その夜、僕はお風呂上りにそおっと電話線を抜いた。これでもし陸さんやみどりから電話がかかってきても出なくてすむ。お父さんとお母さんは絶対気が付かない。普段から夜の電話はしない人たちだから。
 明日、朝起きたら、ちゃんとまた差し込んでおかなくちゃ。


「はぁ〜っ」
 ため息と言うには大きい声を出して、僕は何度目かの寝返りをうつ。あんな恥ずかしいことしちゃって、陸さんに会わせる顔が無い。秀志さんの「僕に任せて」も気にかかるし、色々考えていると眠れなくなった。 ベッドの上でゴロゴロしながら、それでも何とか眠ろうと目を閉じると陸さんの声とか聞こえてきたりして。
 枕もとの時計が三時近くになっているのを見て焦る。このままじゃ、四時間も眠れないよ。どうせなら、勉強すればよかった。これでも受験生なんだよね。

 明け方になってようやくウトウトして、そうしたら案の定、寝起きは辛くって、その日は寝不足、体調は最悪。
 前の日早退してるから余計、森下やみんなが心配してくれた。


 そしてその日、家に帰ったら、お母さんが怒っていた。
「勝利、あなた、電話のプラグを抜いたでしょう」
「あ……」
「お母さん電話かけようと思ったらつながらなくて、電話機壊れたかと慌てたのよ」
「ごめんなさい」
 朝、ぼうっとしていたから、元に戻すの忘れていた。
「勝利、ねえ、どうしたの」
 怒っていたはずのお母さんが、心配そうに尋ねる。
「朝から変よ。何があったの? 電話、かかってくると困る相手でもいるの?」
「…………」
「あの陸君っ子?」
「えっ?」
(何で?)
 顔を上げると、
「やっぱり反対されたり、脅されたりしてるの?」
 お母さんは、いつかの陸さんからの電話をすっかり勘違いしたままだった。
「そんなこと、ないよ」
「そう?」
「うん」
「ねえ、今度そのガールフレンド、広海ちゃんだっけ、うちに連れてきなさいよ」
 お母さんは、僕を励ますように笑った。
「私は、勝利が選んだ子なら応援するわよ。家族ぐるみのお付き合いにして、お兄さんにも認めてもらったら」
「お母さん……」
 なんだかとっても悲しくなった。
「ダメだよ、僕……もう」
「勝利?」
「ダメなんだ」
 バタバタと部屋に入って、ベッドに飛び込んだ。お母さんがビックリしたのがわかったけど、どうしようもない。

 僕は、陸さんをうちに連れて来たりできない。



「勝利、早野さんって女の子から電話よ。どうする?」
 しばらくベッドにうつ伏せていたら、お母さんがそっと呼びにきた。
「寝てるって、言おうか?」
「……ううん、出る」
 いつも能天気なお母さんが珍しく気を使ってくれてるのがわかって、僕はのろのろと起きあがった。
 みどりにもあれっきりだし、部室借りたんだもん、使わなかったことも、一応言っておかないとね。
 お母さんが聞き耳立ててるみたいなのが落ち着かないけど、思い切って受話器を取ったら
「こずえ、仕切りなおすのね」
 みどりの妙にはしゃいだ声に圧倒された。
「それがいいよね。やっぱり学校じゃ落ち着かないもんね。あ、すすめといてそんなこと言うな?」 
「な、何のこと?」
 みどりは、エヘヘと変な笑いで
「隠さなくてもいいよ。白石君から聞いたんだ、明日のこと」
(何を?)
 僕は、本当にわからない。
「あ、まだどこにしたかは聞いてないんだ」
「どこって、何?」
「ラブホ」
「えぇっ?」
 僕は素っとん狂な声を出した。
「陸君と行くんでしょ? あ、それとも陸君、こずえには内緒にしてたの? だったら知らないよね。ごめ〜ん。でも、平日の昼にわざわざ待ち合わせしてるってことは、当然こずえも、知っててだと思ったんだけど……」
 みどりも話しながら、何かおかしいと言った口調に変わる。
(ラブホって、ラブホテル? エッチするとこ??)
「平日の昼って、明日?」
 声をひそめる。お母さんに聞こえないように。
「明日、陸さんが何? ええっと、白石さん、何て言ってたの?」
「……えっとね、陸君が、絶対他人
(ひと)目につかなくてうちの学校の連中が来そうもないラブホテル教えろって」
「…………」
「んで、白石君が、平日の昼間だったら値段も安いしほとんど人来ないからって、新街道沿いのホテルを教えたらしいよ」
「…………」
「で、そのあとコッソリ陸君が教室を出て行くのをつけて、携帯で話してるのを盗み聞きしたら、明日の昼の待ち合わせをしてたって言うから」
「…………」
「……そいえば、こずえ……携帯、持ってない……よね」
「……うん」
「じゃあ、昼間電話かけるなんてできない……よね」
「……うん」

