哲耶と二人並んで家に帰り着いた時には、あたりはもう薄暗くなっていた。門扉の前に人影を見つけて、春彦は立ち止まる。 哲耶も気がついて、 「なんだ?」 訝しげに眉をひそめた。その少年らしい影は、じっと玄関を見つめて、呼び鈴を押そうかどうか悩んでいる様子だった。 「おい、うちに何の用だ」 と、後から呼びかけて、振り向いた顔に、 「ふグッ」 妙な声を出して、哲耶は固まった。そして春彦は、 「ヒッ」 驚きのあまり、その哲耶の背中にしがみついた。 目の前の少年は、なんと、春彦と全く同じ顔をしている。 「ド……ドッ……」 世の中には、自分と全く同じ姿をしたもう一人の自分がいるという。 「ドッペルガンガー?!」 「それじゃ、戦隊モノのあやしいロボットだよ」 春彦のドッペルゲンガーは正しく突っ込んでくれたのだが、その声までが春彦そっくりで、 「「ぎゃーーーーーっ!!!」」 春彦と哲耶は、そろって思いっきり大きな悲鳴をあげてしまった。 その声を聞きつけて、桂木家の面々が家から出てくる。最後に登場した大黒柱の誠二は、春彦のドッペルゲンガーを見るなり 「君は、キャシーの……?」 目を瞠って、たずねた。 「お父さん?!」 少年は、感極まった声をあげて、誠二に抱きついた。 「双子?」 桂木家のリビングでは、夕食そっちのけで家族会議が始まっている。 その真ん中に座る二人の顔を交互に見比べて、 「父さんは、知っていたんですか」 静馬が当惑した声を出す。研究が終わって久しぶりに帰ってきたらこの騒ぎだ。豪と哲耶は、不思議なものを見るように(そのままの表現)、春彦の分身をじっと見つめている。 「ああ。一卵性の双子だとわかったときに、キャシー、卵子提供者から、自分達も子どもが欲しいから一人引き取らせてほしいと言われたんだ。彼女も同性愛者だったからね」 「真咲ママは、知っていたんですか?」 「いや、余計な心配はかけたくなくて、真咲には言わなかった。キャシーは日系のアメリカ人で、あっちに住んでいたから、もう会うこともないと思ってね。私も、忘れることにしていたんだよ」 誠二はチラリと、二人の顔を見比べて、 「それにしても、こんなにそっくりだとは」 信じられない、と言うように呟いた。 一卵性双生児でも、育つうちに少しずつ個性が出てくるものだが、春彦とその双子の弟は何から何までそっくりで、髪型を同じにしたらおそらく誰にも見分けがつかない。 「それで、君はどうしてうちに? キャシーは、このことを知っているのかな」 突然現れた理由を尋ねれば、 「はい。キャシーママは、僕が十三歳になるまで、ジェシカママと一緒に暮らしていて、そのころまでは、僕の家もごく普通のファミリーだったのですけれど」 いや、普通じゃないよ。と思ったのは、ここではたぶん春彦だけ。 「キャシーママがジェシカと別れてしまって……それ以来、キャシーママは、色々な女の人をとっかえひっかえ」 「とっかえひっかえ?」 「というか、みんな同時に付き合っていて、僕のうちには常時二十人ほどの女の人がいて、チアリーディングの部室みたいな様相に……」 「それはひどい」 「アメリカの住宅事情をかんがみても、息苦しいな」 「レズビアンの駆け込み寺になってんのかもね」 「思春期の青少年が暮らす家じゃないな」 皆そろって気の毒そうに眉をひそめる。春彦だけが口を挟めず、成り行きを見守っている。 「はい。それで、僕はたびたび家出をしたんですけれど」 「家出を……」 「……それで、キャシーママが……どうせ家出をするのなら、本当のお父さんのところに行けと言って、こちらを教えてくれたのです」 ごそごそと、持っていた鞄の中を探って、 「これ、キャシーママからの手紙です」 封筒を取り出した。 誠二が開いて見ると 『よかったら、しばらく預かって。邪魔なら、すぐに送り返して』 と、実家宛ての宅急便にでも添えたような軽い文章が踊っていた。 「お父さんに……会いたかったんですけど……」 少年は、薄い肩を震わせた。 「真咲お父さんは、もう、亡くなっていたんですね……っ」 春彦にそっくりな顔をしてあまりに悲しそうに泣くものだから、桂木家の父、兄弟はひどく慌てた。 「やっぱり、僕、アメリカに帰らないとダメですか」 「いやいや、そんなことは無いよ。せっかく来たんだから、ゆっくりしていきたまえ」 「そうだよ。春ちゃんの弟なら、俺たちにとっても兄弟だもん」 「そうそう。部屋だって余ってるしさ、俺の隣だけど」 「しかし、学校は大丈夫なのかな」 「あっ、はい」 泣いていた少年は、顔を上げて、涙ぐんだままニッコリと微笑んだ。 「僕、スキップして、もうハイスクールの課程は終わっていますから」 「それは優秀だ」 気がつけば春彦が一言もしゃべらないうちに、少年の桂木家滞在が決定していた。 「そうだ。まだ名前を聞いていなかったね」 今さら気づいて、静馬が尋ねる。 少年は、花のように微笑んで答えた。 