夜叉王丸に狙われていると分かった以上、大坂に味方する武将のところに案内する訳には行かない。新三郎と朱雀は、当初の目的をひとまず預け置いて、大坂に帰ることにした。
「淀殿にお詫び申し上げねばならない」
 三人もの武将を失わせた罪は重い。
「俺が悪いよ。夜叉王丸のこと、甘く見てた」
「朱雀の所為ではないさ」
 新三郎は、落ち込みのひどい朱雀を慰めた。
 明乃の庄では四天王と呼ばれ右に並ぶものの無かった術者だけに、夜叉王丸に子ども扱いされたことが自分でも許せないようだ。
「今度あいつに会ったら、絶対、殺す」
「朱雀」
「刺し違えてでも、殺ってやるから」
 必死の瞳で訴えるのに、新三郎は微笑んで言った。
「刺し違えるなど、私が許さぬ」
 うっすら汗をかいた額に貼りつく前髪をすき、そのまま、そっと優しく頭を撫でる。
「お前が死ぬのは許さない。言っただろう。お前は私を、守ってくれるのだろう?」
「新三郎様……」
 あやされる子供のようで恥ずかしかったけれど、朱雀は黙ってうつむいて、しばらく新三郎の手のひらに甘えた。





 そして、大坂に入るために京の都を発ち、山道にさしかかったところで、新三郎たちは、いきなり大勢の侍に取り囲まれた。
「何だ、お前たちは」
 新三郎は腰の刀に手をかけた。朱雀も女の姿ながら懐剣を抜く。左手は、帯の間を探る。
「そのくの一を渡してもらおう」
 侍の一人が言った。
「なに?」
 朱雀のことを知っている。
 新三郎は、眉間にしわを刻んだ。
「お前たちは、何者だ」
 重ねて訪ねると、
「ええい、二人とも殺ってしまえ」
 急いた叫び声とともに、一斉に襲い掛かってきた。
「新三郎様っ」
 朱雀が剣を振るい、一度に三人の男を倒す。新三郎も鋭い太刀さばきで、自分に向かってきた大男を倒した。
「このっ」
 味方を倒され、男たちは眦を吊り上げた。
「裏切り者がっ」
(裏切り者?)
 掛かる火の粉を掃うように、新三郎は正体の分からない侍を切った。 朱雀も数人倒したが、いちいち相手をするのが面倒になり、
「新三郎様、こちらへ」
 新三郎を自分に引き寄せると、
「はっ」
 天に向かって人差し指を立てた。その先端を中心に風が渦を巻く。木の葉や花びらが誘われるように集まり、新三郎と朱雀の周りをクルクルと舞った。木の葉隠れの術。木の葉で身を隠すだけでなく、痺れ薬を散布する。新三郎の鼻と口に布を当て、朱雀は地面を蹴った。
 ふわりと二人の身体が宙に浮く。朱雀は鎖分銅を使って、器用に木から木へと飛び移り、山の奥へと去った。


「大丈夫ですか、新三郎様」
「ああ」
 新三郎は、呆気に取られて、何処とも知れない山の中を見回した。
「よくも私を連れて、こんなに身軽に飛べたものだな」
「修行じゃ、青龍の兄者を担いで飛ぶこともありました。新三郎様なんてそれに比べたら軽いほうですよ」 
 朱雀は自慢げに胸を張った。
「それは……」
 自分よりずい分と華奢な朱雀に、しかも鈴女の姿のままでそう言われると、男としては情けなく、新三郎は頭をかいた。
 朱雀は気にせず、鎖分銅をスルスルと短筒に戻し、帯の間に仕舞って、 
「それにしても、あの者たちは一体何者でしょう」
 首をひねった。
「我らに向かって、裏切り者と言っていたな」
 新三郎は男の言葉を思い出し、難しい顔で朱雀と見交わした。
「嫌な予感がする」
 

