のお庭番。四年前に片目を失い、元来忍びとして生きるには目立ちすぎる容貌でもあったため、主命によって今では名と形を改め武士として名古屋城に勤めている。 侍を抱き寄せた主は、尾張六十二万石藩主、中納言徳川宗春その人である。 * * * * * 「上様っ」 厳しい呼びかけに、 「どうした、忠相。そのような恐ろしい顔で」 午後の執務に携わっていた吉宗は、驚いたように顔を上げた。 呼びかけたのは、江戸町奉行大岡越前守忠相。八代将軍徳川吉宗の腹心であり、他人には言えぬが想いを通じ合う相手である。 「尾張殿と、お会いになるのですか」 つい今しがた老中水野忠之から聞き、血相を変えて飛んできたもの。 「ああ、そのことか」 応える吉宗は、無邪気ともいえる顔で笑った。 「すまない、忠相には相談せず。急ぎのことで水野と決めてしまった」 忠相は、舌打ちしたい気持ちで声をひそめて詰め寄った。 「宗春公には、色々と悪い噂が」 「なればこそだ」 忠相に、それ以上言わせず吉宗は言った。 「一度会って話をしたい。同じ徳川同士、いつまでも確執があっては後の世のためにもならぬ」 「しかし……」 「案ずるな、忠相。宗春公みずから、供一人のみを連れて、江戸城に参られるそうだ。暗殺など心配していたらできぬことよ。私もその信頼に応えねばならぬと思う」 「上様」 忠相は、唇をかんだ。 宗春は吉宗の倹約令に従わず、尾張では日々遊山遊楽が行なわれ、「尾張殿はわざと将軍家に喧嘩を売っているのだ」と諸国大名の口にものぼっている。このままでは、将軍家の威信にかかわる一大事。老中の水野が心配するのは、そのことだ。 しかしながら―― (私が心配しているのは、それではない) 忠相は、四年前の事件に思いを馳せた。 吉宗がさらわれたあの時、吉宗を監禁していた船は尾張から出港したものだった。当時より、将軍の座を争い破れた尾張徳川家が吉宗に対して悪意を持っていることは囁かれていたため、事件の裏に尾張徳川家があることは、忠相にも容易に想像がついた。けれども、何の証拠も無いままそのことを申し上げるのは天下の為にも憚られ、口に出さずにいるうちに、次の事件がおきた。 その時の吉宗の告白を思い出し、忠相は顔に血を上らせる。 『お前に抱かれる夢を見ていた――私は、お前が好きなのだ――忠相』 「どうした? 忠相」 「はっ? い、いえっ」 忠相は、慌てて首を振った。 「顔が赤い。風邪では無いか」 吉宗が額に指を伸ばし、忠相は余計に顔を赤くした。 「いえ、そうではありません」 「そうか」 赤くなった忠相の生真面目な顔を見つめて、吉宗も頬を赤らめる。 「忠相、今夜……」 それだけで、意味は通じる。 「はい」 かしこまって頭を下げると、忠相は、これ以上顔を見られぬように急いで部屋を出て行った。 「ああ、そうではない。いかん」 部屋を出てから、忠相は、自分の頭を自分で叩いた。 「尾張殿と会うというのをお止めしに行ったはずなのに」 余計なことを考えて、失態を見せた自分を恥じる。 あの告白の夜、吉宗は船の中に囚われていた間の出来事を語った。 鬼面の男、妖しい薬、そして――― (上様……) 告げられた内容を想像すると、いつも腹が焼けるような思いに駆られる。四年経った今でも、その悔しさ憤りは薄らぐことない。血が出るほどに唇をかみたくなる。 (あの件に、もしも尾張殿が関係しているとしたら――) 忠相の心配は、そのことであった。 将軍吉宗と御三家の宗春の謁見は、将軍の執務室である中奥の御座の間にて行なわれる。 その日、忠相は朝から落ち着かなかった。 「上様、やはり私も同席させていただきたく」 「何を言うのだ、忠相。相手は尾張中納言宗春公だぞ。その宗春公が、直々に人払いを所望なのだ」 正装に身を包み、凛とした風情で吉宗はたしなめた。 「宗春公も、供の者は控えさせると言っている。忠相はその者と一緒に待っていればよい」 「しかし」 不安の色を隠せない忠相に、吉宗は微笑んだ。 「忠相は心配性だな。そんなに心配ばかりしていると早く老けるぞ」 「上様」 むっとした忠相に、吉宗は、 「すまない。心配をかけているのは、この私か」 わずかに声に甘えを滲ませた。 「なれど、私も天下人、将軍吉宗だ。