「あー、あーあー」
「何してるの? 勝利」
「発声練習」
「そう、やっぱり、戻っちゃったわね」
 お母さんが、ほんの少し残念そうに言う。
「戻る前に『おふくろさん』歌ってもらおうと思ってたのに」
 何、それ?


 初めて声が変わってから約一週間、言われていたとおり、僕の声はいったん元に戻った。陸さんの前から逃げ出してしまったこと、すぐに後悔したんだけど、昨日は気まずくて電話できなかった。  
 今日は日曜日で陸さんの部活も休みの日だから、声も元に戻ったことだし、とにかく謝りに行こう。
 
 金曜日は、あの後、森下から電話がかかってきた。森下は何故だか陸さんのことを、僕を付け回すストーカーみたいに思っているらしい。前に、森下の目の前で抱きしめられたこともあったんだけど。待ち伏せって言うのが、いけなかったのかな。
「お前、かわいいから追っかけられるんだよ。何かあったら、俺に言えよ」
「う、うん」
 とりあえず、うなずいておく。そうしたら、森下は気になることを言った。
「あいつ、お前に逃げられたあと、しばらくボーゼンとして、それからふらふら帰ってったぜ」
「え?」
(陸さんが?)
 あの陸さんが呆然とするなんて、珍しいというか、考えられない。僕は、何か大変なことをしてしまったんじゃないかと気になった。だから後悔したってことなんだけど、それでも電話できなかったのは、声のこともあって、直接会って話そうと考えたんだ。

 声のこと、それから――もう女装はしないってこと。
 僕は、みっともないオカマにはなりたくない。

 


 陸さんの家は、行ったばっかりだからわかる。午前中ならまだ家にいるだろうと、電話しないで直接来た。この間と同じように、大きな門の前に立って見上げる。何度見ても立派だけれど、どうせこの門は開かない。

「勝手に開けていいのかな」
 その正門の隣にひっそりと佇む、白壁にはめ込まれた小さな扉を押してみる。鍵など一度も掛けられたことの無いようなそれは、正門と違って簡単に開いた。
「おじゃましまぁす」
 小声で言ってはみたものの、なんだか忍び込んでいるみたい。やっぱりインターフォンとか鳴らすべきだったかな。
 玉砂利に気をつけながら足を踏み入れて、玄関までの道を進もうとしたら、にぎやかな笑い声と一緒に玄関のドアが開いた。

 とっさに植木の陰に隠れてしまったのは、勝手に入っているみたいな後ろめたさもあったけれど、出てきたのが知らない女の人だったから。陸さんかお兄さんだったら、隠れたりしなかったと思う。

 出てきたのは、知らない女の人と――
(やっちゃん?!)
 槙村安恵。
(う、うそ……)

 一応、目を疑ってみたけれど、ストレートの長い髪も優しそうな笑顔も、あの『やっちゃん』だ。

 何で、何で、あのやっちゃんが、陸さんの元カノが、こんな朝早くから陸さんの家から出て来るんだよ。
 しかも、槙村安恵の腕には、赤ちゃんが抱っこされている。
(だ、だだ、だれの子だよぉっ!!)
 内心の叫びもかんでしまうくらい、動揺してしまった。
 遠目にもわかるくっきりした眉とつりあがった大きな目が、陸さんに似ている気がするのは気のせいだろうか。
 笑い合いながら僕の前を通り過ぎる女の人と、赤ちゃん連れた槙村安恵。その後ろから陸さんがブラブラついて歩いている。僕は見つからないように、庭の植え込みの影に小さくなった。


 何で?
 もう関係ないって言ったのに。
 お兄さんだって「最近来ない」って言ってたのに、来てるじゃないか。
 何でだよ。


 陸さんたちがいなくなっても、僕はひざを抱えたまま動けなかった。





 しばらくじっと考えて、でもそのままずっとそうしているわけにも行かなくて、隣の家の犬が何かに向かって吼えたのをきっかけに、立ち上がった。
 誰にも気がつかれないようにそっと出て行くのは、入ってきたとき以上に後ろめたくて、惨めな感じがした。何も悪いことしていたわけじゃないのに。


