さすがに七月最終日曜のディズニーランドは混んでいて、ほとんどのアトラクションは長蛇の列。中には数時間待ちというものもあったが、蜂蜜好きの黄色いクマのアトラクションだけはファストパスのおかげでそれほど待たずに乗ることができた。
 広郷は以前このアトラクションができたばかりの頃に来たことがあったが、その時は長時間並んだ挙句大したことのない中味にひどくがっかりした。それが今日は
「すっごくかわいかったね。面白かったぁ」
 嬉しそうにピョンピョンはねる修太郎を見ると、
(もう一回並んでもいい気がする……)
 とか思ってしまう変わりよう。
「よかったですね。次は、何に行きますか」
「何がいい?」
 瞳を輝かす修太郎に微笑んで、
「そうですね」
 またファストパスを取れるものにしようかと、ガイドブックをめくっていると
「祐二」
 後ろから声を掛けられた。
「紗江子?」
 タンクトップにミニスカートの紗江子が、驚いた顔で立っている。
「駐車場でそっくりなメタシロ見たから、まさかと思ったんだけど。何で祐二がここにいるの」
「おまえこそ……」
 と条件反射的に口にしたのは愚問だ。もともと紗江子は、今日ここに来たがっていたのだから。
「私は、祐二が都合悪いっていうから友達に車を出してもらったのよ」
 後ろを振り返って、
「高校からの友達、海老沢美津子。雑誌の編集やってるのよ」
 真夏だと言うのにロングソバージュヘアの、やたらと派手な女性を紹介する。真っ赤なクーペとかに乗っていそうだと広郷は思った。
「海老沢です。エヴィって呼んでくださいね」
「は?」
「ヴィは下唇を噛んでね。ヴィ!」
 真っ赤な唇を白い前歯が噛んだ。
(……何なんだ、このオンナ)
 美人だがこのテンションには付いていけない。
 言葉を失っている広郷に、
「それで? 祐二は私の誘いを蹴ったくせして、何でここにいるの」
 紗江子は腕組みして詰め寄る。
「仕事が入ったんじゃなかったの」
「あっ」
 紗江子の言葉に、修太郎が小さく声をあげた。
「あら?」
「まあ!」
 紗江子と海老沢は同時に、広郷の隣にいる小さな男の子に気が付いた。
「この子、一緒なの? 祐二が連れて来てるの?」
 紗江子は、修太郎と広郷の顔を交互に見る。
「ああ」
「かーわいーいっ。ボク、お名前は〜?」
 海老沢はしゃがんで修太郎を下から見上げるようにして目線を合わせた。間違いなく小学生だと思っている。
 ピンヒールで体育座りする海老沢を広郷は不思議なものを見るように見て、修太郎は怯えたように返事した。
「津島修太郎です」
「修太郎クンだって、かわいい〜っ。ねえ、紗江子」
「うん。かわいい。……親戚の子?」
 質問は、広郷に向けたもの。
「あ、まあ、そんな感じ」
 そんな感じもこんな感じもないが、うちの部長だとは言えなかった。
「なんだ。仕事が入ったってドタキャンされたってぶうぶう言ってたけど、同じとこに来てるんなら、一緒に回ればいいじゃない」
 海老沢が立ち上がって、その場を仕切る。
「こんな広い敷地で偶然会うなんて、やっぱり二人縁があったのね。なんなら別行動で、私が修太郎クンと遊んでもいいわよ。エヴィ、かわいい男の子、大好き〜っ」
 ふざけて修太郎を抱き寄せると、
「いや、それは」
 困る、と広郷が修太郎を取り戻す。
「そうよ。エビ子にあずけていたらどんな目にあうかわからないもの。まわるなら四人一緒よ」
「ちぇ〜っ、ていうかエビ子っていうのやめて。せっかくエヴィを定着させようとしているんだから」
「エビ子は昔からエビ子じゃない」
「だからそれが嫌なんだってば。あ、祐二さん、イッツ・ア・スモールワールド行きましょう、次。近いし」
「………………」
「そんなガイドブックなんか見なくても、全部、私の頭の中に入っているから大丈夫。任せてプリーズ」
「………………」
(仕切られている……)

 できればこの二人とはここで別れたい広郷だったが、海老沢が修太郎の手を握って離さないので、後ろから付いて行くしかなかった。
 修太郎が不安そうに振り返る。広郷は励ますようにうなずいて、
(とにかく、次のアトラクションが終わったら、なんか理由をつけて別行動をとろう)
 決心するが、そうは問屋が卸さなかった。

