そんな春彦の戸惑いを、敏感に察したのは豪だ。中学生と言うのに、大人も及ばぬ洞察力、末恐ろしい子どもである。

「今日は日曜だし、タロちゃんと一緒に原宿とか行っちゃおうかな」
「ハラジュク?」
 タロが嬉しそうな声で聞き返す。
「豪、何、勝手こと言ってるんだよ」
「だって、まだ行ってないんだろ。哲耶、苦手だもんな」
「あんな所は、おんな子どもの行くとこなんだよ」
「だって、俺たちまだ子どもだもんね」
 哲耶に向かって舌を出した後、タロを振り返る。
「どうする? タロちゃん」
「行きたいです」
「ほらみろ、哲耶」
「ちっ、それじゃあ、俺も行くからな」
 哲耶のこの言葉に、春彦は少なからずショックを受けた。
(いつも原宿のこと、ガキがウジャウジャいて嫌いだとか死んでも行きたくない街NO.1だとか言ってるのに……)
 そんな哲耶が、タロのためには原宿に出かけることを厭わないとは。
「春ちゃんも一緒に行こうよ」
「あ、うん」
 豪に誘われ、春彦は反射的に返事をしていた。そして、出かけてから激しく後悔することになる。
 双子が珍しいのか、四人そろって美形だからか、原宿では次から次に声をかけられ、勝手に携帯やデジカメで写真を撮られ、歩いている間、ずっと落ち着かなかった。中には、名刺を見せてしつこく付きまとう男や女もいたけれど、大概は哲耶が凄んで追い払った。
「だから、原宿ってのは嫌いなんだよ」
 哲耶が吐き捨てると、
「ゴメンナサイ」
 タロは食べかけのクレープを握り締めて、謝った。
「あ、いや、別にタロが悪いわけじゃねえって」
「そうそう、そのためにこうしてボディーガードがいるんだから。タロちゃんは、気にしないで。好きにしてていいんだよ」
 哲耶と豪の態度に、春彦の胸がチクンとうずく。
(なんだよ……)
 かわいがられているタロにヤキモチを焼いている自分に気付いて唇をかむ。豪は、そんな春彦をチラリと横目で見て、
「さっ、次はどこに行く」
 タロの肩に腕を回した。
「お前、何、ドサクサに紛れて触ってんだよ」
「混んでるから」
 豪は、タロをぐいっと自分に引き寄せて、
「春ちゃんも迷子にならないように気をつけてね」
 振り返って笑った。
 これは豪の「幼児とオモチャ大作戦」である。
 遊び飽きた古い玩具でも、よその子が持っていこうとすると渡したくない。この場合、よその子がタロなのはいいとして、自分たちを『遊び飽きた古い玩具』に例えるのは、いささか抵抗があるが――
(でもまあ、春ちゃんにとっては、俺たちまだその程度だしね)
 豪は、内心で呟く。
(これで春ちゃんがジェラジェラしてくれて、あらためて俺への恋心に気が付く、なぁんてオチがあると、サイコーなんだけど)
 善からぬことを企んで、わざとらしいほどタロにかまう豪。そしてその豪に対抗意識を燃やす哲耶。気が付けば歩く様子も「三人」と「一人」にきれいに別れている。
 春彦は、声が届かないことを承知で
「家に帰りたい」
 と、小さく呟いた。





 そして、疲れ果ててようやく帰りついた家でも、春彦はショックを受ける。静馬の用意している夕飯を見て。
「これ……」
「ああ、タロくんがね」
 静馬は、皿に持ったプリプリの白い剥き身をちょいと触って、
「何が好きかって聞いたら、オイスターって言うから。日本だと季節外れで無かったんだけど、上手い具合に輸入物で鍋用のがあってね。この時期に鍋っていうのもなんだけれど」
 自分で作りながらおかしそうに笑う。
「お、俺……」
 牡蠣は嫌いなのに―――。
「ああ、心配しなくても、春彦の分は別に用意してあるから」
 ショックで頭の中が真っ白になった春彦には、静馬のその言葉は聞こえなかった。フラフラと部屋に戻って、がっくりとベッドの端に座る。
(静馬兄さんまで……)
 春彦は、悲しくなった。
 みんなして、タロに気を使っている。タロをかわいがっている。
 この間までみんなして自分のことを好きだ好きだと言っていたくせに、同じ顔のタロが現れたら、
(みんな、そっちに行くんだ―――)
 春彦は、ゆっくり立ち上がった。



