週末、広郷の携帯が鳴った。名前を見て、
「久しぶり」
 そう出たら
「何が久しぶりよ。この薄情者」
 第一声でドヤされた。
「落ちついたら電話くれるって言うから待ってたのよ。まだ仕事決まってないかもしれないし、くれるっていってるのにこっちから電話するのもどうかと思って」
 電話の相手は大学時代の同級生磯島紗江子。卒業してから、ゼミのOB会の幹事を引き受けたりして仲良くなった。一年前から身体の関係もあり、今では恋人とセフレの中間どころといった仲。
「で、気を使って待ってたら、いつの間にか再就職してるって言うじゃない。藤田先輩のコネで」
「いや、藤田さんのコネってわけじゃ……まあ、どうでもいいけど」
「とにかく、明日は会える?」
「ああ、明日ね」
 少し考えて、
「……ああ、大丈夫」
「なんか気のない返事ねぇ……仕事大変なの?」
「いや、そんなことはない」
 これは、即答。
「ならいいけど」



 待ち合わせの駅ビルの本屋には、紗江子が先に着いていた。
 待たせた詫びを言って、
「どこに行く?」
「お昼食べた?」
 訊ねたら、逆に聞き返された。
「食ってないけど、朝が遅かったから。ああでも、ビール飲めるところがいいな。暑いし」
「私はお昼も食べるからね。あ、この近くに和風ハンバーグのおいしいお店があるんだけど」
「うっ……」
「どうしたの?」
「いや、ハンバーグだけは……ちょっと」
 口許を押さえる広郷を見て、
「変なの」
 紗江子は訳がわからず笑った。



 結局、早い時間からやっている居酒屋のチェーン店に入った。
「再就職おめでとう〜っ」
「どうも」
 ビールで乾杯。
「それにしても、就職決まったんなら電話の一つもよこしなさいよ」
 紗江子は昨日の会話を繰り返す。
「悪い。何だかバタバタと決まって、あっという間に一ヶ月って感じなんだよ」
「まあねえ……今までのところと勝手も違うし、新しいところだと最初は人間関係にも気を使うし、ストレスたまるわよね」
「まあね」
 と応えつつも、広郷は
(そういや、入社してからストレスっての無いなあ)
 ぼんやり考えた。


 前の営業の時は毎日何かとストレスがあった。あって当たり前だと思っていた。他人と接する仕事だ。些細なことまで含めれば摩擦の起きない日など無い。それがツシマではあまり感じられないというのはどういうことだろう。もちろん断られもしているし、たまには理不尽な罵倒も受ける。けれども、営業部に帰って
『おかえりなさぁい』
 修太郎の笑顔を見ると、何だかいっぺんにストレスの素が消え去っていく。
 一昨日などは、
『外は暑かったでしょう。ご苦労さまです』
 取引先からもらったらしいアイスコーヒーの缶を、冷蔵庫から出して持ってきてくれた。
(ひょっとして、あれで癒されてんのかな)
 ふいに、ペットセラピーという単語が浮かんだ。
 ストレスのたまりやすい会社で、社員の心を癒すために動物を飼うというあれだ。テレビの特番で見たことがある。
(たしかゴールデンレトリバーが専務とか呼ばれてたんだよな)
 修太郎ならゴールデンレトリバーというより、最近流行りのチワワのロングへアードか。

 修太郎の愛くるしい顔と小さな子犬のイメージが重なって、プッと吹き出したら、
「ちょっと、ヒトの話聞いてるの?」
 紗江子の声がした。
「あ、ゴメン」
「いいけどね」
 紗江子は気にした様子も無くしゃべりつづける。
「でね、藤田先輩と言えば、ゼミに高木さんっていたじゃない?」
「高木?」
 何が『藤田先輩と言えば』なのか。
 わからない広郷は首を振った。
「憶えてないな。高木?」
 紗江子は、信じられないといった顔になる。
「何で憶えていないのよ。いたじゃない。二つ上に、むっちゃカッコいい、背の高い」
「ああ」
 その形容詞で思い出した。
「いたいた。カッコいい高木さんね。卒業してアメリカに留学したんじゃなかったっけ」
「そう、その高木さん、日本に戻ってきててね。藤田先輩のジャパンマリンに入社したって」
「マジ? この前、藤田さんに会ったときには何も言ってなかったけど。まあ、そういう話をする場でもなかったけどな」
「うん。OB名簿のことで三島君に電話したらその話になってね。そう、その時、祐二の再就職のこと聞いたのよっ」
 また自分の話題になってきたので、広郷は慌てて話題をすり替えた。
「それにしても高木さんと藤田さんに接点があったとは意外だったな。藤田さん、OBの集まりに顔を出すようになったの割と最近だろう」
「うん」
「高木さんはそのころもうアメリカ行ってたし」
「そうそう、私なんて女の先輩たちから高木さん連れて来いってうるさく言われて、困っちゃったもん」
「モテてたよな。数少ない女子、みんなあの人のファンだったんじゃないの」
「うん。でも、祐二もモテてたよ」
「取って付けたように言うなよ」
 広郷は苦笑いして、ビールを飲み干す。紗江子は、すかさず手を上げて、
「生、二つ」自分の文も注文して言った。
「ホントホント。自分が知らないだけ。高木さんはちょっと出来すぎってくらいで怖かったけど、祐二は、ホラ、昔から人当たりよくって、女の子にも優しかったじゃない」
「そうか? でも、男が、優しいからってだけで好かれてもなぁ」
『出来すぎで怖い』の方が、男としては上等な気がする。
「あら、優しいだけじゃそこまでモテないわよ。ともかく、私の周りじゃ、高木さんよりも祐二ねらいの方が多かったんだけど、あの頃、祐二、彼女いたしね」
「ああ」
 大学時代は、高校卒業時に告白された彼女と付き合っていた。それも色々あって四年の就活の時期から疎遠になって、秋に別れた。その後、彼女いない暦二年を経て、紗江子と付き合っている。

