書いた人 カザン
「カット!OK!!」 監督の声がかかり、拓海は緊張を解いた。 「お疲れさん」 目の前の、沖田総司の扮装をした伊織に声をかけられ、拓海は照れた笑みを見せた。 今日は、拓海が出演する「新選組」の収録日だ。 沖田総司の幼馴染みと言えば聞こえはいいが、拓海の出番は削りに削られ、浪士組に入って京に上る総司を見送りに来るわずか一シーンのみになってしまった。 一時間近くかけて扮装をし、三時間待たされた挙げ句、撮影は三十分程度だったのだ。 「いやぁ〜、良かったよ!うん!やっぱいい筋してんじゃん。俺の目に狂いはなかった」 撮影を終えて帰って来る拓海を、織田が大袈裟に褒め称える。 しかし良いも悪いも、拓海に用意されていた台詞は「もう行くのかよ」と「達者でな!」の二つだけだった。エキストラに毛が生えた程度、と言っていた織田も、まさかここまで削られまくるとは思っていなかったのだろう。これではギャラの方もすずめの涙程度だろう。 拓海としては、別段それほど意欲的でもなかったから、それは別にいいのだが、織田は織田なりに責任を感じているらしかった。 (ああ、やっぱり僕には芝居なんか向いてないや) 拓海は、なんとか御機嫌を取ろうと必死な織田を横目で見ながら、内心クスリと笑った。 やはり自分は、テレビ画面のこちら側にいる人間で、伊織のような生まれついてのスターとは違うということを、つくづく感じた。 着替えを終え、メークも落とした拓海は、真剣な表情で監督から指示を受ける伊織の横顔を見つめた。 躊躇いなく、無邪気に人を斬る天才剣士、沖田総司―――天才子役として一世を風靡し、その後も着実に若手俳優としての地位を築きつつある伊織ならば、立派に演じ切ってみせるだろう。 (遠い人だ。僕とは、住む世界が違う……) もし拓海が俳優になることを諦めて、このまま高校を卒業し、違う大学に進めば、二人の距離はますます遠くなっていくだろう。そして元の、スターとそのファンという立場に戻っていく……。 拓海は、伊織に押し倒されて、あんなことやこんなことをされそうになった日のことを思い出した。あの時は驚きのあまり拒んでしまったが、もしもあの時伊織を受け入れていたら、もしかしたら……。この頃、よくそんなことを考える。 伊織にしてみれば、あれは単に魔が差しただけだろうに……。 あれ以来、伊織とはまともに口もきいていない。一週間ほど前の初仕事の日、ドジをしてしまってから、もう取り返しがつかないほど嫌われてしまったらしかった。 (やっぱり辞めるべきかな……) 付き人の仕事も、決して役に立っているとも思えない。というか、明らかにちょくちょく足を引っ張って、忌々しげな伊織の舌打ちを浴びている始末だ。 いい夢を見たと思って、諦めるべきなのだろう。 拓海が、織田の隣で監督との打ち合わせをしている伊織を見ていた時、不意に背後から声をかけられた。 「また会えたね、拓海君」 振り向くと、そこには近藤勇の扮装をした松平が笑顔で立っていた。松平は、今日から撮りに入るのだ。 「ああ、どうも松平さん!」 拓海が反応するよりも早く、織田がその黒い顔いっぱいに、今にも揉み手でもしようかという勢いで、如才ない笑顔を浮かべた。 伊織と織田は楽屋まで挨拶をしに行っていたが、拓海はあの一見以来顔を合わせていなかった。 「ど、どうも」 この男、どこがとははっきり言えないが、苦手だった。しかし、一応は伊織の大先輩に当たる人だし、粗相があってはいけないと、拓海は引きつった笑顔でお辞儀した。 「お、おはようございます」 松平は緊張で顔を赤らめている拓海の態度をどう取ったのか、クスリと小さく笑った。 「初めて演技してみた感想はどうだった?」 「え、あの……わけがわからないうちに終わってしまって……」 「まあ、たったの2シーンだけだったしね」 「はい」 拓海はその言葉に、曖昧に微笑んだ。 「君、織田君といったかな。少し拓海君を借りてもいいかい?」 松平は、突然拓海の隣の織田に言った。 「は?」 