朝食を済ませてしまうと、兄弟たちから逃げるようにして部屋に戻った春彦だったが、一日中閉じこもっているわけにもいかず、思い立って出かけることにした。 着替えをすませて靴を履いていると、 「春ちゃんでかけるの?」 「うん」 「どこ行くんだよ」 豪と哲耶が玄関まで追いかけて来た。 「健治んち」 「健治って、あの北村くん?」 リビングにいた静馬も顔を出す。週休二日制の静馬も今日は休みだ。 「うん」 「あんまり早いとご迷惑じゃないか」 「大丈夫」 「春ちゃん」 豪は、何か言いかけたが、 「なるべく早く帰って来てね」 無理やり笑った顔で手を振った。 「ごめん。朝から」 「いや、いいけど。ていうか、もう朝って時間でもねえし」 「でも、寝てたんだろ」 「うん、まあ」 健治は寝癖のついた頭を掻いて、 「とりあえず、あがれよ」 春彦を家に上げた。 「母ちゃん、そのうちパートで出てくからさ」 「おじゃまします」 春彦は、台所で忙しそうに動いている健治の母親に聞こえるように言って、そのまま二階への階段をあがった。 「朝ご飯は?」 顔を洗ってきた健治にたずねると、 「下で母ちゃんが作ってるから後で取りに行く。あ、春彦は?」 「俺は食ってきた」 「そう」 そのまま、不自然な沈黙が続く。 「どうかしたん?」 健治は、いつもと様子が違う春彦に首をかしげた。 「う、ん」 とりあえず返事をしたものの、それ以上言いようが無い。黙ったままの春彦に、 「何だよ、言ってみろよ」 健治は向き合うように腰を下ろした。 「俺に言ってもしょうがないけど、言えばスッキリすることもあるじゃん」 「う、ん……」 スッキリするだろうか。 (いや、しない) というより、あんなこと言える訳がない。 春彦は、ガックリうなだれた。 「なんだよ、元気出せよ」 健治は春彦の肩を叩いて、 「まあ、言いたくないならいいけど、春彦がそんなだと調子狂うぜ。あっ、そうだ」 思いついたように立ち上がった。 「ゲームするか? 新しいソフト買ったんだ」 「ゲーム?」 健治の部屋には、14インチの古いテレビとプレステ2がある。 「ちょっと長くなるけどよ。せっかく早く来たんだし。今日一日やれば二つくらいエンディング見られっぞ」 健治は、かわいい女の子がたくさん描かれているケースを開きながら言った。 「シスターシリーズ、知ってるだろ?」 「……あの、妹がいっぱいいて、『お兄ちゃん大好き』って言うヤツ?」 「そうそう、それの新作でさ。今回は、妹だと思って一緒に育てられた女の子たちが、実は主人公の婚約者だったって話で」 妙なシンクロニシティに、春彦はギョッとする。 「こっ、婚約者が、なんで妹として育てられるんだよっ」 「昔の旧家とかじゃよくあったんじゃねえの? これもそういう設定だよ。華族の末裔の、お屋敷での話」 「うちは華族じゃない!」 「へっ?」 「あ、やっ」 春彦は口を押さえ、健治の不審なまなざしをごまかすように、早口に言った。 「あ、あのさ、それにしても、婚約者が複数いるってのは、やっぱりおかしいよ」 「なんで?」 「だって、結婚相手なんて一人でいいじゃないか」 「それじゃ、面白くないだろ?」 「面白がるなよっ!」 叫んだ春彦に健治は面食らう。 「どうしたんだよ、お前」 「だって、そんな、三人の中から選べって言われたって……」 すっかり自分のことにすりかわっている春彦。 「いや、三人じゃなくて十二人だけど?」 「そんなにっ?!」 春彦は驚愕した。 健治の持っていたゲームソフトをまじまじと見て、ポツリと呟く。 「上には上がいるもんだな」 もちろん、健治に、何のことだかわかるはずは無かった。 結局、シスターフィアンセ、略して『シスフィ』をするのはやめて、春彦と健治はテレビを見たり漫画を読んだりして、半日を潰した。お昼は健治がラーメンを作ってくれた。その好物のラーメンを食べている時でさえ、また、毎回健治に借りるのを楽しみにしている某ジャンプコミックスの最新刊を読んでいるときでさえ、何度も、思い出したように暗い表情(かお)をする春彦を見て、さすがに健治も心配になった。 「何があったかしんねえけど、春彦が何か深刻に悩んでるってのは、わかったよ」 「ごめん、健治」 (遊びに来といて、こんなんじゃ……) さぞ健治も迷惑だろうと謝ると、 「謝んなよ、それよりいい方法、教えてやっから」 「いい方法?」 「ああ、俺、最近、発見したんだけど」 健治は丸くて小さい瞳を輝かせた。 「落ち込んだときとか、何か深刻に悩むようなことが起きた時……」 何を言うのかと身を乗り出した春彦は、 「ちゃらら♪らら らーん♪」 健治の口から出た素っ頓狂な声に、そのまま前のめりに倒れた。 