「一体、どっから聞いてたんだよ、俺たちの話」
 目をつりあげる陸さんとは対照的に、
「どこから聞いてたって、人聞きの悪い。お前が大きな声で言ってたんじゃないか。こずえ、お茶いれて、って」
 お兄さんはのんびりと答えた。
「お前、声、でかいんだよ」
「う……」
 陸さんが悔しそうな顔をして黙る。僕は、引きつる笑顔で
「はい。あだ名っていうか、よくわからないんですけど従姉につけられて、いつのまにか定着したって言うか」
「ははは、バレー部だもんね。勝利くんかわいいから、あの懐かしのアニメからとったんだな、たぶん」
「はあ」
 なんだ、それ。
「まあ、その名前で、広海がお茶入れてとか甘えてたから、彼女だと勘違いしたんだよ」
「彼女じゃねえよ」
 憮然とする陸さん。そう何度も「彼女じゃない」って否定されると、ちょっと傷ついたりして。――――変かな。
「わかったって。そう尖がるなよ。なあ、こずえちゃん」
「はあ」
 いきなり『ちゃん』づけだ。


 陸さんと違って人懐っこいお兄さんは、高峰
(たかみね)さんといった。
 やっぱり大きな名前だ。
 そのまま僕らと同じテーブルについてカレーを食べて、今はお茶を飲んでいる。
 陸さんは何度か自分の部屋に戻ろうとしたのだけれど、高峰さんが
「一人で食べるのは寂しい。部屋に行くなら、お前一人で行け。こずえちゃんは置いていけ」
 とか言って、許してくれなかった。
 そしてすっかりくつろぎモードに入ったところで、突然、
「ねえ、こずえちゃん、写真撮っていい?」
「はい?」
「やめろよ、兄貴」
 陸さんが止めるのに、高峰さんはさっさと席を立つと、デジカメと小さなダンボールの箱を持ってきた。
 陸さんの顔が引きつる。
「俺ね、アルバム作るの趣味なんだよ」
 嬉しそうに目を細めて笑う高峰さん。
「やめろ、兄貴、やめてくれ」
 陸さんがむきになっているのがあやしくて、僕は高峰さんに寄って行った。
「アルバムですか?」
「そう、家族のとか、友達のとか」
 デジカメを構えて、
「はい、チーズ」
 フラッシュが光る。
 う、まぶしい。
「いいねえ、こずえちゃん」
 高峰さんは写り具合を確かめるように、デジカメを覗き込んでいたけれど、
「今度はカレーと一緒に撮るから、鍋のところに立ってもらおうかな」
(カレーと?! )
「ほらほら、早く」
「はあ」
「だからやめろっつってるだろっ。お前も、何、素直に動いてんだ」
 ついお鍋に向かって歩きかけた僕の手を陸さんがつかんで引き戻した。
「つまんないな、広海は」
「お前が、おかしすぎるんだよ」
「実の兄に向かってお前呼ばわり、ふとどきなヤツ」
 高峰さんは、ダンボールの箱から、アルバムらしいものを取り出した。
「そんなヤツは、お友達に『恥ずかしい写真』大公開だ」
「わーっ」
 陸さんが奪おうとしたアルバムを、高峰さんは僕に放り投げた。僕は反射的にそれを受け取ると、奪われまいと胸に抱えた。
「渡すな、こずえちゃん。死守だ、死守」
「てめえ、クソ兄貴、カレーで酔っ払ってんのか」
 僕はわけわからず、アルバムを抱えて逃げる。高峰さんの後ろに隠れようとしたときに、
「こら、こずえ、よこせ」
 陸さんの手が伸びてきた。あっ、だめ、掴まれた。リーチが違うんだもん。
「渡すな」
 高峰さんの声に、思わずむきになってアルバムを引っ張ったら、
「あっ」
「わっ」
 中のページがばらばらと落ちた。
「ごめんなさい」
 こわしちゃったよ。
 拾おうとして屈んで、その写真にはっとした。
「いいよ、いいよ。すぐ戻せるから」
 高峰さんもしゃがんで、
「あれ、これは例の写真じゃないな」
 拾い上げながら言う。
「広海の恥ずかしい写真は、別のアルバムだ」
「何でもいいから、さっさとしまえよ」
 陸さんは散らばったものを見もしないでかき集める。僕は、自分が手にしたページの写真に目を奪われていた。

(か、かわいい……)
 アルバムの一ページに貼られているのは、そりゃあかわいい女の子と陸さんのツーショットだった。
「わっ、何見てんだよ」
 気がついた陸さんが僕の手からそれを奪おうとしたけれど、思いの外のすばやさでかわすことが出来た。僕の反射神経もなかなか。ついでに、わざとらしく無邪気な声を出してみたりして。
「ツーショだ。誰? これ?」
「おっ?」
 陸さんの代わりに、高峰さんが覗き込んで言った。
「やっちゃんじゃないかぁ」
(ヤッちゃん……)
 もちろん、やくざのことじゃない。この女の子のこと。
「そうか、これは広海の青春ラブラブアルバムの方だったか」
「なんだよ、それ」
 陸さんは、今度こそ僕の手から奪い取った。
 けどまだあるもんね。高峰さんが持っている写真。
「これも、ヤッちゃん?」
「ああ、そうそう。うちによく遊びにきてたんだけど、そういや、最近来ないな。別れたのか」
「うるせえよ」
 陸さんの顔が赤いのは、照れてるのか、怒ってるのか―――両方かもしれない。


