「それならみんなで行けばいいじゃないか。お父さんが出してあげるよ」 日曜の朝、急患のために息子の誕生日に帰れなかった父親は、罪滅ぼしの意味も込めてそう言った。 けれども、 「そういう問題じゃないんだよ」 一番下の息子に、即行却下されてしまった。 「これは、春ちゃんが誰を選ぶかっていう所が肝心なんだから」 「そうそう。家族旅行なら、今さらってもんだぜ。春彦と二人っきりってとこに意味があるんだよな」 次男哲耶もうなずく。 「はあ」 春彦は、肩で溜め息をついた。 「静馬兄さん」 元凶を作った長兄を恨みがましく見つめると、 「ゴールデンウィークまでは一週間あるから、それまでに春彦が結論を出すんだね」 優しい声で厳しいことを言う。 「静馬兄さん、二つ前、じゃなくって二日前に『焦らなくていいよ、春彦、一生待つから』とか何とか言わなかったっけ?」 「そんなこと、言ったかな?」 「うぅ……」 (言ったよ、言ったのに……) と、ブツブツ呟く春彦を、父、誠二はポンポンと叩いて、 「まあまあ、春彦。今回のは、別に一生の相手を選ぶという話じゃあない。ただの一泊旅行だし、そんなに深刻に悩むことはないんだよ」 慰めたところが、 「チッチッ」 またもや一番下の息子に、即行否定されてしまう。 「何度も言うけど、春ちゃんがここで誰を選ぶかっていうのは重大な意味を持つんだよ。これから先の春ちゃん争奪戦の大事な一歩なんだから。千里の道も一歩から」 「そうだ、そうだ。千里の道も一歩を持って半ばとすだぜ」 哲耶の一歩は大き過ぎ。 「やれやれ、春彦も大変だね。いっそのことお父さんと一緒に行くか」 「ほんとっ?」 春彦は瞳を輝かせたが、 「父さん……」 「おやじ」 「マジで言ってんの?」 三対一で、これまた否決。 「なんで誕生日プレゼントで、ここまで悩まないといけないんだ」 考えれば考えるほど理不尽な気がして、春彦は眉間にしわを寄せた。 チケットを上着のポケットに入れたまま、今日も逃げ出すように外に出たところ。 「ていうか、なんでこうなったんだ」 あまりに唐突な話を聞かされ、感覚が麻痺していたが―― 「よく考えたら、俺が結婚相手を兄弟から選ぶってのが、そもそも変な話じゃないか」 今ごろ気づくなという感じ。 「そうだ。そうだよ。いくら真咲ママから頼まれているからって、静馬兄さんも、哲兄も、ついでに豪も、間違ってるよ」 そもそも、その真咲ママが間違っているのだが。春彦は、ポンと手を打った。 「よし、やっぱり家に帰ってちゃんと話そう。みんな間違ってるって」 クルリと踵を返した途端、 「わっ」 「きゃっ」 後ろにいた女の子にぶつかってしまった。 「ゴメン」 「こちらこそ」 「あれ、城谷さん?」 見れば、その女の子はクラスメイトの城谷佳恵だ。 「あ、うん、桂木くんだったんだ」 佳恵も驚いている。 「気がつかなかった。ごめんね。下向いて歩いてたから」 「下、って、何か探しもの?」 「うん……」 佳恵は眉を寄せた。 「何落としたの?」 「封筒なんだけど」 「封筒? 手紙?」 「じゃなくて……チケット」 「コンサートかなんか?」 「……うん、まあ」 「どんな封筒に入ってたの?」 「白くてツルツルした紙で、そこの地蔵通り商店街のマークが印刷されているの」 「ああ、あの笠地蔵ね」 そんな封筒に入っているんじゃ、コンサートといっても演歌か何かだろうなと思いつつ、 「俺も一緒に探すよ」 春彦は佳恵に申し出た。心根の優しい少年である。 「え、いいよ。悪い」 「いいって、いいって、どうせ暇なんだし」 「でも……」 「どの辺で無くしたって気がついたんだ?」 春彦は佳恵の先に立って、道端を注意深く探しながら歩いた。 「家に帰って、ポケットからカギを出そうとしたとき」 「家?」 「だから今帰ってきた道、全部引き返して見ているんだけど」 「スタートは、そこの地蔵通りなのか」 「うん」 「途中で見逃してないか?」 「それを言われると……」 結局、春彦は、佳恵の家と商店街を二往復半、つき合った。 「無いなあ」 「うん、ゴメン、きっともう誰かに拾われたか下水にでも落ちたんだと思う。もういいよ、ありがとう桂木くん」 「でもなあ」 「いいの、いいの」 「席番号とか控えてなかったの?」 