いきなりのことに、驚いたのは拓海の方だ。織田はといえば「どうぞ、どうぞ」と満面の笑みを浮かべながら揉み手をしている。 「え……?えー?」 拓海は松平に腕を取られ、わけもわからぬままにスタジオを後にした。 振り返った視線の先に、監督と打ち合わせをしながら、驚いたようにこっちを見ている伊織の顔があった。 「ちょっ……どこ行くんですか?」 拓海は松平の手を振り解きたかったが、失礼があってはいけないという思いから、それも出来ないでいた。 「僕の楽屋だよ」 「な、なんで!?」 どうして自分が、松平の楽屋などに行かなくてはいけないのか。 拓海が焦りながらも松平に引っ張られるままに歩いていたところ、横合いからスタッフが遠慮がちに声をかけてきた。 「すみません、松平さん。監督がお呼びですが……」 松平は不機嫌そうな顔でその声に振り返った。 「俺の出番はまだ先だろ?」 「演出の変更があるそうなんですよ。それで松平さんにご意見を伺おうと……」 ペコペコ頭を下げながら、あくまで下手に出るスタッフに、それ以上何も言えなくなったらしく、松平は仕方無さそうに頷いた。 「わかった。すぐ戻る」 手を放され、拓海はホッとした。 「拓海君」 あからさまに安堵の息をついている拓海を見下ろし、松平が囁く。羽二重をしているせいで、普段の顔よりもキリリと引き締まって見えた。もっとも「暴リンボーダンス将軍」の松平しか知らなかった拓海にしてみれば、こっちの顔の方が馴染み深い。 「あ、へい!」 拓海は慌てて顔を引き締め、松平に向き直った。 「実はね、伊織君のことで相談があるんだよ」 「え?伊織君……?」 松平の口から出てきた意外な人物の名に、拓海の恋心アンテナがピキーンと反応する。 「ど、どういうことですか?」 「うん……それがちょっと人前では言えないんだよね。だから楽屋ででも話そうかと思ったんだが……」 松平は、眉根を寄せた苦い表情で首を振った。 「あ、あの……じゃあ後で」 「後で?」 「後で楽屋に伺ってもいいですか?」 拓海はモジモジとしながら上目使いに松平を見上げた。 業界の権力者、松平が伊織のことで話があると言っているのだ。苦手だからといって、まさか無視するわけにもいかない。 「うーん、それよりも撮影終わりに食事でもどう?」 「お、お食事……ですか?」 「うん、伊織君には内緒でね」 「そう……ですね……」 確かに、伊織に知れたら何と言われるかわからない。「スターとお食事とはいい気なもんだな。これじゃあ何のために仕事してんだかわかんねぇなあ」くらいは言うだろう。 「じゃ、そういうわけで。終わったら迎えに行くよ。一応電話番号も渡しておくね」 松平は携帯番号を書いたメモを拓海の手に押し込み、爽やかな笑顔と共にスタジオへと走って行った。 「気が重いな……」 拓海は廊下の真ん中でポツンと突っ立ったまま、手の中のメモを見つめ、溜め息をついた。しかし、愛しい伊織のためとあらば、なんてことはないと自分を納得させる。 よくよく考えてみれば、あの時代劇の大スター、暴リンボーダンス松平と食事できるのだ。羨ましいと思う人間の方が圧倒的に多いだろう。 (とりあえずお母さんにでも自慢してやろうかな) 拓海はメモをジーパンのポケットに突っ込み、スタジオへと急いだ。 スタジオに帰ると、監督と伊織、そして松平がセットの隅で何やら難しい顔で打ち合わせをしている最中だった。 「松平さん、なんて?」 隣の織田が、そっと囁きかける。 「え、あーっと……」 伊織には言うなと言われたが、他の人間には言ってもいいだろう。 「撮影終わったら、食事でもどう?って」 「……ほー、お食事ですか」 織田は意味ありげにニヤリと笑うと、顎を撫でた。 「いいんじゃない?大物とお近づきになるチャンスだしな。うんうん、拓海君がその気になってくれて嬉しいよ」 満足そうに頷き、「いやぁー、拓海君も結構やり手だなぁ」などと意味不明なことをブツブツ言っている。 