「まだかなり降ってるね」
 俺は視界をふさぐ白い粉雪に目を細めた。
「足もと気をつけて」
「うん」
 俺は国光の腕にすがりながらヨチヨチ歩いた。本当に雪道を歩くのは苦手だ。いや、スパイクシューズでもあればいいんだけれどね。ああ、そうだ。草履の裏に鋲をつけたのでも作って売ったら儲かるんじゃないか。そんなことを考えていたら、不意に国光が足を止めた。
「何? どうしたの?」
 雪の舞う先に目を凝らすと、黒い小山のような影が見えた。大きな男だ。だんだんこっちに近づいてくる。こんな時間にひとが通りかかるなんて―――しかも、こんな雪の夜に。
 そして、現れた人物を見て、俺は息を呑んだ。
(稲場……)
 ついさっきまで御條の座敷でいびきをかいていた男が、薄ら笑いで近づいてくる。
(弁慶!)
 俺はとっさに持っていた木刀を抱きしめた。
「それを渡してもらおうか」
 スラリと刀を抜きながら弁慶が言った。俺は思わず一歩後ろに下がる。すかさず国光が俺を背中に庇った。
「国、光…」
 震える声で呼びかける。
(ダメだよ。そいつは辻斬り弁慶だ)
 言葉にできずに羽織の背をギュッと掴むと、国光は前を向いたまま俺の持っていた木刀に手を伸ばした。俺はもつれる手で包みの紐を解いた。
 国光の長い指が木刀の柄を握る。
 弁慶は、一瞬目を見開いた。
 中味が木刀だと気づいて、笑い顔が凶悪になった。
(ダメ……)
 木刀なんかじゃ、本物の刀には勝てないよ。殺されてしまう。
 自分の愚かさに泣きたくなった。馬鹿なことして、国光まで巻き込んでしまった。
「ゴメ…」
 背中にすがると、
「大丈夫。梅若には指一本触れさせないよ」
 国光はひどく優しい声で言った。
「国光っ」
 背中で俺が叫ぶのと、弁慶が刀を振りかぶるのと、俺をかばった国光がその刀を木刀で払おうと前に出たのが同時だった。そして

 ヒュン

 吹雪を裂く音とともに、
「うっ!」
 弁慶が後退さった。

「梅若っ」
 長谷部さんの声。
「梅若さんっ、大丈夫ですかっ」
 源太郎さんも一緒だ。
「チッ」
 弁慶は肩に刺さった小柄を投げ捨てると、踵を返して駆け去った。
 そこに
「火付け盗賊改め方渡辺清蔵であるっ」
 大音声が響いて、逃げる弁慶の前方を黒い影が立ちふさいだ。
 帰ったはずの火盗改め方の面々が弁慶を取り囲む。
「うぬっ」
 弁慶はそこを突破しようと、刀を振り回し
「うおおおおっ」
 叫び声とともに、ドウッと倒れた。



 おそらく弁慶の身体の下から、白い雪の上に真っ赤な血のしみが広がっているのだろう。けれども、腰を抜かして国光の腕にすがり付いている俺には見ることはできなかった。

「チッ、タヌキ親父め、いいところかっさらっていきゃあがった」
 長谷部さんがボソリと言うと、
「それはこっちの台詞ですよ」
 国光が言った。


「長谷部さん、どうしてここに」
 国光に支えられ、どうにか立ち上がって訊ねた。
「梅若に言われたことが気になってな。源太郎にアイツを見張らせていたんだよ。そうしたら稲場の入った料亭から、しばらくすると火盗改め方の連中がぞろぞろ出てきたんで、何かあると思った源太郎が急いで近くにいた俺につないだって訳さ」
「おかげで命拾いしましたよ」
 国光の言葉に
「いいとこかっさらわれたと思ってんだろ」
 長谷部さんは笑った。
「嘘ですよ。あんなの相手に、こんな木刀で勝てるわけない」
 刀袋にしまおうとするのを、横から手伝いながら
(これで本当に記念の木刀になったな)
 俺は心の中でつぶやいた。

