(どうしてあんなこと、言ってしまったんだろう……) 春彦は、ブランコに揺られながら、繰り返し悔やんでいた。 タロには、何の責任も無いのに。 タロには、アメリカに家族がいるといっても、母親だけだ。 その母親も、考えられないほどたくさんの恋人(女性)を家に住まわせていて、タロは居場所がなくてたびたび家出したと聞いていた。 そんなタロに、 『ここはお前の家じゃない』 どうして、あんなひどいことを言ってしまったのか―――。 ポタリと涙を膝に落としたとき、 「春彦」 優しい声が頭の上から降ってきた。 「あ……」 「探したぞ。って、言いたいところだけれど、こんな時に春彦の行きそうな場所はすぐわかった」 静馬が目の前で膝を付いて、春彦の顔を覗き込む。 「小学生の時、父さんに叱られて、やっぱりこのブランコで泣いてたんだよな」 春彦自身は全く憶えていないことを言われて、わずかに首を傾げると、その頬を静馬の手がふわりと包んだ。親指がそっと涙を拭う。 「悪かったね、春彦」 「え」 悪かったのは自分であって、兄に謝られることなど何も無い。そう瞳で訴えると、静馬は「わかっている」と言うように小さくうなずいて微笑んだ。 「春彦に寂しい思いをさせていたんだね。気が付かなくて、悪かった」 (静馬、兄さん……) 「タロくんに、自分の居場所を取られたみたいに感じていたんだろう」 長兄は、春彦のたった一度の爆発で、全てを理解してくれた。 「そんなつもりは無かったんだよ。……私や、皆が、タロくんに気を使ったのは」 静馬の手のひらが、ゆっくりと春彦の髪を撫でる。 「春彦の双子の兄弟だからこそ、大切にしてあげたかったんだ」 わかるかな? と、静馬は春彦を見つめる。潤んだ瞳のままじっと見返す春彦に、 「愛する春彦と同じDNAを持っている相手だからね。どうしても大事にしたくなるだろう」 苦笑しながら静馬は言った。 「でも、それは、春彦に寂しい思いをさせるためじゃなかった。春彦は、春彦。他の誰にも代えられない、大切な存在だ」 「静馬兄さん」 春彦は、我慢できずに静馬に抱きついた。 「春彦」 「ごめんなさい。俺、俺……」 「何を謝るんだ」 「でも、俺、タロのこと、泣かした」 「ああ。それは、帰ってからタロくんに謝れば済むことだよ」 静馬の手は、春彦の背をなだめるようにさする。その手の温かさに、春彦はうっとりと目を閉じながら呟いた。 「許して、くれるかな」 「もちろん。だって、タロくんは、心優しい……」 静馬は、そっと春彦の耳に唇をよせる。 「春彦の、双子の弟だからね」 「あーっ、何してんだよっ」 静馬の胸に顔を埋めていた春彦は、豪の叫び声に顔を上げた。 「ちくしょう、どこに行ったかと思ったら、静馬兄ぃっ」 豪は悔しくてしょうがないという顔で静馬に詰め寄る。 静馬は立ち上がったが、腕の中の春彦は手放さなかった。 「そういうの漁夫の利って言うんだぞっ」 「漁夫の利?」 年少の弟のよくわからない言葉に、静馬は眉を寄せる。そこに、 「あーっ、いた、いたっ」 タロを自転車の後に乗せて、哲耶もやって来た。 「よかった。どこ行ったのかと思った」 タロを降ろして、乱暴に自転車を止める。 「なんだ。結局、みんなちゃんとここに行き着いたわけだ」 「まあな。自転車組の俺たちが最後なのは、ちょっと悔しいけどよ」 「ごめんなさい、春彦」 タロが駆け寄ってきて、春彦は慌てて涙を拭った。 「あ、俺のほうこそ、ごめん」 静馬の胸から離れて、タロに向かって頭を下げる。 「俺、バカだから、タロにやきもち焼いたんだ」 「春彦」 「タロが……俺より、皆にかわいがられているみたいで」 ごめんと、もう一度頭を下げる。 「いいんです、春彦。僕もムシンケイだった」 タロが首を振る。 「僕も……春彦のこと、うらやましくて」 睫毛を伏せて、タロが打ち明ける。 