書いた人 もぐもぐ

 バラエティ番組に出る伊織の付き人としてお台場にあるテレビ局に行くというのが、その日の予定。織田が車をマンションの駐車場に入れると、そこから直接上に行くエレベーターに乗った。拓海はエレベーターの階数表示が点滅するのを、落ち着かない気持ちで見つめた。すぐに伊織の部屋のフロアだ。伊織とどんな顔をして会えばいいのだろう。
 そんな拓海の気も知らず、織田は得意の愛のメモリーを口ずさみながら目的の部屋の呼び鈴を押した。
「おはようさん」
「……菊さんは?」
「松葉杖で、運転できるかよ」
「そうじゃなくて、一緒に来てるのかと思った」
「ああ、今日は事務所に行ってる。帰りに寄って、顔見るか」
「そうだね」
 織田と会話する伊織は、すぐ傍に立っている拓海のことをまったく眼中に入れていない。
「あ、あの……」
 昨日のチン蹴りを謝ろうかと小声で呼びかけると、伊織は
「ああ、今日からだったね。よろしく」
 わざとらしい挨拶をした。
 織田はそんな伊織の様子に訳知り顔で言った。
「そうそう、伊織が実はちょっぴり猫かぶりなんてことは、俺と菊さんとそして拓海くんしか知らないことだから気をつけてね。他の人の前で出るといけないから、今から話し方も気をつけよう」
「はい……」
 拓海はうなずいたものの、伊織が冷たいのは昨日の自分がいけなかったのだと落ち込んだ。襲われたのだから抵抗したのも当たり前だが、拓海にとっては神にも等しい伊織だ。あのまま、身も心も捧げるべきだったのではないだろうか。それなのによりにもよって
(チン蹴り……)
 思わず、伊織の股間を見てしまう拓海だった。 
「じゃあ、拓海くん、この荷物もって」
「あ、はいっ」
 渡されたカバンは、結構重かった。
「何が入っているんですか?」
「伊織は服も靴も全部自分のしか使わないから、他のタレントよりも衣裳がかさばるんだよ」
「へえ」
「テレビ局が用意してくれたものを着たほうが楽なんだけど、自分の趣味じゃないもの着たくないんだって」
「織田さん、うるさいよ」
 伊織が不機嫌そうな声を出す。
 チラッと拓海を睨んで、
「言っとくが、その衣裳だって俺の趣味じゃねえよ」
 小声でボソリと言う。
「あ…」
 拓海は、睨まれたことよりも、話し掛けられたことが嬉しかった。嬉しさのあまり、ギュッとカバンを抱きしめる。
「拓海くん、服、しわになるから」
「あ、す、すみません」
 織田の言葉に、慌ててカバンを持ち直す。
 伊織はさっさと車に乗り込んでいた。
 カバンをトランクに積み込んで、続いて乗ろうとした拓海を織田が引き止めた。
「拓海くんは前、前」
「え?」
 この間は後ろに並んで乗ったのに。
 後ろのドアに手をかけて拓海が首をかしげると、織田は助手席のドアを開けた。
「今日からは、付き人だからね」
「ああ、そうですよね」
 素直にうなずく拓海に、
「別にどっちでもいいだろ」
 後部座席から声がした。
「拓海が後ろの方がいいって言うなら、後ろでも」
 伊織の言葉に、拓海は固まった。
「だってさ、どうする?」
 織田はおどけたように目を見開いて拓海を見る。
「あ、あの…ま、前でいいです」
 ギクシャクと助手席に乗り込んだ。
 あんな風に言われて「じゃあ伊織君の隣〜♪」と言える拓海ではない。
 しかも、昨日のことがある。それを思えば初めに後ろに乗り込もうとした自分が馬鹿としか言えず、拓海はホッと溜め息を落とす。
 しかし、この拓海の選択は間違っていたかもしれない。伊織は筆で描いたように形のいい眉をひそめて、拓海の後頭部を睨んだ。
「後ろから前から♪どうぞ〜♪」
 運転席の織田は、能天気に大昔のヒット曲(なのか?笑)を口ずさんでいる。
 拓海の長い一日が始まった。
 






