「何でって、オマエさん、閉じ込められているんだろ」
「いかにも、閉じ込められている。オヤジ殿にね」
 国光は平然と言った。
「言う通りにしないとここから出さないと言うから、するつもりがないので入ってる。幸い暮らすに不自由はないのでね。まあ、我慢比べだよ」
 その言葉に、雪太郎は、呆れかえった。
 そりゃそうだろう。俺があんなに悩んでいたときに、国光はいい歳して父親と意地の張り合いをしていたんだ。

「オマエさんはそれでいいかもしれないが、梅は、どうなるんだい」
 俺の名前を聞いたとたん、国光は沈痛な面持ちになって
「それだけが辛い。たった数日なのに、もう何年も会っていないくらいに梅若が恋しい」
 膝頭に両手を付いてガックリうなだれた。
「寂しい思いをさせているんだろう。さぞ、怒っているだろうね」
「いや、怒ってるっていうよりも……」
「毎日手紙を書いているのに、一度も返事が来ない」
 国光は、溜め息をついた。
「手紙?」
 そんなものは届いていない。
「梅のとこにオマエさんからの手紙なんか一度も来てないよ。だからこうしてアタシが様子を見に来たんだろ」
「何だって?」
 国光は顔を上げた。
「そんな馬鹿な。こうして毎日書いているのに」
 文机の上には山と積まれた半紙と硯。
 どうも一心不乱に筆を走らせていたのは、仕事ではなくて俺への手紙だったらしい。
「手紙ってのは、どうやって出すんだい」
 監禁されているくせにと訊ねると、国光は真面目な顔で応えた。
「義姉上に、美幸殿に、頼んでいる」
「ハッ」
 雪太郎はのけぞって、ついでに伝法な仕草で胡坐をかいた。
「その美幸殿ってのからは確かに手紙が届いた。それて梅は呼び出されたんだよ。何でも、喪が明けたらその美幸ってオンナとオマエさんは夫婦になるんだって?」
「は?」
 今度は、国光の目が点になる番だった。
「だれが?」
「オマエさん」
「だれと?」
「そのオンナ」
「何をするって?」
「夫婦になって子作りに励む。お家のため」
「とんでもない」
 国光は叫んだ。
「そんな話は、聞いてすらいない」
「ほぉ」
「美幸殿は兄上の妻だ。何で、誰が、そんなことを」
「だからそのオンナが直接、梅に言ったんだよ。そして、邪魔だから江戸から出て行けってね」
「そんな……」
 国光の顔が青ざめる。

 そしてここから先は雪太郎の嘘だ。俺を悩ませた罰らしい。
「かわいそうに梅若はすっかりそれを信じちまって、オマエさんに捨てられたと思って、泣きの涙に明け暮れて、物も食べれず眠りもできず、哀れお夏の仲間入り」
 このお夏っていうのは、愛する清十郎を失って狂乱した『お夏 清十郎』の但馬屋お夏のことだ。そう簡単に人が狂うかと思うけれど、この時代はけっこうこういう話が多い。
「お夏……梅若、気が……」
 国光が唇を震わせる。信じるなよ。
 雪太郎は笑いに歪む口元を袖口で隠して、嗚咽を漏らす。
「気の触れた梅は、哀れで気の毒で痛々しくて、ホント、見ちゃいられなくてねぇ……」
 伏せた瞳の端がキラリと光る。
「でも……見ようによっちゃあ、そりゃあ、凄まじく色っぽくってねえ」
 国光のこめかみがピクリと痙攣する。
「心配して駆けつけて来た八丁堀の旦那が今朝から一緒にいるんだけれど、どうだろう。あの触れなば落ちん風情を黙って見過ごせるものか。ひょっとして、ああ、今頃は……」
 すっくと国光が立ち上がった。雪太郎は、上目遣いにチラリと見上げる。
「帰る」
「どこに?」
「決まっているだろう! 私の家だ」
 言うなり駆け出す国光の後ろを追いながら、雪太郎はいたずら狐よろしくペロリと紅い舌を出した。

「光三郎様」
「光三郎様、どこに」
「殿様は…」
「うるさい、うるさいっ」
 わらわらと集まる奉公人を掻き分けて、
「光三郎様っ」
 あわてて飛んできた左近を
「悪いがもう遊んでいる暇はない。父上にはまた逃げたと伝えよ」
 片手ではね退けて、国光は日本橋の我が家に走った。


 
「梅若っ」
 ぜいぜいと苦しそうな息をつく国光が玄関に現れたとき、俺は、感激のあまり、心臓が止まりそうだった。
「国光っ」
 叫んで抱きつくと、
「何もされていないだろうな」
 つるんと着物をはだけられて、上半身を晒された。
 食い入るように俺の首筋や胸の周りを見つめる国光に
「な、何?」
 ちょっと怯えて訊ねれば、
「長谷部に、何もされなかったか」
(えっ? 浮気チェック?!)
 バチーン
 罵る前に、手が出てしまった。
「っ……」 
 国光が頬を押さえる。
「ひとに心配かけといて、何だよ、それはっ」
「梅若」
「戻ってくるなり、浮気の心配かっ! 連絡一つよこさないでっ」
 言っているうちに涙が出てきた。国光が戻ってきて嬉しいのと、疑われた悔しさと、そしてあの女が言ったこととか色々思い出して。
「自分こそあの女と、あの…あの…う…うっ…」
「梅若、すまない。私が悪かった」
 オロオロと謝る国光。
「許さねえ」
 涙が止まらない俺を、
「梅若」
 国光がぎゅっと抱きしめる。
 市ヶ谷から日本橋まで、どれほど急いで走って来たのか。この寒いのに火照った身体からはほんのり汗の匂いがして、俺はその匂いに包まれて、ようやく安心することができた。