 陸さんの家から数十メートル歩いて大道りに出ようと角を曲がったとき、
「おっ」
「あ」
 突然、前から来た人にぶつかりそうになって、それが陸さんだとわかって、僕は身体を硬くした。
 言葉が出なくてじっと見ると、陸さんも僕をじっと見る。一瞬の沈黙の後、
「なんだよ、うちに来たのか」
 口を開いたのは陸さん。
「……べつに」
 ここまで来て「べつに」も何もないんだけれど、正直に言いたくなんかない。図らずも忍び込んで陸さんちで、やっちゃんを目撃したなんて。
「ふうん」
 陸さんは、気の抜けた相槌をうって
「でも、せっかくここまで来たんだから、うち寄ってけよ」
 僕の腕を軽くつかんだ。僕は、その腕を振り解いてしまう。陸さんの頬がピクリと痙攣した
「何だよ、お前、まだ怒ってるわけ?」
(はい?)
 陸さんは、気まずそうな顔で唇を尖らせている。
「俺の元カノのこと気にしてんなら、いいかげんにしろよ」
 陸さんの言葉に、頭に血が上った。何でここですぐに、やっちゃんの話が出るんだよ。それで何で僕が、そんな言われ方するんだ。
 憮然としたような表情の陸さんを睨んで、
「いいかげんにしろって、何」
 僕はせっかく戻った声で、できるだけ凶悪そうに凄んでみせた。声的にはあまり効果はなかったけれど、陸さんは怯んだ。後ろめたいからだ。たぶん。
「陸さんは、いいよね。いいかげんで」
「な、何だよ、それ」
「僕も、陸さんみたくいいかげんにできるんなら、そうしたいよ」
「俺のどこがいいかげんなんだよ」
「いいかげんだよ」
 僕のこと好きだって言ったくせして、まだ元カノと会ってるし。ううん、会ってるっていっても、外じゃなくて、家まで呼んでるんだよ。
 僕は、お兄さんに見せてもらった写真を思い出した。陸さんの家で撮った写真。陸さんとのツーショはもちろん、お兄さんやお母さんと写っているのもあった。家族ぐるみのお付き合いってやつだ。僕なんて、まだお兄さんにしか会わせてもらってない。


 会わせられないんだ。僕が男だから。


「やっちゃんのほうがいいなら、無理して僕と付き合うことない」
 悲しくなって、混乱して、思ってもない言葉が出た。そして、
「僕なんて、どうせ今だけしか、陸さんのタイプじゃないもん」
 これは、思ってること。
「何言ってるんだよ」
「陸さん、自分で言ったよね、僕なんてそのうち、すね毛が生えてきて女の子の格好なんてできなくなるって」
「こずえ?」
「こずえじゃない」
 僕は、自分でもどうしようもない、ひどくイライラした気持ちで叫んだ。
「僕は、相川勝利。女の子じゃないっ」

 
 

 
 なんで、あんなに興奮しちゃったんだろう。

 女の子じゃないなんて、今さら当たり前のこと叫んで、陸さんの前から駆け出して三十分もしないうちに、地球の裏まで沈んでいきたいほどの自己嫌悪。

 つらつら分析するに、陸さんの家から出てくるやっちゃんの姿を見たことが、かなりショックだったんだ。その腕の中に赤ちゃんがいたことも。落ち着いて考えれば、陸さんの子どもじゃないのは明らかなんだけど、それでも、僕と陸さんの間には絶対生まれない赤ちゃん抱いて、元カノが現れたら、動揺するよね。誰でもするよね。
(はあああ……)
 でも、どう考えても、さっきの僕は変だったよ。
(どうしよう……)

 無意識に、僕の足はひよちゃんの家に向かっていた。情けない僕。困ったり、途方にくれたりしたときは、いつのまにかひよちゃんを頼るようになってる。
「いるかな、ひよちゃん。出かけちゃったかな」
 もうお昼だし――と思ったけれど、いらない心配で、ひよちゃんはちゃんと家にいた。まるで、僕を待っていてくれたみたいに。
「どうしたの? ショーリ、突然」
 少し驚いた顔で迎えて、そして、微笑んでくれる。
「何があったの? 言ってごらん」
「ひよちゃん……」





