「どうしたんだ。顔赤いぞ」
 陸さんが、心配そうに僕の顔を覗き込む。
「う、うん……」
 それっきり、どう切り出していいかわからず黙ったままの僕。
「どうしたんだよ、ホントに。早野に聞いて、ビックリして」
 飛んで来たんだと言う陸さんに、僕はモゴモゴと応えた。
「は、話が……」
 本当は話じゃないけれど。
「話?」
 陸さんは不審そうに眉をひそめた。そして
「話なら、うちの部室でしないか」
「えっ?」
「ここ、女くせえんだよ」
 顔をゆがめて周りを見渡す。確かに、女子部の部室はちょっと独特の匂いがする。それは男子部も同じだろうけれど、陸さんが落ちつかない様子なんで、そうすることにした。
「それじゃ」
 僕がみどりの用意してくれた毛布とバスタオルを持ち上げると、陸さんがギョッとした。
「な、何だそれ」
「あ、ううん、ちょっと」
 僕はそれをぎゅっと握り締めて、ぶんぶん首を振った。陸さんはとっても不思議そうな顔をしたけれど、自分のポケットをごそごそと探ってカギらしいものを取り出しながら部屋を出た。僕は女子部のカギを言われたとおりにしまって、陸さんの後ろに続く。男子部は女子部よりももっと体育館に近いところにあって、合唱コンクールの歌声がよく聴こえてくる。
 初体験のBGMが「マイウェイ」ってどうだろう。

「で?」
「えっ?」
「話って何だ」
「あ、あの……」
「うん」
 陸さんは、パイプ椅子を引いて座った。僕はさりげなく床に毛布を敷いてみたりして。
「なあ、その毛布、なんだよ」
 さりげなくはなかったみたい。
「えっと、その…あとで……」
「あと?」
「…………」
 話のきっかけになりそうだったのに、とても言えず、僕はうつむいて黙る。あんまり上手くないマイウェイが耳につく。
「えっと、合唱……」
「は?」
 陸さんは首をかしげた。
「陸さんとこ、何、歌うの」
 そんなことどうでもいいんだけれど。
「ああ、大きな古時計」
「あの? チクタクチクタク♪ってヤツ?」
「それ」
「へえ、かわいいの歌うんだね」
「俺が選んだんじゃない」
「まあ、そうだろうけど」
「これに決まったのは、理由があるんだ」
「理由?」
「うちの担任の名前が古田敬ってんだよ。だから本番だけ『古時計』って歌詞を全部『古田敬』にすんの」
「あはは……おもしろ〜い」
 って笑ってる場合じゃなくて。
「古田先生って、背高いの?」
「いや、かなりチビ」
「あははは」
 って、こんな話をしたいんじゃなくてっ。

 
 突然黙る僕の様子に、陸さんは
「なあ、本当におかしいぞ」
 僕のおでこに手を伸ばした。僕はそれにビクッと反応して、
(ええい!)
 いきなりセーターを脱いだ。カッターシャツのボタンに指をかけて、ひたすらはずす。こういうことは、勢いが大切だ。

 頬が、火がついたみたいに熱くなる。秀志さんに言われた真っ赤なトマト状態だ。
 シャツの下のランニングまで全部脱いで、上半身裸で陸さんに叫んだ。
「陸さんとエッチしたい。抱いて欲しい」

 ガタッ…
 仰け反った陸さんが、パイプ椅子ごと後ろに倒れた。



「バッ、バカかっ!!」
 起き上がった陸さんは、それこそトマトかポストかという赤い顔で叫んだ。
「陸さん」
「んな、なまっちろいガリガリの胸だすな。服着ろ、服」
「陸さん、僕……」
「抱けるか、アホ」
 
 屋上の端っこに後ろ向きに立っていて、額の真ん中をトンと突かれて、まっさかさまに落ちていく、そんな気持ち。

 ベシャッ

 地面に落ちた真っ赤なトマトがつぶれてる。今の僕のイメージ映像。

「…………」
 実際の僕は、男子部の部室にへたり込んだまま。
「ほら」
 陸さんは、僕の脱いだカッターシャツを放り投げてよこした。
「さっさと着ろよ」
 黙ったままうつむいてモソモソと着た。ボタンが上手くはまらない。
 はずすのは簡単だったのに。
 チラッと陸さんを見たら、赤い顔をしたまま顔をそむけている。僕は、ボタンをかけるのをあきらめて前をかき合わせると、その上からセーターをかぶった。
 ゆっくり立ち上がると、陸さんがこっちを向いた。
「こずえ?」
「ごめんなさい」
「おい」
「ちょっと、変だったんだ、僕。頭、冷やすね」
「待てよ」
「ヘヘ、ゴメン、また連絡するね」
 恥ずかしいのをごまかすために、無理やり笑った。
「陸さん、合唱コンクール戻って。古時計、がんばってね」
 そのまま部室を駆け出して、校庭突っ切って、外に出た。走っているうちに、だんだん悲しくなってきた。何だかすごくバカみたい。みたいじゃない。陸さんにも「バカ」って言われたけど、そのとおりだ。