「ふう〜っ」
 拓海は大きく息を吐いて、セットの陰で座り込んだ。
「疲れた……」
 何をしたということもない、気疲れである。伊織の付き人としての仕事の合間に、織田は拓海を大勢の大人に紹介した。コンビニのバイトくらいしか社会経験のない拓海にとって、業界の人たちは派手でノリが良く、中にはかなりエキセントリックな人もいて、挨拶だけでも疲れてしまった。色々な会話も多くが意味不明で、ついていけない。
 肝心の伊織はといえば、共演者たちと和気藹々とおしゃべりしていて、拓海のことには目もくれない。拓海は、セットの向こうでキラキラ輝いている伊織を見つめた。
 あの拓海の前で見せる態度は一切なりをひそめて、完璧に優等生の仮面を被っている。
(すごいなあ……)
 自分の前の伊織が本当の伊織だというのなら、息子にしたいタレントNO.1に選ばれるあの好感度抜群の笑顔も優しく賢そうな言動も全て演技なのだ。
(やっぱり、伊織君はすごい)
 猫かぶりさえ尊敬してしまう拓海は、やっぱり根っからの伊織ファンだった。



「大丈夫?」
 頭の上から声をかけられて、拓海はハッと顔を上げた。
「こんなところに座り込んでいるなら、あっちの椅子にいかないか」
 拓海に話し掛けてきたのは、伊織同様このバラエティ番組にゲスト出演する俳優松平健一(まつひら けんいち)だった。ベテラン役者の多い時代劇の世界で三十歳の若さでトップクラスに位置し、お茶の間で絶大な人気を博している。拓海も松平の時代劇デビュー作「暴リンボーダンス将軍」――暴れん坊の将軍様が身分を偽って江戸の町の悪を退治する。売りは番組終了十五分前将軍登場シーンでの華麗なリンボーダンス――は大好きだった。
「あ、あっ…」
 大スターに声をかけられて拓海はあがってしまい声を詰まらせた。
 松平は、赤くなった拓海の顔に目を細めて、優しい声で言った。
「君、桂木伊織君の付き人だったね」
「は、はいっ」
「そんなに緊張しないで。ほら、あそこに座ろう」
 壁際に並べられたパイプ椅子を指差す。
「あ、いえ……」
 付き人の分際で椅子になんか座れないと遠慮する拓海を、松平は半ば強引に引っ張っていった。
「ジュースあるよ」
「け、結構です」
 バタバタと顔の前で両手を振る。拓海は、目だけキョロキョロさせて織田の姿を探した。さっきまですぐ傍にいたくせに、今は陰も形もない。
「伊織君なら司会と打ち合わせに入っているから、当分呼ばれないよ」
「いえ、そうじゃ……」
(ないんです)
 伊織は今日一度も自分を呼びつけたりしていない。仕事は全部、織田に言われたものだ。そう思って伊織を見ると、台本を持った伊織がなぜかこっちを見ている。優等生の仮面の奥に心なしか不機嫌そうな表情を滲ませている。が、それも一瞬。伊織は司会のタレントに向き直って、話し始めた。
(何だろう)
 今の伊織の表情が気になったけれど、
「ハイ、拓海君」
 目の前に突き出された缶ジュースに視線を引き戻される。
「スポンサーの差し入れだからみんな飲んでるんだよ。君も遠慮しないで」 
「はあ……じゃあ、いただきます」
 ペコリと頭を下げて、拓海はプルトップを引いた。
「おいしい?」
 コクコク飲んでいる拓海の唇を見つめて、松平は訊ねた。
「ハイ」
 喉が渇いていたから、冷えたオレンジジュースはとてもおいしかった。缶から唇を離して拓海がうなずくと、
「じゃ、僕にもひとくち」
 松平の手が拓海の手を飲んでいた缶ごと包んで、そのまま口に運んだ。
「えっ」
 ゴクンと松平の喉が動く。単なる缶ジュースの回し飲みなら良くあることだといえたが、
「なっ、何するんでいっ」
 一口飲み終わっても松平の大きな手が自分の手を握ったままであることと、上目遣いてじっと拓海を見つめる松平が缶の縁にいやらしく舌を這わしたことで、拓海は動揺のあまり、江戸っ子になった。
「きしょくわりぃことすんなっ」
 拓海の大声は、スタジオに響いた。どこに行っていたのか、織田が慌てて飛んできた。
「す、すみませんっ」
 平謝りの織田に、拓海もマズイことをしたのだと気がついて青くなった。
「かまわないよ」
 松平は気にした風もなく微笑んでいる。しかし織田は汗を拭きながら
「本当にまだ子どもで……これからちゃんとしつけますんで」
 笑顔もひきつる怯えぶり。
「しつけ……ねえ」
 松平の微笑みの陰で瞳がキラリと光った。
「よかったら、僕にそのしつけを任せてくれないかな」
「いっ? いや、それは」
「伊織君の付き人だって聞いたけど、まだそんなに役に立っている様子も無いし、どうせなら僕の付き人に」
「それは、待ってください」
 織田は慌てて言葉を遮った。この大物俳優の密かに噂される性癖は良く知っている。
 拓海は、松平の言った「役に立っている様子も無い」という言葉に傷ついた。確かにその通りだが、はっきり言われると胸が痛む。
「松平さん」
 そこに涼やかな声がおりて来た。
「拓海は、僕の付き人です」
「やあ、伊織君」
「僕の付き人が何か失礼をしたのでしたら、謝ります」
「いや、別に何も失礼とかそういうんじゃないよ」
 松平は苦笑して伊織を見返した。
「ただ、まだ業界に慣れていないようだから、僕の方で色々教えてあげようかと思ってね」
「それは、お気遣いいただきましてありがとうございます。けれども、拓海でしたら、僕がちゃんとイロイロ教えますので」
「そうか。色々」
「はい。イロイロ」
 微笑む伊織は天使のように美しいと拓海はポウッと見惚れたが、その天使の腹の内までは読めなかった。





