もしもこの場に白虎がいたならば目をむいて反対したに違いないが、残念ながらその賢弟はおらず、
「どうやって?」
 朱雀は、殺したいほど憎んでいたはずの夜叉王丸をすがるような目で見つめる。新三郎に会いたい気持ちが何にも勝っている。
 夜叉王丸は赤い唇を歪ませて囁いた。
「私の知り合いに、大坂城の奥に出入りしている商人がいる」
「商人?」



 連れられて行かれた先は、山奥育ちの朱雀には馴染みがなくとも、大坂の人間ならば誰でも名を知る大店だった。錦屋甚衛門と名乗った主は、明け方人目を忍んで訪ねてきた夜叉王丸に驚きもしなければ、嫌な顔一つせず、上得意扱いで出迎えた。
「突然すまぬ」
「とんでもございません」
 柔和そうに細めた目で、夜叉王丸の後ろに立つ朱雀を窺うように見たけれども、
「どうぞこちらへ」
 何も聞かず、腰を低くして二人を案内した。
「そなたはここで待っていろ」
 奥の座敷に朱雀一人残して、夜叉王丸は主と一緒に出て行った。なにやら打ち合わせをするらしい。ここに来て朱雀は初めて夜叉王丸を信じて良いものかどうか不安になったが、乗りかかった船だ。
「毒を食らわば皿まで」
 白虎が聞いたらやはり「使い方が間違っています」と叱られそうなことを呟いて、朱雀は膝に置いた拳に力を入れた。
「待たせたな」
 四半刻もしないうちに夜叉王丸は戻ってきて、
「さあ、こっちだ」
 さらに奥にある別の棟に朱雀を促した。
「これは」
 案内された部屋に山と積まれた反物や調度品を見て、朱雀は目を瞠った。
「こちらが、今回お城にお届けするものです」
 主の甚衛門が声に少しばかりの自慢を滲ませて答えた。
「加賀、京、長崎、全国から取り寄せした、いずれも最高級の品々ですよ」
「まったく戦が始まるという時に、こんなものに散財したがるあの女の気が知れぬ」
 夜叉王丸は反物の一つを無造作に掴むと、シャラリと床に広げた。艶やかな紅が波を打つ。
「あんな年増より私の方が似合う。そう思わぬか」
 こんなもの、気が知れない、などと言いながら、自分こそ楽しそうにその絹織物を肩にあててみせた。確かに、美しい貌には女物の贅沢な絹がよく映えた。流し目で言葉を促され、甚衛門は苦笑しながら頭を下げて言った。
「夜叉王丸様がお買い上げくださるのでしたら、それはお取り置きいたしますが」
「ふふ……」
 妖しく微笑んで、夜叉王丸は、不意にどうでもいい物のように反物を朱雀に放った。とっさに受け止めた朱雀はどうして良いかわからず、仕方なく巻いて元に戻そうとしたが、
「ああ、おやめください。私がいたします」
 あまりの不器用ぶりに甚衛門が慌てて引き取った。
「さて朱雀」
 夜叉王丸はようやく本題に入った。
「甚衛門はこれらの品を長持(ながもち)に入れて大坂城に運ばせる」
 部屋の隅を見れば人ひとり十分入れる大きな箱が並んでいる。
「そなたも一緒に運んでもらえ」
「この中に、入るのか」
「ああ、その前に少し、いや、かなり身奇麗にしてもらおう」
 言われて朱雀は自分の着物を見た。さすがに町中に出るために忍装束は着替えている。それなりに普通の格好だと思ったのだが、
「万が一にも見つかってしまったら、淀殿に差し上げる生き人形だとでも言わねばならぬからな。せいぜい美しく着飾るのだ」
 夜叉王丸はそう言って、甚衛門を振り返った。
「頼むぞ」
「かしこまりました」
「なっ……」
 唖然とする間ももらえず、朱雀はそのまま風呂に連れて行かれた。
「なんだよ、その生き人形って」
 質問を無視して、甚衛門は
「お夏」
 女の名を呼んだ。
「はい」
 いつのまにか甚衛門の使用人らしい若い女が起きてきている。
「頼むよ」
「はい」
 お夏は事情をどう聞いているのか――おそらく何も知らされてはいないのだろうが、
「さあ、こちらにいらしてください」
 かいがいしく朱雀の世話をする。
(ええい、どうせなるようにしかなんないんだから)
 朱雀は、もう一度心の中で自分に言い聞かせるように呟いた。



