「淀殿の?」 小太郎は一瞬目を丸くしかけたが、 「ばかな。そんな話、聞いたことも無い」 からかわれているのだと、声を荒げた。 「あの男はいくつだ。産まれたのは、まだ太閤が生きているときの話だろう」 「そうだな」 「それで、どうやって隠し通せる。腹の中に十月もいるんだぞ。淀殿の」 その辺の婢女の話ではないのだ。 「隠してなどいない」 「は?」 「堂々と産んだのだ、十八年前」 「まさか……双子か?」 今度こそ小太郎は、太い眉の下のくっきりとした目を丸く見開いた。 そのころ、明乃庄に呼び戻された青龍は、玄武から同じ話を聞かされていた。 「秀俊殿が、秀頼様の双子の弟……」 江戸に潜入していた甲賀忍者才蔵からの知らせだった。 「秘密を知るものが裏切って徳川の耳に入れたらしい。それで、秀俊殿の首を取るように家康に命じられて、あの夜叉王丸が動いている」 「そうでしたか」 青龍は、新三郎の屋敷の大掛かりな仕掛けを思い出していた。 「何か秘密がありそうだとは思っていましたが」 「双子は家を揺るがすと言って忌み嫌われる。当時、石田三成殿のご配慮で弟の方を浅田家に預けたらしい」 「そのことを秀俊殿は知っていらっしゃる」 青龍の呟きは問いというより独り言だったが、玄武は応えて頷いた。 「おそらく、元服してから」 あのまっすぐな若者が、このことをどんな気持ちで受け止めたのかを思いやって、青龍は溜息をついた。 「淀殿としては、切り札になさるつもりだったのだろう。秀頼殿に万が一のことがあっても、太閤殿の血筋は絶えぬと」 「…………」 「しかし、それが裏目に出た」 その言葉に、黙っていた青龍が顔を上げた。 「どう言うことです」 「秀頼殿が、そのことを知ったのだ」 秀頼もまた、自分の配下を江戸に潜ませている。 「浅田家の新三郎秀俊殿といえば知勇に優れた武将として名高い。淀殿の覚えがめでたいことでも。事実を知って、隠されていたことに衝撃を受け、次には自分の立場が危うくなると思われたのも仕方ない」 「それで――」 新三郎は、大坂、秀頼からも命を狙われるはめになったのか――。 青龍は、痛ましげに眉をひそめた。 玄武は、弟たちが必要以上に新三郎に情を移していることに気付いていた。それだけの魅力ある人物だった。 (しかし、これ以上は――) 玄武は難しい顔で、腕を組んだ。 「今回の我らの仕事は、終わっている」 「何ですと」 「大坂から早馬が来た。秀俊殿の状況が変わった今、先の命は取り消し。新たな指示があるまで控えよと」 「それは……」 「それにしても、似てない双子もあったものだな」 再び、大坂城内、風魔小太郎の隠れ部屋。 「弟の方は、外見は淀殿似で智に長けた所が太閤殿似と言うところか」 適当な小太郎の言葉に、夜叉王丸はクツクツと笑った。 「太閤殿似、ねえ」 「なんだ」 「太閤の血など、ひいているのだか」 「お前が今言ったのだろう。秀頼の双子の弟だと」 小太郎はむっとして分厚い唇を尖らせる。忍びの術以外にかけては子供と同じらしい。 「だから、二人とも。よ」 夜叉王丸にしては珍しく、小太郎にわかるまで言葉を継いだ。 「考えてもみよ。あれだけ女好きで妾姫を囲いまくった太閤殿だ。女たちも天下人の世継ぎを産みたくて毎夜その精を搾り取ったのに、淀殿以外誰一人子は成さなかった」 「つまり、秀頼も秀俊も、太閤の種ではない。と?」 「双子のうち一人を隠したのも、そこに理由があったかも知れぬな」 「むう」 そうだとすると、どうなるのか。 小太郎の頭では、現状は理解できても、その先のことまでは及ばない。 「お前が悩むことでは無い」 慣れない思案顔の小太郎に、夜叉王丸は言い捨てた。 「いずれにしても、太閤の子ということになっているのだ。秀頼も……あの男も」 「うむ」 言われた通りに小太郎は、それ以上考えることを止めた。代わりに正直な感想を口にする。 「お前、今日は珍しく饒舌だが、機嫌が良いのか」 何かあったのかと問われ、夜叉王丸の目に険が走る。 