「どういうことだよ」 陸さんが尋ねるのを無視して、 「さ、ショーリ、行こ、行こ」 ひよちゃんは、僕の背中を両手で押して、家の中へ入っていく。 「だから、待てってば」 陸さんは追いかけてきて、ひよちゃんが閉じかけた玄関の隙間に足を差し込んだ。 「あっ、悪質な新聞拡販員みたいなことしないでよ」 「話が途中だろ」 ググッと、陸さんがドアと壁とをつかんだ両手に力を入れたら、さすがに女のひよちゃんじゃかなわなくて 「ちょっと、壊さないでよ」 「お前が、無理に閉めなきゃな」 大きく開かれたドアから、陸さんが入ってきた。 「こずえ」 と、僕に呼びかけて 「あっ、えっと、嫌なら、勝利って呼ぶけど」 気まずそうに付け加える。 「別に、どっちでもいいけど……」 「じゃあ、とりあえず、こずえ、その、新しい恋って何だよ」 僕に聞かないで。 僕は、ひよちゃんを見た。ひよちゃんは、一見無表情だけれど、目で僕に「黙ってろ」と言った。そして、 「ショーリ、はっきり言ってやるのよ。二股かけるような男なんか嫌になったんだって」 陸さんをわざとらしく睨みつける。 「俺がいつ二股かけたよ」 陸さんも、ひよちゃんを睨み返した。 「安恵とまだ付き合ってるんじゃないの」 ひよちゃんが言うと、 「まさか」 陸さんは、目をむいた。 「あいつとは、とっくに別れてるって」 その言葉を聞いて、ひよちゃんは僕をチラリと見た。 僕は、さっきひよちゃんに言ったことがウソじゃないってことを主張しないといけなくなった。 「で、でも、その、やっちゃん、陸さんちに行ってたじゃない」 「えっ?」 陸さんの顔がギョッとした。 僕は、それで、ちょっと勢いがついた。 「とっくに別れてるなら、家に呼んだりなんか、しないよね」 「それは……っていうか、何で、こずえ、知ってんだよ」 (ギクッ) 「それは……」 庭に隠れて見てました。―――言えないって。 「本当に、安恵を家に呼んでたの?」 ひよちゃんが、僕を助けるように話に割り込んだ。 「何で? どうしてよ」 「…………」 ひよちゃんに詰め寄られて、陸さんは黙る。そんなに広くない玄関での三すくみ。 しばらくそんな感じだったんだけれど、 「ま、立ち話も何だから」 何を思ったのか、ひよちゃんは、陸さんを家に上げた。 二人のガリバーに挟まれて、ちょっと窮屈だった僕はホッとして靴を脱いだ。 「私の部屋、あっちだから」 陸さんに指で示しながら、ひよちゃんは、僕の肩をつかんで耳打ちした。 「とにかく、黙ってるのよ」 僕は不審に眉毛を寄せたけど、ひよちゃんはどこか楽しそうだ。 (ま、いっか) 元カノやっちゃんのこともあるし、ここはひとつ、ひよちゃんに任せてみよう。 男らしくなると言った先からの他力本願だけれど、男らしさで言ったらひよちゃんには誰もかなわないんだから。 「で?」 その男らしいひよちゃんは、スリムジーンズの長い足であぐらをかくと、厳しい顔で陸さんに訊ねた。 「どうなの? 安恵とは」 「だから、なんでもないって」 (やってませんよ、刑事さん) と、思わず続きを呟いてしまいそうになる。 陸さんは、まるで初出演の刑事ドラマで罪状否認する犯人役の新人俳優みたいな口ぶりで、聞いている方も、なんとも言えない心地の悪さだ。 「だったら、安恵があんたんちにいたことの、理由(わけ)を聞かせてもらおうじゃないの」 一方、こっちは年季の入った大女優の貫禄。 (陸さん、しっかり……) って、何、応援してんだよ、僕。 陸さんの言葉を待って、僕は膝に置いた手を握り締める。 沈黙が居たたまれなくなってきたとき、陸さんが大きなため息をついた。 「わかったよ」 ひよちゃんの右の眉が跳ね上がった。 陸さんは組んでいた脚をもう一度組みなおすと、背筋を伸ばして言った。 「俺と、安恵は、もう、他人じゃねえんだよ」 「えええええっ!!」 (た、他人じゃないって、やっぱり……) やっぱり、あの赤ちゃんは二人の―――?? 叫んだきり、口をポカンと開けて固まった僕に、 「ち、違う、そういう意味じゃない」 陸さんは慌てて寄って来た。 「そういう意味じゃなくて、その、俺と安恵は」 咳払いして言った。 「親戚なんだ」 親戚―――? 首を傾げる僕に、陸さんは、首の後ろを掻き掻き教えてくれた。 