「誰も、って?」
 春彦は、先ほどよりは短い時間で、自分を取り戻した。
 あまりに極端な話なので、却って、最初ほどの衝撃がない。
「静馬兄さんも、哲兄も、豪も、みんな養子なの?」
「そういうことだ」
 三人を振り返ると、誰も取り乱していない。どうやら知らなかったのは自分だけだとわかり、春彦は顔に血を上らせた。
「なんだよ。なんでみんな知ってて、俺だけが知らなかったんだよ」
 くってかかると、静馬は眉根を寄せて、なだめるように言った。
「私と哲耶は、ここに引き取られた時の記憶があるからね」
「まあ、俺はうっすらとだけどよ。でも、真咲ママからも直(ちょく)に聞いたし」
 哲耶は、人差し指でポリポリと頬を掻く。
「俺は、静馬兄さんと哲耶が話してるのを偶然聞いて」
 豪は、これまた大人びた仕草で肩をすくめた。
「そんな……」
 春彦は、唇をかんだ。
「だったら俺にも、そん時教えろよっ!」
「真咲の遺言だったんだ」
 父親誠二が、立ち上がった。
「お前が十六になるまで黙っていて欲しいというのが、真咲の最後の頼みだったんだよ」
 誠二は、サイドボードの上に並んでいる写真立ての一つを取り上げ、そこに写る笑顔を愛しげに見つめた。
「真咲ママの?」
「そう。お前が、自分でちゃんと考えることのできる歳になった時、真実を打ち明けて、選んで欲しいと」
「選ぶ?」
「そうだ……」
 写真をそっと元に戻して、誠二は、息子たちを振り返った。
「春彦が、伴侶として、誰を選ぶのか」
 春彦以外の三人の面に、わずかに緊張が走った。
 そして、春彦は、頭の上にクエスチョンマークを飛ばした。
「はんりょ、って何?」





「つまり、お前が、俺たちの誰を一番好きになるかってことだよ」
 じれったそうに哲耶が言うと、静馬が秀麗な額にしわを寄せた。
「哲耶、父さんの話が終わるまで」
「わかってる」
 プイと横を向く哲耶。春彦には、訳がわからない。
「哲兄がわかっても、俺、わかんないよ。はんりょって?」
 半魚じゃないよね? と聞くと、中学生の豪が、子どもに向かって言うように春彦に答えた。
「連れとか仲間って意味だけど、この場合は、一生を伴にする連れって意味で、まあ、結婚相手みたいなものだよ」
「結婚?」
 春彦は、頭上のクエスチョンマークの数を増やした。
「なんで、俺が静馬兄さんや、哲兄と結婚すんの?」
「俺も、選択肢に加えてよ」
 豪が、すり寄る。
「だから、何で、男の俺が、男の兄さんや弟と、結婚するんだよ」
「まあ、結婚とはいわないけど、一生そばにいて、守ってあげるってこと」
 豪は、懐かしいユーミンの曲を口ずさむ。年齢不詳の子どもだ。
「何で、俺が、守られるの」
 春彦は、混乱する。
「それが、真咲のたった一つの望みだったからだよ」
 くううっ……と、誠二が芝居かがった仕草で目頭を押さえた。
「真咲は、自分の分身とも言うべき春彦のために、静馬と哲耶と豪を引き取ったのだ」
「はいっ?」
 春彦のクエスチョンマーク、さらに倍、ドン。



