「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ」
 長谷部さんは、険しい顔でそう言ったそうだ。


 翌日、俺は煤払いだとか何だとか年越しの準備で忙しかったので、雪太郎に頼んで例の件を長谷部さんに伝言してもらった。
「梅若が言うのもわかったが、でもな、そんな危ねえ真似、俺が許すか」
「そうでしょうとも」
 長谷部さんに言われて、もともと乗り気でない雪太郎はホッとした。
「アタシはかわいい梅に頼まれたからとりあえず来ただけですよ。じゃァ、お役目ご苦労様」
 くるりと踵を返したところ、
「大体、天下に名の知られた大盗賊を斬った刀だから価値があるんだろ。葛葉小僧じゃなァ」
 長谷部さんの言葉に、雪太郎の柳眉がピクリと跳ねた。



 その足で俺のところにやって来た雪太郎は、
「梅、町方なんて当てにしないで、アタシたちだけでやろうじゃないか」
 鼻息荒く言ってのけた。
「俺たちだけ?」
「だけってのは無理だから、火盗改め方の旦那たちに応援を頼むよ」
「長谷部さんと何かあったの?」
 そう訊ねて、上の会話を聞いた。


「でも、長谷部さんたちが見張りに付いたままだと、誘き出すにしても、弁慶も動けないんじゃないかな」
「裏をかくのサ」
「どうやって?」
「警護を断られている以上、町方が見張っているのはあくまで市中見回りの延長だよ。屋敷の中までは目が届かない」
「屋敷に忍び込むのか? そんなの無理だ」
「そうじゃない」
 雪太郎は、軽く両手をあげた。
「屋敷に届けるのは手紙だけ。呼び出して、どっかの料亭にでも来てもらえれば、見張りも中までは入ってこられないだろ」
「そんな……噂を流してそれとなく誘い出すんならともかく、いかにも罠って感じの呼び出しに応じるわけないよ。それに」
 長谷部さんの協力が無いのは、やはり不安だ。
 俺はちょっぴり弱気になった。それに反して、
「自分から言い出したくせになんだい。仇を取りたいんだろう? アタシが助太刀するよ」
 雪太郎はやる気満々。
「台本はアタシが書くから」
 雪太郎は背筋を伸ばし、袷の襟に指を這わせてスイと正すと、
「長谷部の鼻ァ、明かしてやる」
 遠くを睨んで呟いた。



 しかし、雪太郎は役者としては一流だったけれど、脚本家としては今ひとつというのがわかるのがその三日後。

 何をどうやったか知らないが、丹波守の屋敷に手紙を届けるところまでは成功した。手紙の中身は――
「天下の大盗賊葛葉小僧を斬った刀を百両で売ってやるから、六ツ半に大川の御條においで。ってね」
「百両?」
 俺はその金額に目をむいた。
「安すぎかねぇ」
「いや、むしろ高いような」
「何言ってんだい。アタシの玉の緒取った刀なら、それくらいの価値あるだろう」
「うーん」
「とにかく、本物の弁慶ならこの呼び出しに応じないわけが無い」
 雪太郎のこの自信はいったいどこから来るんだろう。
「アタシが相手するから、梅は隣の部屋からこっそり見ておいで」
「本当に長谷部さんには言わなくていいのかな」
「火盗改め方が出張ってくれるから、町方の出る幕はないよ」
 雪太郎はどうしても手柄を町方に、というか長谷部さんに、渡したくないらしい。
「危ないと思ったら逃げろよ」
「アタシを誰だと思ってる」
「突然、斬りかかられたら?」
「避けるときには、襖破ってきれいに転がって見せるよ」
 雪太郎は、手首を胸の前でクイと捻った狐のポーズで
「コン」とかわいらしく鳴いた。


 コン コン コン 雪やコンコン。

 その日は八ツすぎから急に雪が降り出して、七ツ半(午後五時)にはかなり吹雪いていた。俺は新年の出し物のことで座長と打ち合わせがあると言って、昼過ぎに家を出てきていた。本当のことを言ったら心配するに決まっているから、国光には絶対、内緒だ。座長に会わないといけないのは本当だったから、国光もあっさり信じてくれた。