拓海は織田を無視し、セットの隅で真剣な表情で打ち合わせをしている伊織をうっとりと見つめた。伊織は、一旦仕事に入ると、いつでも真剣勝負だ。 「食事のこと、伊織には言うなよ?俺がちゃんとごまかしといてやるから」 いきなり織田に低い声で話し掛けられ、思わずびくりと竦み上がる。 「あいつもさぁ、あいつなりに必死なわけ。わかるだろ?君が松平と消えたの見て、焦って監督に松平呼び戻させちゃったりさぁ。だから君が松平と○○とか知ったらまた荒れちゃうだろ?」 自分が松平と○○―――? いったい何の話をしているのか、さっぱりわからないが、伊織がこれ以上荒れたりしたら、もう側にいることはできなくなるだろう。 「わかりました。絶対言いません!」 力強く言い切った拓海に、織田がよしよしと頷く。そしてごく小さな声で低く呟いた。 「これでこいつが売れたら、俺の株も上がるってもんだ」 「おつかれさまでしたっ!」 拓海は今日の撮影を全て終え、こちらに帰ってくる伊織にドリンクを差し出した。 伊織はそれを受け取りながら、ジロリと拓海を見下ろす。 「お前さぁ、さっき松平と……」 「……え?」 突然松平の名前が出てきて、拓海は焦って笑顔を固まらせた。 「いや、やっぱいい」 伊織はその拓海の顔を見て、少し焦ったように目をそらした。 伊織が着替えている間に、もう着替えを済ませた松平がやって来た。 「やあ、拓海君」 不自然なほど白い歯が、爽やかに輝いている。さすがおばさま方のアイドルなだけはある。 「用意はできた?」 「え、あの……」 どぎまぎする拓海に、織田がツツッと擦り寄ってきて囁く。 「もう行っていいよ、拓海君」 「え……でも……」 「松平さんを待たしちゃ失礼だろ」 「は、はぁ…」 「じゃ、拓海君お借りするからね」 「ええ、どーぞどーぞ」 大人二人は、時代劇でよく見る「悪代官と悪商人」さながらに、ニヤリと笑って頷き合った。 「じゃあ楽しんどいで。伊織には上手く誤魔化しとくから」 「よろしくお願いします……」 拓海は松平に促され、駐車場へと急いだ。 「おい、あいつは?」 一方、着替えを済ませて部屋から出てきた伊織は、そこに拓海の姿がないのを見て織田に尋ねた。 「ああ、拓海君ね。父方のおじいさんの弟の嫁の兄の息子が入院したとかで、急いで帰ったよ」 「……はぁ?」 それはまた、えらい遠い親戚じゃないか。 「いやぁ、それにしても今日の伊織君の演技は素晴らしかったね。監督ももうベタ誉めだったし、この若さでこれだけ殺陣のできる俳優もそうはいないし……」 伊織は、滑らかに動き続ける織田の舌をじっと見つめた。この男は、嘘をついている時に口数が異様に多くなるのだ。おそらく自分では気付いていないだろうが。 「それ、嘘だろ?」 「え?いや、監督は本当に……」 「その話じゃねえよ。拓海がいない理由だ!」 伊織が押し殺した声でそう凄むと、織田の目にわずかに動揺が走った。 「……イヤだなぁ、嘘じゃないよ」 「じゃあ、あいつの家に電話して聞いてもいいな?」 「え……それは……」 織田は、今度は目に見えて動揺しだした。 (やっぱりか!) 「拓海はどこに行った?また嘘つきやがると承知しねえぞ、ゴラァ!!」 低く怒鳴って廊下の壁を蹴ると、織田は観念した様子でベラベラと事の仔細を喋り始めた。 「松平!?あのヤロー……」 伊織は織田の首根っこを掴んで、引きずるように駐車場まで連れて行くと、運転席に押し込んで車を発進させた。 「俺は、どこに行ったかまでは知らねえよ」 情けない顔でそう言う織田に、伊織は自信ありげに有名なシティホテルの名を告げた。 「なんで知ってるんだ?」 「んなことどうでもいいだろ!とにかく急げよ!」 伊織は虚空を睨み据え、ギリギリと唇を噛んだ。 もしも拓海の身に何かあったら……。 「ちくしょー!ブッ殺してやる!!」 |
キーワード 「すずめの涙」でした。 次回は 「ダンディーサンバ」(笑)
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