「ほら、よくマジックショーとかで流れてるじゃん。曲の名前は知らないけどさ」 ポール・モーリア『オリーブの首飾り』である。 「ちゃりら♪らら らーら らぁーん♪」 続きを歌う健治。春彦は起き上がった。 「わ、わかったから、何?」 「だからさ、深刻に悩むようなことがあった時、頭ん中でこれ歌ってみろよ。全部、バカバカしくなるから」 「…………」 「俺、母ちゃんに叱られた時とかこれやるんだ。ついでに母ちゃんのパーマ頭から、花がポンポンって開いて鳩が飛び出してくるところまで想像すればカンペキ」 「…………」 「なっ」 声の無かった春彦だったが、健治の気持ちが嬉しくて、 「ありがとう、健治」 ようやくクスッと笑った。それを見て健治も笑う。 「いいだろ。ほかの曲も色々試したんだけど、やっぱこの曲が一番なんだよ」 「ほかの曲って?」 「ミッキーマウスマーチとか。あとは運動会でよくかかるアレ」 「アレか」 「うん。アレは、何かをものすっげぇ急いでやりたい時に頭の中で歌うといいぞ」 「あ、なんかわかる」 「だろ」 そして夕方、健治の母親がパートから帰ってきたのを潮時に、春彦は帰ることにした。朝よりはずいぶん元気になっている。 「とにかく、あんまり悩むのはよそう」 自分に言い聞かすように呟くと、健治の家から目と鼻の先の電信柱の陰に、見覚えのある長身が二人。 「豪、哲兄も」 言わずと知れた桂木家次男と四男。 「何してんの? 二人とも」 「あっ、いや、春彦がなかなか帰ってこないから……迎えに」 哲耶が言い訳がましく言うと、 「俺はそのストッパー」 豪は肩をすくめて言った。 「哲耶が、連れて帰るとかいって騒いできかないから。誰のせいで居づらくなって出かけたかわかってないんだよ」 「わかってるよ。わかってるから、迎えに来たんじゃないか」 哲耶は、豪に向かって言うと、 「ゴメン、春彦っ、俺が悪かった」 春彦に深々と頭を下げた。 「俺、なんか焦りすぎてて、昨日から、春彦にひどいことした」 「哲兄」 「だけど、もうしない。絶対しない。だから、俺のせいで家を出てったりしないでくれよ」 哲耶の男らしい顔が泣きそうになっているのを見て、春彦は胸を締め付けられた。 (こんな哲兄見たの、初めてだ) 「頼む、春彦」 「そんな……家を出たりなんて、しないよ。するわけないじゃん」 「春彦」 「春ちゃん」 豪までホッとした顔をしているのは、やはり心配していたのだろう。 「じゃあ帰ろうよ。今日は春ちゃんの誕生日だから、静馬兄さんがごちそう作ってくれてんだよ」 豪がスルリと春彦の右腕に自分の両手を絡めた。 「あ、そう言えばそうだった」 「なんだよ、自分の誕生日、忘れてんのか」 そして哲耶は春彦の左腕を捕らえる。 「わ、忘れてないよ」 (ただ、昨日の夜がちょっと衝撃的すぎて……) 既に遠い昔のことのような気がするのだ。 小さな子どもたちなら微笑ましいだろうが、大の男三人では甚だ迷惑としかいえない三列横隊で家に帰ると、 「おかえり」 静馬がすっかり食事のしたくを整えていた。 「迎えに行ってからずいぶん経つから、心配したよ」 「えっ、そうなの?」 振り向くと、二人とも気まずそうに目をそらす。 「豪も哲耶も、北村君の家まで呼びにいくと言ってきかないから」 「俺は違うよっ」 豪がむきになって否定する。静馬は笑って相手にしない。 「とにかく、三人とも手を洗って来い。父さんは、帰りが遅くなるから先に始めてくれって電話が入ったから」 「はあい」 長兄の言葉には素直に従い、バタバタと三人は洗面所に向かった。 「ケーキは、昼間、俺が買いに行ったんだよ」 豪がロウソクを立てながら言う。 「ロウソクも、ちゃんと十六本くれって言ったんだ」 「ケーキが蜂の巣みたいになるね」 「平気、平気」 「じゃあ火をつけるぞ」 豪と静馬が手分けして、ライターで火をつけていく。 お約束のハッピーバースディも合唱し、 「さあ、春ちゃん。思いっきり吹き消して」 「う、うん……」 春彦は息を吸ったが、そのまま動かない。 「さあ」 「どうしたんだ?」 「春ちゃん?」 「……あのぉ」 春彦は、三人に言った。 「そんなに見つめられると、やりにくいんだけど……」 見つめているだけではなく、三人とも春彦と同じくらい真剣にケーキに顔を近づけていた。 ともかく、ロウソクは吹き消して、 「いただきまあす」 和やかに、食事が始まる。桂木家でただ一人ちゃんとした料理のできる男、静馬の特別メニューはそこいらの店より断然美味い。 「すごいね。これ全部手作り?」 