「あ、あれ、あそこに何かおいしそうなものが」 「何かじゃない。団子だ。さっき食べただろう」 「ええっ、でもぉ、さっきのとは、どこか違うような……」 「同じだ」 「ええ〜っ」 茶店の前で立ち止まり、グズクズぐずる鈴女こと朱雀。 新三郎は、ため息をついて念を押した。 「もう、今日はこれっきりだぞ」 「あいあい」 朱雀は、嬉しそうに、よしずに囲われた椅子に腰かける。 「いらっしゃいまし」 奥から、男か女かもわからぬほどの老人が、ゆっくりと茶を持って出てきた。 「団子を一皿もらおう」 「へえ」と、歯の無い口で返事して、老人は、店先に並べていた団子を皿に取ると、またゆっくり奥に戻って行った。 店には、二人のほかに誰も居ない。 「新三郎様は、お食べになりませんの?」 少女の口調でかわいらしく尋ねられても、新三郎はムッとした顔のまま、 「朝から団子ばっかり、そういくつも食べられるか」 ズズッと茶を飲んだ。 「食が細いのですねぇ」 「お前が食べすぎなのだ」 茶店の前を通るたびに、こうやって足を止めている。 「こんなでは山城に入るまでに日が暮れるぞ」 「その時は、私がおぶって走って差し上げます」 朱雀はクスクスと笑った。 「まったく……」 振り回されている。 「青龍殿の言ったとおりだ」 つい呟いてしまい、新三郎はハッと口元を押さえたが、 「え?」 朱雀は聞き逃さなかった。 「兄者が何と?」 「なんでもない」 「顔が赤うございますよ」 「なんでもないと言ってるだろう」 新三郎がむきになって声を荒げると、朱雀はフフフと笑って、 「俺に惚れるなとか言われたんだろ?」 いきなり少年の声で言った。 「う……」 言葉につまって、新三郎は、 「そんな風には言ってない」 「似たようなことだろ」 「違う。惚れたと知るといい気になるから気をつけろと言われた」 とうとう、ばらしてしまった。 「あはははは」 朱雀はひどく嬉しそうに笑った。 「違うからな。私は、お前に惚れてなどいない」 新三郎は、耳を赤くして否定する。 「ただ、いい気になって振り回すっていうのが、その通りだと思ったのだ」 「誰にでも、ってわけじゃないよ」 朱雀は上目づかいに新三郎を見つめた。新三郎の心臓がドキンと跳ねる。 「やめろ」 新三郎は赤くなった顔を背けて、自分に言い聞かすように言った。 「私は、誰にも惚れたりしない」 「……なんで?」 朱雀の問いに、新三郎は真面目な顔でうつむいた。 「惚れても……甲斐がないのだ」 「どういうこと?」 甲斐性が無い男とは、思えない。 答えを待ってみたが、新三郎は黙ったまま。じっとしているのが落ち着かなくて、朱雀は、表面が乾いた団子を無理やり口に押し込んだ。唇を拭うと、 「答えたくないならいいよ。ほら、さっさと行こう。今日中に山城に入らないと」 自分のせいで遅くなっているのに、偉そうに新三郎の袖を引っ張る。 「ああ」 新三郎は、気を取り直したように微笑んで、 「オヤジどの、ここに置くぞ」 団子の皿の横に銭を置いて立ち上がった。 * * * 山城の国に入って三日目。 「伊藤又兵衛敏継殿が、ここの山中に隠れていると聞いた」 関が原の合戦では多くの武将が命を失ったが、生き延びた西軍の武将の中には、その腕を見込まれ、東軍方の大名に召抱えられた者もいた。伊藤又兵衛敏継もその一人だったが、新しい主君とそりが合わず、二年前に脱藩したとのことだった。 「伊藤殿といえば、関が原でもその勇猛振りをうたわれた武将だ。是非とも再び大坂のために力を貸してもらいたい」 「もう結構なお年なのではござりませんか」 「五十には、ならんよ」 「次の合戦の頃にはご老人ですね。役に立つんだか」 年上を敬う心を持て、と、弟白虎に諭された朱雀だったが、言動は相変わらずだ。 「失礼なことを言うんじゃない」 新三郎は、軽くたしなめて、 「それに……次の合戦は、そう遠くは無い」 小さく呟いた。 事前に放っていた草(忍者)のおかげで、伊藤又兵衛の居所はすぐにわかった。しばらくは山奥に暮らしていたらしいが、今は、その山のふもとの村はずれの民家を借りて住んでいるらしい。その民家というのが、 「これでも家でしょうか」 朱雀の口の悪さには度々注意する新三郎も、この言葉にはうなずきかけた。 「あ、いや。雨風が防げさえすれば……」 「防げてない気もするけどね」 小さく呟く朱雀。 大きな家だが、藁葺きの屋根は半分朽ちている。雨が降れば、雨漏りするのは間違いない。誰も住むものが居ないから借りられたのだろう。日の暮れかけた薄闇の中で浮き上がるそれは、ひどく不気味な感じがした。 「主は、おいでか」 新三郎は、声を張り上げた。