わかってくれ」 澄んだ黒い瞳にじっと見つめられれば、忠相は、もう何も言えなくなる。 「……謁見が長引くようなれば、推参つかまつります」 「うむ」 そうして、忠相は一抹の不安を抱えたまま吉宗を送り出した。 * * * * * 「お久しゅうござるな吉宗公」 御座の間にひとり現れた宗春は、天下の八代将軍を前にして、馴れ馴れしくもそう言った。 「尾張殿?」 吉宗もさすがに眉をひそめてみせた。お久しゅうも何も―― (一体、いつ会ったというのだ) 吉宗の心の声が届いたのか、宗春はおかしそうに笑った。 「憶えてはいらっしゃらぬ? よもやお忘れか」 「さて、尾張殿のような御方にお会いしていれば、忘れようなどないものを」 噂の尾張中納言徳川宗春は、派手で奇抜な服装だけではない、一目見たら忘れられないほどの美貌の男だった。 吉宗のその返事に宗春は、手にしていた扇を口元に運び、満足げに咽喉を鳴らした。 「そう、忘れられては困る。思い出させてしんぜようか」 「なんと?」 立ち上がって近づいて来る宗春に、吉宗も片ひざを立てた。 (まさか、刀を) 帯刀は許していないはず。いや、それより、自分の命を狙うとしても、宗春公みずからが手を下すはずはない。だからこそ、人払いをしての面談にも応じたのだ。 一瞬、そのようなことを考えた隙に、宗春の指は吉宗の襟元に滑り込んだ。 「何をする」 「しっ」 片方の手が吉宗の口をやんわりと塞ぐ。 「大声を出してはならぬ」 将軍を相手に命令する。 「恥ずかしい所を、皆に見せることになるぞ」 耳元で囁いて、宗春の指は吉宗の胸の尖りを、きつく押しつぶした。 「うっ」 この時、吉宗は忘れられない香を利いた。 「これ、は……」 「懐かしくは、ないか」 南蛮渡来の香だと言った。あの、暗い船室での爛れた甘い香り。 「あの?」 目の前で微笑む赤い唇が、鬼面から唯一見えていたそれと重なる。 「おのれ……っあ」 押し倒されて乳首を嬲られ、吉宗は思わず濡れた声をあげた。 「あいかわらず、いや、四年前よりずっと感じやすい身体になっているの。ふふ、あの男のおかげか」 大岡忠相の名前を出され、吉宗は動揺した。 「さぞや可愛がってもらっているのだろうな、それ、ここも」 器用な指先は、すぐに下肢へと伸びた。 「や、やめろ」 言葉とは裏腹に、自分の身体が開かれていくのが分かり、吉宗は激しくうろたえた。 「あ、嫌だ。やめろ」 「よく熟れている。ここを最初に犯したのは、この我ぞ」 長い指が、迷い無く菊座の奥に入ってゆく。 「そん、な」 まさか、そんなはずは――。 けれども、この指の動き。与えられる苦しいほどの疼きは、まさしくあの時浅ましき身に刻まれたもの。 「ああ……」 宗春が懐に忍ばせていた香も相まって、吉宗は、あっけないほど簡単にあの暗い船底へと身も心も引きずり込まれていった。 「やめ……やめてくれ」 懇願の声に、甘い吐息が混じる。涙の滲んだ目じりを、宗春の紅く濡れた唇が吸う。 「四年間、退屈な日々にいつも思い出していた」 「は、ぅ」 「いつか、こうしてまた抱きたいと思うていたよ」 囁きながら、宗春の舌は吉宗の耳たぶをねっとりと愛撫する。滾った欲望は、すでに下肢へと押し付けられていた。 「いや、あ……あ、忠相っ」 吉宗が思わず助けを呼ぶと、 「あの男は、来ぬ」 意地悪く、宗春は笑った。 「来ぬように、言い付けてある」 「忠相……」 果たしてそのころ大岡忠相は、御小座敷と呼ばれる控えの間で、姫川丞之進と向き合っていた。 (この男、隙が無い。さすがは宗春公の側近か) もしも、ここに公儀お庭番頭籔田助八がいたならば、その隻眼の美丈夫を、あの暗い船の中で相対した忍びと見破ったであろう。けれども、忠相にそれを知る由は無い。 「大岡殿、どうなされまいた」 落ち着かない忠相が僅かに身じろいだだけでも、丞之進は片方の目を光らせた。 「なんでもござらぬ」 「さよう」 そして、また時が過ぎる。 一刻半も過ぎたところで、忠相が痺れを切らした。立ち上がった忠相に、丞之進が厳しい声を投げかけた。 「大岡殿」 「長すぎる。いくらなんでも」 「だからといって、どうにもなりますまい」 丞之進も、忠相の行く手を遮るようにゆっくりと立ち上がった。 「様子を……」 「なりませぬ」 静かな声だが、殺気がこもっていた。 