 そのあとしばらく、嫌な感じの沈黙が続いて、
「わかった」
 みどりがいきなり言った。
「私が、明日、確かめたげるよ」
「え」
「どこのホテルかは白石君から、聞いてるから」
「でも、昼」
「抜けられるわよ、大丈夫」
「あ、じゃあ、僕も」
 ますます声を小さくして
「僕も行く」
 グッと唇をかんだ。
 陸さんがいったいどこの誰とホテルに行こうとしているのか。確かめてやる。






* * *


 翌日、金曜日。水曜日に続いて、僕は体調不良を理由に早退をした。 前の日も具合悪そうにしてたから、誰も不審に思わないでくれて助かった。こんなことばっかりしてちゃいけないって思うけど、今回ばっかりは、一大事だもん。


「こずえ、こっちよ」
 みどりと待ち合わせしたのは、新街道と国道が交差する所のコンビニの前。目的のホテルとは通りの反対側だ。
「はい」
 いきなりそのコンビニで買ったらしい缶コーヒーを手渡された。
「何?」
「張り込みには、缶コーヒー」
「……そんな気分じゃないんだけど」
 面白がってるのかと思って、ムッとしたら
「どうせ、お昼食べてないんでしょ。甘いもの飲むだけで違うよ」
 ニコッと笑って返された。
「……ゴメン、ありがと」
「それから、これも」
 続いて渡されたのが、何故かお酒のおつまみパック。
「干し魚? ししゃも?」
「カルシウム、取っておきなさいよ」
 なんとなく意味がわかった。

「こっちの調べだと、ホシは四時間目の前に消えてるの。たぶん、一度家に帰ったか、どっかに寄って着替えてるわね」
「そう」
 なんだかドキドキしてきた。イライラしないようにカルシウム取らなくちゃ。燻製ししゃもを頭からかじる。うえっ。ししゃもと缶コーヒーの組み合わせってビミョウ。
「ちなみに槙原安恵は何ごともなく授業を受けているから、今回はシロね」
「……ふうん」



 元カノやっちゃんじゃないんだ。

 じゃあ、いったい誰と待ち合わせしてるんだろう。

 やっちゃん以外にも、いたんだ。エッチする相手。

 一年のときはモテてたっていうから、相手はいっぱいいるんだろう。

 でも、僕のこと好きだって言ったのに。ついこの間だって―――


『お前は、俺のもんだ』


 僕は陸さんのものだって言ったのに。

 陸さんは、僕だけのものじゃなかったんだ。

 ずるいよ。




 きゅうって、胸が痛くなった。


「大丈夫? こずえ」
「…うん」
「ほら、カルシウム」
 みどりが、二本目のししゃもを差し出す。
「殴るときは、指の骨、折らないようにしないとね」
 カルシウムって、骨を鍛えるって意味だったの?

 待つこと約二十分。
「目標、発見!」
 みどりの言葉に向かい側をみると、黒い革ジャンにサングラスの陸さんが足早に歩いている。ブラックジーンズで黒づくめだ。足長いなあ。
「ひぇ〜、なんかあれって却って目立つんじゃない?」
「う、うん」
 僕はと言うと、その陸さんの姿に見惚れてしまっていたりして。バカ。

(畜生、いったいどこの女とホテルに入るつもりなんだよっ)


 僕のことは、抱けないっていったくせに。

 やっぱり、女の子の方がいいんだ。

 陸さんの嘘つき。僕のこと好きだって言ったのに。

 嘘つき。卑怯者。ばか、ばか、ばか、ばか―――



 心の中でののしりながら、陸さんの後ろ姿を追いかけた。まだ彼女の姿はない。中で待ち合わせしているのかな? 

「あ……」
 ホテルの前で、陸さんに寄り添う影。背の高い彼女が陸さんの腕に腕を絡めて、そのまま、わざと目立たないように作ったような狭い入り口に滑り込んだ。

「こら、待てぇ」
 叫んだのは、みどりだ。
 ハッと振り返る、陸さんと彼女。
 駆けつけた僕たちは、ホテルのまん前で愕然とした。


(彼女……じゃない……)


 なんで、陸さんが秀志さんと一緒にいるんだ。

 僕は、陸さんの相手は女の人だと思っていた。僕のことは「好きだけど抱けない」っていうんならしょうがないと思った。
 だって、僕は男だから。
(でも、男の秀志さんと――)
 何かの間違いかと思ってじっと見たら、陸さんはものすごく動揺していた。

「い、いや、これは、その……」
 こんな陸さん、初めて見る。
 青ざめてオロオロする様子がいかにも浮気現場見つかりましたって感じで、僕は、見ているうちにカアッと頭に血が上った。

「相手が男なんて、反則だよっ」

 バキィッ

 叫んだときには、手が出ていた。

「ガッ」
 陸さんの顎に相当強い一撃を与えることができた。と、思う。僕の右手もかなりジンジンしたけど、指の骨は折れてない。カルシウムありがとう。
「すごい、グーで殴った。やっぱり男の子だ」
 地面に倒れた陸さんと僕を交互に見て、秀志さんは目を丸くした。僕は秀志さんのことも殴りたくなって、もう一度右手に力をこめたんだけど、
「ああ、やめて、やめて。悪かった。でも、勝利君のためだったんだよ」
 降参のポーズで両手を上げた秀志さんに、ニッコリ笑ってかわされてしまった。








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