陸 視点

 月曜の夜、こずえからの電話が無かったからといって特に気にはしなかった。突然都合が悪くなって掛けられないなんていくらだってある。ていうか、それまで雨の日も風の日も(電話だからあんまり関係ないか)掛けてきてくれたことの方が、律儀というか、健気というか、とにかくかわいいっていうか。感動もんだ。毎日、夜の九時前後になると携帯がピロピロ鳴き出すのを楽しみに待ちながらも、毎日だとちょっと申し訳ない気にもなっていた。こずえも携帯持ってたら、俺から掛けられるんだけどな。別に気にしないで家電(いえでん)に掛けりゃいいのかもしんないけど、なんかね。こずえの親が出るかもって言うのが……緊張。
 そんなこんなで、こずえからの電話を待ってたんだけど、さすがに三日続けて無かったもんだから、少し心配になった。病気でもしたのかと。それで水曜の夜はいったん受話器を取ってみたものの、思い直してまた置いた。病気なら起こしちゃマズイだろうし、もし病気じゃなかったにしても、三日くらいでオタオタするのもなんだかな。
どうせ明日あたり、かわいい声で言ってくる。
「陸さん、ごめんね、電話できなくって」
 こずえの小首をかしげた上目遣い(これは意識してやってるわけじゃないから余計たちの悪い、犯罪級のかわいらしさだ)を思い浮かべ、結局、にやけながら寝た。それが、一変したのは、木曜の部活。