「安恵の隣に住んでる従兄ってのが、アイツの兄貴みたいなもんなんだけど、うちの姉貴と結婚してさ」 「うそぉっ」 ひよちゃんがのけぞる。 「そんなこと、初めて聞いた」 「言ってねえもんよ」 陸さんは、眉間にしわを刻んで吐き捨てる。 その機嫌の悪そうな陸さんに、おずおず訊ねた。 「陸さんって、お姉さんいたの?」 そういえば前に「三人きょうだい」だって聞いていた。一人はお兄さんじゃなくてお姉さんだったんだ。 「写真、見ただろ?」 「……見たっけ?」 あの日は、やっちゃんのことで、頭いっぱいで。 ああ、でも、家族で写った写真は何枚かあったかも。それも、やっちゃんと陸さんしか目に入ってなかったけど。 「もともと俺らが付き合い始めたのがきっかけで、姉貴たちも知り合ってさ」 「お兄さんは、高峰さんは、そんな風に言わなかったよ」 「そりゃ兄貴にしたら『姉貴のダンナのいとこの女の子』って説明するよりも、俺のカノジョの方が簡単だろう。最初に家に来たときは、まさにそれだけだったし」 「でも、何で隠しているのよ。あんたと安恵が親戚になったって。学校でも誰も知らないでしょう、その話」 気を取り直してひよちゃんも、あぐらを解いて前のめり。 「いえるかよ。俺たちは別れたってのに、姉貴たちは出来ちゃった結婚なんて、恥ずかしいじゃねーか」 「あっ」 あの女の人と、赤ちゃんって。 「そうだったんだ」 僕は、ひとつ謎が解けて、そして何より陸さんとやっちゃんとのことがはっきりわかって、嬉しくなった。 他人じゃない、なんて思わせぶりなこと言わないでよ、陸さん。 でもひよちゃんは、僕ほど単純じゃなくて、 「でも、なんで今日は安恵が来てたのよ。偶然来るなんて怪しいわ。それともよく来てるの?」 「そりゃ、お前らが言ったからだろ」 陸さんは、ぶすっと言い返した。 僕は、わけがわからず首をかしげる。 「相川と早野が、俺がアイツの写真持ってたことで、色々言っただろ。持ってたのは俺じゃねえけど、一応考えて、全部捨てることにしたんだよ」 (ひよちゃんとみどりが?) 何を言ったんだろう。でも、そういえばみどりは、やっちゃんの写真の件では、僕以上に憤慨していたような気がする。 でも、それで、陸さん、写真捨てようとしてくれたんだ。 じーん。 ちょっと感動。 「それで? わざわざ安恵を呼んで、けじめつけたの?」 「バカ。そうじゃなくって、俺が兄貴に、写真捨てるって言ったら、兄貴のやつが、姉貴経由で伝言したんだよ」 「伝言? 安恵に」 「姉貴、隣に住んでるから。このままだと全部捨てられるから、いるなら取りに来いって」 あの写真オタクが……と、陸さんは吐き捨てて、ガシガシと頭を掻いた。 「それで、安恵は取りに来たの?」 「姉貴と赤んぼも一緒にな」 「ふ〜ん」 ひよちゃんは気の抜けた声を出した。 「しかし、わかんないなあ。安恵って確か今、萩原と付き合ってるんだよね」 「あ? ああ」 「今の彼がいるのに、昔のカレシとの写真なんか欲しいもんかなぁ」 「知らねえよ」 「そりゃ、知らんわよね」 知らない、わからない、を連発する二人に、僕はつい口をはさんでしまった。 「僕は、ちょっとわかる気がする」 「へ?」 二人が振り向く。 「だって、たとえ別れても、好きな人と撮った写真だったら、思い出に持っておきたいって思うんじゃない。二人でいた時が楽しかったんなら、余計に……」 僕の知らない陸さんとやっちゃんの過去には、ちょっぴり胸がチクンってするけど、でも、思い出までは消せないから、しょうがないよね。 「やっちゃんが写真撮りに来たって言うのは、もう陸さんとのこと、いい思い出になっているんだと思う」 僕の言葉に、ひよちゃんはあごが外れた人のように大口を開けた。これは呆れている顔だ。 陸さんを見ると、こっちは気まずそうに赤い顔をしていた。 (変なこと言ったかな?) ひよちゃんは頭を振ると、大げさに溜め息をついた。 「あんたって、ホント、乙女ね。カラオケは赤いスウィートピーね」 「何、それ?」 いや、聞いたことはあるけどね。 陸さんがちょっと考えて、 「あれは、男が情けない歌じゃなかったか」 顔をしかめると、 「あんたにゃ、ちょうどいいわよ」 ひよちゃんはバッサリ言う。 「あのな」 何か言いかける陸さんをきれいに無視して、 「しかしまあ、ショーリ、よく言ったわ」 ひよちゃんは、作ったようにニッコリ微笑んだ。 