「きれいな肌ですねぇ」
 朱雀の背中を洗い流しながらお夏が溜息のように言う。
「は、はあ……」
「真っ白で、ほくろの一つもないのですね」
「はあ」
 そうなのか。
 自分では見たことないからわからない。と、朱雀は思った。
「髪も艶々で、きっと絹糸のようなというのはこういう御髪(おぐし)を言うのでしょうね」
「はあ……」
 誉められてはかりで間が持たない朱雀は、
「なあ、夜叉王丸とここの店ってのは、どういう関係なんだ」
 自分から話題を変えた。もちろん尋ねてみたかったというのもある。
「えっ?」
 お夏はきょとんとした。
「やしゃ……なんですか?」
「夜叉王丸だよ」
 朱雀が言っても、お夏は首を傾げたまま。
「さっきの」と言いかけて、そう言えばこのお夏が現れたときには甚衛門しかいなかったのだと気がついた。
「…………」
「夜叉王丸」
 黙りこんだ朱雀に気をつかってか、お夏は思い出そうとするように呟いてみたけれど、
「なんだか、怖いお名前ですね」
 困ったような顔で微笑んだ。
「知らないのか」
「はい。申し訳ありません」
 丁寧に頭を下げる様子は、商家の使用人というよりも、武家に仕える女中のようだ。
「ならいい」
 朱雀はつまらなそうに小さく唇を尖らせた。お夏はその横顔に洩れそうになった笑いをかみ殺したが、当然、朱雀は気付かなかった。
「お耳を、おけがなさっていますね」
 髪を洗っていたお夏に指摘されて、朱雀はビクリとした。まだ傷が残っていたのだと、慌てて右手で隠す。
「どうかなさったのですか」
「なんでもない」
 そう言いながら、朱雀は胸まで赤くした。
「い、犬に……噛まれたのだ」
 いつかと同じ言い訳をする。
「まあ、酷いこと」
 お夏はそれ以上何も聞かずに、やんわりと朱雀の指を外すと、丁寧に絹の黒髪を洗った。



 こんなに時間をかけて風呂に入ったのは初めてで、あがってからも、朱雀はグッタリとしていた。昨日からの疲れもある。
「少しお休みいただきたいのですが、主より言いつかっておりますので」
 お夏は用意されていた稚児衣装を手早く朱雀の身につけた。朱雀はまさに人形のようにそれに従った。
「まあ、本当におきれい」
 お夏の感嘆の声も耳に入らない。
「できましたか」
 計ったように、甚衛門が現れた。
「ではこちらに」
 甚衛門に連れられ再び元の部屋に行くと、虎の毛皮を敷き詰めた長持が用意されていた。夜叉王丸の姿はない。
「本日、大坂城に参ります」
「そうか」
 甚衛門は棹を通す穴を指して、
「ここから光も入ってきます。声も聞こえるでしょう。完全に周りに人がいなくなってからでないと、外に出てはなりませんよ」
 子供に言い聞かすように言う。
「奥女中に見つかってしまったときは」
「淀殿に差し上げる生き人形だといえばいいんだろう」
「さようでございます」
 笑いながら、甚衛門は朱雀の手を取った。
「眠そうですね。このままこちらでお休みさいませ」
 言われるままに毛皮の上に横たわり、上からふわりふわりと薄い絹を被せられる。絹には香が焚き染められているのか、甘い匂いがした。蓋を閉じられ暗くなると、朱雀はすうっと眠りに落ちた。







