陸 視点
部室を出て行くこずえを追いかけられなかったのは、情けないことにしばらく腰が抜けていたからだ。 『陸さんとエッチしたい。抱いて』 突然服を脱ぎ始めたこずえに、俺はぶったまげた。 いったい何を考えてんだ、あいつは。 思えばここのところ、あいつの様子は変だった。急に連絡をよこさなくなったり、新しい彼氏ができたと言ってみたり(言ったのは相川か?)、そうじゃなくって俺のことが好きだと言ったと思ったら、平日まっ昼間に俺の高校までやってきて「抱いて欲しい」って――― 思い出してもう一度顔に血が上る。ついでに別のところにも血がたまる。 「やべぇ」 たった今見たこずえの白い胸とか、ピンクの乳首とか、ウルウルに潤んだ瞳とかが頭の中をグルグルまわる。朝晩イロイロ妄想してたのとおんなじっつーか、もっとエロエロっつ―か。 そのへんのAVなんか目じゃねえよ。 しかし何で俺は、とっさに据え膳を食い損なってしまったのか。落ち着いて考えると惜しいことをした。 ふと見ると、こずえの忘れていったランニングシャツが落ちている。 拾い上げて、匂い嗅いだりして。 「…………」 今夜のズリネタにしよう。俺はまだ少し温かいようなそれを小さくたたむと大切にポケットにしまった。 しばらく部室でぼおっとした。腰はとっくに回復していたけれど、今さら体育館に戻る気はしなかったから、そのまま教室に帰った。 こずえのことは気になったけど、まあ大丈夫だろう、笑ってたし。今ごろどっかで恥ずかしがってんだろううな。夜、電話が無かったら、こっちから電話してやろう。それにしても 「あいつも、欲求不満だったのかな……」 受験生だもんな。ストレスもあっちもたまってるんだろう。 いっそのこと、やるか? やってしまうか? あんな顔見せられたら、あと半年近くも我慢できるわけが無い。 しかし、男として、初めてやるときは俺の方からリードしたい。さっきみたいに不意打ちで腰が抜けた状態で覆い被さられてもなぁ。いや、ある意味理想のシチュエーションだったんだが、しかしやっぱり…… 「何、ブツブツ言ってんのよ」 「あ?」 相川が、憮然とした顔で立っている。 「あれ? もう終わったのか、合唱」 見回したが、俺のクラスの奴らはいない。ちなみに相川は、隣のクラスだ。 「これから表彰式よ。トイレ休憩、抜けてきたの」 「何で?」 「変なメールもらったから」 相川は、制服のポケットから携帯電話を出した。 「何だよ」 こずえかと一瞬ドキッとしたが、あいつは携帯を持っていないからメールもしないはずだ。 「秀志さんが、あんたと連絡取りたいって」 「は?」 あの美容師のにやけたホスト顔(づら)が浮かんだ。 「お前アイツとメル友かよ」 「どうでもいいでしょ。あんたから電話欲しいって」 「ざけんな。何で、俺が」 「知らないわよ。私は伝言頼まれたから、伝えただけ。別に電話しないならそれでもいいわよ。私が聞いておくから」 相川は、くるりと背中を向けた。 「何を聞いておくって?」 「さあ、何かショーリのことで話したいみたいだけど」 教室を出ながら、振り返る。 「まさかショーリを挟んで本当にあんたと争うって話じゃないわよね」 「こずえ?」 こずえのことと聞いて、俺は改めて身体を起こした。 「おい」 「あ、言っとくけど、ショーリの新しい彼ってのは嘘だから。って、ショーリに聞いてるよね」 「なんでアイツが、こずえのことで話があるんだよ」 「だから知らないわよ。聞いておくから」 相川は、面倒くさそうに手を振った。 「ちょっと見せろ、そのメール」 「ええ〜」 嫌そうに眉間にしわを寄せる。お前、もともとそれ見せるために来たんじゃないのか。 相川の手から奪ったそれには、確かにアイツから俺に「勝利君のことでとっても大切な話をしたいから」連絡が欲しいとあった。 「何だよ、とっても大切な話って」 呟く俺に、 「あんまりいい予感しないから、やっぱり私が電話しとくわよ」 相川はおかしなことを言う。 「どういう意味だよ」 「この間、変なこと言ってたの思い出した」 「何だよ」 「何でもない。じゃ」 「おい」 休憩が終わってしまうとかなんとかわざとらしく呟きながら、相川は教室を出て行った。 俺は自分の携帯をおもむろに取り出す。 「090……ムシゼロニ…ナナ…」 成績を自慢できるような頭じゃないが、数字の語呂合わせは昔から得意だ。俺は相川のメールにあったアイツの携帯の番号を押した。 「ごめんね、高校生をこんな遅い時間に呼び出して」 「別に。こんなんフツーだし」 ガキ扱いされた第一声に、俺は必要以上にツッパってしまった。実のところ夜の十時半ってのはそれほどフツーじゃない。ついでに言うと目の前にビールの大ジョッキがあるのも。 この時間、駅前商店街で開いてるのはファミレスと飲み屋とカラオケ屋くらいだが、喜嶋秀志は自分の仕事場のすぐ近くにある小洒落た和風の居酒屋を指定してきた。 