朝礼の時間。
「今日から皆さんの仲間になる広郷祐二君です。仲良くしてあげてくださいね」
 ぱち ぱち ぱち ぱち……
 どう聞いても小学校の転校生のような紹介をされて、広郷は企画開発営業部総勢二十名の暖かい拍手を受けた。
 信じられないが、自分を紹介したそれこそ小学生にしか見えない修太郎は、本当に部長だったらしい。
 広郷は、家を出るときから考えていた立派な挨拶文は捨てて、その三分の一くらいの簡単な挨拶をした。

「じゃあ、広郷君の席は池田主任の隣です。池田主任」
「はい」
 修太郎に呼ばれて、広郷とさほど歳の変わらなさそうな若い社員が右手を上げた。六つの机が合わさった島の一番端。広郷の席の前は空いている。
「よろしくお願いします」
 頭を下げると、
「こちらこそ」
 池田は感じのいい笑みを浮かべた。

「では、部長代理、お願いします」
 修太郎の学芸会のような司会で、前に立った部長代理の森崎は、
「まず、昨日の成果から」
 咳払いをすると、いかにも営業体の朝礼らしい話をし始めた。それを聞いて広郷は、ようやくここが会社なのだと実感できた。
 ふと視線を感じて目をやると
(う?)
 朝っぱらから室内だというのに真っ黒なサングラスをかけた男が、窓を背にしたひな壇に座っていた。
(や、やーさま?)
 堅気とは思えない雰囲気に思わず目が吸い寄せられるのを、無理やり引き剥がす。
(マル暴対策要員とか……)
 部長の机の並びに座っているのだから、役付きなのだろう。
 その男がサングラスの向こうから自分を見つめ続けている気がして、広郷は落ち着かなかった。
 いつのまにか森崎の話は終わり、
「では、部長」
 もう一度みなの視線が修太郎に集まる。
 座っていた修太郎が立ち上がると、座っていたときよりも身体が机に沈んだように見えた。
(ひょっとして、足、ついてなかったのか)

 大きな机の向こうで肩から上だけを覗かせて、修太郎はニコッと笑った。
「みなさん、今日から六月です。梅雨の季節は体調もくずしがちですから十分気をつけて、そして、傘の忘れ物にも注意しましょう」
(忘れ物注意って……)
 修太郎の言葉に脱力した広郷だったが、ふと隣を見ると
「傘の忘れ物に注意」
 池田は、営業用手帳の今日のページの一番上にしっかりと書きとめていた。
(………………)
 大丈夫なのだろうかと、不安になった広郷の耳に、

 ちゃん ちゃららん♪ ちゃん ちゃららん♪ ちゃりらりらりらりら〜〜♪

 聞いたことのある音楽が流れてきた。見ると森崎がCDラジカセを操作している。社員一同がおもむろに立ち上がった。


 こまったわ 家計簿三日 つけてない♪ 
 おまかせ おまかせ おまかせ君♪


(歌っ?!)
 テレビコマーシャルで聞いたことのある、会計ソフト「おまかせ君」のテーマソングだ。
 慌てて池田を見ると
「あ、後で教えるから、今日は適当に合わせて」
 小声で言われた。
(毎朝、歌ってるのか……)

 前の会社で入社一年目の新人の時、無理やり駆り出された組合の決起大会でユニオン歌を歌わされたことがあった。その時、誰も真剣に歌っていなくてテープの声だけが響いていたことを思い出せば、ここの歌声は大違い。みんな真面目に歌っている。その中でも、

「おうちの家計も 僕に任せて♪ おまかせく〜んっ♪」

 誰よりも大きな声で元気よく歌っているのは、部長の修太郎だった。小さな口を精一杯大きく開けて。大人の声の中に混じる子供の声は浮いていて、たまに音程も外れるけれど、そんなことは気にしない。
 ほっぺたを紅くして歌う姿に
(かわいいじゃん)
 広郷は、つい頬を緩ませた。


 よわったな 人件費 もっと押さえたい♪
 おまかせ おまかせ おまかせ君♪


(二番も歌うのか〜っ)

