書いた人 もぐもぐ

「拓海君」
「…………」
「拓海君ってば」
「は、はいっ?」
 織田に肩をゆすられて、拓海はビクッと振り返った。
 伊織を見るのに夢中になっていたのがバレバレで、かあっと顔に血がのぼる。織田はその拓海の赤くなった頬を人差し指でつついて、からかうように言った。
「そんなに伊織のこと、好きなんだ」
「てっ、てやんでいっ、そ、そんなことっ!そんなっ、そっ、そっ、そっ…」
 ますます真っ赤になった顔で、拓海は口から泡を飛ばした。その大声は、撮影中の伊織にも当然聞こえて、何事かと視線をよこす。
「困るなあ、静かにしてもらわないと」
 ヒゲのカメラマンが、不機嫌そうに織田に言った。
「ああ、すみません」
 愛想笑いで謝って、織田は拓海の肩を抱くとそのまま部屋の外に連れ出した。
「あっ、ああっ」
 拓海は、伊織が見られなくなるのが悲しくて、焦って伊織に向かって腕を伸ばす。伊織は不思議そうに首をかしげる。拓海の目の前でパタンと扉が閉じられた。
「ひどいっ!」
 拓海は涙混じりの目で織田を睨んだ。織田はその過激な反応に、驚いた顔で拓海を見返す。
「織田さんが変なこと言うから、大声出したんじゃないかっ」
 それで邪魔だからと外に出されるのは、納得いかない。
「うん、まあね。まあいいじゃん。撮影なら、また見る機会もあるよ」
「う?」
 それは、またこういう場所につれてきてもらえるということだろうか。
 それにはやはり、この目の前の男とは仲良くしておいた方がいい。拓海はあざとく考え直して、睨みつけていた視線を和らげた。織田はそれに気づいて、笑いをかみ殺す。
「実は、外に出てもらったのは、僕が拓海くんに話したいことがあったんだよ」
「なんですか?」
「伊織に聞いていたんだけれど、きみ、伊織のライバル宣言しているんだって?」
「いっ?」
 拓海は、慌てて叫んだ。
「してねえよっ!そんなん」
 またまた大声を上げてしまったのを、扉の向こうにも聞こえたかと慌てて息を飲む。そして拓海は、つとめて自分を落ち着かせながら言った。
「ライバル宣言なんてしていません。その、俺、いや、僕、ちょっとしたことで勘違いされて、周りが勝手にそう言って騒いでいるだけで、そんな、伊織君のことライバルだなんて、僕は、全然……」
 憧れのアイドルでこそあれ、ライバルなんてありえない。
 拓海が必死に言い訳するのに、織田は残念そうに言った。
「そうなんだ。惜しいなあ、きみがその気になってくれれば、本当にライバルとして売り出そうと思ったのに」
「へ?」
 鳩がまめ鉄砲という顔をした拓海に、織田はとんでもないことを言った。
「あの伊織が、学校で気になるやつがいるっていうから、わざわざきみに会いに行ったんだよ、今日は。結構かわいいって言うし、学校じゃ、伊織に対抗するアイドルらしいし。それなら、芸能界でもやっていけるかなあって」
「と、とと、ととと……」
「とと?」
「とんでもござんせんっ!」
 かなり変な言葉になった。
「あっしゃあ、ただの高校生の、しがない、一般ピープルでござんす。げ、げーのーかいなんて、とてもとても」
ギクシャクと顔の前で手を振る拓海。そんな拓海を見て、織田は、ポソリと、
「いいキャラなんだけどね」
そして、大げさに首を振って、肩をすくめてみせた。
「いや、マジでね、顔見るまでは半信半疑だったんだけど、今日会って、ピンと来たんだよ。拓海君さえその気になってくれたら、がんばっちゃうんだけどなあ、俺」
「が、がんばるって、何を?」
「うーん、実は、今度、テレビ三多摩の開局35周年記念の特別番組で年末に『新撰組』やるんだよね」
「新撰組? でも、今、MHKの大河でやってますよね」
「うん、思いっきり便乗よ。まあ、それがなくっても、三多摩だから『新撰組』がいいって話はあったみたいなんだけれどね。テレタマのやつらは、MHKに自分達の企画を横取りされたって言ってるけどね」
 ははは…そりゃないよね。と笑って、織田は続ける。
「その主役の沖田総司を、伊織がするんだけれどさ」
「ええええっ!!!」
 それは、ストーカー拓海も知らないホットニュース!
 拓海の頭の中には、浅黄色の羽織も凛々しい美剣士伊織の姿が浮かんで
「か、かっこいい……」
 再び乙女のポーズで溜め息をつく。
「うん。その『新撰組』に伊織の相手役として、拓海君を押し込んじゃおうかなって」
「えっ?!」
 拓海の目が見開かれる。
「お、沖田総司の相手って、まさか土方……」
「歳三は、多摩出身の大物俳優に決まってるの、もう」
「じゃ、近藤勇……」
「は、きみには似合わないでしょ。それなりに重い人じゃないと」