「やっぱりディズニーランドと言ったら、イッツ・ア・スモールワールドよねぇ。あのララランランランとか歌って踊ってクルクル回る子どもたちの集団に心が和むわぁ」
「アンタが言うと、変態くさい」
「なによ」
 女二人のかしましい会話に、修太郎は小さくなっている。ただでさえ小さいのに。
 海老沢の手から修太郎の手を取り戻し、
「悪いけど、俺たち次、二人で行く所、決めてるから」
 広郷が別行動をほのめかすと
「えっ、どこ?」
 紗江子が尋ねる。
「……ホーンテッドマンション」
 紗江子が、その気の強い性格からはとても考えられないが、お化けや幽霊の類を嫌っているのを思い出して言った。それなのに
「あら! 私たちも、次はそれだと思っていたのよ」
 海老沢の嬉しそうな声に愕然。
「気が合うわねえ。ねっ、紗江子」
「うん」
「お化け屋敷だぞ」
 広郷が念を押すと、紗江子は
「あんなのお化け屋敷とは言わないわよ。いっぺん入ったことあるけど、笑えるじゃない。お化けもかわいいしね」
 豊島園の子供だましのお化け屋敷ですら怖くて叫びまくっていたくせに、今回は勝ち誇ったように胸を反らせて偉そうな態度。
(いっぺん入ったことあるんなら、もういいだろ)
 広郷の心の声は、当然、届かない。
「行こう、行こう」
 結局、またもや四人で並ぶことになった。
 並んでいる間も、しゃべるのは主に海老沢。次に紗江子。修太郎はほとんどしゃべらず、
「大人しいのね」
 紗江子に心配されている。
(お前らがいなきゃ、しゃべるんだよ)
 これが終わったら、
(何が何でも別行動だ!)
 拳を握り締めて、強く誓う広郷。
 そしてカートに乗り込む段になって、定員が一台三人までと気が付いた。
「お二人ずつ、どうぞ」
 キャストに案内されて、海老沢が妙な気を回し
「私が修太郎クンと乗るから、二人でどうぞ」
 広郷と紗江子を押しやった。
「あっ」
 次々に乗り込んでいく人に押される形で、広郷と紗江子が、そしてその後ろに海老沢と修太郎が、並んで乗った。広郷は心配そうに振り向いたが、すぐに真っ暗になってしまって前を向くしかなかった。

「広郷くん」
 小さく呼んだ修太郎の声は、広郷の耳には届かない。

「恋人同士のデートの邪魔しないように、これから乗り物はお姉さんと一緒に乗ろうね」

 そんな海老沢の台詞も、前のカートの広郷に聞こえるわけがなかった。





 ホーンテッドマンションの最後は、お化け屋敷と言いながら微笑ましいオチがついて皆笑いながらでてくるのだが、修太郎だけは浮かない顔で下を向いている。
「大丈夫?」
「怖かった?」
 海老沢も紗江子も心配したが、まさかあの程度のお化けを本気で怖がっているとは思わない。
「お腹すいたのかな」
「そう言えば、もうそろそろお昼よね。何食べようか」
 広郷は、しゃがんで修太郎の両腕を握ると、顔をのぞき込むようにして訊ねた。
「大丈夫ですか?」
 敬語に気が付いて、不自然に聞こえないように言い直す。
「どう? 何か、食べたいものある?」
 修太郎はいつものくせで
「ハンバーグ」
 ポツリと言ったら、いきなり紗江子が吹き出した。
「ハンバーグはダメよ、ねえ」
(何を言い出す)
 と、広郷が思うまもなく、
「何の話?」
 海老沢が促し、紗江子はクスクス笑って応えた。
「祐二ったら、新しい会社の上司がハンバーグ好きで毎日のように付き合わされて、大変なんだって」
(ばっ…ばか)
 転職後間もなく会って飲んだ時、ハンバーグの店を避けた理由を訊ねられて、確かにそう応えていた。
「紗江子っ」
 慌てて止めても、
「おかげで私と会ったときも『ハンバーグだけは勘弁してくれ』って」
 さもおかしい話をするように紗江子は屈託無く笑い、それと対照的に、修太郎の顔は青ざめた。
「あっ、ちが、ちがいます」
 広郷は修太郎の腕を掴んだが、サッと振りほどかれた。そのまま修太郎は駆け去っていく。
「ま、待ってください、部長っ」
 広郷は、その後を追う。

 残された女二人は、顔を見合わせた。
「部長?」
「何それ?」
 



 
「待って」
 追いかけたけれど園内はとても混んでいた。小さい修太郎の方が走りやすいに違いない。
 広郷は、
「…っと」
「キャッ」
 カップルの女性の方にぶつかって、彼女の持っていたハニーポップコーンを地面にばら撒いた。
「何するんだよっ」
 血の気の多そうな男が広郷に食ってかかる。彼女の前でいいところを見せたいのだろう。
「すみません、弁償します」
(だから、ここを通せ。通してくれ)
 男から見てもかなりの男前の広郷が、高そうな財布から惜しげも無く万札を抜いたのに、かえって男はむきになって
「弁償とかそんなんじゃねえよ。これ買うのに、どれだけ並んだと思うっ」
 代わりに買って来いとか言い出す始末。広郷は修太郎のことが気になってしかたない。
「すみません、ちょっと急いでいるので。これで」
 無理やり金を渡そうとすると、
「あのなあ、おまえの都合ばっかり言ってんじゃねえよ」
 男はその万札を握り締めたまま、広郷を小突いた。
 と、そこに清掃担当らしいキャストが飛んで来て、流れるような仕草でハニーポップコーンを片付けたと思うと
「はーい、ミッキーの魔法で元に戻りましたよ〜っ」
 背中に隠していたハニーポップコーンのカップを差し出した。
「うわ、いいんですかぁ」
 また新しいのをもらえて彼女の方はご機嫌だ。男も、一瞬ボケッとしたが、
「ディズニーランドには、そういうサービスがあるのかよ」
 照れたように口を尖らせて、両手をポケットに入れた。
「じゃあ、すみませんが、俺はこれで」
 焦ってその場を走り抜ける。男に万札を渡してしまっていることに気が付いたけれど、そんなことはどうでもよかった。

 今のタイムロスが災いして、修太郎の姿を完全に見失った。
「どこに行ったんだ……」
 八方探し回った挙句見つからず、いよいよ途方にくれる広郷。
「ミッキーの魔法で……」
 元に戻るなら、戻して欲しい。
 






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