「テングサ=タロ・ジョーンズです」 「テングサ?」 「タロ?」 「はい。ニッポンの歴史上有名な、クリスチャン・プリンスからとった名前だと聞いています」 「ああ……なるほど」 何と勘違いしたのかだけはよくわかった桂木ファミリーだった。 「それにしても、タロちゃんは日本語が上手いね」 豪が感心したように言うと、 「キャシーママが日系なので、家の中では日本語もしゃべっていました。それと、ママのダディが一時期キューシューにいて、小さいころ二年ほどそこに住んでいたこともあるとです」 「へえ」 その夜のご飯の席は、タロの歓迎会となり、しばらく桂木家を包んでいた暗雲(城谷佳恵の件)も吹き払われたかに見えた。 けれども、実は、このタロの登場こそが、桂木家にとってあらたな暗黒問題の幕開けなのであった。――何だよ、暗黒問題って。 * * * 「なあなあ、哲耶」 豪は、珍しく自分から次兄の部屋を訪ねた。 「どう思う、タロちゃんのこと」 「どう、って?」 「いや、かわいいなあ、って……思わない?」 「そりゃ、春彦と同じ顔だからな」 哲耶はぶっきらぼうに答えたが、その顔に血が上っているのを豪は見逃さなかった。 「そうそう。その上、女ばっかりの中で育ったからか、なんだか弱々しげで、守ってやりたいとか思わせるタイプだよな」 「まあ、な」 哲耶は、タロを隣の部屋に案内したときの様子を思い浮かべていた。 「ここ、空いてるから。今日からタロの部屋ってことで」 なんだか犬小屋みたいなネーミングだが、タロは瞳を輝かせた。 「本当ですか。ありがとうございます。哲耶さん」 嬉しそうに頬を染めて、哲耶を見上げる。 「いや、別に、ありがとうって、俺の買った家じゃねえし」 照れる哲耶。 「でも、お部屋、お隣なんですよね。あの……もし、夜とか……」 「へ?」 「あ、いいえ、なんでもないです」 「なんだよ」 「いえ、いいんです。ありがとうございます」 「なんか、言いかけてやめられると気になるなあ」 ポリポリと頭を掻く哲耶を見つめて、タロはためらったそぶりの後、そっと言った。 「夜、怖くなったりしたら、哲耶さんのこと、呼んでもいいですか」 「へっ?」 「じゃ、じゃあ、おやすみなさいっ」 言ってしまったことを恥じるように、そそくさと部屋に駆け込んだタロ。 哲耶は落ち着かない気分で部屋に戻り、悶々としていたところに、豪がやって来たというわけだ。 「俺さあ、春ちゃんのこと大好きだけど、タロちゃん見てると、あぶない気持ちになるんだよねぇ」 「あ、あぶないって、何だよ」 「んー、春ちゃんがよりフェロモン出してるって言うか、押し倒したい気持ちになるって言うか、いっそ春ちゃんじゃなくってタロちゃんでもいいかとか」 「何言ってんだ、てめえっ」 哲耶は、豪の胸ぐらをつかんだ。 「ば、ばか言ってんじゃねえぞっ」 「ああ、ゴメン、ゴメン、そうだよね」 豪はすぐに謝った。これも、いつもの豪ならありえない素直さなのだが、興奮した哲耶は気づいていない。 「春ちゃんとタロちゃんは違うもんね」 コホと咳を一つして、豪はつかまれた襟を直して言った。 「俺が変な真似しないように、哲耶、見張っててくれよ」 それじゃあと部屋を出て行く豪は、哲耶を背にして、瞳に妖しい光を放つ。 (フフフ……これであの単純バカは、タロのことが気になって仕方なくなる……) 豪のライバル蹴落し大作戦だった。 そしてその作戦に、哲耶は面白いほど簡単に引っかかった。 それというのも、当のタロまでがその作戦を知っているかのように、哲耶に上手に甘えるのだ。 「哲耶さん、ニッポンのこと、色々教えてください」 「ああ。何でも聞けよ」 「アキバーバラ、行ってみたいです」 「秋葉原だな」 「ヤマテセン、ぐるぐるしたいです」 「いや、つまんないと思うぞ」 何しろ桂木家で、唯一、昼間自由になる男。哲耶がタロの東京観光につき合うことになったのは自然な流れだが、その結果二人の仲は、傍目で見ても急速に接近していった。 「哲耶さん、コーヒーは、ブラック?」 「ああ。それに砂糖、二個入れて」 「はい」 (いや、それじゃ、ブラックじゃないし) 突っ込もうとしたけれど、あまりに二人が仲良さげなので、黙ってトーストをかじる春彦。日曜の朝の食卓、豪はコーヒーを用意するタロを見ながら、ニヤニヤと笑う。 「なんかさあ、タロちゃん、哲耶のお嫁さんみたいだね」 「えっ」 タロは慌てて、コーヒーカップをすべり落とす。 「あっ」 「あっ、タロ、大丈夫かっ」 哲耶が飛んでいく。さすがに豪も慌てて、 「春ちゃん、雑巾とってっ」 「あ、うん」 「大丈夫か。やけどしなかったか」 「あ、そこ、あぶないから足退けて」 哲耶と豪が二人して、タロの心配をしている様子を見て、春彦は妙な気分になった。 (なんなんだ。この気持ちは……) |
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