「春彦のお父さん、兄弟、みんなステキで優しくて……双子なのに、僕と育った環境、全く違ってて……」 言葉を詰まらせると、クスンと一回、鼻をすする。 「ひょっとしたら、僕たち逆だったかもしれないって思ったら……春彦のこと、少し憎かった」 「…………」 タロの告白に、春彦は胸を痛めた。 「でもね、そんな風に思う自分も嫌い。本当だよ」 タロは、うつむいていた顔を上げ、自分と同じ高さにある同じ顔をまっすぐに見つめる。二人して涙ぐんだ顔は、まさに鏡のようだ。 「本当は、春彦と会えたのが一番嬉しかった。だって、自分の片割れだもの。なのに、なんだか意地になって、春彦とは仲良くできなかった」 「タロ……」 「春彦」 そのままガバッとしがみつかれて、春彦は一、二歩よろめく。後にいた静馬が、その身体をしっかりと支えてくれた。 「ごめんね、春彦。僕のこと、嫌いにならないで」 さっき泣いてしまったのは、春彦に嫌われているのだと知ったショックなのだとタロは訴える。 「嫌わないで」 「そんな、嫌いなんかじゃないよ」 「春彦」 抱き合ってなく二人と、それをちゃっかりまとめて面倒見ているような長兄、そして、大きな図体に似合わず涙もろいところを見せて、貰い泣きをしている次兄を見ながら、豪は溜め息をついた。 「俺の作戦は、どうなっちゃったんだよ」 「みんな、どこに行ってたんだい」 いつの間にか兄弟そろっていなくなっていたので、父親誠二は、いつものパジャマにガウンを羽織った格好で、家の中と外をうろうろと往復していた。 「どこかに行くなら、お父さんにもちゃんと言ってからにしてくれないと、心配するよ」 「ごめんなさい」 「ごめんなさい」 春彦とタロが声をそろえる。 「ああ、いや、無事に戻ってきたのならいいけれど」 同じ顔が並んでベショベショになっているのにドキリとし、 「とにかく、先に顔を洗ってきなさい」 二人を洗面所に追いやった。そして、 「それで、いったい何があったんだ」 誠二は静馬に尋ねた。 「ええ、まあ」 どう話そうかと静馬がしばし悩んでいると、 「タロが、うちの子になりたい、とか言ったから、春彦がキレたんだよ」 哲耶が、そのまんまのことを言う。 「お前さ、もう少し言葉選べないのかよ」 豪が、哲耶の足を蹴る。 「だってそうだろ。それに続きがあって、春彦もタロもお互い誤解していて、仲直りして、それで泣いたんだよ」 ボキャブラリーは貧困だが、事実は告げているような気がする。 「まあ、細かい枝葉を取れば、そういう話です」 静馬は詳しい説明をあきらめた。 すると、誠二は意外にも 「タロが、うちの子に? うちの子になりたいって言ったのか」 ひどく嬉しそうな声をあげた。 反応するのは、そこなのか?! 三人の息子が、訝しげに眉をひそめると、 「息子達よ、私は、真咲を愛している」 おもむろに誠二が言った。 「私の真咲に対する愛は、これからも変わることは無い」 「わ、わかってますよ」 「だからどうだってんだ」 「どっかやられちゃったんじゃないの」 三者三様に呟くその耳に、信じられない言葉が入って来た。 「天国の真咲も祝福してくれるだろう。私が、真咲の忘れ形見と再婚することを」 「えっ?」 「はあっ?」 「何ぃっ?」 そこに顔を洗い終わった二人が戻ってきた。誠二は両手を広げて、タロを迎える。 「タロ、この間の私のプロポーズを受けてくれる気になったんだね」 「誠二さん」 タロは真っ赤になった。 「プロポーズ?!」 春彦にとっても寝耳に水。どういうことかと大きな目で問うと、 「私と養子縁組をして欲しいと言ったのだ」 誠二は、タロを抱き寄せる。 「タロは私の愛した真咲の息子だ。春彦は、私にとっても、もう実の息子だから、恋人にすることはできないが」 うん、うん、と、春彦は無意識にうなずく。 「タロなら、何の障害も無い」 「あるだろ、おいっ!」 豪と哲耶の速攻突っ込み。 