「それと、女の子たちが高木さんを諦めた理由にね」
 店員が運んできた生ビールのジョッキを受け取って、一つを広郷に渡して、紗江子は言った。
「高木さん、ゲイだって」
「ブフーッ」
 広郷は飲もうとしていたビールを吹いた。
「きったなぁい。何やってんのよ」
「お前が、変なこというからだろっ」
「もう、そっち拭いて」
 二人慌てて、おしぼりでテーブルを拭く。
「別に、そんなに変なことじゃないでしょ」
「何で変じゃないんだよ。ホモってことだろ」
 ついでにテーブルの上の空いた皿も片付けて、
「てか、何でそんなこと知ってんだよ」
 広郷は怪訝な顔で紗江子に尋ねた。
 紗江子は真面目な顔で応える。
「高木さんの留学の話を聞いて、卒業前に果敢に告白した先輩がいたのよ。今まで高木さんって、そういう話、全部上手に断っていたそうじゃない。その先輩も同じだろうなって思っていたら、最後だったからか、それともその先輩の涙の大告白が琴線に触れたのか、高木さんが『自分は女性を恋愛の対象にできない』って打ち明けてくれたそうなの」
「……マジ?」
「あれだけのハンサムに女の影が全然無かったから、そんな噂もチラホラあったんだけど、やっぱりねって感じ」
「はああ……」
 広郷は頬杖ついて
「何が嬉しくて、男同士で恋愛するんだ」
 呆れたように呟いた。
「あら、そんなのは個人の自由だもん。いいじゃない。男が男を好きでも」
「男相手にセックスすんのか」
「それがね」
 紗江子がいきなり身体を乗り出す。
「私の友達が、そういう本を書いているんだけど」
 そういう本って何だ。
「いくつか読ませてもらったんだけれどね、男同士のって、男女のよりもいいらしいよ」
「い、いいって、何が」
「だから、むちゃ気持ちいいんだって。男同士のアレ」
 友達から仕入れたドリーム話を、知ったかぶりして語る紗江子。
「どうする?」
「どうする、って」
 思わず、ゴクリと唾を飲む。
「祐二も一度やったら、病みつきかもよぉ」
(やったら……って)

 その瞬間、あろうことか、修太郎の顔が浮かんだ。


『あっ、や……ん、広郷くん…っ』
 いつか見た泣き顔が、紅く染まって切なそうに喘いでいる。
 閉じた瞼からは涙がポロポロと零れ、白く細いのどを反らして、自分の指を咥える修太郎。
 うっすらと目を開けて、潤んだ瞳が焦点の合わないまま広郷を探す。小さく華奢な手を伸ばし、幼い声が名前を呼ぶ。
『広郷くん……来てぇっ』


「わーっ」
 卑猥な妄想を打ち消すべく、頭を抱えてブンブンと振る広郷に、紗江子は嬉しそうに追い討ちをかける。
「いっぺん入れてもらったら? 祐二」
「って、俺が入れられるんかいっ」
 我に返って、顔を上げる。
「だって、高木さんが相手なら祐二が下でしょう、やっぱり」
「高木さんが相手ならな」
 言ってしまって、また小さく首を振る。
「とにかく、俺は男に突っ込まれるよりは、女に突っ込むほうが好きだ」
「やだ、ケダモノ」
「お前がそういう話題をふったんだろう」
「そうでした」
 広郷は伝票を取って立ち上がった。
「ホラ、でるぞ」
「え、もう? まだ残ってるじゃない」
「だったら、さっさと食え、飲め」
 座りなおして、不自然に足を組む。
 実は、さっきの妄想で広郷の股間が収まりつかなくなっているのだ。
(ったく……なんなんだよ……)
 
 その日、久しぶりに紗江子を抱きながらも、チラチラと妄想の修太郎が頭を掠めて、広郷はどうにも落ちつかなかった。








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