その知らせが届いたのは、二人が大和を回って京の都に入ってからだった。



「何でこんなに人がいるんだ」
 思わず男言葉で朱雀が呟く。
 京の町のにぎやかさに、さっきからキョロキョロとあたりを見回し、ひどく落ちつきがない。
「鈴女は、京は初めてか」
「えっ、あ、はい」
 朱雀は慌てて、少女の声で、
「国を出るのは、もっぱら青龍兄者と白虎の役でしたから」
 ニコッと笑ってみせた後、
「チクショー、あいつら、いっつもこんな楽しいところ来てやがったのか」
 再び小声でつぶやき、右手のこぶしを固く握った。
「こらこら」
 新三郎はその手をやんわり握って、指を開いてたしなめる。
「では、せっかくだから、鈴女に京土産を買ってやろう」
「えっ?」
「ほら、あれに綺麗な簪(かんざし)がある」
「い、いいです」
「遠慮するな」
「いいって、ほんと、いらないよ、簪なんか」
 ブンブンと首を振ったが、新三郎は朱雀の手を取り店に入った。
「いらっしゃいませ」
 簪屋の主人が朱雀を見て、
「これは、これは、なんとまあ、お綺麗なお連れ様でいらっしゃいますなぁ」
 世辞ではなく、目を瞠った。
「そこの金細工の蝶を見せてくれ」
 飴細工のように繊細な、薄い羽の蝶が小さな花にとまっている簪は、店の中でも一番の品だった。
「へえ、御目が高うございます。これは、昨日出来上がったばかりの、名人光芳の作でして」
 長々と続く主人の能書にいちいちうなずいて新三郎はそれを買うと、包ませずに、
「ほら、鈴女」
 そわそわと立っていた朱雀の髪に、そっと挿してやった。
 朱雀は白い頬を赤く染め、店の主人や番頭にもその様子はたいそう微笑ましく映った。
「良く似合う」
「あ、ありがとう、ございます……」 
 朱雀は、着物の袖を揉んだりひねったりしながら、らしくもない消え入りそうな声で礼を言った。

 新三郎は、旅の間に、普段は口が悪くてがさつな朱雀がこういう時はひどく照れ屋でかわいらしくなることに気が付いていた。けれども、朱雀がこんな態度をとるのが自分に対してだけだということまでは、気付いていない。


「そろそろ腹は、すかないか」
「すきました」
 簪の効果か、ちょっぴり大人しくなって、朱雀が答える。
「では、そこの蕎麦屋にでも入るか」
 と、新三郎が立ち止まって指差したその時、コロコロと小さな鞠が二人の足元に転がってきた。朱雀が拾い上げると、
「すみません」
 娘と遊んでいたらしい若い母親が、下駄を鳴らして寄ってきた。
「ありがとうございます」
「はい」
 鞠を手渡そうとした朱雀の耳に、
「伊藤又兵衛が殺されました」
 忍び声で女が言った。朱雀はピクと頬を引きつらせたが、誰にも気づかせたりはしない。
「詳しくは、五条の橋元屋」
 声に被せて、女が微笑む。
「どうもありがとうございました」
「いいえ。綺麗な鞠ですね」
 朱雀も微笑んで鞠を眺める。特に鞠に細工は無いようだ。
「お母ちゃん」
 小さな女の子が、女の着物の裾を引く。
「はいはい。このお姉さまが拾ってくださったのよ。フミもお礼を言いましょうね」
「ありがとう」
 少女は、小さな手を振った。
「いいえ」
 くの一親子を見送って、朱雀は新三郎を振り返った。
「蕎麦はやめて、ゆっくりと休めるところにいたしましょう」





「伊藤殿が……」
 橋元屋の一番奥の部屋で、新三郎は声をつまらせた。
 ここは一見どこにでもある普通の宿屋だが、主は元甲賀忍者の元締め、そのため京における忍びの情報交換の場の一つとして使われている。朱雀たちも、もともと京に入ったらここに泊まる予定だった。
「いつ……」
 新三郎の呟きに、薬売りの姿に化けた若い甲賀の男が答える。
「お二人が訪ねてからそう経ってはいないと思われます。はっきりとはわかりませんが、見つかったときにはもうこの暑さで腐乱が始まっていたと」
「…………」
 淀殿からの言葉に涙し、死に花を咲かせてみせると喜んだ初老の男の顔が浮かんで、朱雀も珍しく沈鬱な顔になった。
「あれほどの男が、一体、誰に殺られたのだ」
 新三郎の問いに、薬売りは首を振った。
「わかりません。殺されていることに気が付いたのも、昨夜、一向に動く気配の無い伊藤殿を怪しんで、仲間が探りに行って初めて知ったのです」
 山城の山奥から京の都まで、情報は半日足らずで届いた。
「しかし、何故……」
 自分たちが行って直ぐに、殺されねばならなかったのか。
 新三郎はハッと顔を上げた。同時に朱雀も。二人が顔を見合わせたとき、二つ目の知らせが届いた。
「大和の掘井十郎様が、何者かに殺されたそうです」