小太郎は、その目に睨まれ、またも自分が失言したことを知る。 「さあ、お前の手下が四人死んだことくらいか」 「夜叉……」 「名を呼ぶな。馴れ馴れしい」 夜叉王丸は立ち上がって、 「その間抜け面も見たことだし」 もう用はない、とばかりに消えた。 「あ、おい、もう少しゆっくりしていけ」 配下の者の命がいくつ消えようとさほど気にとめない風魔の頭領は、昔から、夜叉王丸ひとりにずい分振り回されている。 「久しぶりに会ったというのに」 グビッとひょうたんの酒をあおる。 「それにしても、本当に機嫌が良かったな。何があったんだ」 太い首をかしげる小太郎は、さすがに夜叉王丸と朱雀の間のことまで知る由も無かった。 「はぁ……」 朱雀が、この日、もう何度目かの溜息を吐く。 「兄者、食事を取ってください。片付きません」 「ん……」 白虎の言葉に返事しながらも、朱雀は物憂げに柱に背中を預けたまま動かない。手には小さな金色の簪を持って、その可憐な蝶の細工を見るともなしに眺めている。 朱雀が大坂城から戻って四日目。白虎は、朱雀の変貌に胸騒ぎが収まらなかった。一日目はまだよかった。とにかく疲れているのだろうと休ませた。しかし、二日、三日と経つうちに、朱雀の様子はますますおかしくなっていった。あれだけ食い意地が張っていたくせに、ほとんど食事に手をつけない。新三郎のことを心配しているのだろうと思ったが、たまに赤い顔をして宙を見つめている。その横顔がまた、ひどく色っぽかったりするのだ。 「兄者ぁ……」 いったい城の中で何があったのか。 白虎の妄想は膨らむばかりだ。 「おい」 そこに、よせば良いのに半兵衛が、 「あの朱雀の様子……」 白虎の隣に座って、声を潜めて言った。 「何です」 「ありゃ、恋煩いってヤツじゃねえか」 「こ、恋、わずらい」 お医者様でも草津の湯でも――と言う言葉は、この時代には無かったが。 「やはり、そう思いますか」 白虎は、自分でもそう考えていただけに、素直に頷いた。 「ああ、まあ、その前からそんな感じはしていたが。相手は、その若殿様だろう。で、あれだな、あの滲み出る色気は、生娘が女になっちまったときのアレだ」 「ひぇ」 さすがに八歳の白虎には刺激が強い。が、明乃庄の耳役はだてではない。男女のことも、いや、男と男のことでも、一通り知る白虎だった。 「や、やっぱり……兄者」 風呂場に着物を届けたときに、見てはならぬ物を見た気もしたのだ。 「しかし、あんな腑抜けのようになっちまって、大丈夫なのかね」 「大丈夫じゃありませんよ」 白虎は血を上らせた顔を振る。 「あんなんじゃ、敵に襲われたらひとたまりもありません」 何とかしなければ。と、白虎は赤い頬に決意をみなぎらせた。 そこに、明乃庄からの使いが届いた。 「兄者っ」 「んー? 何だ」 朱雀は相変わらずぼうっとしていたが、 「玄武の兄者から、これが」 差し出された手紙を見て、顔色を変えた。 「戻って来いって、どういうことだよ」 「さあ、とにかく、今回のお役目は終わったようですから」 「終わったって、何言ってんだ。新三郎様はまだ大坂城にいるんだぞ」 「だから、それで終わったということでしょう。とにかく命令ですから、急ぎ戻りましょう」 「嫌だ」 「兄者」 「訳もわからず、帰れるか」 「だから、庄に戻って訳を聞けばいいでしょう」 聞き分けの無い兄に、白虎もむきになった。 「嫌だ」 「兄者っ」 「ここを……大坂を、離れたくない」 泣きそうな朱雀の瞳に、白虎は言葉を詰まらせた。 「帰って来るって言ったんだ。必ず戻るって……」 金色の蝶を握る指が、小さく震えている。 「だから、俺は……待ってなきゃ……」 「…………」 朱雀の切ない声に、白虎も泣きそうな顔になっていると、 「それじゃあ、白虎だけ先に戻って、それから迎えに来たらどうだ」 半兵衛が助け舟を出して言った。 