「教えてあげるよ」
「あ…」
 アリエルはベッドに押し付けられて、わずかに抵抗して身体をよじった。けれどもそれは反射的な仕草でしかない。反応が鈍いのは頭の中がひどく混乱しているからだ。自分に起こっていることがわからない。酩酊しているように。
 アリエルは押し倒されたまま、ぼんやりと天井を仰いだ。

 信じられない。
 自分が父クレマンスの子供ではないなんて。
 あの優しい母親が、父親を、自分を、裏切っていたなんて。
 自分の本当の父親が、ジュスタンの――?
(嘘……)
 何がなんだかわからない。
 その上、自分の怪我は事故じゃなかった? 自殺? 何故?
(そんな……)
 わからない。わからない。
 何がこの身に起きたのか。

 悪い夢を、見ている気がする。



「っ……」
 されるがままになっていたアリエルも、シャツのボタンを全部外され前をはだけられると、その冷やりとした感覚に我に返った。
「やめて」
 押し返そうとすると、両手をひとまとめに握られ、頭の上でシーツに押し付けられた
「やっ、嫌」
 慌てて身体を跳ね上げたけれど、ジュスタンは余裕の笑みさえ浮かべ、その上に覆いかぶさってきた。同級生の中でも身体の小さなアリエルは、一つとはいえ年上のジュスタンとは体格の差がありすぎた。暴れてもジュスタンの身体はビクともしない。
 逆に、手首を強く握られて
「痛い」
 アリエルは悲鳴を上げて、動けなくなった。
「急に暴れるからだよ。さっきみたいにおとなしくしておいで」
「やっ……やめて、お願い」
 アリエルの瞳から涙があふれる。
「いい顔」
 ジュスタンはペロリとその雫を舐めた。
「んっ」
 顔を背けると顎をつかまれ、アリエルは怯えた瞳で見返す。
 ジュスタンはアリエルの顔を押さえたまま、しばらく黙って見つめた。感情の読み取れない灰色の瞳。その沈黙と恐怖に耐え切れず、アリエルが、
「お願い……やめて……」
 掠れた声を絞り出すと、ジュスタンはフッと笑った。
「ねえ、兄弟なのに、似ていないね、僕たち」
 ジュスタンの手が顔から離れた。手首を掴む腕からも一瞬力が抜けたように感じて、アリエルは解放してもらえるのかと期待した。けれど、
「父は死ぬ間際に『天使が迎えに来た』って言ったよ。きっと君みたいな……ううん、まさに君のことだね」
 再び手首に力を込められて、
「うっ…」
 鋭い痛みとともに、シーツに縫いとめられる。
「天使の顔をしているくせに……」
 ジュスタンは、唇をアリエルの胸に落とした。ピンク色の薄い皮膚を舌の先で押しつぶす。アリエルはビクンと身体を震わせた。
「初めてじゃないんだね」
 ジュスタンは忌々しそうに呟く。
「ん…っ」
 執拗な舌先の愛撫に、アリエルの胸の突起が赤く染まる。
「こっちも」
 もう一つの突起も指の先で擦られ、ごく小さな紅い実のようにしこった。 
「やめ…て……」
「もう、いやらしく尖ってる」
 舌でなぶりながら、自分の唾液で光る乳首を見つめてジュスタンは囁く。
「あの女の子供だものね」
「やめ」
「天使の顔をした淫売」
「ひっ」
 胸の尖りを強く抓られて、アリエルは小さく悲鳴を上げた。
「好きなんだろう? こういうの」
「ちがっ……」
 いやいやをするように首を振り、
「やめて、お願い……お願い……」
 泣きながらの懇願も、ジュスタンの耳には届いていない。
「ねえ、ひょっとして、アルベルトともこういうことしているの」
 ジュスタンの問いかけに、アリエルは身体をこわばらせた。
「してないっ」
 一瞬遅れて叫んだ。
「してない、こんなこと」
(していない。誰とも、こんなこと……)
 自分だけでなくアルベルトまでが汚されたような気がして、アリエルは必死の思いでジュスタンを睨みつけた。
「そう……別にいいけど」
 ジュスタンは、思いがけないアリエルの反抗的な視線にしらけたような顔をしたけれど、すぐに目の前の身体に興味を戻した。
「だったらなおさら、君が僕とコンナコトしているの知ったら驚くだろうね」
 裸の白い胸を強く吸い上げて、紅色の跡を残す。
「大丈夫、僕は誰にも言わないから」
 ジュスタンは自分のつけた跡を、満足げに指でなでた。
「…………」
 アリエルは、ぼんやりとその動作を見た。ジュスタンの言葉を繰り返す。
(アルが、知ったら……?)