 伊藤又兵衛のことを知った玄武は、すぐにもう一人の武将の安否も確認するため、配下の忍びを走らせた。
 四日前、新三郎と朱雀は、大和の国に隠れ住む掘井十郎光久という、かつて長束家に仕えた武将を訪ねている。伊藤又兵衛のときと同様、大坂城入りを約束して貰ったものだが――
「堀井殿もか」
 新三郎のこの問いは、驚きというより確認に近かった。
 そして、朱雀に向いて言った。
「田所殿が」
「ああ」
 立ち上がった朱雀は、一瞬のうちに、動きやすい忍び装束に着替えていた。




 昨夜、京に入ったその夜のうちに、二人は元中納言一条兼行に匿われている田所采女を訪ねていた。これもまた大坂への協力を快く受けてもらったが、こうなると田所采女の命も狙われていると思っていい。

「新三郎様は、来なくていい」
「そういうわけには行かない」
 新三郎も、腰の刀を確かめる。
「だめだ。俺の役目は、あんたの命を守ることなんだから。付いて来られて何かあったら、困るんだよ」
 その言葉に、新三郎はムッとして言った。
「自分の身くらい、自分で守れる」
「相手が何者かもわからないのに。そんなこと簡単に言うのが、甘いって証拠だ」
「…………」
「いいか、お殿様。俺は忍びの者だからたとえ死んでも仕方ない。俺の代わりはいくらでもいる。でも、あんたの代わりはいないから、俺が付いているんだろ」
 朱雀の言葉に新三郎は、瞬間感極まった表情をした。
(私の、代わり……)
 この時、新三郎の胸をよぎった思いを朱雀が知ることは無い。けれども、新三郎の様子に得心してくれたものと思い、朱雀はそのまま部屋を出て行こうとした。
「待て」
 新三郎が、引きとめる。
「なに」
「私は、お前が『死んでも仕方ない』などと思ってない」
「え?」
「代わりがいくらでもいるなんて、そんな馬鹿なことを言うな」
「…………」
 今度は朱雀が黙る番だった。
「お前が死ぬような目にあうかもしれないのなら、やはり一緒に行きたい」
 真剣なまなざしで見つめられて、朱雀は胸が熱くなった。
(馬鹿、俺、こんなときに)
「何言ってんだよ。さっきのは言葉のなんとかだよ、言ってみただけだって」
 わざと唇を尖らせて、
「この俺様が死ぬかよ」
 言い捨てると、朱雀は部屋を飛び出した。
 




 田所采女が住むのは元中納言一条氏の別邸で、伊藤又兵衛や掘井十郎の時とは違い、広くて大きい屋敷だった。賊もそう簡単に襲えるとは思えない。屋敷の傍の大木の陰に身を潜めて、朱雀は何者かがこの夜の闇に紛れてやって来るのを待った。
 果たして、今夜来るのかどうかはわからない。けれども、忍びの勘が何か起きると告げていた。産毛がチリチリとささやくのだ。
「あれか」
 真っ暗な中に、なお暗い影が動いた。常人の目では見分けることは出来ない。幼い頃から修行を重ねたものだけが、見ることの出来る影。
 朱雀はすばやくその影を追った。