* * *



「んっ……」
 人の気配に、朱雀は目を覚ました。頭の中が痺れるように痛い。
「な、に……」
 重い瞼を開けると、薄闇の中、夜叉王丸の白い美貌が笑っていた。
「や、しゃ……うっ」
 朱雀は、自分の両手が、後ろ手に括られていることに気がついた。
「な、何してんだよ、何だよ、これ」
 急に意識がはっきりする。
「ここ、どこだよっ」
「しっ、大きな声を出すな」
 夜叉王丸の細い指が朱雀の唇を押さえる。
「ここ……」
 明かりの一つもない暗い部屋を見回して、朱雀は不安に青ざめる。大坂城の中じゃないのか。それより何故、自分は縛られている。
「騙したなっ」
 睨みつけると、
「愚か者」
 クツクツと夜叉王丸はおかしそうに笑った。
「そんな馬鹿なところも、かわいいが」
「卑怯もんっ、嘘つき野郎、この縄をほどけっ」
「だから、大きな声を出すなといっているだろう」
 グッと首を絞められて、朱雀は喉をそらした。
「う……」
「騙してなどいない。ここは大坂城の中だ」
 片手で朱雀の細い首を絞めつけたまま、夜叉王丸は言った。
「運び込まれたものは、一度蔵に入れられるのだ。言わなかったか」
 聞いていない――と朱雀は首を振った。
(騙したんじゃないなら、俺のこの手は何だよっ)
 両の手首は、切り落とさない限り離れないというように固く縛られている。
 そしてこの頭の痺れ。あの甘い香は何かの薬だったに違いない。
 朱雀の心の声が聞こえたように、
「私としても、ただ手を貸してやるだけでは割が合わぬので、な」
 夜叉王丸は呟いて、ゆっくりと喉から手を離した。
「ゲホッゲホッ」
 両手を拘束されたまま、朱雀は身体を曲げて咳き込んだ。
「あの男に会わせる前に、お前に所有の印をつけておこうと思ったのだ」
 咳き込んでいて、夜叉王丸の言っていることがわからなかった。涙で滲んだ目で振り返ると、トンと肩を押されて、敷かれていた虎の毛皮の上にあお向けに倒された。
「何するんだよっ」
 叫ぶと、
「何度言ってもわからないようだ」
 夜叉王丸は、ウンザリというように肩をすくめて、まだ香りの残る薄絹を丸めると朱雀の口に押し込んだ。
「んっ、んんん……」
 首を振って嫌がったけれども、夜叉王丸は難なく朱雀の口に蓋をした。
「少し丸顔になってしまった」
 ふざけているのか、布を詰められて頬の膨らんだ朱雀を残念そうに見る。朱雀はじたばたと両足を動かして、抵抗の意思を示す。夜叉王丸は、その脚に自分の膝を乗せて、動きを封じた。
「かわいい声が聴けないのも残念だよ」
 覆い被さると、朱雀の華奢な身体はすっぽりと夜叉王丸の胸に納まった。
(やっ、やめ……っ)
 夜叉王丸の指が、朱雀の稚児衣装の袷を解いていく。
(嫌だ、やめろっ)
 懸命に身体をよじるが、体格と体勢に勝る夜叉王丸はびくともしない。赤い唇から舌を覗かせて微笑む顔を見たくなくて、朱雀は固く目を閉じた。
「んっ」
 生温いものが首筋を這う感触に、朱雀は背中を震わせた。夜叉王丸の舌だと気付いて悪寒が酷くなる。ゆっくりと下に滑っていく、まるで蛇に身体を這われているようだと、朱雀は思った。蛇は時々肌をきつく吸い上げ、そのたびに朱雀は悪寒に震えた。
(新三郎様……)
 この城の中――ここが本当に大坂城だとして――の何処かにいる、愛しい男の名を呼んだ。
(新三郎様ぁっ)
 顔を思い浮かべると、自然に涙がこぼれた。
 固く目を閉じ涙の糸を引く朱雀の顔を、夜叉王丸はひどく嬉しそうに見た。


「んんっ」
 胸の先を蛇、いや、夜叉王丸の舌に触れられ、朱雀はピクンと身体を跳ねあげた。
(何……?)
 さっきまでの悪寒とは違う、痺れるような震えに朱雀は混乱した。
「ふふ……さすがに、ここは感じるらしい」
 朱雀の反応に気をよくして、夜叉王丸はもう一度乳首に唇を寄せた。
(やあっ)
 子供がいやいやをするように朱雀は首を振る。夜叉王丸は、薄く色づいたそこを舌で執拗に舐り、次第に固く凝ってきたところで歯を立てた。
「ううっ」
 塞がれた喉からくぐもった悲鳴が上がる。
 もう片方に唇を寄せれば、何もされてなかったそちらも、待ち構えるように固く立ち上がっている。唇の先で挟んで舌で転がすと、朱雀の薄い背中が反り返った。
「いい反応だ」
 真っ赤になっている朱雀の頬を、夜叉王丸は軽く叩いた。固く閉じていた目を開けて、朱雀は、涙に潤んだ瞳を戸惑うように揺らした。

 
 
 
 




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