結局、わざわざ呼んでから調べてもらうのも二度手間だと思い直して手紙を届けてもらい、長谷部さんが家に来たのは七ツ(午後四時)すぎだった。 国光の兄さん真行冬馬に刀を譲ったのは、津軽藩士赤石静之介と言った。 「これは本人に確かめるまでもなかったが」 草履を脱ぐのが面倒なのか時間が無いのか、玄関の上がりかまちに腰掛けたまま、長谷部さんが言った。 「去年の秋口に呉服橋の大店(おおだな)を襲った盗賊、雨雲仁左衛門を斬って捨てたのがこの赤石殿だった。かなりの使い手で、逃走する途中に偶然居合わせて一刀両断だったそうだ」 「やっぱり」 俺は、自分の推理を裏付ける話に固唾を飲んだ。 「あとの刀もわかる限り調べてきたが、奪われた八本の刀のうち、名前の売れた盗賊ってのを斬った刀が五本もあった。残り三本も、わからねえってだけで、たぶん、そうなんだろう」 「では、弁慶が辻斬りを重ねているのは、やはり、刀を奪うことが目的だった」 国光が言うともなしにつぶやいて、俺ははっと振り返った。国光の顔を見て、興奮していた自分を反省する。 (殺された理由が、刀を譲ってもらったからなんて……) 「ああ、そう考えると辻褄も合う。梅若、よく気が付いたな」 「う、うん」 ほめてもらったけれど、国光のことを考えると喜べなくて、変な風に黙ってしまった。長谷部さんは腕を組みなおすと、 「そうなると、残り三本の因果も確かめないといけないが……その、火盗改め方や町方ですら知らない話をどうして弁慶が知ることができたか。それが気になる」 国光を見て、遠慮がちに訊ねる。 「冬馬殿が赤石静之介殿から刀を譲り受けたというのも、そうそう誰もが知っている話ではないのでしょう?」 いつもと口調が違うのは、国光が真行家の血筋だと知ったからだろう。 「そうでしょうね」 国光はうなずいた。 「少なくとも、その辺の素浪人が知る話じゃない」 国光の言葉に長谷部さんは顔を曇らせた。 「城勤めか。厄介な」 溜め息とともに独り言。 相手が旗本や大名クラスになってしまうと町方は手が出せないって前に雪太郎から聞いた。 「相手がお武家さんだと、どうしようもないの?」 「ううむ」 「火盗改め方でも?」 「まあ、似たようなもんさね」 「そんな」 俺は不服だった。 「国光の兄さんの仇を取ってよ」 「梅若」 俺の言葉に国光が厳しい声で言った。 「無茶を言っちゃいけない」 「だって」 「長谷部様にもお役目がある。権限を越えたらお咎めがあるんだよ」 「あっ。いや」 長谷部さんが困った顔で片手を挙げた。 「仮に相手が大名でも、悪は悪。許しておけるもんじゃねえ。ただ、調べるにも慎重にならねえと」 いつもの江戸っ子の口調に、国光がクスリと笑った。 「長谷部様は、その喋りがいいですよ」 「え?」 「今回のことで変にかしこまらないでください。私は武士に戻るつもりはない。これからも絵師歌川国光です」 「ああ、そう言ってもらえて、正直、助かった」 長谷部さんは白い歯を見せて笑った。 「ともかく、この件はもう少し調べてからだ」 立ち上がりながら、 「くれぐれも、早まって変な真似するんじゃねえよ」 俺にしっかり釘を刺した。 「国光、何考えてる?」 長谷部さんが帰った後、ぼんやりしている国光にそっと訊ねると、 「ん? ああ、兄のことをね」 (やっぱり……) 「刀を貰ってしまってこんなことになるなんて、思ってもみなかったよね」 「そうだね」 「貰わなきゃ、よかったね」 「まあ、ね。でも、まあ……それも兄の運命だったんだろう」 国光は遠い目をした。その横顔が儚く見えて、俺はそっと指を伸ばした。 「弁慶がたとえ大名でも、捕まるといい。ううん、捕まんないとダメだ」 国光の頬を包んで、俺は真剣に言った。 「刀が欲しくて人を何人も斬るなんて奴、地獄に落ちろ」 「梅若」 俺の両手にそっと手を重ねて 「地獄なんて、そんな言葉使っちゃいけないよ」 国光は微笑んだ。 「梅若がそんなこと言っちゃ、いけない」 「国光……」 国光は優しい。 こんなときに比べるのもなんだけれど、漢(おとこ)らしさで言ったら長谷部さんのほうが上だろうし、お金持ちなら祐四郎だ。何しろ二万五千石。そして、きれいな顔なら国光も相当だけど、雪太郎のほうが壮絶にきれいだ。 でも、俺は国光が好きだ。 国光の優しいところ。俺を、何より、誰より、大切にしてくれるところ。擦れてるようで純なところ。大人ぶってて、たまにとっても子供っぽいところ。 こうやって指先に口付ける唇の柔らかさも、長くて繊細な睫毛も、その落とす影も、本当に国光のすべてが好きだ。 