「父さん、私からも補足していいですか?」
 見かねて、静馬が口を挟んだ。
「かまわんよ」
「春彦、ゆっくり、落ち着いて聞いて」
 静馬は、ソファに固まっている春彦の前にすすんで、膝をついた。
「真咲ママの血をひいているのは、私たちの中で、春彦一人なんだ」
「え、じゃあ、俺は、真咲ママの子どもなの?」
 さっきまでは、全員が養子だと思っていた。
「そう。心臓の弱い真咲ママは、小さな頃から何度も発作を繰り返して、自分がそう長く生きられないと知っていたんだ。それで、自分がこの世からいなくなった後にも、自分の分まで生きて、幸せになって欲しいと春彦をこの世に誕生させた。そして、その春彦を幸せにするために、春彦のナイトを用意したんだよ」
「ナイト?」
 夜という意味ではなさそうだ。
「私も哲耶も、真咲ママに直接頼まれたんだ。どちらでもいいから、春彦を愛して、一生守ってやって欲しいと」
「だからあ、俺を除け者にするなよう」
 豪が唇を尖らせる。哲耶は、意地悪く口元を歪めた。
「お前は、ついでに拾われただけだ。俺たちと違って、真咲ママに頼まれてないだろう」 
「あのなあ、真咲ママが死んだ時、俺は二つだよ。頼まれてても憶えてねえっての」
 喧嘩をはじめる哲耶と豪を一睨みで黙らせて、静馬は春彦に向かって微笑んだ。
「私たちは、このことを春彦に告げる日をずっと待っていたんだ」
 膝の上で固く握り締めていた手が、優しい指に包まれる。
「春彦……私たちは、みんな、お前を愛している。私たちの中から伴侶を選んで欲しい」
「ま、待って……」
 わかったようで、わからない。
「ええっと、俺とみんなは、血がつながってなくて、だからハンリョになれて、でも、俺たち、男同士で……」
 そこで春彦はハッとして、いきなり自分のパジャマの襟を広げて、覗き込んだ。
「ひょっとして、俺、実は、女だったとか?!」
 しかし目の前にあるのは、まっ平らの胸。そう、生まれて十六年、自分の性別を間違っているわけはなかろう。
「春ちゃん、かわいいっ」
 豪が耐え切れないように、床に崩れ落ちる。
 哲耶も、頬を染めてうなずく。
「春彦は、男でも、その辺の女なんかよりずっとかわいいぜ」
 なんなんだ、この状態は。――春彦は、思った。
 ひょっとして、誕生日にかこつけた「ドッキリ」ではないだろうか。
 テレビカメラに隠し撮りされているのではなかろうか。
「春彦、何をしている」
「いや、カメラを探して」
 うろたえて、部屋をうろつく春彦を、静馬がソファに連れ戻す。
「とにかく、私たちは、真咲ママの遺言だからというだけでなく、心から春彦を幸せにしたいと思っているんだよ。だから、今日からそのつもりで」
 静馬がそう宣言した瞬間、壁の時計が十二時を打った。
「誕生日、おめでとう」
「おめでとう、春彦」
「春ちゃん、おめでとう。十六歳だね。俺もすぐ追いつくから」
「追いつくか、バカ」
「お前にバカと言われるおぼえはねえよ、筋肉バカ」
「バカって言うヤツがバカなんだぞっ」
「お前が先にバカって言ったの。ってか、三流とは言え大学生にもなってそんなこと言ってるヤツ、お前くらいだ」
「二人とも、いいかげんにしろ。春彦の大切な誕生日をくだらない喧嘩で迎えるつもりか」

 春彦にとって、大きな人生の転機を迎えた誕生日だった。
 



 
「父さん、いっこだけ聞いていい?」
 部屋に戻る前に、春彦は訊ねた。
「なんだい?」
「俺は、真咲ママの子どもなんだよね」
「ああ、そうだよ。この世でただ一人、真咲の血をひく息子だ」
「でも、さっき、ここにいる俺たちは、誰も血のつながりがないって言ったよね」
「うむ」
 それには、父親誠二も含まれている。
「じゃあ、俺の……」
 春彦は、言いよどんだ。しかし、聞かないわけにはいかない。
「俺の、父親は、誰なんだ?」
 春だというのに、部屋の空気が凍りついた。