「事情を聞いてきて、まあ、ついでに、なんだ、こっちの事情も伝えて」 言外に「朱雀のことを相談して来い」と含んで、促した。 「急げば二日だ。その間は俺が見といてやるから」 心配するな。 「わかりました」 白虎は渋々頷いて、 「兄者、くれぐれも早まったことをしないでください。半兵衛殿も、ちゃんと捕まえていてくださいね、この人」 朱雀の腕を掴んで、引き渡すように押し出した。 「ああ、ああ。任せとけ」 朱雀は、大人しく半兵衛に肩を抱かれて、うつむいた。 「本当に、むちゃはしないでくださいよ」 白虎は、まだどこか信用できない顔で朱雀を見ていたが、こうなったらさっさと行ってまた急ぎ戻らねばと仕度をはじめた。 朱雀は、白虎の発つのを見送って、再び自分の世界にこもった。日が経つにつれ、新三郎のことが頭から離れない。夜叉王丸にされたひどい仕打ちが、夢の中では新三郎からの甘い愛撫となって、身体に熱を植え付ける。その熱は、昼間起きているときも、しばしば朱雀を翻弄した。 (新三郎様……) 夜中、そっと自分の下肢に手を伸ばすと、新三郎の言葉がよみがえる。 『伽を命じても良いか』 「あ……」 ぞくりと腰に震えが走る。実際にされたら恥ずかしくて死んでしまいそうなことでも、想像の中での朱雀は大胆だった。 「新三郎さま、あっ……」 喉を仰け反らせた朱雀は、つきの瞬間、ハッと身を起こした。 「誰だっ」 闇の中から、くぐもった笑い声がした。 「いかぬ。私ともあろうものが、お前があまりに色っぽいので、気配を殺しきれなかったようだよ」 「夜叉王丸っ」 飛び起きた朱雀は、枕の下の短刀を掴んで飛び掛った。一瞬の間に、三つ火花が散った。 「お前のために、良い知らせを運んできてやったのに」 「ぬかせっ」 狭い部屋を飛び出して、得物をくないと鎖分銅に変えた朱雀は、空中で間髪入れずに夜叉王丸を襲った。さすがの夜叉王丸も、鉄扇で応じながら押され気味だ。 「今日はずい分強いな。見られて恥ずかしかったか」 「違うっ」 鎖分銅の先が、鉄扇に巻きつく。 「今度会ったら、絶対殺すって、決めてたんだっ」 屋根の上で、朱雀は両手で鎖を引いた。夜叉王丸も鉄扇を両手で持ち、引かれるに合わせて足を横に滑らせる。円を描きながら、二人の距離がジリジリと短くなる。 騒ぎに気づきながらも、二人のあまりの早業に近づけなかった半兵衛が、ようやく夜叉王丸の後ろに立った。 「お前が伊賀の夜叉王丸か」 「挨拶をしている場合ではなさそうだが」 「まったくだ」 半兵衛は、懐から得意の手裏剣を抜いた。 朱雀が夜叉王丸をつなぎ止めている間に、その背に打ち込むつもりだった。 それなのに、腕が動かない。 (恐ろしく隙が無い……) 背中を見せているのに、そこに投げたら最後、倍になって跳ね返ってくるような恐ろしさを感じた。立っているだけで、脂汗が吹き出す。 (これが、夜叉王丸か……) その夜叉王丸と互角に戦っている朱雀を、半兵衛は改めて見直した。 白虎の心配は杞憂のようだ。 「朱雀」 夜叉王丸が呼びかける。 「なんだ」 「良い知らせだ」 最初に言い掛けたこと。 朱雀は、まなじりを吊り上げた。 こいつの言う良い知らせが、本当に良いはずがない。 「あの男、江戸に行くらしい」 朱雀の顔色が変わる。 「その前に婚礼を済ますとか言って、田多倉家は夕刻から大騒ぎだ」 「そ……」 朱雀の手から一瞬力が抜けた。 「あうっ」 夜叉王丸の鉄扇が鎖分銅を弾き飛ばした。朱雀の手を離れたそれはくるくると宙に舞い、落ちて大木の枝に巻きついた。ざわりと枝が揺れ、葉が舞い散る。 「それだけだ」 舞い散った葉を身にまとい、指南書通りの木葉隠れの術を披露すると、夜叉王丸は姿を消した。 「夜叉王丸っ」 「追うな」 半兵衛が朱雀の肩を押さえて引き止める。今の朱雀では心もとない。こんなに動揺を表した朱雀では。 「新三郎様が……江戸に」 |
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