「えっ?」 「わかれば、チケット無くても入れてもらえないかなあ」 「あ、ううん。違うのよ。コンサートじゃないの」 「え? だって、さっき」 「ちょっと恥ずかしくてごまかしちゃったんだけど、本当は、商店街の福引で当てた温泉旅行のペアチケットなの」 「温泉旅行?」 「そのまま使えるやつだから、たぶん再発行はしてもらえないと思う。もう、いいよ」 「温泉って……どこ?」 「草津。……お母さんがすごく喜んでいたから、無くしたって言いづらくって。なんとか見つけたかったんだけど……」 佳恵は泣きそうな顔で笑った。 「あ、あのさ。北海道じゃダメかな」 「え?」 「北海道の旅行チケット。二人分。ペア」 春彦は上着のポケットから、件の誕生日プレゼントを取り出した。 「お母さんに、これ渡しなよ」 「ちょっと。なんで。どうして」 「お、俺も、もらったんだよ。でも、ちょっと……その、一緒に行く相手が……」 「そんなの。誰でも誘って行けばいいじゃない」 「それが、そういうわけに行かないから……」 困っている春彦だ。 「もらえないよ。こんなの」 「いいから、いいから。だって、お母さん楽しみにしてたんだろ」 「あ……」 「手違いで、草津じゃなくて北海道になったって言ってみなよ。それで、北海道じゃ嫌だっていったら、また考えようぜ」 「う……うん」 佳恵はチケットを握り締めてうなずいた。春彦は、ホッとした顔で、 「じゃ、また学校で」 手を振って別れた。 「せっかくの静馬兄さんのプレゼントだったけど、人助けだって言ったらゆるしてくれないかな」 なんだかんだいっても甘やかされて育ってきている春彦は、考え方もアマアマだった。家に帰った春彦が、 「実は、兄さんたちには悪いんだけど、あのチケット、クラスの女の子にやることにした」 と、発言したとたん、桂木家をパニックが襲った。 「オンナっ? なんでオンナにっ?」 「春ちゃんっ、いつの間にそんな」 「クラスのってことは、春彦と同い歳? そんな二人で旅行なんて何を考えているんだ」 「歳の問題じゃねえよ、静馬兄っ。春彦に、春彦にオンナがいたなんて……」 「嘘だよねっ、春ちゃんっ、嘘だって言ってっ」 「どこのなんていうお嬢さんだ」 「春彦をたぶらかしたオンナをお嬢さんなんていうなあっ」 「嘘だよねっ、春ちゃあああん」 「…………」 春彦は、兄弟の恐慌ぶりに二の句を失っていた。 そう、言葉だけ聞くと比較的冷静にみえる静馬ですら、青ざめて震えているのだ。いわんや、後の二人をや。 そこに桂木家御大登場。 「また今度は、どういう騒ぎだい、息子達よ」 「春彦が、北海道、オンナと行くって」 「ひどいよ、春ちゃん、いつの間にっ」 (ち、ちがう、って) 言葉にならない春彦に、 「春彦に彼女が? オーマイガーッ」 父親までが誤解して、頭を抱えている。 「信じられない。真咲と私のDNAを受け継ぎながら、そんな子どもに育ったなんて。ジーザース!」 「父さんのDNAは受け継いでないでしょう」 訂正する静馬は、青ざめていてもやはり冷静だ。 「そう。しかし、春彦の母親になった女性も筋金入りの同性愛者だった。後から色々もめたくなかったから、お互い子どもが作れないもの同士ということで……」 そんな話を今されても困るよと、春彦は思った。 「あっ、だからだよ!」 豪が叫んだ。 「何がだ」 「春ちゃんのDNAの半分は、筋金入りの女好きなんだーっ」 「ああああっ、そうだったのかっ」 「うおおーっ」 父親と兄弟たちが頭を抱えて、床を転がる。 「いや、だからDNAを過信しないで。……そもそも、多くの場合、遺伝子、DNAは、メッセンジャーRNAという物質に転写された後、タンパク質へと翻訳されることによって細胞あるいは生体に遺伝情報が伝えられるわけだけれど、翻訳だって時には色々な癖がでるだろうし、例えばオペラ座の怪人だって、どうして戸田奈津子はあんな翻訳しか出来なかったんだろうって……」 なだめる静馬も、やはりいつもの静馬じゃない。 春彦はそっと自分の部屋に戻った。 |
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