春彦の感嘆の声に、静馬は満足そうに肯く。 「春彦の誕生日だからね」 実は、前日から下準備していた、今日も一日ががりの代物だ。 「時間があれば、ケーキも焼きたかったんだが」 「会社の人に聞かせてやりたい」 勤め先の製薬会社では、冗談も言わないカタブツで通っている。 「いいんだよ、ケーキは俺が買ってきたんだからさあ」 「だよね」 春彦が、気を使って相槌を打つと、 「俺だけ何もしてないと思ってる?」 哲耶がいじけた声を出した。これもまた、運動部の後輩に聞かせてやりたい声だ。 「そんなこと思ってないよ」 「俺からは、誕生日のプレゼントな」 哲耶はガサゴソと椅子の下から包みを取り出した。 「あ、俺だってプレゼント用意してるよ」 豪も慌てて、ドアの後ろに隠していたものを取りに行く。 「俺のから、開けろよ」 哲耶に急かされ、 「あ、うん。ありがとう」 ラッピングされた包みを開くと、某大河ドラマのDVDセットだ。 「うそーっ」 こんなに高いものを。と、春彦が驚くと、 「今年の誕生日は特別だからさ。春彦の欲しがってた物、いろいろ考えたんだ」 哲耶は嬉しそうに笑った。大学生になってようやく解禁になったバイトをたて続けに入れて、前借りまでした苦労が、 「ありがとう、哲兄、すっごい嬉しい」 この一言ですべて報われた。 「俺のはさあ、金無いから、その分、企画で勝負ね」 豪が、かなり大きな包みを抱えてきて、春彦に差し出す。 「なにこれ」 「本当は、プレゼントは俺♪ とか、言いたいんだけどさ」 開いてみると、 「抱き枕?」 身長ほどの大きさの、馬鹿デカい枕だ。そして上のほうに、 (げっ) 顔がついている。 「これ、豪?」 似ているといえば、似ている。 「クラスの女子に作ってもらったんだよ。あっ、もちろんタダじゃないよ」 宿題、二週間分。 「バーカ、お前、何考えてんだ」 哲耶が枕に拳をめり込ます。 「俺によこせ、サンドバッグにしてやる」 「やめろよ、何すんだよ」 「よさないか、二人とも」 例によって静馬が止めに入る。春彦は急いで言った。 「ありがとう、豪。抱き枕は欲しかったんだ」 「うん、前にそう言ってたもんな」 でも、豪の顔はいらなかったのだけれど。 これを抱いて寝るとうなされそうな気もするが、かわいい弟のプレゼントだ。春彦は、改めて感謝の言葉を述べた。 そして、最後に長兄が、 「じゃあ、私から」 おもむろに内ポケットに手を入れた。出て来たのは、横長の封筒。 「春彦、去年からずっと行きたがっていたからね」 「えっ」 封筒の中から出て来たのは、二枚のチケットだ。 「函館?」 「そう」 東京、函館間往復チケット、ホテルつき。 「ゲゲゲッ」 「マジ?」 これは哲耶と豪の声。 「ちっ、やっぱ社会人の財力にゃかなわねえ」 「ていうか、ペアじゃん」 「当たり前だ。一人で行っても、つまらないだろう」 静馬の言葉に、 「えっ、じゃあ、俺が一緒に行く」 「俺、俺っ」 哲耶と豪が、争うように手を上げる。 「何をいってるんだ」 静馬が顔を引きつらす。 「私が一緒に行くために買ったんだよ」 決まっているだろう。 「えーっ、何でだよ」 豪が、食い下がる。 「春ちゃんにプレゼントしたんなら、春ちゃんの物だろう。春ちゃんが誰と行きたいかだよ」 「そう、そうっ」 このときばかりは、哲耶も豪の味方だ。 「確かにそうかも知れないが」 静馬は、図々しい二人の弟の言い分にも、ひとまず肯いた。 「しかし」 長兄の威厳を持って言う。 「未成年同士の旅行なんて、許可できないな」 「なんでだよっ! 未成年同士の旅行がダメなら、青春18切符の立場はどうなる」 口の減らない中学生である。 哲耶はいつものくせで「お前まだ十八になってないじゃん」と言いたかったが、さすがに堪えた。桂木家長兄に対抗するには、共同戦線が不可欠なのだ。 「とにかく、春ちゃんが選んでよ」 豪は春彦を振り向く。 「あ、俺、スキー部の合宿で北海道行ったから、案内できるぜ」 哲耶がすかさず、自分を売り込む。 「春ちゃん、俺と一緒に行った方が五稜郭もグレイミュージアムも楽しいと思うよ」 豪も、話の合うところを積極アピール。 一見微笑んでいる静馬からは「お金は私が出しているんだよ」という無言のオーラが漂ってくる。 「春彦っ」 「春ちゃん」 「春彦のいいようにしなさい」 「…………」 春彦は困った。困った末、 「ちゃらら らら らーん♪」 頭の中で歌えといわれていたそれを、思い切り口ずさんでいた。 |
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