「ですよね。じゃあ……」
 斉藤一だろうか、藤堂平助だろうか、万が一山南敬助だとしたらとてもMHKの堺某のあの腹黒そうにも見えかねないビミョウな微笑みは真似できないぞなどと、ぐるぐる考えていると、
「あのね、きみにやってもらいたいのは」
 織田があっさり答えを用意した。
「沖田総司が、子供のころにかわいがっていた」
「かわいがっていた?」
「柴犬」
「犬かいっ」
 ついド突き漫才風に裏拳で突っ込む拓海。
「いや、冗談じゃなくってね。犬っていっても、これは総司の良心とも言うべき存在なんだ」
「両親?」
「いや、親が犬じゃ違う話になっちゃうでしょう。良心、っていうか、なんての? 心の中のもう一人の自分っていうか。新撰組一番隊長として人を切る日々に、総司はいつも、心の中で迷い悩んでいるんだ。これでいいのかって。でも、自分には剣しかないし、人を切るのも世のため近藤さんのためって自分に言いきかせて、また人を切る。本当は、人殺しなんて似合わない、優しい男なのにね。そんな総司の心の中に、いつしか、子供の頃の一番の友達だった柴犬の茶助が現れて、総司を慰めたり諭したりするんだよ」
 茶助というネーミングは、犬としてでもいかがなものか。しかし、織田は自分の語りに酔っている。
「茶助は、総司の友達だから、人間の姿で現れるんだ。その茶助の前でだけ、総司は弱い心をさらけ出せる。そんな、重要パーソンに、拓海君、きみを押したいんだよ」
 重要パーソンだろうか。
 しかし、拓海は顔を火照らせ、声を上擦らせた。
「そ、そんな……重要な役に……」
 憧れてやまない伊織と競演、しかも、伊織総司の心の友。
 拓海の頭の中に、美剣士伊織と並ぶ、自分の姿が浮かんだ。貧相な想像力のおかげで、茶色の犬の着ぐるみを着ている。その柴犬拓海の頭を、なでなでしてくれる伊織。奇しくも、ついさっき『あの毛むくじゃらの犬になりたい』と願ったとおり。
「どうかなあ、拓海君」
 チラリと横目で見ると、拓海は、妄想のしすぎでフラフラしていた。
「大丈夫?」
「だ、だいじょうぶ、です。でも……」
 ゼイゼイと肩で息をする拓海。
「でも、やっぱり、無理です」
 妄想だけで、これだけ消耗しているのだ。本当に競演となったら、死んでしまうだろう。
 そんな自分が情けなくて、拓海はがっくりと床に膝をついた。
「もし、そうなったら、どんなにかすごいと思うけど……でも……俺、とても、できねえよ」
「どうして?」
 織田も一緒になってしゃがんで、拓海の顔を覗き込んだ。
「やってもいないうちから、無理なんて、どうして言えるんだ?」
「だ、だって……俺……」
 伊織のそばだと、緊張する……小声でポツリともらした台詞に、織田の目がキラリと光った。
「なんだ、そういうことか。だったら、拓海君が伊織に免疫をつければいいってことだね」
「免疫?」
 先ほどからの拓海の行動で、拓海がどんなに伊織を好いているかはよくわかっている。織田は、自分の計画が上手く行きつつあることにほくそえんだ。
「もうすく夏休みでしょう。その間、伊織の付き人しない? バイト代も出すよ」
「ひっ!」
 ファンにとって、自分の好きなタレントの付き人なんて言ったら、猫にマタタビ。拓海は、降ってわいた話にまたグラグラした。ちょっと前まで、一緒の車に乗って帰ることもためらわれた自分。それが、今日は一緒の車に乗って、しかも、グラビア撮影の見学までできた。その上、信じられない競演の話が出たと思うと、今度は夏の間中、付き人として一緒にいられるという。
 盆と正月が一緒にきたというのは、こういうことを言うのだろうか。ちょっと違うだろうか。拓海は、震える声でうなずいた。
「ほ、ほんと…ですか…俺、っと、僕を、付き人にしてくれるって」
「うん。それで、伊織に慣れたら、さっきのドラマの話も考えてくれよ」
「はい……」
 付き人は、もうやる気になっている。
「でも、そんな重要な役、僕がやるかやらないかって、そんなにゆっくり決めていいんですか?」
 伊織に慣れたら、なんて悠長なことを言っていていいのだろうか。テレビ三多摩の開局35周年記念の特別番組だ。キャストも早く決めないといけないのではないだろうか。
「大丈夫、大丈夫、それより、その茶助の設定って、どう思った?」
「はい?」
「女の子受けする設定だよねぇ」
「そうですか?」
「そうだよ。伊織と拓海君に妄想かき立てられちゃう女の子がいっぱい出るだろうなあ」
「はあ……」
「それ狙って入れてもらったんだよね、その設定。俺が」
「…………」
「脚本家とツーカーなのよ。なんなら伊織とのラブラブシーン、てんこ盛りにしてやるからね」