「は?」 「ショーリも、陸と撮った写真、大切に持っていなさいよ。青春のメモリーとしてね」 「何言ってんだよ、相川」 「ひよちゃん?」 僕も陸さんもひよちゃんの言うことが全然わからない。 「だから、もう遅いのよ、陸」 ひよちゃんは陸さんに向き直った。僕に見せる横顔が、しつこく言っている。 『とにかく、黙ってるのよ』と。 「本題からそれてしまってるけど、ショーリが髪を切ったのは、もう陸との恋を捨てて次の恋に生きるためなのよ」 ひよちゃんの言葉に、陸さんはハッとして僕を見た。そうそう、その話だった。 僕としては、やっちゃんとのことが解決したから、すっかりホッとしていたんだけれど、僕が髪を切ったわけっていうのは――― 「ショーリはね、もう陸のために女の子のかっこうするのは、嫌なんだって」 ひよちゃんの突き刺す言葉に、陸さんは、一瞬、傷ついたような顔をした。 (それは、ちょっと違うんだケド) 僕は、陸さんのために女の子になるのは嫌いじゃなかった。 可愛いって言ってもらえるのも嬉しかった。 でも、いつまでもそんなことできないってわかったら、こわくなったんだ。 僕が、男らしくなって女の子に見えなくなっても、陸さんは僕のこと、好きでいてくれるのかなって。 「ショーリの今の彼は、ショーリの男の子らしいところが好きだって言ってるのよ」 (今の彼っ?!) 思わず声をあげかけた僕を、ひよちゃんは素早く牽制して睨んだ。 「今の彼?」 同じ言葉を言ったのは、陸さん。 「何だよ、それ、誰だよ」 「言う必要はないわ」 「ふざけんな。こずえは俺と付き合ってんだ。なんで別にカレシができんだよ」 陸さんは顔に血を上らせている。本気で怒っている。 まずいよ、ひよちゃん。 陸さんにギッと睨まれて、僕は思わず小さくなった。 それが陸さんに何か勘違いさせたみたい。 「うそだろ、こずえ」 「えっと……」 僕は、ひよちゃんを見た。 (ひよちゃん、どう答えればいいの? っていうか、これどうしてくれるの〜っ) もともと僕からひよちゃんに甘えて相談した手前、今さらひよちゃんを裏切って「うそです、陸さんだけです」なんて言えないし。 相当困った顔になっているに違いない僕を見て、陸さんは、唇をかんだ。 「それで、逃げてたのか」 (え?) 「俺、安恵の写真のこと怒ってんだって思ってたんだけど、そうじゃなくて、他に好きなヤツができたのかよ」 「ち……」 違う。逃げていたのは、声変わり。 「どこの誰だよ」 「だから、言う必要ないって」 ひよちゃんが、僕の代わりに、すまして答える。 「何でだよっ。俺には聞く権利あるだろ」 「そんなこと。言ったら、あんたその人のこと襲いかねないじゃん」 「あったりまえだ」 (うっ…) なんか、何て言うか……。 僕は陸さんに悪くって、目を伏せた。とても陸さんの顔を見られないよ。ごめんなさい。陸さん。 陸さんは、僕の肩に手をかけた。 「こずえっ」 僕は、たまらなくなってひよちゃんに言った。 「ひよちゃん、ダメ。やっぱり、ホントのこと言う」 陸さんの手がビクッと震えた。 これ以上、陸さんをだませない。僕が好きなのは陸さんだけ。 そして、髪を切った理由も、もう女の子の格好できないわけも、全部、話してしまいたい。 「陸さんっ、僕」 思わず泣きそうな声で言ったら 「ショーリの新しい恋人は、駅前美容室『JOY』のチーフよ。ショーリをこの髪型にしてくれた人」 ひよちゃんが、僕の身体を背中から抱き締めるようにして、陸さんから引き離した。 「ヒクッ」 僕の出かかっていた涙が、すっと引っ込んだ。 「美容…」 陸さんが、呆然と僕を見た。 「この髪型に?」 じっと僕の頭を見る。 長い髪が好きだって言っていた陸さんには、申し訳ない頭。 「これで、男らしいって?」 ハッと陸さんが笑った。 「男らしいところが好きだ、って、そいつ……バカじゃねえの。髪が長かろうが、短かろうが、こずえはこんなにかわいいじゃんか、女の子みたいに」 (陸さん……) 「女の子、みたい? 髪、切っても……?」 僕は、小さくなる声で尋ねた。 陸さんはうなずいた。 それじゃダメなんだよ。 |
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