「お店終わっても帰れるのはいっつも遅くってね、よくここで夕飯食ってんの。付き合ってもらっていいかな」 「話って何だよ」 「せっかちだな。男のせっかちは嫌われるよ」 おしぼりで手を拭く動作も妙にキザったらしい男は 「あっちのほうも早いんじゃあ、勝利君、かわいそ」 いきなりの下ネタで先制ジャブを撃ってきた。 「な……」 「それにしても私服だと高校生には絶対見えないね。タッパあるっていいなあ。何センチ?」 俺の怒りを無視して、喜嶋はのんびりと言った。 「テメエと世間話するために、わざわざきたんじゃねえぞ」 「前説じゃないか」 「いらねえっつの」 「しょうがないな」 溜め息つくふりして、ビールを飲んで 「じゃあもう、すぐに本題に入るけど、陸君って童貞じゃないよね」 特に声をひそめることもなくケロリと言った。 「…………」 「ああ、この先シラフじゃ話しづらいね。ま、飲んで飲んで」 喜嶋は俺の手にビールのジョッキを握らせた。 そして自分も、挑発するように俺の目を見つめたまま、グビグビとジョッキを空にする。 (負けるか) よくわからない対抗心で、俺も大ジョッキを一気に飲み干す。 「おお、いい飲みっぷり」 喜嶋は笑って、 「すいませ〜ん、ナマふたつ追加」 奥に向かって声を張り上げた。 「プハッ」 胃にたまったガスを抜いて、口を拭うと、俺は喜嶋を睨んで言った。 「誰がドーテーだよ」 「いや、違うよねって聞いただけで」 「当たり前だ」 悪いが健康には自信のある高校男子。そこそこ恵まれたルックスのおかげで、そんなん不自由したことはない。まあ、この数ヶ月間は別にして。 「でも、オトコ抱いたことはないよね」 「ゲフッ」 衝撃の言葉に、変なものが気管支に入ったらしく、その後しばらく俺は咳き込んだ。 「ハイハイ、ビール来たよ」 咳きを押さえるのに、再びビールの一気飲み。 「大丈夫ですか?」 俺を心配してくれるバイトらしい女の子に、喜嶋は手を振って何でもないと言い、ついでに日本酒まで注文した。 「落ち着いた?」 「お前が、突然、わけわかんないこと言い出すからだ」 「まあまあ、これが今夜の本題なんだし」 「本題?」 俺は眉を寄せた。 こいつはこずえのことで「とっても大切な話」と言っていたのだ。昼間のことも思い浮かんで、俺は少しばかり焦った。 「こず、あ、ショーリから、なんか聞いたのか」 こずえという名前を隠すと、ついいつも相川が呼んでいる「ショーリ」という呼び名が出てしまった。喜嶋はそれには気をとめず、あっさりうなずいた。 「聞いたよ、据え膳食わなかったんだって」 「う…」 なんで、なんで、こずえは、そんな話をこのホストもどきの美容師にしているんだっ。 「そんな顔しないでよ。僕は、二人の味方だって」 何を言っている。 「陸君、別に、抱きたくなかったわけじゃなくて、いきなりで抱けなかったんだよね」 何を言っているんだ。 「わかるよ、女相手のとは違うからね。予備知識無いと、まず失敗するだろうし」 何を―――――?? 俺の頭がクラクラしているのは、たった二杯の生ビールに酔っ払ったわけじゃない。 「君と勝利君のために、僕が一肌脱ぎましょう」 恩着せがましくうなずく、コイツのせいだ。 「年長者として、人生の先輩として、そしてその道の先達として、迷える者は導いてあげないとね」 「導くって、何をするんだ」 嫌な予感を覚えつつも、一応訊ねてみる。 「だから、僕が一肌も二肌も脱いで、オトコの抱き方を教えてあげましょう」 「ざけんなっ」 しかしながら、その三十分後、俺は喜嶋に説得されていた。 「男同士ってのはね、難しいんだよ。もともとそういう臓器じゃないんだから。十分ほぐしてあげないと、辛いのは勝利君だからね」 「…………」 「ほぐすって、どうやるかわかる」 喜嶋の、立てた指の動きがイヤラしい。 「ヘタに痛い思いさせたら、二度とやりたくなくなるからね」 「…………」 「勝利君のためにも、初体験は気持ちよくしてあげないと……そういう意味では、今日、君が据え膳に手を出さなかったのは賢明だったよ」 「…………」 「かわいい勝利君は誤解しているみたいだけれどね」 「……誤解?」 「自分がオトコだから、抱いてもらえなかったんじゃないかって」 「なっ」 「心配なんだよ、女の身体じゃないからね。これで初めてのセックス失敗したら、かなりマズイ状態に陥っちゃうだろうね」 「…………」 「でも、一回うまくいったら、大丈夫」 喜嶋は、ニッコリと笑った。 「……で? どうやって教えてくれるんだ」 俺は、酒のせいじゃなく熱くなる顔を意識しながら訊ねた。 「もちろん実地訓練あるのみ。タチ、ネコ、好きなほうやらせてやるよ。どっちがいい?」 |
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