 そして、その予感は、ほぼ的中することになる。


「あっ、あれは」
 朱雀が空を見上げて叫ぶ。
「何だ」
「獅子丸です」
 言うなり、朱雀は、二本の指で笛を作って吹いた。
 細く高い音は、新三郎の耳には聞こえない。小柄な鷹が、まっすぐ落ちるように朱雀の前に下りて来た。
「獅子丸」
 そう呼ばれた鷹は、二、三度羽をばたつかせ、朱雀の、袖を巻きつけた腕に止まった。片足に気を付けて見ないと分からないほどの小さな筒が付いていて、朱雀はその筒から紙縒り(こより)を取り出した。広げると薄い紙に何か書いてある。
「何だ」
 新三郎が覗き込む。見ても分からない。
「白虎からです」
 明乃庄で飼われている鷹は獅子丸のほかにも五羽いるが、獅子丸は特に白虎と朱雀が可愛がっている利口な鳥で、二人の間で緊急の要件を伝えるときはいつもこの方法をとっていた。
「堺の先代の宿で待っている、と」
「何があったのだ」
「さあ……」朱雀は少年らしい眉をひそめて、
「とにかく、堺に行きましょう」
 きっぱりと顔を上げた。






* * *


「兄者っ」
 日暮れて、こっそりと先代白虎の宿に着くと、白虎が飛び出してきた。
「遅かったじゃありませんか」
「大事をとって、目立たないように来たんだ。ちょっと気になることがあって」
 朱雀が言うと、白虎はさっと顔色を変えた。
「やはり、何かありましたか」
「やはり? 何かってなんだ? シロ、どうした。何を知ってる」
 問いに同じく問いで答えて、朱雀は白虎の肩を揺すった。 
「実は……兄者、田所采女殿の……」
「えっ?」


 白虎の話は、朱雀にとっては青天の霹靂だった。
「俺の、くないが?」
 殺された田所の首に刺さっていたのだという。
「そんな!」
 と叫んで、すぐに思い出した。
 夜叉王丸と戦ったとき、いくつか投げたままにした。
「あのヤロウ…っ」
「しかし、あの者はそのようなこと言ってなかったが」
 新三郎は、橋元屋に田所の死を報告に来た忍びの言葉を思い出しながら言った。
「初めはわからなかったのです。何しろ、寝ずの番まで付いていた田所殿がいつのまにか殺されていたのですから。さぞ大騒ぎだったことでしょう。それが、一条家に仕える忍びがくないに気がついて、甲賀者の仕業だと。……そして少し調べれば、それが明乃庄のものだというのもわかりますからね」
 大きさ、形、材質など、手裏剣は一族によって微妙に違った。
 自分の武器を使われたのだと知って、朱雀はよみがえった悔しさに拍車が掛かり、ギリギリ奥歯を噛み締めた。
「それで、田所采女を殺したのが、俺だって?」
「田所殿だけではありません」
「えっ」
「伊藤又兵衛殿、掘井十郎殿の死も、兄者たちの仕業ではないかと」
「馬鹿なっ」
 朱雀は叫んだ。新三郎も顔色を変えた。
「殺ったのは、夜叉王丸だ」
「わかっていますよ。私に言ってもしょうがないでしょう」
 白虎は、六つも年上の朱雀をなだめる。
「けれど、一条殿はたいそうご立腹で、兄者を捕まえよと、抵抗したら殺してかまわぬと、大勢の追っ手を差し向けたそうですよ」
「うっ」
 朱雀の顔が引きつる。白虎は「やっぱり」という顔で朱雀を見る。
「やはり、もう何かありましたね」
「……あった」
「何人、殺りました?」
 眉を寄せた上目づかいの白虎に、朱雀は両手の指を折り、
「わかんない」
 心底分からず、首を振る。
「あーあ」
 白虎は大げさにため息をついた。
「これで、大坂方の大物をひとり、間違いなく敵に回しましたね」
「俺だって、一条家のもんだって知ってたら、あんな真似しなかったよ」
「どうだか」
「お前、何が言いたいんだっ」
 兄弟喧嘩の様相を呈してきたやり取りをそれまで黙って聞いていた新三郎が、ゆっくりと口を開いた。
「白虎」
「は、はいっ」
「私たちが大坂を裏切ったと、淀殿も、そうお考えなのか」
「いえ、淀殿のお気持ちまでは……」
 口ごもる白虎。
 新三郎は、おもむろに立ち上がった。
「新三郎様?」
「秀俊様、どうなさいましたか」
 二人が慌てて見上げると、
「城に行く」
 大坂城に行くのだと言う。
「こんな時間に?」
「無理ですよ」
 二人が声をそろえても、新三郎は頑として言った。
「行く。淀殿に会って、誤解を解かねば」
「だから、そうそう簡単に会えるお方じゃないでしょう」
「それ以前に、無事に城に近づけるかまで考えないと」
 何しろ裏切り者扱いなのだから――と、うっかり白虎が言外に含ませると、新三郎は苦渋に満ちた顔をした。
「私が、大坂を裏切るなど……あるわけないではないか」
 初めて見る新三郎の険しい横顔に、朱雀は胸を詰まらせた。
「まあまあ、秀俊殿」
 そこに先代の白虎が夕餉の仕度をして現れた。白い髭を蓄えた小柄な老人だが、かつては世の忍びを震え上がらせた大人物だ。
「ここで焦っても仕方ありませんよ。お城は逃げやしません」
「お師匠様」
 白虎が慌てて先代を手伝う。ちなみに、一見女の朱雀は、ぼんやり座ったまま。
「淀殿が、あなた様を疑ったりするものでしょうか」
 先代白虎の言葉に、新三郎の肩がわずかに揺れた。
「今日のところは休んで、それから考えましょう。それ、腹が減っては、頭も働きませんぞ」
「そうですよ、秀俊様」
 白虎は師匠に相槌を打ち、せっせと夕餉の膳を並べた。
「とりあえず、夕飯にしましょう。お腹すいているでしょう、兄者も」
 促されたけれど、その夜、朱雀は珍しく食が進まなかった。