 僕の方は、初めて見る陸さんの元カノに、かなりショックを受けていた。
 だって、かわいいんだよ、すごく。髪の毛なんて長くてまっすぐで、ふわふわのセーターの襟からのぞく首は白くて細くって、何より、笑っている顔がその辺のアイドルなんか目じゃないってくらいの美少女ぶり。悔しいけど、男らしい陸さんとむちゃくちゃお似合い。
「何、じっと見てんだよ」
 仏頂面の陸さんを上目遣いで見て、聞いた。
「ヤス、コちゃん?」
「ヤス、エ」
 ボソッと返ってくる答え。
「ふうん、ヤスエちゃん」
「もう関係ない」
「うん」
 陸さんの言葉にうなずいたけれど、結局この『ヤスエちゃん』のことは、ずっと僕の頭から離れなくなった。







* * *

「聞いてみようかなあ」
 ヤスエちゃんのこと。もちろん、聞く相手は陸さんじゃなくて、ひよちゃんかみどり。ひよちゃんはともかく、みどりなら何か知ってそうな気がする。
 陸さんとのデートの翌日、僕は一日中悶々としていて、そして悩んでいるくらいならと、みどりに電話をする決心をした。       
 自分の部屋に専用の電話があるみどりは、二回目のコールで、すぐにでた。
「どうしたの、こずえ」
「あ、あのさ」
「うん」
「陸さんの元カノのこと、知ってる?」
「え? どの子のこと?」
(……そんなにいるの)
 ズーンと落ち込む。
 黙ってしまった僕に、慌てたようにみどりが続けた。
「ほら、陸くんカッコいいから、一年生の時は、けっこう色んな子から告白されて、その中の何人かとは付き合ったりしたのよ」
 そうなんだ。そうだよね。陸さんなら、もてたよね。

 僕と出会ったばっかりの頃、昔付き合った彼女がいたこと隠してなかったし。
『今まで付き合った女と、タイプ全然違う』
 初めての公園デートで、陸さんが言った言葉。
 そうだよね、違うよね。あの、小さくて、フワフワで、柔らかそうな、いかにも女の子っぽいやすえちゃん。

 僕とは―――全然違う。




「こずえ、どうしたのよ」
 受話器の向こうで、みどりが心配そうな声を出す。
「あ、ううん、なんでもない」
 僕は不自然なくらい明るい声を出してしまって、それがなんだか恥ずかしい。
「いやあ、陸さんなら、彼女、たくさんいただろうとは思ったけど。何か、写真とか見ちゃったら、急に現実味を帯びたっていうか、なんていうか」
「写真? どんな子?」
「ええと、黒い髪がまっすぐで長くて、どっちかというと小柄で、目が大きくて、すっごくかわいい」
 名前を言おうとしたら、
「槙村安恵?」
 みどりに先を越された。
「ピンポン」
「ふうん、陸くんてば、安恵の写真をこずえに見せたりしたのか」
「いや、見せたって言うか……」
 見せてくれたのは、お兄さんなんだけど。
「何考えてんのかしらね」
「やっ」
「昔の彼女の写真見せて気をひこうなんて、愚かだわ」
「ちが…」
「まあ、男の子なんてそういう子どもっぽいところがあるものだけれど、あ、ごめん、こずえも男の子だったね」
「えっと」
「でも、気にすることないよ。あの二人、ちゃんと正式に別れてるから」
(正式に別れるって何だ??)
「安恵の方にも、別の彼氏がいるから」
(えっ?)
「陸くんと今さらどうってのはないと思うよ」
 ふと思った。別れた原因って、それ?
 みどりに聞いたけれど、
「うーん、別れた理由までは知らないけど」
「そうだよね、ゴメン」
 知るわけないよね。

 でも、何だか気になる。陸さんと安恵ちゃんは、いつどうして別れたんだろう。

「気になるなら、直接聞いたら」
「ええっ」
「その方が早いし、変な誤解もないと思う」
「そ、そうだけどね」
「大丈夫、ちゃんと正直に話すよ。陸くん、そういう人だもん。たぶん」
(たぶん?)
「明日でも、電話してみたら」
「そ、そうだね」
 電話を切って考えた。
 考えたけれど、頭の中がグルグルして、まとまらない。
(やっぱり、直接聞くのは……)
 うーん、どうしよう。


 そしてその翌朝。台所にいたお母さんに、
「おはよう」
 いつもの朝の挨拶をして、びっくりした。
「あら、勝利、風邪?」
「えっ、ううん」
 僕の声とは思えないガラガラ声。
「熱は?」
「無いと思うけど」
 とか答える声も、裏返ってる。何、これ。
「それじゃあ、まさか、声変わりかしら」
 お母さんの言葉に、僕はポカンと口をあけてしまった。







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