「春彦?」
 玄関で靴を履く春彦に、静馬は声をかける。
「どこに行くんだ」
「健治んち、急用あるの、忘れてた」
 嘘なのだが、やっぱりそこしか行く所は無い。
「こんな時間に出かけたら、夕食に間に合わないだろう」
 静馬の言葉に、
(牡蠣なんか食べたくない)
 という言葉をぐっとこらえて、
「先に食べてて。用事すんだら、すぐ帰るから」
 これまた嘘をついて春彦は出て行った。
 静馬は、整った眉をわずかにひそめて、その後ろ姿を見送った。



「わりいな、健治、つきあわせて」
「なんで? ラーメン奢ってくれてんだろ、ラッキーじゃん」
「でも、夕飯、家で食わないとマズイだろ?」
「ラーメン食ったって晩メシは食えるよ。ていうか、ラーメンはおやつだよ。おやつ」
「おやつか」
 健治の鉄の胃袋がうらやましい。家に帰って牡蠣鍋を食べるのが嫌で、健治を呼び出して近所のラーメン屋につき合わせている春彦。そのついでに、悩み相談までしてしまう。
「なあ、お前、好きな奴いる?」
「ゲホッ! ゲホゲホ……」
「わっ、きたねぇ」
 むせた健治の鼻からラーメンが飛び出している。
「お前が変なこと聞くからじゃねえかっ」
「悪かったよ。でも、そんなに驚くこと無いだろ?」
「お前の口からそんな言葉が出るから、驚いたんだよ。何だよ、恋愛相談か? ひょっとして城谷と何かあったのか」
「あ? いや」
 城谷佳恵のことは、頭の中からすっかり消えていた。あのストーカー事件の後も話す機会はあったのだが、春彦の頭の中は、突然現れたタロのことでいっぱいになっていて。そんな態度がつれないからか、ここ最近では話し掛けて来ることもない。
「そうじゃなくて、もしさぁ」
 水を飲んで落ち着いた健治に、春彦は気を取り直して再びたずねる。
「もし健治に好きな奴がいたとして、それと全く同じ顔をした、もう一人別の奴が現れたら、どうする?」
「なんじゃ、そら」
 健治には、いや、誰にも、タロのことは話していない春彦だ。案の定、健治は何故そんなことを聞かれるのかわからず、首をひねったけれど、
「なあ、そうなったら、今まで好きだった相手からさっさと心変わりして、同じ顔した別の奴の方に行く?」
 春彦の目があまりに真剣なので、ちゃかさずに答えることにした。
「顔が同じったって、別人だろ。自分の恋人がいるのに、心変わりするようなヤツいるか」
「あっ、いや、そうじゃなくて」
 春彦はちょっと困ったような顔をして、
「恋人、まではいってなくて」
「はい?」
「うーんと、ちょっといいなぁとか、好きかな、とか思っていたくらいとか」
「あ、そうなの?」
「うん」
「でも、まあ、好きになるのって、顔だけじゃねえからな。性格とか」
「性格……」
 春彦は思いつめたように、ラーメン丼のふちを睨む。タロは、ここ数日だけ見ても、素直で明るく、よく気の付く少年だ。家の手伝いも良くしている。
「その、前から好きだった子よりも、同じ顔で、後から来た子のほうが、性格良かったら?」
「ほおそう来るか。じゃ、スタイルとかは」
「え?」
「ほら、胸とか脚とかお尻とか」
 両手を使って胸や腰のラインを表してみせる健治。春彦は一瞬考えて、ポツリと答える。
「同じ」
「そしたら、後から来たほうじゃないか?」
 健治はあっけらかんと言った。
「その前からいる子と付き合ってたとかいうなら乗り換えはマズイ気がするけどさ、そうじゃないなら、同じ外見でも、うんにゃ、同じ外見だからこそ、中味が良い子の方がいいぜ、フツー」 
 健治の言うのは、正論だ。しかし、春彦にはズシンとこたえた。
「あ、おい、どうしたんだよ」
「ううん」
「なんだよ、やっぱ、何かあったのか。そんな暗い顔すんなよ。あっ、餃子食うか? そしたら、俺、奢るぜ」
「大丈夫、腹いっぱい」
「えーっ、たったこれだけで? まあいい、そしたらアレ歌えアレ。無駄に明るくなるから」
 ちゃらららららーんと、お馴染みの曲を歌う健治に気づかわれつつ、春彦はトボトボと家に帰った。



