ハーラルトが屋敷に着いたのは、予定よりだいぶ遅い時間だった。
「雪で列車が停まってしまってね」
 イルマに帽子をあずけ、外套の雪を掃う父ハーラルトの姿を、アルベルトは不思議な気持ちで見つめた。クレマンスも長身だがそれよりもまだ大きい。広い肩に分厚い胸の堂々とした体躯も、口ひげを蓄えた、引き締まった男らしい顔も、バルドゥール本家の当主にふさわしい威厳がある。自分の父だと信じて、尊敬していた。同時に、妻に裏切られている気の毒な人だとも思っていた。
『ハーラルトは、女性を愛せない』
 クレマンスの言葉を思い出し、血のつながりはなくてもそんなところは似てしまったのかと、アルベルトは自嘲の笑みを漏らした。ハーラルトはゆっくりと近づいてきた。 
「アルベルト、久しぶりだな」
「はい」
 少しは気の利いた挨拶をしたかったのだが、上手く言葉が出なかった。
「いくつになった」
「十八です」
「そうか……」
 上手い言葉が出ないのは、父親も同じらしかった。
「おじ様、いらっしゃい」
 アリエルが無邪気に駆け寄り、挨拶のキスをするために抱きついて背伸びをする。ハーラルトが長身をかがめてそれを受け、アリエルの白い頬を大きな手の平で撫でるのを見て、アルベルトは、少しばかり苦々しい気持ちになる。それが、自分の父親に甘えるアリエルに対しての嫉妬ではなく、アリエルに触れる男に対しての嫌悪だとわかっていて、アルベルトは再び自嘲した。
「ようこそ、ハーラルト」
 クレマンスは、右手を差し出しハーラルトを迎えた。
 ヒルデと結婚してからは義理の弟にも当たるクレマンスは、ハーラルトとは従兄弟同士。幼い頃から面識があるが、こうしてクリスマスをともに過すことはめったになかった。
「世話になるよ」
「何もないけれど、ゆっくりしてください」
 使用人のほとんどは休暇を与えて里帰りさせてしまったと言うクレマンスに、
「私の城よりは、よほど居心地よさそうだよ」
 ハーラルトは、久しぶりに訪れたクレマンスの屋敷を見渡しながら言った。
 バルドゥール本家の主のハーラルトが、傍系にあたるクレマンスの屋敷でクリスマスを迎えるというのは異例のことだ。アリエルの事故や、アルベルトの久しぶりの帰省、ヒルデの体調の問題など理由は色々あったが、何よりハーラルト自身、年末年始をドイツの自分の城で過さないつもりだというのが大きかった。一年のほとんどをフランスで過すハーラルトは、二年前からパリ郊外に大きな屋敷を構えている。
「新年は、パリで?」
「ああ、クリスマスが終わったらすぐに帰らないといけない。そう、そのことでアルベルトに話があった」
 ハーラルトはクレマンスと話しながら、アルベルトを振り返った。