「このロリコンおやじがっ」 「人として、考え直してください」 「アメリカの親には何て言うつもりだ」 息子三人の罵倒もどこ吹く風の、桂木家大黒柱四十五歳。 「いいね、タロ」 「誠二さん……」 いつの間にこんな話になっていたのか。 二十九歳の年の差カップルがここに誕生。 「いきなりうちの子になりたいなんて言い出したのは、おやじが変なこと言ってたからか」 「そうだよね、唐突だったもん。あのエロジジイのプロポーズがあったから、それで決心を口に出したんだよ」 哲耶と豪は、リビングのソファにぐったりと沈んでいる。 「そう考えると、あの『嫌わないで』って泣いてすがったのも、継母としてうまくやっていくための布石だったのかな」 「筋肉バカが布石なんて言葉、よく知ってるな」 「うっせえよ」 いつになく喧嘩のテンションも低い二人。 「それにしても、哲耶はタロちゃんのこと結構気に入ってただろ? ショックなんじゃないか」 「お前だって、そうだろ」 「ばあか。俺のは、春ちゃんにやきもち焼かせるための作戦だもん」 「そうだったのか」 「俺は、いつでも春ちゃん一筋だぜ」 「俺だって」 「嘘つけよ」 「嘘じゃねえよ。タロのことは……そりゃ、ちょっとはクラッときたけど、それはやっぱり、春彦と同じ顔してるし……」 「単純バカ」 「…っせえ」 「やっぱり、俺たちには春ちゃんしかいないよな」 「おう。もちろんだ」 などと珍しく意見を一致させている二人は、そのころ静馬の部屋で何が起こっているかなど、知るよしもなかった。 「静馬兄さん」 「春彦、どうした」 「うん……ちょっと」 開けたドアの前で気まずそうにうつむく春彦を、 「そんなところに立ってないで、入っておいで」 静馬は優しく迎え入れた。 「ひょっとして眠れないのか?」 父親とタロのことを暗に含んで訊ねると、春彦は、 「ううん」 と、首を振った。 「俺……静馬兄さんに言うことがあって」 「何?」 「一つは、お礼」 「礼?」 「公園で……」 春彦は、顔に血を上らせて、それでもじっと静馬の目を見て言った。 「嬉しかった。……春彦は春彦だって、他の誰にも代えられないって、言ってくれたの」 「ああ」 静馬は微笑んで、そっと春彦の手を握った。 「そんなこと、当たり前じゃないか」 「うん。あとね、もう一つは謝らないといけないんだ」 「また何を?」 「あの、静馬兄さんのくれた旅行のチケット」 「ああ、そう言えばまだ行ってないね」 「あれ、学校の友達にあげたんだ。二枚とも」 「二枚とも?」 「うん」 春彦は、城谷佳恵にチケットを譲った経緯を説明した。 「ごめんね。せっかくの誕生日プレゼントだったのに」 「いいんだよ、そういう理由なら。それより春彦が女の子と一緒に旅行に行くんじゃなくって、よかった」 「うん……」 「それで?」 静馬は春彦の手を握っていた指に力を込めた。 「それをわざわざ言いに来てくれたってことには、特別な意味があると期待していいのかな」 「えっ」 春彦は、わずかに後退ったけれど、 「……うん」 思い切ったようにうなずいた。 「もし、また、誕生日にチケット貰ったら……」 静馬は春彦の手を握ったまま、辛抱強く、続く言葉を待った。 「俺、多分……静馬兄さんと行くと思う」 それだけ言って、静馬の手を振り切ると、 「おやすみっ」 春彦は部屋を飛び出して行った。パタパタという足音が遠くなるのを聞きながら、静馬は口元が緩むのを押さえきれない。 (漁夫の利……ね) 豪の言葉が、何となく腑に落ちた。 「それじゃあ、社会人の財力にモノを言わせて、今度は沖縄旅行でも用意しますかね」 明日にでも旅行代理店に行く気満々。 そのチケットが、誠二とタロの新婚旅行として奪い取られるのも、哲耶と豪が必死の巻き返しを図るのも、次の話である。 END 2006.2.20 |
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