 大川沿いの料亭御條はそれなりに立派な店だった。さすがに武家地にある松邑よりは、庶民的かもしれないけれど。
 ここの女将さんは火盗改め方に協力的なのだと、雪太郎が言った。
「座敷のこっちの部屋が隠し部屋になっていてね、隣の様子が覗けるんだよ」
 雪太郎が案内してくれた部屋にはすでに、いつかの火盗改め方の同心が二人座っていて、俺の顔を見て軽くうなずいた。若い方は確か松村さんって言ったっけ。
「後で長官(おかしら)も来るそうです」
「そう」
 一度だけ会ったひとの良さそうなタヌキ顔を思い出す。長谷部さんがいないのは少し不安だったけれど、火盗改め方の長官が来てくれるなら心強い。
「それにしても隠し部屋があるなんてすごいね」
「この辺の料亭や茶屋には良くあるよ。怪しい客だと思ったらその座敷に通して、隣から見張るのさ」
「ふうん……あ、そうだ」
 俺は、自分の持ってきた包みを差し出した。
「一応、形だけでもと思って」
 国光がくれた白木の木刀。豪奢な袋に収まっていて、外から見たら名刀だ。
「ああ、ありがとう」
 雪太郎は隣の部屋にそれを持って行った。屏風の後ろにそれを置く。
「あとは稲場の弁慶様の登場を待つのみだ」


 そして、待ち合わせの時間を過ぎても、丹波守の次男は現れなかった。長官は
「やはり、いたずらだとでも思われたか」
 隣の部屋で雪太郎がジリジリしているのを覗き見ながら、おっとりと言った。
「やっぱり弁慶じゃなかったのかな」
 俺が呟くと
「いや、ノコノコと誘いに乗らないだけの思慮があるということ。……それか、今夜の雪に出る気を無くしたか」
 窓の無い部屋で、吹雪の音に耳を澄ませた。


 しばらく一同無言で時を過した。
「来たか」
 同心の低く短い言葉に、俺ははっと身構えた。約束の時間を遅れること半刻(一時間)、稲場は供も連れずにやってきた。
「やっぱり弁慶だったんだ」
 身を乗り出す俺の肩を押さえて長官は
「まあ待て。まだ決まったわけじゃない」
 声を潜めて囁いた。

 じっと見ている先で、大柄長身の侍は雪太郎の向かいに胡坐をかいて座った。
 雪太郎の顔は心持ちホッとしている。弁慶を前にした緊張よりも、自分の台本どおりにいってくれたのが嬉しかったんだろう。
 しかし、台本どおりはそこまでだった。

「おかしな手紙をよこすから、顔だけは見てやろうと思って来たのだ」
 稲場は磊落に笑って、自分の肩に残っている雪を手ぬぐいで払った。
「しかし、こんな大雪になるとは思わなかった。よほど行くのは良そうかと思ったのだが、いやいや、無理をしてでも来て良かった。こんな美女が待ってくれていたとは」
 雪太郎は相手を油断させるために、女の姿になっている。確かに、かなりの美女ぶりだ。
「お武家様……刀のことは」
「刀、ああ、何とか言う盗賊を斬ったとかいう刀か。どれ、見てやろうか」
「いえ」
 雪太郎の瞳がキラリと光る。
「お約束の百両が先でございます」
「なんだ。そんなものは無い」
「は?」
 雪太郎がつんのめった。
「百両なとどいう大金、そうそう持ち合わせなど無い」
 ガハハと笑うその様子。
(どうも、予想と違う……)
「そんな刀など、どうでもいい。せっかくだから、酌でもしてもらおうか」
 稲場は雪太郎の腕を取って引き寄せた。
「あっ、ちょっ……」
「色白で美しいのぅ」
「あ、お、おやめください」
「こっちゃ来い。んっ」
「あっ、あっ……」
(げげ、雪太郎、貞操の危機?!)
 俺は、火盗改め方の同心たちを横目で見た。

 頬染めて見てんじゃねえっ!