『んな、なまっちろいガリガリの胸』
『抱けるか、アホ』

 うそつき。
 ずっと前、動物園行ったとき、僕のこと「食べたい」とか言ったじゃないか。
 僕は、それを信じていて、今の僕ならまだ陸さんもそういう気持ちになるんだって思ってた。男っぽく、たくましくなった僕じゃダメだろうけど、まだ女の子の格好できる今なら大丈夫だって心の中では信じてた。だから、こんな真似もできた。
 
 それなのに―――。

 恥ずかしいのと、悲しいのと、情けないのがいっぺんに来て、頭の中がグチャグチャだ。

 気がついたら、ひよちゃんちの方角に走ってた。でも、ひよちゃんは今まだ学校で、合唱コンクールの最中だ。家にはいない。第一、こんな真似したこと、ひよちゃんには相談できないよ。
 走ってたのをゆっくりにして、トボトボ駅に向かって歩いた。歩きながらセーターの下に手を入れて、さっきはできなかったボタンをかける。
(あ、ランニングシャツ忘れた)
 ますます悲しくなった。

 駅前に来て、ふっと秀志さんのことを思い出した。
『何かあったら、僕に相談しなさい』
(相談……してみようかな)
 
 けれども、通りから覗いたガラスの向こうに秀志さんの姿は無かった。今日はお休みなのかな、それとも休憩?
 がっかりして、駅の方に戻ろうときびすを返すと
「わっ」
 目の前に人が立っていた。
「秀志さん?」
「ふふふ……とっても色っぽいうなじが歩いてるって思ったら勝利君だった」
 微笑む顔を見て、僕はついポロリと涙をこぼしてしまった。
「秀志さぁあん」



 そしてこの間と同じ喫茶店。僕は鼻水と一緒にココアをすすっている。ランチタイムの終わったお店には、僕たちのほかにほとんどお客はいなくって、僕がベソベソ泣いているのを気にする人もいなかった。隣に座った秀志さんが、優しく背中をさすってくれるのを良いことに、僕は何度も何度もしゃくりあげながら、秀志さんに一部始終を話した。
「抱けないって、言われちゃった?」
「うっ…ずずっ」
「でも、そのシチュエーションで考えると、抱きたくないってんじゃないよね」
「ずずずっ」
「ビックリしただけじゃないの」
「ひくっ」
「ほら、一回、鼻かんで」
 秀志さんは色々と慰めてくれたけれど、僕はやっぱり「抱けない」っていうのは「抱きたくない」と同意語だと思った。

『んな、なまっちろいガリガリの胸』
『抱けるか、アホ』

 僕の胸がペッタンコのガリガリじゃなかったら、僕が本当は女の子だったら、返事は違っていたんだ、きっと。



「性転換しようかな」
 ココアを飲み干して、やけくそ気味に言ったら、
「バカなこと考えない。勝利君は、男の子だからいいんだから」
 秀志さんは僕の目じりを親指でぬぐった。涙はもうおさまっている。
「……秀志さんは、ホモなの?」
「突然、何?」
「どうして、男の人が好きなの? 昔から、男の人が好きなの?」
「そうだねえ、気がついたら男の方が好きだったね。どうしてって聞かれても困るけど」
 微笑む顔は、決して女っぽくはないけれど、きれいだと思った。最初会ったときはホストっぽいって思ったんだけれど、何だか色っぽいんだ、秀志さんは。
「秀志さん、カレシいるって」
「ああ、ひよ子ちゃんから聞いたんだね」
「そのカレシも、ホモなんだよね」
「あはは……」
 困った顔で笑う。
 秀志さんがうらやましい。
「好きになった相手が、やっぱり同性が好きな人だったなんて、すごい偶然だよね」
「え?」
「だって、普通は男女で好きになるんだもん。世の中の人、ほとんどそうだもん。だけど、秀志さんは男の人を好きになって、その相手も男の秀志さんを好きになってくれたんでしょう?」
 ヒックと、もう一度しゃくりあげ
「それって、すごい偶然で、幸せなことだと思う」
 ポツリと言ったら、ぎゅうって抱きしめられた。
「かわいい、勝利君」
 な、なに?
「今の恋人と僕は、もともとホモセクシャルしか行かないところで出会ってるからね」
「?」
「勝利君と彼のケースとは違うんだよ」
 ホモしか行かないところって何だろう。
「ああ、でもそうだよね、勝利君はたまたまあの彼に出会って一目ぼれして、そしてあの彼も勝利君のことを好きになってくれた。それって、よく考えたらすごいことだ」
「……陸さんは、別に僕のことを好きじゃないかもしれない」
 悲しい気持ちで言った。
「もともと、僕のこと女の子だと思って好きになってくれたんだもん。女の子のこずえが好きだったんだもん」
「男だってわかっても、好きだって言ってくれたんでしょう」
「そんなの……」
 
『抱けるか、アホ』

 もうわからないよ。


 また涙が出てきたら、秀志さんは
「わかった」
 いきなりうなずいた。
「かわいい勝利君のために、僕が一肌脱ぐよ」
「へ?」
 
「任せておいで」とニッコリ笑った秀志さんから、妖しい匂いがした。







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