* * *


「僕も、パリに?」
 ハーラルトはアルベルトに、新年のパーティーに自分と同行するように言った。
「アルベルトもそろそろ私の後継として各方に挨拶をしておくべきだ」
「僕は、まだ」
 乗り気でないアルベルトに、
「むしろ、遅すぎるくらいだ。何しろここ数年お前は、私の屋敷にも寄り付かなかったから、誰にも引き合わせる機会がなかった」
「それは……」
 申し訳ありませんでしたと小声で呟く。避けていた相手は父親ではなく母親イルマだったが、四年間帰省しなかったのは事実だ。
「アル、新年はパリに行っちゃうの?」
 二人の話を聞いていたアリエルが、不安そうな声で訊ねる。
「今年は、クリスマスも新年もずっと一緒だって言ったのに」
 アリエルにとってもまた、大好きなアルベルトと一緒に新年を迎えるのは四年ぶりのことだ。
 ずっと楽しみにしていたのに。アルベルトがいなくなってしまう。
 そう思うと、まだ子供のアリエルは泣きそうになった。
 アルベルトは、そのアリエルの顔を見ただけでパリ行きの話を断りたいと思ったが、そういう訳にもいかないと分かるほどには大人になっている。
「アリエル……」
 困ったように呟くと、
「それじゃあ、アリエルも一緒にパリに行くか」
 ハーラルトが笑って言った。
 アルベルトはハッとして、離れたソファでくつろいでいたクレマンスを見た。案の定、クレマンスは立ち上がって
「困ります、ハーラルト。アリエルは……」
 眉間にしわを寄せてやって来た。
「いいじゃないか、貴族の子弟にはそれ相応の交流がある。アリエルくらいの歳の子でももう、パーティーに来ている」
 そういう意味でもアルベルトのお披露目が今頃になってしまったのは遅いのだと、ハーラルトは言った。
「けれどヒルデが……彼女を新年から独りには」
 クレマンスの言葉に、
「君がいるじゃないか、クレマンス。たまには二人だけで仲良く過す新年もいいだろう」
 ハーラルトはクスリと笑った。言外に匂わせた物言いに、クレマンスは唇を噛んだ。
 クレマンスとイルマのことは知っていてもアリエルの秘密までは知らないハーラルトは、クレマンスがアリエルをパリに行かせたくない理由は、当然分からない。
「アリエル、パリに行きたくはないか」
 ゆったりと微笑むハーラルトに、アリエルは頬を染めた。
「行きたいです……けど……」
 困ったような顔で父親を振り返ると、クレマンスは厳しい顔でアリエルを見つめた。アリエルは、がっかりしてうなだれる。それを見て、
「おいおい、クレマンス、何を心配しているんだ」
 ハーラルトは、わざとらしく不機嫌を装った。
「私がパリの社交界に君の息子を連れて行くというのが、そんなに不安か」
「いえ、そういうわけでは……」
「アルベルトもアリエルもこれからは、広く有益な交流を持つべきだ。今度のアントワーヌ公のニューイヤーパーティーには、政財界の有力者が集まる。二人を紹介するのに絶好の機会だよ」
 アリエルに向かって
「フランス語は話せるかい?」
「あ、あの、少しだけ」
 ハーラルトはうなずいた。
「今のうちに勉強すべきだ。英語とイタリア語もね。君の将来のためだよ」
「は、はい」
 アルベルトが眉をひそめて見守るうちに、アリエルのパリ行きはほぼ決定となった。 クレマンスは、諦めの溜め息をつく。例え自分の息子のこととはいえ、本家の当主の言うことに逆らえないのは、バルドゥール家が未だに古い体質を引きずっているからだ。
「私に任せてくれれば大丈夫だよ」
「……わかりました」
 渋々うなずくクレマンス。
「本当?」
 アリエルが瞳を輝かせた。
「僕、アルと一緒に、パリに行っていいの?」
 嬉しそうに父親に抱きついて、
「大丈夫だよ、お父様。僕、もう、ケガしないように気をつけるから」
「アリエル」
「アルも一緒だもの、ねっ」
 アルベルトを振り返って笑う。
 クレマンスは、何も知らないアリエルの柔らかな金髪を撫でた。
「アルベルト、アリエルをよろしく頼むよ」
「おじ様」
 窺うように自分を見るアルベルトに向かって、クレマンスは静かにうなずいた。自分が心配しているのは、もちろん、アリエルの怪我などではない。
(けれども、たった一度の渡仏で秘密にかかわる人物と出会うとまでは思えないが……)
 そう思っても、何となく嫌な予感は拭いきれず、クレマンスはアルベルトにアリエルを託した。
「目を離さないでいてやってくれ」
「はい」
 これも静かに答えるアルベルトを見つめ、ハーラルトは
(よく似た親子だ)
 内心で呟いた。