 国光が、自分の命を盾にして、俺を守ってくれようとした。

 

「よう、北町の」
 長官が長谷部さんのところにやってきた。
「この死体はうちが預かるが、いいな」
「勿論です」
 長谷部さんは、自分の小柄を拾い上げながら言った。
「丹波守の息子を斬り捨てたんですからね。面倒な書類もさぞ多いことでしょう。むしろ助かりますよ」
「負け惜しみくさいな」
「とんでもない」
 小柄を綺麗に拭って懐に仕舞う。
「何も知らない人間をおとりに使おうなんざ、火盗の皆さんしかできませんしね」
「そんなつもりではなかったぞ」
「どんなつもりだか」
(ああ、やっぱり、火盗改め方と町方は、仲悪いんだなあ……)
 二人の丁々発止を聞きながら、俺は、ゆっくり国光の肩に頭を預けた。
 なんだか、フラフラする。
「梅若?」
「どうした?」
「おや、顔が赤い」
「梅若さん、大丈夫ですか?」
 緊張が緩んだからなのか、身体中の力が抜けた。





「雪の中にいたせいで風邪をひいたんだよ」
 俺が目を覚ましたのは、それから丸一日半たってから。
「気が付いたのかい。よかった、よかった」
 何故か雪太郎もうちに来ていた。
「聞いたよ。なんて危ない真似をしたんだ」
 国光は本気で怒っている。そりゃそうだ。一つ間違えたら、あの場で二人とも殺されていたんだから。
「ごめんなさい」
 小声で謝って、布団の中に首をすくめた。
「梅はお前さんの兄さんの敵を討ちたかったんだよ」
 雪太郎が取成すように口を挟むと
「それも、もう聞いた」
 国光は、ピシリと言って
「梅若の目が覚めたんだから、お前がここにいる用は済んだんじゃないのかい」
 冷たい目で雪太郎を見た。
「あ、じゃァ、梅、また来るね」
 そそくさと雪太郎は出て行った。
「ったく……」
 国光は俺の枕元に座って、濡れた手ぬぐいで額を拭いてくれた。
「寿命が縮んだよ」
「うん」
「もう二度と私に黙って馬鹿な真似するんじゃないよ」
「うん……国光まで危ない目にあわせて、本当にゴメン」
 そう言ったら、国光は長い指で俺の前髪を梳きながら言った。
「バカ、私のことはいいんだよ。梅若のためだったら命の一つや二つ惜しくなんかない。でもね、お前が斬られたら……そう思ったら、正直、怖かった」
 国光の言葉に、胸が締め付けられた。
「お前が無事でよかったよ」
「国光……」
 熱で涙腺も緩んでいるんだろう、俺は、ポロポロポロポロ子供のように泣いてしまった。
 
 

 熱が下がって床払いをしたのは、大晦日。
「蕎麦は消化にいいから、病明けにはちょうど良かったね」
 国光が「早いけれど年越し蕎麦だ」と言って、昼間から大量に蕎麦をゆでた。雪太郎と長谷部さんも来ているから。
「大根汁はそこです。薬味は適当に入れてくださいよ」
「おお、うまそうだ」
 長谷部さんは、月番の仕事もさすがに落ち着いたらしく、今日は草履を脱いで上がっている。
「よかったら、これも食べてくださいよ」
 雪太郎は、やっぱり菊川のお膳を持ってきてくれた。
 俺は、久しぶりに皆と一緒に食事できることが嬉しかった。
 布団の中で色々と考えていた、聞きたかったことも全部聞くつもりだ。
「弁慶のことは、あれからどうなったの? 丹波守様は? あの日、お座敷で知らん顔をしていたのに、後から襲ってきたのは、やっぱり辻斬りがしたかったのかな」
「いっぺんに聞くな。落ち着いて食べろ。縁起物だぞ」
「そうそう。ツルツル食べずによくカメカメ」
 両方から言われて、俺は向かいに座る国光を見た。国光も笑ってうなずく。
「慌てなくても、時間はたっぷりあるよ」

 