「……静馬」
 お前から話せと父親に言われて、静馬は重い口を開いた。
「春彦、落ち着いて聞いてくれよ」
 もう何度目だろう、そのセリフは。
「今さら何を言われても、驚かないよ」
「じゃあ、言うよ。お前のお父さんは――」
 静馬は、まっすぐに春彦を見つめて言った。
「真咲ママだ」
「…………」
 静馬は、長い睫毛を伏せて、そっと打ち明けた。
「真咲ママは、自分がもう長くないと知って、アメリカ人の女性に代理母になってもらって、自分の精子で、春彦を生んでもらったんだよ」
「…………」
「幸い、体外受精に関しては、私の仕事柄、専門家の知り合いも多くてね」
 実は職業開業医の誠二が、目に涙を浮かべて語る。
「真咲が、大きな発作の後で、突然、自分の子どもを残したいと言った時には、私も悩んだのだけれど、でも、真咲の分身だと思うと、真咲以上に私が乗り気になってしまってね。思った通り、真咲によく似た春彦をこの手に抱いた時には、感激で涙が止まらなかった」
「…………」
「俺も写真でしか知らなかったから、真咲ママが男だって聞いたときはビックリしたけどね」
 そう言って春彦を見た豪は、
「春ちゃんっ?」
 大声を出した。
 それぞれに真咲との思い出に浸りかけていた三人も、いっせいに春彦を見る。
「大丈夫っ?」
「白目むいてるぞ」
「父さんっ」
「大丈夫、脈は正常だ」
「とにかく、ベッドに」
「あっ、きたねえ、静馬兄っ」
「何がだ」
「俺に運ばせろよ」
「俺、俺」
「お前に運べるか、チビ」
「なんだとおっ」
「お前たち、解禁になった途端にこれじゃあ、先が思いやられるねえ」









 大きく寝返りをうった拍子に、ヘッドボードから読みかけの本が落ちてきた。自分の手で落としたらしい。春彦は、ゆっくり目を開けた。
 昨夜遅くまで起きていたからか、目が覚めたのはいつもよりも二時間も遅く、窓の外からカーテンの隙間をぬって、眩しいほどの日差しが差し込んでいる。平日なら完全に遅刻だが、土曜日の今日、春彦の通う高校は休みだ。

「目が覚めると、何もかもが夢だった――」
 春彦は、ベッドの中でつぶやいた。
「あーっ、変な夢見た」
 ガシガシと頭を掻いて、起き上がる。
 へッドボードに置かれた写真立てには、真咲ママとまだ赤ん坊の自分、そして二人の兄と、生まれて間もない豪を抱いた父親が写っている。家族六人が一緒に写っている数少ない写真の一枚だ。
「真咲ママが、男だってさ」
 春彦は、苦笑した。
 ピンクのタートルネックのセーターを着て微笑む美しい顔は、誰がどう見ても女性のものだ。
 しかし――と、春彦は違和感を覚えた。
 上の二人の兄同様、マザコンと呼ばれて憚らない春彦の部屋には、真咲ママの写真はたくさんあったが、気がつけば全て、襟の高い服を着ているか、スカーフをしている。
「…………」
 喉の弱い人だったんだ――春彦は、自分に言い聞かせた。



「……はよ」
 ほんの少し緊張して、リビングのドアを開けると、
「おはよう」
 いつもの静馬の、穏やかな笑みが迎えてくれた。春彦はホッとした。
「父さん、もう病院?」
「ああ、さっきまで春彦が起きてくるのを待っていたんだけれどね」
「そう」
「おはよーっ、春ちゃん」
 珍しく春彦より早起きをしていた豪が、台所から顔をのぞかせた。
「トースト二枚でいい?」
 食パンを袋から出して見せる。
「うん」
 よかった。いつもの朝だ。
 春彦がテーブルにつくと、バタバタと忙しない足音がした。
「春彦っ」
 次兄の哲耶だ。
「一晩、考えたかっ?」
 哲耶の言葉に、静馬と豪があからさまに顔をしかめた。
「なあ、誰にするんだよ、春彦っ」
「だ、誰って……」
 春彦は、声が震えた。心臓が高鳴る。
「この猿っ、そんなん急に決められるわけないだろっ」
 豪の蹴りが哲耶を直撃。
「まったくだ。お前の辞書には、デリカシーという言葉はないのか」
 静馬の呆れた口調に、春彦は涙目でたずねた。
「夢じゃ、なかったんだ」
「うん?」
 静馬は、優しく目を細めた。
「焦らなくていいんだよ、春彦。私たちは、お前が誰か一人を選ぶまで、一生、そばにいるからね」








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