 屋敷に消えた影を追って塀の内に飛び込むと、
「うっ」
 突然、十字手裏剣が飛んできて、朱雀はとんぼを切った。朱雀のいた場所に、綺麗に三つ、手裏剣が突き刺さる。
(ちっ)
 気付かれていたかと、朱雀は地面に伏せた。気配はしない。相手もどこかに潜んで様子を窺っているのだ。
(これじゃ、こっちが不利だ)
 朱雀は地面を嫌って、屋根まで飛び上がることにした。
 ひゅん、と風が鳴って、朱雀の直ぐ横を手裏剣が掠める。
(伊賀者か)
 木幹に刺さった十字の手裏剣が、見えない相手が伊賀の忍びだと告げている。
(まさか)
 屋根に飛び移った朱雀は、嫌な名前を頭に浮かべて唇をかんだ。
 しばらく気配を消してじっとしていたが、この間にも、田所采女の命が危ない。ひょっとして、自分をここに足止めして、今頃は田所を襲っているのでは。
 朱雀は、前日の夜に訪ねた田所采女の部屋に急ぐことにした。
 中庭に飛び降りた時、ふと人の気配を察して、振り向きざまにくないを飛ばした。くないは何かに弾かれて高い音をたてた。
「何者」
 小さく叫ぶと、笑い声がした。
「お前は、明乃庄の朱雀か」
 直ぐ後ろから声がして、朱雀は飛び退くと同時に体勢を整えた。
 中庭の真ん中に長身の男が立っている。黒尽くめの忍び装束だが、顔は隠していない。おかげで白く整った顔が闇に浮かぶように映えた。
「夜叉王丸か」
 噂でしか知らない相手だが、すぐにわかった。氷のような美貌だと聞いている。
(確かにね)
 自分もそこそこ美人のつもりの朱雀だが、夜叉王丸の冷たく整った貌には寒気さえ覚えた。
「徳川家についたのか」
 夜叉王丸は薄く笑んだまま答えなかった。
「伊藤又兵衛や掘井十郎を殺ったのも、お前なんだな」
 朱雀が睨みつけると、夜叉王丸はおかしそうに口元を歪めて言った。
「案内、ご苦労だった」
「ちぃっ」
 カッとした朱雀の右手から放たれたくないは、闇に吸い込まれた。夜叉王丸の姿は消えている。朱雀もその場から飛んだ。風を切る音、弾ける音、刃物同士のぶつかる音が、しんと静まっていた夜を僅かに騒がす。屋敷の中の人物も、気配を察して寝所から出て来た。
「誰ぞ」
 槍を片手に、庭に向かって叫ぶ。
 実のところ田所は、伊藤や掘井の件を知った大坂より『身辺お気を付け候』との至急の手紙を貰っていた。
「曲者っ」
 田所が叫ぶと、わらわらと人が庭に集まった。
「やれやれ、これはいかぬな」
 屋根の上で朱雀と向き合っていた夜叉王丸は、下の騒ぎを横目で見ると、さも残念そうに呟いた。
「もう少し、かわいい雀と遊んでいたかったが」
「何だとっ」
 朱雀は、構えた刀を強く握り直す。
 互いに目くらましは利かず、少し前から刀と刀でぶつかっていたが、確かに、夜叉王丸の腕の方が勝っているようで、
(悔しい…っ)
「また会おう紅雀」
「ベニスズメじゃねえっ」
 闇に溶けるように消えた夜叉王丸に向かって叫ぶ。
「くそっ」
 刀を腰に戻しながら、朱雀は庭を覗き込み、
(まあ、こんな騒ぎになったら、さすがに今夜は手ぇ出すことは無いだろう)
 田所や一条家の家臣に見つからないように、自分も風となってその場から消えた。





 けれども翌朝、朱雀は青ざめた。
 田所采女が殺されたことを、仲間に聞かされ、
「ちくしょうっ」
 畳を爪で掻き毟る。
「俺が行ってながらっ」
 ダンダンと拳で畳を打つ。
「仕方あるまい」
 新三郎は、今にも泣き出さんばかりの朱雀を見て、痛ましそうに眉を寄せた。
「相手が夜叉王丸では」
「何だよっ、俺が夜叉王丸に劣ってるって言うのかっ」
 朱雀は、涙混じりの目で新三郎を睨んだ。
「いや、そうではない」
 新三郎は、静かに首を振る。
「相手が夜叉王丸なら、この私に責任があるということだ」
「えっ?」
「実は、言ってなかったが……」
 明乃庄を出て山を下りる時、夜叉王丸らしき男が自分の前に現れたと告げると、
「何だってっ。何でそんな大事なこと言わなかったんだ」
 朱雀は目を剥いて怒った。
「すまない。あの時は、夜叉王丸だという確信も無かった」
「確信なんか無くても、ちゃんと言えよっ、そういうのは」
 八つ当たりだとわかっていて、朱雀は声を荒げた。
「すまない」
 互いの身分からいえば考えられないことだが、新三郎は素直に頭を下げた。さすがの朱雀もそのことに気が付いて、
「あ、ごめん、じゃない、す、すみません」
 慌てて頭を下げた。
「俺……悔しくて」
 薄い唇をキリと噛む。
「ああ」
 私もだ。と新三郎はうなずいた。 
「甲賀の里を出るときから、俺たちあいつに付けられてたんだ」
「迂闊だった。私の所為で、大切な将を三人も失ってしまった」
 新三郎は、端正な顔に影を落とした。
「これは、今後の動きを考えねばなるまい」
「……はい」

 けれども、田所采女の死は、それだけで済まなかった。







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