「さあて、座敷で襲わずにあくまで辻斬りにこだわったのは、悪党なりに信条があったのかもしれねえが、俺にはわからんよ。丹波守様の屋敷は寝耳に水だったらしいが、調べたらきれいに八つ出てきたらしい」
「刀が……」
「丹波守様と総領の利長様は、身内の行状を恥じて切腹」
「切腹っ?!」
 長谷部さんの言葉に俺が驚くと、国光があっさりと応えた。
「驚くことはない。武士の世界じゃ良くあることだよ」
「そ、そうかもしれないけど……親子そろって……」
 やっぱり俺には、非現実的。いや、この江戸という世界全て、俺にとってはある意味とっても非現実的なんだけれどね。
 国光は、蕎麦を千切っていた箸を置いて訊ねた。
「それでは、お家は?」
「ああ、本来お取り潰しになるところだが、丹波守様は覚えがめでたい家臣だったから、今回のことは上様もひどく嘆かれてね、お家については養子を迎えて継がせることにしたらしい」
「それはよかったですね」
 微笑む国光を見て、俺はもう一つの大事なことを思い出した。
(お家のお取り潰し……)
 国光の真行家は、どうなるんだろう。




 
 そしてそのことは、意外なほどあっさりと片が付いた。
「懐妊っ?」
 新年早々、年賀状ならぬ実家からの長文の手紙を広げた国光に駆け寄って、背中から覗き込んだ。
「って、赤ちゃんのことだよね。誰にって?」
「だから、美幸殿だよ」
 国光は、俺に手紙を見せるように持ち上げて言った。
「美幸さん……」
 あの雪の日、松邑で見た白い顔が浮かぶ。あの時もう、おなかの中に赤ちゃんがいたんだ。
「正月の朝にわかったそうだよ。めでたいね。左近のヤツ、珍しく筆が震えていると思ったら」
 クスクスと国光が笑う。
「初孫に浮かれるオヤジ殿の姿が、目に浮かぶようだよ」
「その赤ちゃんって、もちろん、お兄さんの……」
「当り前だろう」
 国光は、ポカリと俺の頭を叩いた。
「まさか私だなどと、疑っていないだろうね」
「それはないけど」
「ふふふ……」
 国光は自分で叩いたくせに、今度はそこをナデナデ撫でて
「これで、真行の家も安泰だ」
 俺の身体をギュウッと抱きしめた。


















エピローグ

「稲場家から消えた男?」
「ああ、あの弁慶事件の半年ほど前から丹波守の屋敷に勤めていた若いのがいたらしいんだけれど、あの弁慶こと稲場何某(なにがし)が死んだ翌日から姿を消していて」
「それが長谷部さんや長官と、どんなつながりがあるの?」
 例によって遊びに来た雪太郎と俺は、名残雪が染めた庭を眺めながらお茶をすすっている。世間は二月に入り、俺は新年の興行が一段落したところ。
「つながりはないよ。ただね、あれだけ短い間に刀の持ち主を次々襲っていくっていうのは、ひとりじゃとても手が足りないって梅若も思っただろう?」
「うん」
「それで、うちの長官もその男を怪しいと思って調べさせたんだよ。そうしたら、町方もその男を追っているのがわかってね」
「町方って、長谷部さん」
「そっ」
「消えた男ねえ」
「なかなかの男前だったとか」
 ククッと含み笑いをしてみせる雪太郎。
「何言ってんだよ」
 呆れて、湯呑の茶をかける真似をする。


 俺が、その男とつながりを持つことになるのは、美幸さんが玉のような男の子を産んだと知らされる江戸に来て二年目の夏だった。












ここまでお読みいただいて、ありがとうございます。
 弁慶が大したことのない男でガッカリしてしまい(自分で.笑)
エピローグで謎の男を出してしまいました。 
大江戸第四弾はその男がらみで、またまた梅若が事件に巻き込まれます。 
すぐにでも書きたい気持ちはあるのですが(忘れないうちに.笑)
しばらく他のものを書いてみようと思います。

ではでは。またお会いできる日までvvv 
          

一言いただけますと、今後の励みになります。
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おまけSSはパカップルプラスワンのお正月です。
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