「さあ、善は急げよ」
 ひよちゃんに手を引っ張られて、僕は駅の反対側にやって来た。細長いビルの前で立ち止まる。一階が美容院だ。実はそれほどのスペースじゃないんだろうけど、フロア中が丸見えのガラス張りだからかなり広く見える。白いシャツに黒の短いエプロンを着けた、美容師さんというよりカフェの店員のような人たちが動き回っていた。
「こんにちは」
 ひよちゃんは、これまたガラスの透明なドアを開けて中の人に呼びかけた。
「いらっしゃいませ」
 すぐに明るい返事が返ってきて、こっちに歩いて来た男の人が、ひよちゃんを見て微笑んだ。
「あれ、ひよ子ちゃん」
「こんにちは、秀志さん、ゴシメイしていい?」
(ご指名?)
「ありがとうございます。でも、ちょっと待っててね」
 ひよちゃんが秀志さんと呼んだその人は、カウンターの奥から、見たことあるロゴがボタンの高そうなコートを取ってくると、お会計を済ませた女の人に
「ありがとうございました」
 背中から、すごく自然に袖を通させて、フワリと羽織らせた。
(うわぁ……)
 何だか、見てドキドキした。ホストっぽいっての?
(もちろん、テレビでしか知らないけどね。ホスト)
 茶色く染めた長い髪が真ん中分けで左右に流れているのも、テレビで見たホストに似ている。何より、口を閉じて黙ってても微笑んで見える顔がアヤシイ雰囲気。
 さっきひよちゃんが『ご指名』とかいうから、変な想像しちゃうよ。
 お水の匂いを漂わせた秀志さんは、その女の人がカツカツとヒールを鳴らして去っていくのをガラスのドアからしばらく見送ってから、
「おまたせ」
 ニッコリ笑って、ひよちゃんに振り向いた。
 あ、この歯を見せる笑いも、ナニっぽい。
「今日は、どうするの?」
「今日は、私じゃなくて、この子なの」
 ひよちゃんは、グイッと僕の背中を押しやった。
「髪、男らしく角刈りにしてやって」
「ええっ!」
 五分刈り(いや、五厘と言ってたか?)の次は角刈りときた。
 とんでもないことを言うひよちゃんに、思わず叫んで抗議の目を向けると、秀志さんは、おかしそうに笑った。
「角刈りは、僕もチャレンジしたこと無いなあ」
「嫌だよ、そんな髪型」
「だって、男らしくなりたいんでしょ」
 ひよちゃんの目が笑っているから、本気じゃないのはわかってるけど。僕は唇を尖らせた。
「角刈りなんてされたら、学校行けない」
「じゃあ、まあ、鏡の前で考えようか」
 秀志さんに肩を軽く押されて、
「上着脱いで。荷物もあったら、お預かりしますよ」
 言われるまま、僕は大きな鏡の前に座った。「名前を書いて」とか言われたカードは、ひよちゃんが代わりに書いてくれている。

 秀志さんは、僕の髪を、つまんでは離し、パラパラとほぐすようにして、
「細いね。くせも無くて、切りやすそうだ」
 鏡の中で目を合わせて微笑んだ。僕は、こういうの慣れてないから、落ち着かない。
「で、本当のところは、どういう風にしたい?」
「え、ええと……」
 考えてきたわけじゃないから、答えに詰まる。しかし、ひよちゃんが口をはさもうとしたのが鏡に映ったので、
「角刈りでも五分刈りでもなくって、男らしい頭にしてください!」
 慌てて言った。秀志さんは、プッと吹き出して
「パンチとか?」
 僕の髪を、両手でクシャッとかきまぜた。
「ち、ちがいます」
「うそうそ、冗談」
 今度はクシで梳いて
「でも、男の子っぽくしたいんだよね」
 僕の頭の形を指の先で確かめるように何度か押さえて、鏡の中の僕に向かって言った。
「前髪は長めに残して、後ろを思いっきり短くしてみようか」
「はあ」

 どんな頭だよ。





「学校って、高校?」
「中学です。でも、今度高校」
「三年生なんだ。ひよ子ちゃんとは」
「いとこです」
「仲良いんだね」
「まあ……」
 なんてことを話しているうちに、僕の髪の毛は、あれよあれよと切り落とされていった。
 ひよちゃんは、入り口の黄色いソファで女性週刊誌を読みふけっている。時たま、僕の方を見るけれど、僕と目が合うとニッと笑って、また週刊誌に目を落とす。
「ひよ子ちゃんの髪も、僕が切ってるんだよ」
「えっ?」
 ひよちゃんは、ボーイッシュというかあんまり無造作な頭だから、正直、美容院で切ってるなんて思わなかった。でも、そしたら、僕が今日ここに連れてこられるわけがない。
「あ、そうなんですか。そうですよね。うん」
 コクコクうなずくと
「ふふ、美容院でカットしてるって聞いて、驚いたんだ」
 秀志さんは笑って、僕の頭の上でハサミを小刻みに動かしながら言う。
「ああいう自然なのが、実は難しいんだよ」
「はあ」
「ていうのも、嘘で、実は簡単」
「やっぱり」
「髪型変えてみないかって言っても、いつものでいいって言うんだよね、毎回」
「ひよちゃんらしいです」
「ひよちゃんって呼んでるんだ。……かわいいね」
「似合わないですよね。でも、昔からそう呼んでたから」
「いや、かわいいよ」
 秀志さんが重ねて言ったので、
(この人、ひよちゃんのこと好きなのかな)
 とか考えて、チラッと目を上げたら、鏡の中で目が合った。
 僕の顔を見て、にっこり笑う。
(な、なんだ?)
 なんだか、とってもフレンドリーな人だ。