 クリスマスは、久しぶりにベッドから起きたヒルデを囲んで、暖かな団欒を持つことができた。
 リビングの真ん中には、アリエルがアルベルトと一緒にリンゴを飾り付けた大きなもみの木。その根元にはかわいらしいラッピングを施されたプレゼントの箱が積み上げられている。二人が来た日から燃やされ続けている大きな薪、ユールロッグ。昔からバルドゥール家に仕えてくれているマリーお手製のシュトーレンも、子供のころ食べたのと変わらず美味しかった。
 アルベルトは、久しぶりに、昔に返った心地がした。
 初めに感じた父親ハーラルトとの壁も、会わなかった四年間と知ってしまった秘密が作ったもので、慣れてしまえば、ハーラルトは話材も豊かで、話をしていて楽しかった。ハーラルトもまた、成長したアルベルトの聡明さを喜び、その会話を楽しんだ。
 アルベルトは、珍しく飲んでしまったワインに顔を火照らせながら、傍らに座るアリエルを見た。目が合ったアリエルに微笑みかけると、アリエルは不意に涙ぐんで、アルベルトが驚くまもなくポロポロと泣き始めた。
「アリエル?」
「どうしたの」
 ヒルデも驚いて顔を覗き込む。
「ごめんなさい」
 アリエルは、下を向いて涙を拭った。
「なんだか……アルが隣にいて、こんな風にクリスマスを過せるなんて、夢みたいで」
「アリエル」
「いっつも……クリスマス……アルはどうしてるのかなって、思って……ずっと」
 グスグスと鼻をすすって、アリエルは、自分を見つめる大人たちの視線に気が付いて真っ赤になった。
「あ……」
 カタンと椅子から立ち上がり、恥ずかしそうに
「えっと……顔、洗ってきます」
 パタパタと駆け出していく。
アルベルトはその小さな背中を見守って、吐息のような笑みを漏らした。
「アリエルったら」
 ヒルデがクスクスと笑った。
「本当に、昔からアルベルトのことが好きなのよ。あれじゃ、親離れはできても、従兄離れは当分できそうもないわね」
 アリエルに良く似た無邪気な笑顔に、イルマも相槌を打つ。
「二人きりの兄弟みたいなものだから」
 その言葉に、ハーラルトはクスリと口元を緩めた。
「何ですか? 貴方」
「いや……」
 ハーラルトは首を振って言った。
「まさに、その通りだと思ってね」
 瞬間、空気の色が変わったのをアルベルトは敏感に察した。おそらく今までなら気が付かなかっただろう。
 そして、気づかない振りを続け、心の中でつぶやいた。
(これが秘密を共有するということか)






 アリエルは、しばらく待っても戻ってこなかった。
「どうしたのかしら」
「恥ずかしくて戻ってこられないのだろう」
「ちょっと心配だわ」
「僕が見てきます」
 アルベルトが立ち上がった。

 思ったとおり、アリエルは自分の部屋にいた。
 子供に与えるには贅沢すぎる絹織の大きなソファにアリエルは横たわっていた。アルベルトが入ってきたのに気が付いて、慌てて起き上がる。
「戻ってこないから」
 心配したよと微笑むと、アリエルは照れくさそうにうつむいた。
「……ごめんなさい」
「今度は、何を考えていた?」
 アルベルトは、アリエルの隣に腰掛けた。
「アルと……」
 アリエルは小声で応える。
「アルと一緒にパリに行くんだって思ったら、なんだかドキドキして」
 左手で心臓を押さえるそぶりも愛らしい。
「クリスマスも、新年も、アルと一緒で……その上、パリなんて……やっぱり夢みたいで」
 潤んだ瞳で見上げてくるアリエルに、アルベルトは身体のうちから湧き上がる衝動を抑え切れない。そっと片手で頬を包んで、水色の瞳を覗き込む。驚いたように長いまつげが震えて、アリエルの桃色の唇が薄く開いた。
「かわいいアリエル、僕の天使……」
 囁いて唇を重ねると、アリエルの身体がピクリとこわばった。触れるだけのキスでも、しっとりとした感触はひどく官能的だった。
 ゆっくりと唇を離すと、アリエルは呆然とアルベルトを見つめ、そしてぎゅっとしがみ付いてきた。
「どうしよう……」
 まだ声変わり前の幼い声が掠れている。
「やっぱり、夢みたい」
 










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