「長官」
「あ? ああ、しまった。見ている場合じゃなかったか」
 この助平親父、目がいやらしい。
「しかしこの程度の相手なら、雪太郎なら自分で何とかするだろう」
 言い終わらないうちに、雪太郎がほうほうの体で逃げ出した。刀は屏風の後ろに置きっぱなしだったけれど、稲場がそれに手を出す様子は無かった。雪太郎が逃げてからも、稲場は一人で酒を飲み、そのうちゴロリと横になって寝てしまった。


「結局、あいつは弁慶じゃなかったのか」
「うーむ、惜しかった」
 つくづく残念そうに腕を組む長官。惜しいのは、弁慶を捕らえそこなったことじゃなくて、雪太郎のロマンポルノがそれ以上見られなかったことじゃないだろうか。
「今日のところは、仕切りなおしだ」
 火盗改め方もそろって帰り支度を始めた。
「梅は、どうする」
 雪太郎が憮然と言う。作戦失敗で少々機嫌が悪い。
「どうしよう。遅いし泊まって行きたいけれど、国光が心配するかもしれないし」
 などと言っているそばから、
「梅若っ」
 国光の声に、ビクッと振り返った。
「国光、どうして?」
「あんまり遅いから、雪で帰れなくなってやしないかと座長のところに行ったら、ずいぶん前に出たというじゃないか。大川の御條に行くとか言ってたっていうからこっちに来たんだよ。一体どういうことだい」
「ご、ごめん、これには色々訳があって」
「私に嘘を付いて、何をしているんだ」
「いや、だから……その」
 口ごもる俺。国光は俺から雪太郎に目を移して
「……何で、そんな格好してるんだ」
 不審そうに眉を寄せた。
「梅に女形を教えてあげてたんですよ」 
 美女に化けた雪太郎はしゃあしゃあと言って
「悋気な旦那を持つと大変だ。梅、お迎えも来たことだし、さっさとお帰り」
 ひらひらと手を振った。
「う、うん」
 俺は、うなずいて
「あっ」
 国光の木刀を置きっぱなしにしていたことを思い出した。
(どうしよう……)
「どうした、梅」
「あ、あの刀」
「ああ、アタシが後で届けてあげるよ」
 俺と雪太郎の会話を聞きとがめて、
「刀ってな、何だい?」
 国光が俺を見た。
「あ、あの……」
 国光にじっと見られて、つい正直に答えてしまう。
「国光にもらったアレ」
 国光の眉間にしわが寄った。
「そんなもの持ち出して何を?」
「あ、だから芝居の…」
「女形の稽古で?」
 雪太郎をチラと見る。
「女なんだけど……その、父親から男として育てられた、将軍さま警護の女剣士の話なんだよ」 
「……新作だね。誰の作?」
 イケダリヨコ。

「待っててあげるから、取っておいで」
 国光は、雪太郎から後で届けてもらうというのか、気に入らないらしい。 
「え…」
 ちょっと考えたけれど、
(さっき見たときも稲場はグーグー寝ていたようだったし)
「うん。じゃあ、ちょっと待ってて」
 俺はさっきの座敷に取りに戻った。
 預けて帰ってもいいけれど、国光からもらった木刀だしね。

 そおっと襖を開けると、稲場は横になったままだった。屏風の陰に置いてある刀の袋を静かに取って、抜き足差し足で部屋を出る。
「大丈夫だった?」
 雪太郎が心配して追ってきた。
「うん。ほら」
 俺は、木刀の入った紫色の布の包みをかざして見せた。
「それにしても、今日はガッカリだったねぇ」
 つまらなそうに言う雪太郎に、
「俺が変なこと言ったからだ。ゴメン」
 ペコリと頭を下げる。

 苦笑いしながら国光のもとに戻る俺は、寝ていたはずの稲場が薄目を開けていたことなんか、当然、知る由もなかった。








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