翌朝。
 十分な睡眠を取って目を覚ました新三郎は、聞こえてくるカコン、カコンという規則正しい音にひかれて庭に出た。
 朱雀が薪を割っている。割られた薪は、放り投げられ、軒下にきれいに積み上がっていく。新三郎は朱雀の手元を見て、目を瞠った。
「素手で割っているのか」
「えっ」
 振り返った朱雀の手には何もないように見えたが、よく見れば人差し指にも隠れるほどの細い小刀を持っていた。
「いや……薪を割っているのか」
「見てのとおりだよ」
 朱雀は少年の声で答えた。
「上手いものだな。慣れているのか」
「別に。いつもは十蔵や黒兵衛の仕事だ」
 朱雀は白い頬を膨らませた。昨日青龍に言われた罰の一つの薪割りだった。
「そうか、それにしても、そんな小さな刀で薪が割れるものなのか」
 新三郎は不思議そうに覗き込んだ。
「刀で割っているわけじゃないからな」
 カコン。と朱雀は、太い薪を綺麗に半分に割って見せた。
「刀でなくて、何で割っているのだ」
「木が自然と割れるんだよ」
「なに」
「木でも岩でも目というものがある。そこをちゃんと突けば、自ずと割れるのさ」
「自ずと?」
 よく解らないという風に首をかしげた新三郎に、朱雀は仕事の手を止めて言った。
「ツボを突けば、そう、例えばあの大きな岩だって、ひと突きで割れるということさ」
 花の終わった躑躅(つつじ)の傍の苔生した大岩を指差す。
「本当か」
「やって見せようか」
 朱雀の瞳が、キラリと輝いた。
「うむ」
 新三郎がうなずくと、朱雀は笑いをかみ殺した顔で立ち上がった。
 庭の中央に出て、指をポキポキと鳴らす。
「見てろ」
 新三郎を一度振り返って、
「砕っ」
 掛け声とともに岩に飛ぶ、次の瞬間には朱雀の身体は、新三郎の隣に戻っていた。
 ズズン……と、大きな音を響かせ、大人四人が手を広げても囲めないほどの大岩が、きれいに半分に割れるのを新三郎は呆然と見た。
「ああああっ!!!」
 後ろから突然大声がした。振り返ると、玄武が畳敷きの廊下から、飛び出してくる。
「朱雀っ、お前は、私があれほど大事にしていた庭石をっ!!!」
 玄武の言葉に、新三郎はハッとした。確かにこんな立派な庭石は――運ぶのも困難なだけに――大名屋敷にもそうそう無い。
「秀俊殿が、割って見せろといったんだよ」
 朱雀はしゃあしゃあと答える。
「なんと……」
「い、いや、私は……」
 玄武に恨めしそうに見つめられて、新三郎はうろたえた。



「相変わらずですね、朱雀の兄者」
 子どもの声がして、
「シロ」
 朱雀は嬉しそうに振り返った。
「何だ。今ごろ帰ってきたのか」
「今ごろで申し訳ありません。玄武の兄者にはご連絡いたしましたが」
 朱雀に答えながら、シロと呼ばれた少年は新三郎の前に進み出て膝をついた。
「ご挨拶が送れまして失礼いたしました。私は明乃の庄月神四天王が一、白虎にございます」
「白虎」
 新三郎は、その小さな姿をまじまじと見て、
「失礼だが、歳は」
 思わず訊ねた。
「末広がりの八つにございます」
「八つ」
 まだ子どもじゃないか。と、新三郎が顔に表すと、白虎は小さく微笑んだ。
「幼いからといってご心配なさらないでください。八つといえども、スズメほどの頭しかないそこの兄者よりは、よほど大人でございます」
「誰がスズメの脳みそだ。ああっ?!」
「朱雀、やめなさい」
 玄武が、白虎の襟を掴んだ手をもぎ取る。
「白虎、ご苦労であった。それで、例の件は」
「あ、はい」
 白虎の帰りが予定より遅くなったのは、途中、不穏な噂をきいた為。
「そのことで、お話することがあります」




 座敷には、四兄弟と新三郎しかいない。それでも白虎は声を低めた。
「堺では、淀殿の命で大野治長様が密かに注文された鉄砲が奪われるという事件がありました」
「江戸も大坂が軍備を整えていることを知っているわけか」
「はい」
「まあ、それは仕方あるまい。徳川にも有能な間者は大勢いる。堺の町には、今、関が原以来一番、忍びが集まっているのではないか」
「九度山の佐助殿にも会いました」
「ほう」
 玄武は懐かしそうに目を細めた。
「それで、その佐助殿から聞いた話です」
 白虎は、幼い声で重々しく言った。
「伊賀の夜叉王丸が徳川方に雇われたと」
「何っ」
 部屋に緊張が走った。
 それまで黙っていた新三郎も小さく唸った。忍びの世界に詳しいわけではないが、それでも、伊賀の夜叉王丸の名は知っている。
「夜叉王丸は誰にも仕えない、いわゆる一匹狼の忍びだと聞いていたが」
「はい。その夜叉王丸を見たと」
「佐助殿が、か?」
 青龍が訊ねる。
「いえ、佐助殿のお仲間が。その大野様の鉄砲を奪ったのが、夜叉王丸だったと」
「なんと」
「あっという間に、甲賀の手練れ十五人が殺られたそうです」
「夜叉王丸なら、造作も無いだろう」
 玄武がうなずくと、朱雀は不愉快そうに唇を尖らせた。
「俺がその場にいたら、そんなヤツにいいようにはされなかったのに」
「朱雀」
 青龍がたしなめる。
「ともかく、夜叉王丸が徳川についたというなら、それは脅威だ。我らも十分気を引き締めねばな」
 一通り白虎の報告を聞いて、玄武はその場を解散した。
 庭の石のことは、もう頭の中から消えているようだった。