 リビングから楽しそうな笑い声が聞こえる。春彦の帰りを待たずして、牡蠣鍋が始まっているらしい。自分で『先に食べてて』と言ったにもかかわらず、春彦は寂しい気持ちになった。中に入らずに、廊下からそっと覗くと、広いリビングの奥のダイニングテーブルに、いかにも一家団欒といった眺めがあった。
「ほら、もっと食べろよ。こっちもう火が通ってるから」
「これも大丈夫だよ」
 哲耶が立ち上がってタロのお椀に鍋の具を入れてやっている横から、豪も、牡蠣をつまんで放り込んでいる。
「ありがとうございます」
「遠慮するなよ」
「はい」
 静馬と誠二は、互いのグラスにビールを注ぎ合い、
「タロくんは、ちょっとは飲めるのかな?」
「ダメですよ、父さん。未成年に」
「アメリカは、十六からいいんじゃないか?」
「どっから出てくるんですか、そのマイルールは」
 すでにいい感じに出来上がりつつある。
 春彦は、不思議な気持ちになった。
 いつも自分が座っている場所にタロがいて、そして家族はいつもと変わらない様子で笑っている。
 春彦は、入って来たときと同様、足音を忍ばせてその場を離れた。


『その前からいる子と付き合ってたとかいうなら、マズイ気がするけどさ、そうじゃないなら―――』
 ベッドに寝転んで、健治の言葉を思い出す。
「付き合うったって……」
 こんなことなら、さっさと誰かを選んでいたら良かったのだろうか。 そうすれば、少なくともその相手からだけは、見捨てられないですんだのだろうか。
 見上げた天井に兄弟三人の顔が浮かんで来て、そしてそれはすぐに、たった今見たリビングの風景に変わる。
「っ……」
 なんだか泣きたい気持ちになって、春彦はグッと唇をかんだ。 



「春彦?」
 呼ばれて、ハッと起き上がる。ドアには、静馬が驚いた顔で立っていた。
「遅いと思って心配していたら。いつのまに帰ってたんだ」
「あ、うん」
 何か言い訳しようとモゴモゴ口ごもると、
「ご飯は? 何か食べてきたのか」
 近づいてきた静馬の手が、優しく前髪をかきあげた。
「あ、うん。健治と、ラーメン食べちゃって……」
「ああ、それで」
 夕飯の席につかなかったのかと、静馬は安心したように微笑んだ。
「ひょっとして牡蠣の匂いも嫌だったかと」
「ううん」
 牡蠣が嫌いだったのではない。いや、嫌いなのだが、他の人が食べるのを見るのも我慢できないというほどではない。ただ『タロのために用意された』食卓につきたくなかったのだ。
「春彦の分、別に取ってあるけど、どうする?」
「あ、もう、いい。お腹いっぱいだから」
 お腹というより、胸がつかえたように苦しい。
「そう。じゃあ、お休み」
 静馬が出て行って、春彦は、滲んできた涙を拳で拭った。
(俺、本当に、性格悪い……)



 自己嫌悪に陥った春彦の前で、タロはいっそう明るく無邪気に桂木家に溶け込んでいった。けれども何故か、春彦にだけは馴染まない。皆がそろっている時にはそれほど感じさせないのだが、偶然、二人きりになった時など、タロのよそよそしさは顕著だった。話し掛けて来ないだけではなく、目を合わせることも避けているように感じる。
(俺のこと、やっぱり嫌いなんだろうな)
 自分もそうなのだから「お互い様」と思いながらも、自分以外の兄弟や父親に素直に甘えるタロの姿には、イライラを募らせるばかりの春彦。そのイライラは、ある日突然、爆発した。

 その夜、夕食も済んだテレビタイムに、いきなりタロが言った。
「桂木家の皆さん、本当にいい人。僕、みんながよければ、この家の子になりたい」
 ぼんやりテレビを見ていた春彦は、その言葉に固まった。
「ああ、いいんじゃないか」
 哲耶が笑いながら、相づちを打つ。
「このまま、ずっと日本にいろよ」
「何でだよっ」
 春彦は、思わず立ち上がって叫んでいた。
「えっ?」
 驚いたのは、タロと哲耶だけではない。同じ部屋にいた静馬も豪も、目を瞠って、春彦を振り仰ぐ。
「お前にはアメリカに家族がいるんだろっ? ここはお前の家じゃないっ!」
 心の中にうっ積していたものが、スイッチ一つで爆発してしまった。
「うっ」
 息を飲んで涙ぐんだタロに、慌てて口を押さえたけれど、もう遅かった。
「どうしたんだよ、春彦」
 哲耶が戸惑った声を出す。タロはグスグスと泣き出してしまった。自分を見つめる兄弟たちの視線が痛い。皆から責められているような気がして、春彦はいたたまれずに部屋を出た。そのまま、玄関から外に出て、まっすぐに走る。
 いつもなら健治の家に行くところだけれど、さすがにこの時間では無理だ。春彦は、たった今の自分の言葉に動揺しながら、遠く川辺の公園まで走った。
 



 




HOME

小説TOP

NEXT