「やっ、嫌だ」
 はじかれたように叫んで、アリエルは、身体を揺すってジュスタンを振りほどこうとした。自分になされていることが、ようやくはっきりと理解できた。
「はなしてっ」
 激しく抵抗すると、ジュスタンは眉間にしわを寄せて毛布を掴んだ。
「大声出すなよ」
 アリエルの頭から毛布をかぶせる。
 その瞬間、アリエルはひどいパニックに襲われた。
 忘れていた恐怖の夜がよみがえる。
 あの夜、眠っていたら、見知らぬ誰かにカーテンを被せられた。そして――
「いやあぁーっ」
 突然の甲高い悲鳴に、ジュスタンは慌てた。
「静かにしろ」
 声を抑えようと毛布で頭を押し包むと、アリエルは気が狂ったように暴れた。
「いやっ、いやだ、いやああっ」
 さすがのジュスタンも手をつけられない。アリエルは、叫び声とともに毛布を剥ぎ取ると突然咳き込んだ。そのまま胃の中のものを吐き出す。
 ジュスタンはその様子に目をむいた。
 身体を折り曲げて苦しそうに咳き込むアリエルを呆然と見ていると、ノックの音がした。
「アリエル、大丈夫? どうしたの?」
 隣の部屋のパウルの声。ジュスタンは舌打ちした。
 アリエルは、もともとそれほど胃に入れていなかったようで、吐くものも無くぜいぜいと背中を震わせている。
「アリエル」
 消灯を過ぎた時間に遠慮して、パウルは小さな声で呼びかける。
「アリエル、起きてるんだろ? 開けて」
(このまま無視していようか)
 ジュスタンは、扉を眺めつつ考えたが、
「…パウ…ル……」
 アリエルがのろのろと身体を起こしたので、決心した。
 アリエルの身体を抱えあげると、もう一つのベッドに移し、寝かせて毛布で首まで隠す。アリエルが汚したシーツを小さく丸めてドアを開ける。
「パウル」
 突然アリエルの部屋から出てきたジュスタンに、パウルは驚いた。間髪いれずにジュスタンは、丸めたシーツを差し出す。
「ご苦労だけど、これをランドリーにもって行って、新しいシーツをもらって来てくれないか」
「えっ、な、なんで」
「アリエルの具合が悪いんだ。胃の薬ももらって来てくれ」
「アリエル、大丈夫?」
 慌てて部屋に入ろうとするのを押しとどめて、
「薬をもらってきてくれと言っている」
 ジュスタンは、命令することに慣れている口調で言った。パウルは、ムッと睨んだが
「ここは僕がついているから……心配なら、薬を飲ませてからいくらでもできるだろう」
 ジュスタンの言葉に渋々うなずいた。
「アリエル、待ってて」
 汚れたシーツを抱えてパタパタと走り去るパウルを睨んで、ジュスタンはアリエルのベッドに戻った。アリエルは、涙でボロボロになった顔でジュスタンを見上げた。たった今自分を襲った恐怖がまだ何なのかわからずに、呆然としている。
 むしろその理由に思い当たったのは、ジュスタンだった。
 アリエルは、過去、見知らぬ誰かに強姦されている。
「落ち着いた?」
「あ……」
「今、パウルが戻ってくる」
 ジュスタンは淡々と告げる。
「具合が悪いときに、嫌な夢を見たということにするから、話をあわせるんだよ。いいね。余計なことを言えば、さっきのこと、全部、話すことになるよ」
「全、部……」
「そう、君の母親のこともみんなに知られて、もちろん、アルベルトの耳にも入る」
 アリエルは、ひゅっと息を呑んだ。
 ジュスタンは、ベッドサイドに跪いて、ゆっくりとアリエルのシャツのボタンをはめた。
「いい子だね、アリエル、かわいいオトウト」
(知られたくないなら、黙っておいで)
 ベッドサイドにあった水差しでタオルを濡らすと、ぐったりとしたアリエルの顔を拭く。涙の跡も残さないように丁寧にぬぐっていると、パウルが戻ってきた。フリューリング寮の寮長エルンストも一緒だった。薬をもらうためには、寮長に告げる必要があったのだ。