 僕の話を全部聞き終わるまで、ひよちゃんは口をはさまなかった。そして、腕組みして考えてたひよちゃんが、ついに口を開いて言った言葉が、
「別れちゃえば」
だった。
「ええっ」
 別れ話の相談のつもりじゃなかったので、僕は情けない声を出した。 僕としては、ひよちゃんに
「大丈夫よ。気にすることナイナイ」
 なぁんて言ってほしかったんだけど。そんな僕の甘い考えを見透かして、ひよちゃんは
「だって、今ここで何もなかった振りしてつきあっても、ショーリが男の子であるかぎり、その問題はつきまとってくるのよ」
 耳の穴を小指でかきほじりながら言う。
「陸が本当に、ふわふわの、ぴらぴらの、やわやわの、女の子が好きだって言うんなら、いずれショーリとの間には破局が訪れるのよ」
「ううう……」
 僕が胸をえぐられてるのも気にしないで、ひよちゃんは続ける。
「実を言うと、最近あいつがいい気になってるの、ちょっと気に入らなかったのよ」
「は?」 
 何言ってるの?
「こずえこずえって、ショーリのこと女の子扱いだし」
「でも、それはひよちゃんが……」
 僕のこと女装させたからでしょう。しかも喜んで。なんて言っても、ひよちゃんだからきっと通じない。
「わざわざ元カノの写真見せるなんてのも、趣味悪いし」
「…………」
「ましてや、その元カノを家に連れ込んでるなんて、それだけでも怒って別れていいよ」
「う、うん……」
 それはそんな気もする。
「ビシッとふってやりなさい」
「でも……」
「何よ。別れられないの?」
 ひよちゃんに詰め寄られて、僕は言葉に詰まる。だって、陸さんと別れたいと思っているわけじゃないから。
「もう、ショーリったら……すっかり女の子みたいになっちゃったわね」
「ええっ」
「男ならハッキリしなさいよ。ハッキリ、シャッキリ、スッキリ」
(スッキリ別れろ、って?)
 つい恨みがましい目で見ると、ひよちゃんはため息ついた。
「そういう顔しないの。もう、乙女モード全開ね」
「何だよ、乙女モードって。僕は、ちゃんと男だ」
「ショーリ、気が付いてないみたいだから教えてあげるけど、大好きな彼に元カノが接近、どうしていいかわからなくてオロオロ、どうしよう〜っ(涙)って、少女漫画の定番よ」
「少女漫画……」
「ショーリは、今、身も心も乙女になっちゃってるのよ」

 がーん。

「あっ、身は違うか」なんてペロリと舌を出すひよちゃんを無視して、僕はガックリ、両手を畳についた。ショックで。
「僕は……男だよ」
「そうよ、ショーリは男の子よ。でも、今のままじゃ、女の腐ったのよ」
(腐った……)
 畳についた両手の指に力が入る。ぎゅっと拳を握る。
「あっ、腐女子って意味とは違うけどね」またも舌を出すひよちゃんを無視して、僕はすっくと立ち上がった。
「僕、男に戻る」
 もともと、もう女の子の格好はしないって決めたんだ。オカマ、嫌いだし。
「そうよ、ショーリ」
「まずは、どうすればいいかなあ」
「そうやってひとに頼るところが、もうダメダメよ」
「あ、そっか」
「でも、教えてあげる。ショーリが立派な男の子になるために」
 ひよちゃんが、頼もしげに微笑む。
「ありがとう、ひよちゃん」
「まずは、形からよ」
「形?」
「その伸ばしている髪を切るのよ」
「髪を?」
 二学期になって、部活を引退してから僕は髪の毛を伸ばし始めた。もともと長めだったので、今じゃ上戸彩ちゃん(最近ファンだ)くらいになっている。もちろん、陸さんが「髪は長い方が好き」だって聞いたからなんだけど。
(ここまで伸ばしたのに……)
 前髪に手を当てて考え込んだら、
「ほら、それがもう男らしくないっての」
 ひよちゃんに、ど突かれた。
 ひよちゃんは、僕の前髪をすくうように指を額から差し込んで、
「この指からはみ出ている分、全部切るのよ」
「ひっ?」
「五分刈り、ううん、五厘よ、高校球児は、五厘」
 真面目な顔で言い切った。
(いつのまに、高校球児に……)
 相変わらずのひよちゃんの展開には、やっぱりついていけない。でも――
「ショーリが男らしくなって、全然女の子に見えなくなっても、それでもショーリのことを好きだって陸が言ったら、その愛は本物だわ」
 そういわれた時は、思わず「そうかも」とうなずいてしまった。

 ひよちゃんが面白がっているだけだということにも気づかずに。









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