「何を言うのよ」
 ひよちゃんが叫んだ。秀志さんは微笑んで
「本当はやっぱり女の子が好きですっていうんなら、男の身体は抱けないでしょ」
「そんな、身体を張った踏絵みたいなマネ」
「案ずるより生むが易し」
「生まれちゃ困るわよ」
「いや、妊娠はしないから」
「ショーリは、まだ中学生なんです」
「僕は十四のときだったけどねえ……って、あれ? 勝利君、大丈夫?」
 僕は頭に血が上って上って、この若さで、脳血管破裂で病院行きになりそう。
「かわいい〜っ。トマトみたいだ」
「秀志さんが、バカなこと言うからよ」
「バカなことじゃないよ。気持ちを確かめ合うのに、これ以上分かりやすい方法ないんだから」
「だから、ショーリはまだ中学生なんですっ」
「だから、僕の初体験は……」
「聞いてないっ」
 堂々巡りの二人の会話に、少しずつ耳鳴りと動悸が治まって、そして、あろうことか『その気になっている』自分に気がつく。

 やばい。

 そう、僕は結構、言われるとその気になってしまうタイプなんだ。

「とにかく、ショーリ! 軽はずみな行動はしないのよ」
「何かあったら、僕に相談しなさい」
「秀志さんっ」
 ひよちゃんは怒っていたけれど、僕は秀志さんの意見に心動かされた。
 そして、自分なりに理屈をつけて納得しようとしていた。

『本当はやっぱり女の子が好きですっていうんなら、男の身体は抱けないでしょ』

 うん。陸さんが、男の僕でも抱いてくれるなら、僕は男でもいいんだ。でも、やっぱり女の子じゃないと勃たないってんなら、僕は失恋。失恋は嫌だけど、僕は女の子じゃないから、いつかそれで別れることになるなら、早い方がいい。これ以上陸さんのこと好きにならないうちに。

 もう、十分好きになってるけど。
 でも、まだまだ好きになりそうだから。
 出会ったときより、今、もっと、ずっと好きになっているから。
 一ヶ月前より、今、もっと、ずっと好きになっているから。
 だから、別れるなら、これ以上好きにならないうちに。
 
 
 でも、本当のところは、男の僕でも好きになってくれるってこと、はっきりさせたいんだ。



 その日の夜。陸さんに電話する前に、みどりに電話した。ひよちゃんは絶対反対すると思うけど、みどりなら何て言うだろう。相談してみたかったんだ。

「それは、いいかもしれないわね」
 みどりは、僕の密かに期待した言葉を返してくれた。

「それで陸君の気持ちもはっきりするよ。大体、元カノなんて話が出てくるってのは、またこずえと陸君の間には隙間があるんだよ。それをピッタリ埋めるには、やっぱり、身体もピッタリつながってみるのがいいんじゃない」
「う、うん……」
 身体がつながるって台詞に、心拍数が上がる。
「で? いつなの?」
「えっ、い、いつって、まだ決めてないけど」
「バカね、せっかく決心したなら、さっさと進めなきゃ。延ばし延ばしにしていると、決心、ぐらつくよ」
「……はい」
「そうだ。水曜日は?」
「え?」
「その日、うち合唱コンクールなんだよ」
「合唱……?」
 そんなのあるんだ。
「全校生徒、先生もね、全員体育館に集まってるから、特別教室全部ガラ空き」
「だから?」
「だから、エッチする場所に困らないってことよ」
「えええっ」
 素っとん狂な叫びをあげると、みどりは呆れ声で言った。
「だって、ラブホテルに行くお金なんか持ってないでしょ。お互いの家には、お母さんがいるし」
「だ、だっ」
(だからって。だからって、学校で……)
 言葉を失う僕に、
「こずえが知らないだけで、初体験、学校で、ってカップル結構いるのよ」
「う、うそ」
「本当よ。視聴覚教室とか、美術室とか、社会科資料室とか。あと、音楽室のピアノの下とかね。あ、でも、その日はやめたほうがいいよ。合唱コンクールだから、音楽室には人の出入りがあるかも。そうそう、マニアックなところでは体育用具室とかあるけど、あそこは汚いからおすすめできないなあ」
(こ、高校生って、すごい……)
「そうだ。バレー部の部室、貸してあげるよ」
「ひっ?」
「その日、昼は練習ないから。部室のカギ貸してあげる」
「そ、そんな」
「時間はね、午後の部が始まる一時半過ぎでいいかな。学校、サボれる?」
 みどりがトントンと計画を立てていく。
 気がついたら、僕のXディは三日後に迫っていた。