 拓海と織田がそっと戻った時には、もう撮影は終わっていて、スタッフがあわただしく機材を片付けていた。
「織田さん、どこに行っていたの」
 伊織がほんの少し不機嫌さをこめた口調で尋ねる。
「ちょっと、拓海君と話をね」
「ふうん」
 伊織は拓海を見た。拓海は、何だか知らないが顔を赤くしてぼうっとしていて、見ようによってはひどくいかがわしかった。
「織田さん」
 伊織は声をひそめて言った。
「アイツに何か変なことしたんじゃないよね」
「してないよ、まだ」
 これまた小声で返ってきた返事に、伊織は織田を、その切れ長の大きな目で睨んだ。
 織田は、クスクス笑って
「いいこと決めてきてやったんだから」
 伊織の耳元でささやいた。
「夏休みのあいだ、拓海君、伊織の付き人するって」
 伊織の瞳が丸く見開かれる。





「はい、はい、大丈夫、ちゃんとやってますって」
 伊織と拓海をワゴンにのせ、織田は携帯で話をしている。当然、車の中の二人には聞こえない。
「菊原さんも、俺のことより、自分の心配してくださいよ。ええ、ええ、そう」
 電話の相手は、菊原和彦。伊織を育てた敏腕マネージャーだ。元マネージャーではない。「家業を継ぐために辞めた」と言ったのは、織田の真っ赤な嘘だった。菊原は、自宅の階段から転げ落ち、運悪く両足を骨折してしまったために入院中である。そのためにサブマネージャーだった織田が菊原の代行を務めているのだが、何ゆえ拓海に嘘をついたのか。携帯を切った織田は、それを胸ポケットにしまいながら、ひとりごちた。
「俺だってね、いつまでもサブに甘んじていませんよ」
 


 そしてその時、ワゴンの中では、伊織と拓海にちょっとした事件がおきていた。

 



          キーワード 「新撰組」でした。 次回は 「水遊び」 


HOME

小説TOP

NEXT