奥にも人の気配は無さそうだった。 「出かけているのでしょうか」 「ああ」 こんな時間にも居ないとは。 意外な気はしたけれど、新三郎は踵を返した。 「出直してくるか」 と、その時、よしずの陰からいきなり槍が突き出された。 「うっ」 その槍が跳ね上げられ、折れた先が宙高く舞い上がり、地面に突き刺さった。 素早く動いた朱雀が、大きな男の喉元に『くない』と呼ばれる小刀型の手裏剣を突きつけている。 「驚いたな。くの一か」 男は、言葉ほど驚いた様子も無く、朱雀を見て言った。朱雀は無表情にくないを握り締めたまま。いつでも男の息の根を止められる体勢を崩さない。 「伊藤殿か」 新三郎の問いかけに、 「いかにも」 男はうなずいた。 「はるばる訪ねて来た客に、大した歓迎だ」 「本気で突き刺そうとしたわけじゃない。少し脅かしただけだ」 「少し……」 「そうしないと、小うるさい蝿がたかって来てしょうがない」 (蝿……) 新三郎はムッとしたのを顔には出さず、朱雀に、 「もうよい」 くないをしまうよう言った。そして、おもむろに懐から美しい短刀を取り出した。 「これを見ても蝿と言えるか」 柄には豊臣家の家紋『五七の桐』がくっきりと刻まれている。 「それは」 「大坂の淀殿より直々の使いである」 新三郎の言葉に目を瞠り、 「失礼仕った」 伊藤又兵衛は、静かに頭を下げた。 「中は意外に綺麗にしているな」 コソリと言う朱雀を横目で睨んで、新三郎は案内された奥の席に着いた。古いながらも、屏風も茶の湯の道具もある。伊藤又兵衛、無骨な顔をしてなかなかの風流人と見えた。 「このような老いぼれにも、淀殿はお気遣いくださるか」 淀殿からの言葉を聞いて、伊藤又兵衛は瞳を濡らした。 『老いぼれ』と言った時に深くうなずいた朱雀の頭を叩きたい衝動をこらえて、 「是非とも伊藤殿には大坂城に入っていただきたい。これはその支度金でござる」 新三郎は、大坂から預かって来ている金子を畳の上に置いた。 「もったいない」 首を振る伊藤に、新三郎は膝を進めて 「伊藤殿に来ていただければ、千人の兵よりも心強い。よろしくお頼み申す」 丁寧に頭を下げた。 「もったいない。お顔をお上げください」 伊藤又兵衛は涙を拭いて、 「この年寄りでよかったら、亡き太閤様のご恩顧に報いるため、いつにても死に花咲かせましょうぞ」 力強く言った。 「なんか、意外」 伊藤又兵衛の家からの帰り道、朱雀がポツリと言った。 「伊藤殿か」 新三郎が聞き返す。 「ううん」 朱雀はフルフルと首を振る。最近は二人だけのときの言葉は少年に戻っている。 「新三郎様が」 「私が? 何が意外だと言うのだ」 「又兵衛に頭を下げた。本当は、新三郎様の方が偉いんだろ?」 それなのに頭を下げて乞う様子が、朱雀には、下手(したて)に出たように見えたのだ。 「何だ、そんなことか」 新三郎は磊落に笑った。 「伊藤殿ほどの人物を招くのだ。それくらい当たり前だろう」 「そうかなあ」 何だかまだ納得していない様子の朱雀に、 「お前は、伊藤殿を年寄りだと思っているようだが」 新三郎は立ち止まって、振り返って言った。 「私たちが最初に家の入り口に立ったとき、人の気配が感じられなかった。すぐ傍のよしずに隠れていたというのに。忍びのお前ですら気が付かなかったということは、相当のものだと思わないか」 「あ……」 「脅しで突いたという槍も、確かに寸止めだった。伊藤又兵衛敏継、まだまだ老いぼれてなどいないぞ」 「うん」 朱雀は素直にうなずいた。新三郎はその様子をかわいいと感じた。 「本当に必要とする人物を招きたければ、足も運ぶし頭だって下げる。三顧の礼という言葉もあるしな」 「三個の何?」 朱雀が首をかしげる。ここに白虎が居たなら、呆れながら解説をしてくれるところだ。 「いや」 「なんだよ。何、笑ってるんだよ」 「なんでもない」 「なくないだろ、言ったじゃないか、三個のなんとかって」 「三個じゃない」 「いいや、三個って言った」 「じゃあ、三個の何だ」 「へっ?」 「三個の何だと思ったのだ?」 逆に尋ねられて、朱雀は頭を抱えた。 「うーん、うーん」 「さあ、三個と言ったら何だ」 「うーん」 「三個の?」 「団子?」 「お前は本当に、団子好きだな」 新三郎が大笑いして、手に持つ提灯の火がユラユラ揺れた。 朱雀もいつの間にか笑っている。 この夜、伊藤又兵衛が何者かに殺され、大坂城に入ることは無かったと二人が知るのは、少し先の話である。 |
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