「ったく、織田ぁ、あん時、お前はどこ行ってたんだよ」
「事務所に電話してたんだよ。菊さんからメール入ってたから」
「ハッ」
 事務所に向かう車の中で被っていた猫を下ろした伊織は、織田のいい訳を鼻息とともに吹き飛ばした。
「ゲストにあの男が来んなら、用心しとけ」
「いや、ウチの入りよりもずっと後の予定だったんだよ。たまたま早く着いて、拓海君を見つけちゃったんじゃないかな」
「ヒマなヤロウめ」
「それにしても、さすがに手が早いねえ」
「感心してんじゃねえよ」
「しかし、マズイなぁ」
 片手でハンドルをきりながら、織田はいかにも困った様子で頭をかいた。
「何だよ」
「今度の年末時代劇の新撰組、近藤役って松平さんになったんだよね」
「何……たしか、近藤勇は」
 舞台演劇出身の大物俳優の名前をあげようとしたが、
「ああ、それがポシャって、急きょ変わったんだよ」
 織田の返事に、伊織は絶句した。



 そっと横目で隣を見ると拓海があどけない顔で眠っている。助手席に乗ろうとしたのを無理に後ろに乗せたのだが、慣れない一日に相当疲れたらしく、乗って何分も走らないうちに寝息を立てはじめた。そこでさっきの会話が始まったわけだが、
「はあ」
 伊織は、らしくもない溜め息を吐いて、小声でつぶやく。
「……だから、コイツをこの世界に入れたくなかったんだ」
「えっ? 何か言った?」
 振り向く織田。
「何でもねえよっ。前見て運転しろっ」
 ドガッとシートを蹴り上げると、
「んっ……」
 拓海が寝返りを打って目を覚ました。
「あ、ご、ごめん……俺……寝ちゃって」
 握った手で目を擦る仕草が、ひどく頼りなさげて、かわいらしい。
「眠いなら、寝てろ」
「あ、ううん。大丈夫」
 フルフルと首を振る寝起きの拓海は、普段よりも幼く見える。つい目を奪われそうになるのを無理に引き剥がして、伊織は前を睨んだ。その一見冷たい横顔に、拓海は伊織が怒っているのだと思った。スタジオを騒がせたこと、結果的に伊織の仕事の邪魔をしてしまったこと、そして今、付き人のくせにグーグー寝てしまっていたこと。
「今日は、たくさん失敗してゴメン」
 拓海は小声で謝った。
「明日は……もっと頑張るから」
 伊織の返事は無い。
 返事の代わりに吐かれた二度目の溜め息の意味は、拓海には正しく伝わらなかった。


           キーワードがね、いけないんですよ(笑)
 


           キーワード 「リンボーダンス」でした。 次回は 「すずめの涙」


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