「大丈夫か」
 エルンストの問いかけに、ジュスタンが代わって答えた。
「ええ、落ち着いています。胃がおかしいみたいで無理に眠らせたら、今度は何かひどく嫌な夢を見たらしくて、急に叫んで……」
 パウルの眉間にしわがよる。あの日のことを思い出して。
 エルンストもその事件は小耳に挟んでいるので、心当たりがあるように口をつぐんだ。ジュスタンは、パウルの手から胃薬を取り上げると、
「ほら、アリエル、薬だよ」
 アリエルの背中に手を回して、唇に薬をそっと押し込んだ。コップを近づけると、うつろな目をしたアリエルは、おとなしくコクンと飲んだ。
「じゃあ、横になって」
 親切に介抱する様子のジュスタンに、パウルは険のある声で尋ねた。
「なぜ、君がここにいるの」
 ジュスタンはゆっくりと振り向いた。灰色の瞳が冷たくパウルを見る。
「アリエルが『寂しいから一緒にいてほしい』って言ったんだよ。アルベルトがフランスに行ってしまったからね」
 ジュスタンの言葉に、パウルは胸を錐で突かれように感じた。
 自分が隣にいるのに、ジュスタンを呼ぶなんて。
「そう、なの?」
 アリエルを振り向くと、アリエルはどこかぼんやりとした顔でパウルを見つめ返した。具合が悪いからそうなのか、今にも泣きそうな顔に見える。
「アリエル……僕が、隣にいるのに」
 パウルが呟くと、今度こそアリエルは苦しそうに顔をゆがめた。
「よせよ、パウル。アリエルが困るだろう」
 ジュスタンは、アリエルを見つめながら言った。
「アリエルは、僕にそばにいて欲しいと言ったんだ。アルベルトの代わりにね。君じゃ代わりにはならないんだよ」
 パウルの顔にカッと血がのぼった。ジュスタンは意地悪く微笑んで言った。
「ねえ、アリエル、そうだよね。この機会にはっきり言ったほうがいいよ。……もうパウルは必要ないって」
「何だとっ」
 パウルがジュスタンにつかみかかる。
「やめないか、病人の前で」
 寮長が、間に入って止める。
「とにかく、アリエルが心細いというのなら、どっちか一人はこの部屋に泊まっていい」
 アリエルを振り返って片目をつむった。
「もちろん、アリエルが好きなほうを指名するんだね」
 そして、
「それで恨みっこなしだ」
 同時に、二人にも釘を刺す。
「アリエル……」
 パウルは、アリエルを見つめた。
 アリエルは、毛布の下でぎゅっと両手を握り締めた。
(ごめんなさい……)
 誰よりも仲の良い友人。自分のことを大切にしてくれ、自分も心から大切にしたいと思っている親友――パウル。
(けれど……)
 アリエルは、ジュスタンが灰色の瞳で自分を見下ろすのを感じた。
「どっちにするかって」
「あ……」
「アリエル、遠慮しなくていいよ、どっちを選ぶのも、お気に召すまま、だ」
 そう言いながら、ジュスタンの心の声は、アリエルをしばりつける。
(誰にも、知られたくないなら……)
 アリエルは、ようやく声を震わせた。
「ジュ、ス、タン……に……」
 居てほしいと呟くと、バウルはひどく傷ついた顔をした。
 それを目の端に留めて、アリエルも同じように胸を痛めた。
「アリエル……」
「ごめ…な、さ……僕……」
 うつむくアリエル。ジュスタンが勝ち誇った顔で、扉を示す。パウルは唇をかんだ。
「ほら、パウル」
 エルンストは、わざと軽い調子で、
「恨みっこなしだ。今日のところは諦めろ。行くぞ」
 パウルの背中を押した。出て行くときに、チラリと振り返って
「頼んだぞ」
 寮長らしく念を押すことは忘れない。
 ジュスタンは、ニッコリと微笑んだ。
「ええ、大丈夫。アリエルのことは、任せてください」
 







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