「会社の経理も 僕に任せて♪ おまかせく〜んっ♪」


 池田に教えてもらうまでも無く、おまかせ君のテーマソングは、一日中、広郷の頭から離れなかった。





 
 その日の午前中、広郷の指導に当たったのは、やはりというか隣の席の池田だった。
 若く見えて実は広郷より二歳年上だった池田は、その愛想の良い外見のままに面倒見もよかった。
「広郷君には、中央線の西のエリアを担当してもらうから」
 地図を渡し、手元のペンで印を付けていく。
「主に立川、八王子。このマーカーに囲まれた地区の中小企業に、最初は飛び込みで挨拶」
「はい」
「まあその前に、商品を知らないと話になんないから、今日は社内で勉強ね。明日までにこれ全部頭に入れといて」
「はい」
 池田に渡されたマニュアルはかなり分厚かったが、広郷はすんなりうなずいた。
「うわーっ、これ見てビビらないんだ。普通、明日までに全部とか言われたら驚くよ」
「そうですか? まあ、たしかに」
 パラパラと中を見る。
「でも、よく整理されていて、読みやすそうですよ」
「まあね、実はそうなんだ」
 池田は、人懐っこい顔で笑った。
「でも普通はこの厚さ見ただけで閉口するじゃない。やっぱり、広郷君は大物だね」
「池田さんこそ、できる営業マンって感じです。俺を持ち上げても何も売れませんけどね」
「いやいや、社内の人間関係は大切だからね。持ち上げられるうちは何でも持ち上げるよ、俺は」
 池田が言うと
「落とすのも早いけどな」
 池田の前の席の有森という課長代理が話に加わった。
「気をつけろよ、こいつのあだ名『クレーン車』だから。持ち上げといて、いらなくなったらポイだ」
「何を適当なこと作ってるんですか、有森さん」
「あははは……じゃ、いってきます」
 白板に行き先と戻り時間を書いて、有森は出かけて行った。
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃーい」
 口々に送り出す声に、子供の声が混ざっている。
 広郷は、チラッと部長席を見た。修太郎と目が合って慌てて顔を伏せる。
「どうした?」
「あ、いいえ」
 池田に首を振って、そして、小声で尋ねた。
「あの……部長のことなんですけど……」
「ああ」
 池田はうなずいて
「最初はみんな驚くけどね。でも、慣れると違和感無いよ」
「な、無いですか」
(嘘だろ)
 思いっきり違和感を感じっぱなしの広郷。
「見た目は子供だけど、中身は天才なんだよ。おまかせ君のシステム開発したのも部長だしね」
「そうなんですか」
「このマニュアル作ったのも、部長」
「げっ」
 手元の冊子に目を落とす。
「確かに、子供には作れないな」
 独り言を言ったとき、いきなり後ろから
「部長を子供扱いするヤツは、私が許さあんっ」
 森崎の声がした。
「ひっ」
 驚いて振り返る。
 池田が慌てて弁護した。
「違いますよ、部長代理。広郷君は『子供には作れない』と言っただけで。むしろ、子ども扱いしていないと言うか」
「子供、子供、言うなっ」
 森崎がまたもや口から泡を飛ばす。
「部長は、確かに、一見子供だ」
(いや、一見と言うより、十五歳なら子供だろう)
 広郷の内心突っ込み。
「部長代理」
 修太郎が飛んできた。森崎は気にせずしゃべり続ける。
「本来身体に回るべき養分がすべて脳に行ってしまった為、身体の発育は遅れて十五歳にすら見えないが」
「ふぇ…」
 森崎の言葉に、修太郎は涙ぐむ。
「しかし、このツシマを支えているのは修太郎部長なのだっ。あの小さい身体にツシマ全社員とその家族を背負っていらっしゃるのだ。あの小さい身体にっ、あの」
『小さい身体』を連呼して
「黙れ」
 森崎は、サングラスの男に後ろから殴られた。
「いたっ」
「部長が、傷ついていらっしゃる」
「これは副部長」
 森崎は大げさに仰け反って、
「私は、この新人が、部長に失礼なことを」
「きみが一番失礼だ」
 言い訳の途中で、ビシッと斬り捨てられた。

「くすん、くすん」
 小さいと言われて、修太郎はぐずくず泣いている。
(な、なんなんだ、いったい)
 広郷は、呆然と成り行きを見つめる。
「きみ」
 サングラスの男が、広郷を振り返った。
「今日は、まだ、営業には出ないのだろう」
「あ、はい」
「それでは、部長とお昼を食べてきてくれ」
「はっ?」
「領収書もらってきていいから」
「はあ」
「あっ、いいなあ〜。副部長、俺も〜」
 池田が言うと、副部長は
「お前、飛鳥商会の件は、どうした」
 サングラスの奥からジロリと睨んだ。
「あっ、今日これから行きます」
「さっさと行け」
「アイ、サー」
 池田は敬礼すると、
「じゃあ広郷君、また後で。お昼は混むから早く行ったほうがいいよ」
 広郷の肩をポンポンと叩いた。
「お前が早く行け」
「いってきまーすっ」
 副部長に追い出され、池田は軽やかに出て行った。
「いっ、いって、らっしゃ……」
 目をこすり、どもりながらも送り出す修太郎。広郷も慌てて叫んだ。
「いってらっしゃい」
 




 よくわからないまま、なんと副部長だったサングラス男の指示に従い、広郷は修太郎と一緒にエレベーターに乗った。
「部長、大丈夫ですか」
 ビルの最上階のレストランフロアを手をつないで歩きながら、何を話していいかわからず、広郷はそう声をかけた。
 ちなみに手をつないだのは、修太郎が握ってきたからだ。
「……うん」
 涙は止まっているけれど、目の周りと、手の甲でこすった頬は赤くなっている。泣いた子供のあどけない顔に、広郷は内心溜め息をついた。
「何、食べますか?」
「……広郷君の好きなもの」
「はあ……」
 ちょうど通りかかったうなぎ屋の看板を見て
「うなぎなんか、好きですけど」
(領収書も取れることだし、ここはひとつ豪勢に行くか)
 と思って訊ねると
「うなぎっ」
 修太郎は怯えた顔をした。
「あ、うなぎは嫌いですか」
「あのお腹がだんだんになってるのとね、背中の皮がいや」
「あの皮がおいしいんですけどね」
「広郷君が食べたいなら、いいよ」
 子犬のような瞳で見上げてくる。
「あ、いいえ、とんでもない」
 ぶるぶると首を振って、
「部長は、ちなみに何が好きなんですか」
 と訊ねると、
「ハンバーグ」
 修太郎はニコッと笑った。
「いいですね、ハンバーグ、俺も好きですよ」
「ホント?」
「ええ」
「そうしたらね、ここ、かもめグリルもあるの」
 ハンバーグでは有名なチェーン店だ。
「ああ、大学の近くにもあって、昔よく行きましたよ」
「そこにする?」
「そうですね」
 広郷がうなずくと、修太郎は
「じゃあ、こっちなの」
 握った手に力を込めて、広郷を引っ張っていく。
(元気出たな……)
 ちょっとだけ安堵の溜め息。
(それにしても……)
 朝会ったときよりも、もっと子供になっている気がする。
 本当にいいのだろうか。

 目の前の小さな背中に、やはり不安がこみ上げる広郷だった。
 








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