「ちぇっ、シロ、お前、堺にいたなら、どうしてその夜叉王丸ってのが鉄砲盗ってくのを阻止しなかったんだよ」
「無理言わないでください。私がその話を聞いたのは、終わった後なんですから」
「それが遅いって言ってんだよ」
「ああ、そういうことですか」
「やっぱ、俺が行くべきだったよな。シロじゃあ、なあ」
「…………」
 朱雀の暴言をぐっと堪えて、白虎は眉に力を込めた。
 新三郎は、その兄弟の会話を、聞くともなしに聞いている。
「なあ、それより、ジイさんは元気だったか」
「兄者、私の師匠をジイさん呼ばわりしないでください」
「爺をジイさんと言って何が悪い」
「私の先代の四天王ですよ」
「知ってるよ」
「兄者は、もう少し、年上を敬うという心を持つべきです」
「それ、そのまんまお前に返すから」
 プッと新三郎は吹き出した。白虎は、さっと頬を染めて、新三郎に頭を下げた。
「秀俊様の前で、大変失礼いたしました」
「いや、かまわぬ。二人は仲が良いのだな」
 言われて、朱雀と白虎は顔を見合わせた。
「別に。俺、シロと一緒に遊んだりしたことも無いし」
 照れ隠しのように朱雀が言うと、白虎は、
「兄者の遊びには、付いていけませんから」
 乱暴すぎて、と小声で付け加える。
「何だとぅ」
 下唇を突き出して、朱雀が拳をかためて見せる。
「ああもう、そういうのやめてください。白虎は、頭脳労働担当なんですからっ」
 新三郎は、今度こそおかしそうに、声をあげて笑った。

 頭脳労働担当というのはいささか変わった表現だとしても、この明乃庄の四天王のうち白虎というのは、代々博識な忍びが選ばれた。今や、忍びの世界は頭脳戦、情報戦である。各地に散らばった情報を集め、正確に読み取り、いかに素早く手を打つか。戦が終わって十年も経つと、手裏剣や火薬を使った派手な忍術よりむしろその方に忍びの真価が問われるようになった。  
 白虎は、今では引退し、堺で町人にまぎれて宿を開いている先代の白虎を訊ねて帰ってきたのだった。
「ああ、そうそう、朱雀の兄者に先代様から土産があります」
「なんだ? 食べ物か」
 朱雀の目が輝く。
「今、持って参ります」
 白虎は、すぐに風呂敷包みを持ってきた。
「何だ」
 どうも食べ物ではなさそうだと、受け取って朱雀はガックリする。
「開けて御覧なさい」
 言われて、包みを解くと
「げっ」
 女物の愛らしい小袖が出てきた。薄い桜色の地に白い小花が散っている。
「スズメに似合うだろう、とおっしゃっていました」
「ちっ……ジジイ」
 顔を赤くして朱雀は、小袖を風呂敷の中に丸めた。
「ご出立の時は、ぜひそれをお召しください」
 黙っていれば、さぞお似合いでしょう。と白虎は付け加えた。


 出立というのは、二日後だった。
 淀殿は、江戸と戦を構えるため、関が原以来散り散りになった西軍の勇将を大坂城に集めようとしていた。時が来るまでに一人でも多く、大坂に味方する者を集めたい。そのために新三郎が遣わされ、その新三郎の身を守るために、朱雀が供をするのだ。

 出立の前夜、青龍はそっと新三郎秀俊を訪ねた。
「ご無礼お許しください」
「かまわぬ。いかがなされた」
「朱雀のことで」
 話があるという青龍は、うつむいたまま話を切り出した。
「あの子はあの通り口は悪いのですが、根は優しくいい子です」
「ああ」
「腕も確かです」
「心強く思う」
「ただ……」
 青龍は口ごもった。
 ひどく言いにくそうに、それでも意を決して言った。
「ただ、自分に好意を寄せている相手には、とことん我侭に振舞うところがあります」
「は?」
「嫌われないと思うと、いい気になるのです」
 それで、幼馴染みの少年達がどれだけ下僕のように扱われたか。

「……青龍殿、それを私に言うとは」
「いえ。ただ、お耳に入れておきたかっただけです。秀俊様には重ね重ねのご無礼、失礼申し上げます」
 ひれ伏すように額づいて、
「これにて」
 サッと消えた。

 新三郎は、赤くなった顔を隠すように片手で覆った。
(好意を寄せていると?)
 心臓が騒ぐ。

 見透かされているのだろうか。






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