 
「だから、嘘ついたのは悪かったよ」
 全然悪びれずに、雪太郎が笑う。
 さっきの顛末をすべて聞き終わったところ。俺と雪太郎は仲良く縁側に並んで、溶けかけた雪が午後の日差しにキラキラ光るのを眺めている。
「何が、お夏だよ」 
「いいだろ。あだな梅若がうつろな視線をさまよわせるとこ想像したら、アタシもグッときちまったよ」
「バカ」
「それにしても、国光センセイ、かなり落ち込んでるね」
 雪太郎が部屋の奥にチラリと目をやる。
「まあね」
 俺も、部屋の隅で猛反省中の国光を見た。
 不覚にも泣きじゃくった俺が散々国光を責めたのも応えたらしいが、雪太郎にだまされて俺と長谷部さんのことを疑ってしまったことに、国光はマリアナ海溝の底くらい深く落ち込んでいる。
「そろそろ許しておあげよ」
「わかってる」
 俺が言うと、雪太郎は立ち上がった。
「お邪魔さま」
「あ」
 庭づたいに出て行こうとする雪太郎を呼び止めた。
「ん?」
「あの、どうも、ありがとう」
 頭を下げると、雪太郎は照れたように笑って言った。
「卵ごはんのお返しだよ。あれ、おいしかった」




「国光」
 そっと近寄って声をかけると、
「うん」
 いつになく神妙な顔で返事する。
「ごめんね」
「どうして謝るんだい。悪いのは…」
「俺も悪いよ」
 俺は、国光の首に腕を回した。
「俺、国光が俺と長谷部さんのこと疑ったって怒ったけど、俺だって、美幸さんの言ったこと、鵜呑みにしかけたもん」
「梅若……」
「祐四郎にも言われて、俺……国光が家のために俺を捨てるかもって、チラッとは、考えたんだ」
「そんなことあるわけないだろう」
 国光は叫んで、
「誰が、何と言ったって、私はおまえを離さないよ」
 俺を膝に抱えあげるように抱き寄せた。
「うん」
 国光の首筋に顔をうずめて、俺は甘えた声を出す。
「俺も、誰に何て言われても、もう迷ったり悩んだりしない」
 そっと国光ののどに口づけた。
「国光は、俺のだもん」
 俺の所有の紅い印をつける。
「梅…」
 国光は低くうめくと、我慢できないように俺の髪をつかんで上向かせ、唇を深く重ねた。
「んっ…んぅ……」
 乱暴にこじ開けて侵入する舌を、俺もいつも以上に激しく吸った。久しぶりの国光に、頭の中が溶けそうになる。
「んんっ…」
 国光の首に両腕をきつく絡めて、ぴったりと身体を寄せると、二人の間の熱いものが重なる。
「うん…」
 触れ合った刺激に背中がビクビクする。いつのまにか俺は無意識に腰を動かしていた。擦れるところから全身に痺れが走る。
 国光の左手が背中から下に滑り落ちて、国光の腿を跨いだ俺の尻を掴んだ。中指の先で後ろを弄くられ、前とは違った刺激に新たな快感が生まれる。
「あン…」
 唇を離して仰け反ると、ひどく官能的な瞳が俺をじっと見た。
「会いたかったよ」
「国光…」
「その声を、聞きたかった」
 囁かれる言葉にぼうっとなる。
 
 俺だって、この声を聞きたかった――。

「あっ」
 国光の中指が後ろに入ってきて、熱いところを溶かしていく。
「う…ん」
 俺は国光の指がもっと自由になるように腰を浮かして、いっそう前を擦り付けた。
「くっ」
 前の刺激に国光が声を漏らしたのが嬉しくて、俺は国光の雄をつかんだ。
「ダメだよ」
 吐息のような声で諌めて、やんわりと俺の手を押さえる。
「私がどれだけ我慢してたと思ってる。梅若に触られたら、それだけでイっちまうよ」
「いいよ、イって」
 俺は着物越しに、国光の雄を扱いた。
「っ…」
 小さな呻き。
 着物の前を開いて、下着をずらして直に触った。
 熱く固くなったそれは、もう先走りの汁でドロドロだ。
 俺は、国光が帰ってきてくれたことで浮かれていたらしい。身体をずらして
「梅若っ?」
 それを口に含んだ。
「おやめ、何するんだい」
 国光の手が俺の頭を押さえたけれど、そのまま続ける。
 フェラチオは今までされたことがあっても、実は自分からはできなかった。恥ずかしくて。でも、今日は何でもしてやりたかった。
「あ、梅…っ」
 上目遣いで、国光の感じている顔を見る。わずかに眉根を寄せた端整な顔が、とても色っぽい。
 口をすぼめて何度も強く吸って、舌を大きく出して絡めて。
 先端に軽く歯を当てると、
「うっ…っ」
 国光が俺の口の中で放った。
 俺は、嬉しくなって笑った。
 国光は、一瞬だけ気まずそうな顔をして、
「私がどれだけ我慢していたか、わかったろう」
 照れ隠しのように言って、俺の両脇に手を入れて引き上げた。
「いつの間にこんなこと、覚えたんだい」
「教わったとしたら、国光しかいない」
 俺の応えに、国光はこの上なく嬉しそうに微笑んで、
「お返しをしなくちゃね」
 俺の着物を剥ぎ取った。
「あ…国光…」

 そうして『愛は障害があったほうが燃える』というのを体感していた俺たちは、大切なこともすっかり忘れていた。

 
 





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