「おい、広海、ひよ子がさっき来たぞ」
 敏樹に言われて一瞬ギクリとしたのは、
(まさか、こずえに何かあったのか?)
 掛かってこない電話と結び付けてしまったため。
「何だよ、その顔」
 敏樹が、ボールを人差し指の先でまわしながら、吹き出した。
「相川、何て?」
「コートのことらしいぜ。来週どっかで、両面使わせてくれって」
「あ、ああ」
 ホッとした。そんなことか。
「まあ、俺たちも、別の日に貸してもらうし」
「何だよ。お前、ひよ子になんか弱みでも握られてんの?」
 敏樹が笑う。
「なんでだよ、バカ」
「だって、さっきの顔」
「ウルセー」
 とか言い合っていたら、その相川がやって来た。仲良しコンビの早野も一緒だ。
「陸、聞いてくれた?」
「ああ」
 そして、簡単な取り決めをすませて、俺はふと相川に尋ねた。
「こずえ、どっか具合悪いとか、なんか聞いてる?」
 いやいや、いくら仲の良いいとこ同士だからって、一緒に住んでるわけでもないのに知るわけ無いだろう。ただ気になっていたもんだから、つい口から出てしまった。
 案の定
「え? 何で?」
 相川は、怪訝な顔をした。
「あ、いいや、別に」
 それで済まそうと思ったら、
「何よ、ショーリがどうかしたの?」
 相川に肩をつかまれた。ごく自然につかみやがったが、俺はこの秋また身長が伸びているんだ。それなのに。相川、女のくせしていったい何センチあるんだ。俺とそう変わらない目線で、相川がじっと見る。
 コイツは日頃物事に頓着しない性格のくせして、こずえのこととなったらかなりの小姑ぶりを発揮するのだ。
「別に。ちょっと、電話が無いから」
 と、軽く言ったら
「あっ!」
 相川じゃなく、早野が叫んだ。なんなんだ。
「忘れてた。ひよ子に言わなきゃって思ってたのに」
「何よ? みどり」
 と、訊ねる相川じゃなくて、早野は俺を見ながら言った。
「陸くん、こずえに元カノの写真見せて自慢したでしょ」
「はあっ?」
 俺と相川は同時に素っ頓狂な声をあげた。
「何、それ?」
 そう言ったのは相川だったが、俺もまったく同じ台詞を言いたかった。
「こずえに、日曜の夜、聞いたんだ。ひよ子に御注進しなきゃって思ってたんだけど、月曜、私日直だったじゃない。一日忙しくって、部活も途中からになっちゃって、何だかバタバタしてるうちにすっかり忘れたっていうか」
「だから何なんだ。さっさと言え」
 俺が焦れて言うと、早野はちょっとムッとした顔になって、
「だから、陸くん、こずえに安恵の写真見せたんでしょ。こずえ、気にしてたよ」
(嘘だろ?)
 早野の言葉を聞いた相川の眉間に、深い縦じわが刻まれる。
「安恵って、槙村安恵? 何で、わざわざそんな写真」
「ねっ、信じられないよね」
「ちょっと待て」
 写真を見せたのは、俺じゃない。
「こずえから、電話掛かってきてさ。かわいそうに『どんな人だったか知ってる?』なぁんて、気にしちゃって」
 俺の制止を無視して、早野はしゃべりつづける。
「ほら、喫茶店で『元カノ事件』の話、したばっかりだったし。たぶん、安恵見たらショックだったと思うよぉ。あの子、顔だけはむちゃかわいいもんね」
 何だよ、その『元カノ事件』ってのは。俺が口を挟めないでいると、
「何で、安恵の写真なんか見せるの」
 相川がさっきと同じ言葉を繰り返す。早野はわざとらしくため息ついて、
「オトコゴコロ? 前のオンナはこんなだったとか、自慢? いわゆる魚拓みたいな」
 するかっ!!
「なんだその魚拓ってのはっ」
 俺は、叫んだ。
「魚拓も知らないの?」
 マジに聞き返す早野、お前、変。
「魚拓は知ってるが、俺はそんな真似してねえっつの」
「だって、見せたんでしょ、槙村安恵の写真」
「う……」
 見せたは見せたが、俺だって好きで見せたわけじゃない。ていうか、やむなく見られたっていうか―――。俺がそう言うと、
「えっ?」
「どういうこと?」
 女二人に、詰め寄られる。
「え、それは……」
 カメラマニアというよりは写真&アルバムマニアの兄貴の話は、できればしたくない。身内の恥。
 しかし、このまま濡れ衣を着せられるわけにもいかない。しぶしぶ事情を話したら、
「……陸くんのお兄さん、変」
 早野に言われたら、おしまいだ。
 相川は、腕組みして
「で、ショーリには、どうフォローしたの?」
 えらく冷ややかな声で聞いてきた。
「フォローって……それほどのことじゃねえだろ」
 俺が言うと、早野が首を振って、肩をすくめた。なんかムカつくぞ、それ。
 相川は、腕を組んだまま下を向く。
「電話、いつからないの?」
「……三日前」
「やっぱり、あの電話の次の日からじゃない。陸くん、なんで自分から掛けないの」
 掛けようとしたってことは言わずに、
「んな、たった三日、電話が無かったくらいで」
 吐き捨てたのはプライドのためか照れ隠しか、自分でもわからないが、しかし、その答えは明らかに早野を怒らせたようだ。
「ひどいよ。好きな人の元カノってすごく気になるんだよ。自分と似てても、全然違うタイプでも、どっちでも。三日も連絡ないなんておかしいとか、思わなかったの?」
 普通にしていれば大きくてかわいいはずの目を、つり上げる。
「おかしいって思ったから、今、私に尋ねたんでしょ」
 相川が間に入ってくれた。助けてくれたのかと思ったら、早野以上にキツイ目で
「そう思ったんなら、今夜こそ電話するのね、ショーリに。そして、自分のバカさかげんを謝りなさい」
 俺の頭を人差し指で指し示し、
「その無駄に広い肩の上に乗っているのが頭なら、よく思い出して考えなさいよ。その写真を見たショーリが、どんな風だったか」
 啖呵を切って去っていった。


 残された俺は、おかげで部活の間中、そのことを考えつづける羽目になった。


『ツーショだ。誰、これ?』 
 明るい声で訊ねてきたこずえは、特に怒っている様子はなかった。そう思う。
 しかし、
『ふうん、ヤスエちゃん』
『もう関係ない』
『うん』
 そう頷いたときのこずえは、寂しそうには見えなかったか?