 カットしてからシャンプーして、最後にドライヤーで乾かされた。洗車場の車か、洗濯物になった気分。
「うしろ、整えるのに、もう一回刈り上げるね」
 バリカンが出てきた。チュンチュンと触れるか触れないかで首筋にあてられる。

「うなじが、色っぽいね」
「はいっ?」
「今まで髪に隠れて焼けていないから、真っ白だ」
 指先で撫ぜられて、ゾクッとした。
「あ、あの」
「ん?」
 見れば、秀志さんは、今度はタオルで僕の首を拭う。
 なぁんだ。
「いえ、すみません」
 バカバカ。別に、撫ぜられたんじゃないんだよ。細かい毛を取っていただけなんだ。
 変な勘違いしそうになった自分が恥ずかしい。そう思って、うつむいたら、
「ふふふ……感じやすいんだね」
「は?」
 ――――やっぱり、ちょっと変わっている人かも。





「首の後ろ、スースーする」
 僕は、なんども首に手を当てた。今まであった髪が無いってのは、不思議な感じだ。
「似合うよ、ショーリ」
 気前よく僕のカット代を払ってくれたひよちゃんは、僕の頭が気に入ったらしく、ご満悦だ。
「風邪引くかも」
「心配なら、首にマフラー巻いて寝るんだね」





* * *

 そして、ひよちゃんちの家の前まで来たところ、
「あら」
「あ……」
 陸さんが、塀に背中を預けるようにして立っていた。
 
 きゅ〜ん

 今のは、僕の胸の音。乙女モードでゴメン。でも、陸さんの姿を見ると、条件反射でそうなった。あの後、僕のこと追いかけてきてくれたのかな。いつから待ってるんだろう。僕たちが美容院に行っている間ずっとなら、ずいぶん待たせてる。
 色々考えていたら、
「何の用?」
 ひよちゃんが僕より先に出た。
「お前に用じゃねえよ」
 ああっ。
 ぶっきらぼうな言い方は、陸さんにその気は無くても、ひよちゃんに喧嘩を売っている。そしてひよちゃんは、そういう場合、喜んで、言い値の三倍で買ってしまう。
「誰に用じゃなくて、何の用って聞いたのよ。用が無いなら、そんなところに立ってないでよ。うちは南向きの玄関と日の当たる庭がウリなんだから、そういうデカイ図体で日陰作られると困るのよ」
「あのな」
「日照権の侵害よ」
「俺とほとんど同じ位置に頭のあるお前に、デカイとか言われたくないんだよ」
「何言ってんのよ。あんたの方が、私より顔大きいし、横だってあるでしょ。日陰の面積は圧倒的に広いじゃないの」
「もう、いいよ」
 うんざりしたように陸さんは「それより」と、僕の方に進み出て、
「さっきは…」
 言いかけて、目を見開いた。
「お前、その頭」
 僕の頭に、驚愕している。
 遠目に前から見ただけじゃすぐにはわからなかったのが、近づいて、刈り上げに気づいたらしい。言ったきり続く言葉の無い様子で、相当びっくりしているんだとわかる。ここまで驚かれるとちょっと気まずい。
「……変?」
「あ、いや、まあ……」
 陸さんは、挙動不審に目をそらす。
(変だと思ってるんだ) 
「その……お前、せっかく伸ばしてたのに……」
 口許に手を当てて、モゴモゴと言う。
(うん。陸さんが、女の子は長い髪が好きだって言ったからね)

 ひよちゃんの言葉を思い出した。
『ショーリが男らしくなって、全然女の子に見えなくなっても、それでもショーリのことを好きだって陸が言ったら、その愛は本物だわ』


「女の子に見えなくなったから、嫌?」
「えっ?」
 陸さんは、困ったような顔で僕を見た。
 言ってることがわからないって顔。
「僕、もう、女の子の格好はしないことにしたんだ」
 僕としては必死の告白だったけれど、陸さんはきょとんとしている。
「どうして?」
 陸さんが呟いた。
「髪も、あれ、すごい似合ってたのに、何で切ったんだよ」
(だから……)
 黙ったままの僕の代わりに、ひよちゃんが返事した。

「どうして髪を切ったかなんて、決まってるじゃない」

 僕も陸さんも、ひよちゃんを見る。
「古今東西、髪をバッサリ切る理由はただひとつ」
 ひよちゃんは腰に手を当てて、きっぱりと言い切った。
「古い恋を捨てて、新しい恋に生きるためよ」
 陸さんの顔が強張ったけれど、僕だって引きつった。

 ああ、ひよちゃん、今度は何をたくらんでる?









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