「終わるまで、だれも近づけてはならぬと仰せつかっております」 「姫川殿」 忠相は、渋面を隠さなかった。 「姫川殿は、ご心配ではないのか」 尾張徳川家と将軍家のこれまでの因縁確執を考えれば、どちらがどちらを亡きものにしようとしたとしても不思議は無いのだ。暗にそれを匂わせれば、丞之進はクスッと笑いを漏らした。 「心配は、いたしておりませぬ」 俯いた拍子に、眼帯に隠されていない片方だけの長い睫毛が青白い頬に影を落とす。その言葉だけ聞けば、将軍家を信頼していると言っているものだが、 「私ごときの、心配など……」 微笑む口元には、何故だか自嘲の色が滲んでいる。 忠相には、その理由はわからなかったが、目の前の男が、ただ腕の立つだけの侍ではないと感じられた。 「大岡殿も、お座りくだされ」 丞之進が座りなおしたので、忠相も従わざるをえなかった。 (上様……) 嫌な予感に胸がざわつくものの、どうすることもできない忠相だった。 「うっ」 宗春に後ろから突き上げられて、吉宗は咽喉を反らした。既に、二人とも精を放っているが、宗春はそれでやめようとはしなかった。互いの精液でしとどに濡れたところを巧みな指先で愛撫しながら、後ろは衰えぬ欲望を滾らせたもので突き回す。 「ああ、も……」 吉宗はビクビクと身体を震わせながら、もはや自分がどうなっているのか分からなかった。忠相以外の男に抱かれるのは嫌なはずなのに、身体だけが自分を裏切り、熱く蕩けていく。 霞む瞳に、天井の欄間に彫られた徳川の葵御紋がゆらりと映った。 (ああ……) かすれる声で、けれどもはっきりと、吉宗は言った。 「宗春公……天下の、将軍にこのような真似をして……許されると思うか」 フッと背中で、宗春の笑う気配がした。そして、 「許されるなどと思うてはおらぬ。……許されたいとも思わぬよ」 「な…」 「よいか、吉宗……」 激しく突き上げながら、宗春は言った。 「我は、今、命と引き換えにそなたを抱いておるのだ」 「あああ…っ」 * * * * * 「御加減はいかがですか」 「大事無い」 忠相の見舞いに、吉宗は起き上がろうとして、 「いけません」 それを制された。 「明日からは、執務もいつも通りに行なう」 「無理はなさらないでください」 掛け布団の端を直して、忠相は静かに、代行した業務の報告をする。 吉宗は、その内容のほとんどを聞き流し、ただ忠相の声の響きだけを味わった。 「それでは」 部屋を出て行こうとする忠相に、吉宗はつぶやくような小声で呼びかけた。 「忠相」 「はい」 「何も……聞かぬのだな」 「……」 一瞬、口を開きかけたが、忠相は何も言わなかった。 (そう言う男なのだ) 吉宗は、胸を痛める。 (私が話そうとしない限り……) 「忠相」 「はい」 「私は、ひどい淫乱なのかもしれぬ」 「何を、上様」 忠相は声を詰まらせ吉宗の側ににじり寄った。同時に慌てて左右を見回す。 「大丈夫だ。ここには、私とお前しかいない」 ゆっくりと腕を伸ばし、吉宗は忠相の膝に触れる。 「忠相、私を抱け」 「うえ、さま」 「抱いて欲しい。今すぐに」 目じりから、涙が糸を引いた。 (忘れさせて欲しい――あの男を) 『我は、今、命と引き換えにそなたを抱いておるのだ』 あの瞬間、間違いなく心の琴線が震えた。 許せない相手を、許しそうになった。 「忠相……たのむ」 「上様」 尾張中納言宗春は、その後、将軍吉宗から蟄居――謹慎を命じられる。 「やれやれ、吉宗も小さな男じゃ」 「切腹がよろしかったのですか?」 丞之進は主に向かって、冷たい視線を送った。 「そうでなければ、収まるまい」 命を引き換えにと嘯いた美しい男は、脇息に身体をあずけたまま、家臣の問い掛けにのんびり応えた。 「遊山好きの御屋形様がどこにも出歩けなくなったのですから、死んだも同然でございましょう」 「なるほど」 丞之進の拗ねたような顔に視線をやって、 「来い」 宗春は手招いた。 「家の中にしかいられなくとも、楽しみはある」 この後、宗春が吉宗に会うことは、一度たりとも無い。 完 2006.07.17 |
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