だから、国光のことを悲しませた弁慶が許せないし、俺と国光を引き離すような原因を作った弁慶が許せない。 (このままにはしない。絶対、仇とってやる) 俺は心の内で誓った。 しかし俺の誓いも空しく、あれから弁慶は現れなかった。正確に言うと真行冬馬が殺された夜から辻斬り騒ぎは治まっている。人殺しなんて無いほうがいいに決まってるから、それはそれで良いことなんだけれど、 「でも、このまんま消えられるのも嫌だ」 俺は隣に座る雪太郎に憮然として言った。 「悪い奴は絶対、捕まるべきだ」 「耳が痛いねえ」 雪太郎は、俺の杯に酒を注ぎながら苦笑いした。 ここは菊川のお座敷で、さっきまで中村座の座長が一緒だった。元和泉座の白雪太夫、雪太郎の舞を観たいと前から言っていたのが、年の瀬も押し詰まった今頃になってようやく実現したというわけだ。その座長は、雪太郎の舞がよほど良かったんだろう、珍しく酒を過してしまって「ちょっと横になる」と隣の部屋に行ってしまった。 「雪太郎のことじゃないよ」 「わかってるよ」 「何か聞いてる?」 火盗改方の密偵のくせに、町方の同心にも通じている雪太郎に訊ねてみた。 雪太郎はうなずいて、自分の杯にも酒を注いだ。 「あれから、今までに盗賊を斬った刀ってのを調べたんだけれど、そうあるもんじゃなくってねぇ」 「やっぱり、国光の兄さんのが最後の一本だったのかな」 そうだとすれば、あれっきり犯行が止んでしまったのもうなずける。 「いや、実は鍔黒の甚右衛門という盗賊を斬った刀があるんだよ」 「本当?」 だとすれば、その刀を狙って弁慶が現れる可能性大。 「それが、その持ち主って言うのが大身旗本の次男坊でね、ちょっと変わり者らしく、その甚右衛門を斬ったいきさつも、身分を隠して用心棒なんかやっていたかららしいよ」 「用心棒」 「去年の暮れに、木場の材木問屋が甚右衛門一味に襲われて」 「そのとき斬ったのか」 「ああ。それでお奉行様からご老中に話を通して、その身辺警護を願い出たんだけれど、当の本人に一蹴されたらしい。弁慶が出たら返り討ちにしてくれる、とか」 「ふうん」 「よっぽど腕に自信があるんだねえ。わざとふらふら出掛けては、自分が弁慶を誘き寄せてやるとか言っているらしい」 「それで長谷部さんたちは」 「警護は断られたけれど、一応、弁慶が現れたときのためにそいつの見張りに付いている。屋敷の周りにも目立たないように何人か置いてるそうだよ」 でも、弁慶は現れない。 「弁慶も、長谷部さんたちが見張りに付いていること知ってんのかな」 「どうだろう。そうそうばれるような付け方はしないと思うけれど」 「そうだよねぇ」 でも、そうしたら、何で弁慶は現れない。 そう考えた瞬間、 「あっ」 また別のひらめきが頭を襲った。 「どうしたんだい?」 雪太郎が心配そうな顔をして覗き込む。俺は額を押さえて言った。 「どうして弁慶がその刀を襲わないのか、一つ思い付いたんだけど」 「なんだい?」 「鍔黒の甚右衛門を斬った刀は、元々弁慶の手の中にある、とか」 「どういう意味だい? まさか」 「うん……」 はっきり口に出すのは少し憚られた。けど、とんでもない仮説だとしても、言いかけたことは言わなくちゃね。 俺のひらめきは、最近冴えてるんだ。 「あのさ、その旗本の次男坊っていうのが、弁慶だったりして」 「なんだって」 目を丸くする雪太郎。 「そうしたら、長谷部さんたちが見張ってる間一度も辻斬りが行われなかった理由もわかる」 「それはないだろう。仮にも七千石の大身旗本稲場丹波守の息子だよ」 「そんなの関係ない」 でもそんな立派なお武家相手じゃ、そうそう手は出せないだろう。 (このまま俺たちの手の届かないところに行ってしまうのは……) 焦った俺は、あることを思いついた。 「こっちがおとりになって、弁慶を誘き寄せるってのはどうかな」 「何だって?!」 雪太郎は、顔に似合わない素っ頓狂な声を出した。 「長谷部さんたちには見張りを止めてもらってそいつが自由に動けるようにして、そして、盗賊を切った刀の噂をそいつの耳に入れる」 「どうやって」 「うーん。噂が無理なら、投げ文でもいいよ。とにかく、刀を持っているのがまだいるってことを知らせて、犯行を待つ」 そうしたら、現行犯逮捕だ。 「けど、その盗賊ってのは? 誰を斬った刀だって言うつもりだい」 眉間にしわを刻み、雪太郎は呆れたように俺を見た。 俺は、ポツリと聞いてみた。 「葛葉小僧ってのは?」 「アタシかいっ」 |
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