「おい、キャプテン!」
「あ?」
「いつまで俺ら、走らせてんだよっ」
 敏樹が息を切らしている。ああ、そうだランニングさせていたんだっけ。
「悪い、じゃあ腕立て五十回」
 
 ピッ ピッ ピッ ピッ ピッ……

(そう、そして確かその後の会話で……)
『家にも、よく来てたんだ』
『ああ、まあ、アイツ、人見知りはしないからさ』
 槙村安恵は、そういうヤツだった。俺がいなくても、兄貴や親父とくっちゃべっていた。
『ふうん』
 それっきり、安恵の話は出なかったと思う。すぐに兄貴が俺の恥ずかしい写真シリーズをお披露目にかかったし、俺はそれを阻止するのに必死だったし、こずえも、もう安恵の写真には、何の興味もなさそうだった。
 しかし、考えて見れば、安恵が家によく遊びにきたってのと、人見知りがどうこうっていうのは関係ない気もする。こずえが俺の家に長い間遊びに来られなかったのは、こずえが人見知りするからじゃない。男同士で恋人だってのが、お互いの親にばれたら困るからだ。
 あいつは、俺の返事を、どういう思いで聞いたんだろう。
(こずえ……)
 
「おい、広海っ!」
 敏樹の声に、我に返る。
「何回、腕立てやらせりゃ気ぃすむんだっ!!」
「あ……」
 考えごとしながら、俺は笛を吹きつづけていたらしい。



 散々な(敏樹たちが)部活を終えて、俺は家路を急いだ。
 こずえと話をしたい。
 あの写真の件、ちゃんと謝って、俺が好きなのはこずえだけだと伝えたい。しかし、マジにそう考えれば考えるほど、電話の前で俺は緊張した。携帯を使わなかったのは、万が一にも失礼のないようにだ。悩んだあげく思い切ってダイヤルしたら、こずえの母親らしい人が出た。
「は、はじめまして。お、ぼ、わたし、陸といいますが、勝利くん、お願いします」
 緊張のあまり、かんでしまった。『俺』と言いそうになって『僕』と言い換えたのを、もう一度咄嗟に『私』と言い直したので、『バタシ』と聞こえたんじゃないかと思う。それはともかく、
「今日は具合が悪くて、もう休んでいます」
 そう言われた時は、むしろ安堵した。
 本当に風邪か何かで電話できなかったのだ。別に怒っているわけじゃないのだ。
 しかし、本当に具合が悪いなら、喜んでもいられない。それに、怒っていないからといって、安恵の写真のことを謝りもせずそのままにしておくのも、もちろんよくない。
「起きたら、電話ください。あの、必ず、って」
 頼んだのに、その次の日も、電話はなかった。
 こずえは、たまにだけれど、朝や昼休みに掛けてくることもあったので、俺は一日中携帯を握り締めて過ごした。なのに、授業の終わる時間になっても、携帯は鳴らなかった。
 こずえのことが気になって、真面目に授業を受ける気にも、部活に行く気にすらなれず、五時間目の休み時間、敏樹を捕まえて言った。
「今日、部活、休ませてもらうワ」
「それがいい」
 露骨に嬉しそうな顔の敏樹。昨日のランニングと腕立て伏せが、よほど堪えたらしい。
 時計を見て「まだ間に合う」と、六時間目の授業をサボって、こずえの通う武蔵第三中学校に向かった。







* * *

 そして今俺は、呆然としている。

 風邪を心配したこずえは、ちゃんと学校に来ていた。三年の秋になってバレー部の方は引退しているから、三時半くらいにどやどやと出て来た一団の中にこずえはいた。小さなかわいい顔を見つけて、俺は駆け寄った。
 こずえは、俺に気がつくと怯えたようにその顔を曇らせ、そして、クルリと後ろを向いた。
(えっ?)
 そのまま逃げ出しそうだったので、
「こず、あ、相川、待てよ」
 とっさに腕をつかむと、こずえはその手を振り払った。

 一言も口を利かないで。
(嘘だろ?)
 
 そんなに、怒ってるのか。

 わけわかんねえ奴にしがみつかれているのも気にならないほど、俺はショックを受けた。






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