「陸さん……」
 受話器の向こうの陸さんはやっぱり不機嫌そうだ。みどりとの電話を切ってからだったんで、陸さんに電話するのがいつもよりずいぶん遅くなってしまった。お父さんもお母さんもとっくに寝ている時間。コール一回で出たから、たぶんずっと待っていたんだと思う。
「ごめんね、電話遅くなって」
 陸さんは、ちょっとの間だけ黙って、ムッとした声で言った。
「そんなことより、昼間のアレ、なんだよ」
「うん……ちゃんと話したいけど、グチャグチャするから、それは会ったときに」
「今言えよ、落ちつかねえだろっ」
 僕の言葉を遮って、大声を出す。受話器を通しても、耳が痛い。
「わかった。一言で言ったらね」
 ちょっと間をおいて、
「僕の好きなのは陸さんだけ」
 別に誰に聞かれているわけじゃないけど、声をひそめた。
「陸さんが好き。あの人は何でもない。ひよちゃんの嘘だよ」
 陸さんは、受話器の向こうでまるで呻くような、言葉になってない声を出した。
「僕、陸さんが好き。陸さんだけ……」
 言っているうちに、胸がきゅうって痛くなる。
「陸さんだけ、好き」
「……わかったよ」
 陸さんの低く優しい声。
「ゴメン、俺も……悪かった」
「うん、陸さん、大好き」
「……俺も」
 陸さんの言葉をじっと待つ。
「俺も、こずえ、好き。愛してる」
 ずーんって、腰にきた。
 さっきのみどりとの会話を思い出して、僕のあそこが固くなってくる。
 僕、本当に陸さんとセックスするのかな。
「陸さん……」
「こずえ、俺以外の男に走ったら、許さねえからな」
「うん」
 僕をしばる、甘い言葉。
「お前は、俺のもんだから」
「うん」
 多分、いつもなら(かあああっ!!恥ずかしい)とかジタバタする台詞を、僕はうっとりと聞いた。目を閉じて、受話器を耳に当てたまま、ゆっくりパジャマの下に右手を入れた。
「陸さん、も一回言って」
「お前は、俺のもんだ」
「うん……」





* * *


 運命の水曜日。
 僕は、クラスメイトの森下に午後から早退することを告げて、制服の上だけ用意周到に持ってきたセーターに着替えると、西高に向かった。中学のガクランでうろうろしていると目立つと思ったから着替えたんだけど、上だけごまかしても、よく見れば下は黒い学生ズボンだ。とにかく見つからないように、西高女子バレー部の部室に行く。みどりとの待ち合わせ時間は一時二十分だ。

「あ、来た」
 みどりのほうが先についていて、僕の顔を見て片手をあげた。
「みどり、ひよちゃんには」
「言ってないよ、約束したじゃん」
 みどりは、部室のカギを僕に渡して、
「陸君には、この後で、ここに来るように伝えるから」
「な、何て言って呼び出すの」
「もちろん、こずえが大事な用があって来てるって言うよ。だから、すぐ飛んでくるだろうね」
 部室の窓を確認して、
「カギ、終わったら、あの植木鉢の下に隠しておいて。言ったけど、コンクール終わるの五時だからね。その後は練習はないけど、人が来るかもしれないからね」
 真剣な顔で諭すように言った。
「う、うん」
「毛布とバスタオル用意したから。毛布は汚さないように、バスタオルを上に敷くのよ」
「う、うん」
「終わったら、窓開けて必ず換気して、毛布はたたんであの椅子の上において、バスタオルは持って帰るか、陸君に言って男子の部室に突っ込んどく」
「わ、わかりました」
 みどり、なんだか、とっても、慣れてる気がする。

「じゃ! 健闘を祈る」
 グッドラック! と、みどりは敬礼をして、制服のスカートのすそをひるがえして走っていった。

 僕は、心臓ががなりたてるのを何とかなだめようと必死。
(どうやって、最初に、言おう……)

 好きです、抱いてください。
 陸さんとエッチしたい。
 僕のこと、抱きたいとか、思ったことある?
 セックスって、がまんするの身体に悪いって。

 あああ、どれもサイテー。

 でも、言わなくちゃ。
 やんなくちゃ。


 どうしようって、頭を抱えた時に、部室の扉が開いた。

 はっと顔を上げると、驚いた顔の陸さんが息を弾ませている。
「……こずえ」
「陸さん……」








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