「新三郎様」
 夜中、朱雀は新三郎の寝所に忍んで行った。思った通り、新三郎は起きていた。
「朱雀、どうした」
「ごめんなさい」
 朱雀は畳に手をついた。新三郎が、ゆっくりと身体を起こした。
「どうした」
 頭を畳に擦り付けたままの朱雀に、穏やかな声をかける。
「俺の所為で、ごめんなさい。俺が……夜叉王丸に……くないまで……」
 朱雀の声に、涙が混じる。
「何を言ってる。言っただろう、お前の所為ではない」
「俺の所為だよ。俺がくない捨ててって、まんまとはめられたんだから」
「いや」
 新三郎が首を振っても、朱雀は聞かない。
「俺、さっき、新三郎様の顔見て……舌噛んで死にたくなった」
「朱雀」
「新三郎様に、そんな顔させたのが自分だと思ったら……俺……」
「朱雀」
 布団から出て、新三郎は朱雀の傍にひざをついた。
「本当に、何度同じことを言わせるのだ」
 クスリと笑う。
「お前に死なれてはたまらないと言っているだろう」
「新…」
「さっきは、取り乱して悪かった。私もまだまだ小さい男だ」
 朱雀の頬に手を当てて、ゆっくりと上向かせた。新三郎にとっても初めて見る、朱雀の無防備な泣き顔だった。
「……私も」
 親指で目尻の涙をぬぐってやる。
「お前にそんな顔をさせているのが自分だと思うと、死にたくなったぞ」
「そ…っ…」
 朱雀の頬が赤く染まる。
「冗談だ」
 新三郎は、口の端を上げた。
「私も、お前も、今、死ぬわけには行かないだろう」
 やらねばならぬことがある――真摯な瞳がそう語る。静かに朱雀の返事を待つ。
 朱雀は、コクリとうなずいた。
「明日、城に行く。付いて来てくれ」
 再び、うなずく。
「では、もう寝ろ」
「……はい」





 朱雀が部屋に戻ると、白虎が落ち着かない様子で部屋をくるくる回っていた。
「まだ起きていたのか」
「あっ、お帰りなさい」
 白虎はなぜか赤くなった顔で、朱雀を迎えた。
「何だ? どうした?」
 朱雀が眉を寄せると、白虎は慌てて両手を振った。
「な、何でもありません」
 白虎は、八歳にしてはたくましい想像力で兄の身を案じていたのだった。
「その、秀俊様は、よくお休みでしたか」
「あ、ああ……」
 言葉を濁し、ふと睫毛を伏せた朱雀の横顔に
「自分の心配も強ち的外れではない」と、白虎は直感した。


 





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