泊まって行けと言う祐四郎を振り切って、扇屋さんに駕籠を出してもらったのは、もうすっかり日が暮れてからだった。 雪はやんでいたけれど、あたり一面白く積もっていたおかげで、玄関までの明かりは要らなかった。 「ここも、出て行け、って言われてんだよな」 しみじみ呟く。 「あれ?」 気が付いたら玄関の戸が開いている。確か錠は下ろして出たはずなのに。 「国光?」 帰ってきているのかと、草履を脱ぐのももどかしくかけ上がった。 「国光っ」 「あ、おかえり」 「…………」 俺と国光の家に、我がもの顔で座っていたのは雪太郎だった。 「悪かったねぇ、国光じゃなくって」 ばつが悪そうに微笑む。 「何してんの」 「おまえが朝からいないから、どうしたのかと心配したんだよ。色々探して、暗くなっても帰ってこないから」 家に上がりこんで、待っていたのか。 「どうやって入ったんだ」 「あれくらいの鍵なら、アタシにはちょろいもんさ」 フフフと笑う、もと葛葉小僧。 「まったく」 変な期待させやがって。 「梅、どこに行ってたんだい」 「……話せば、長いし」 「いいよ、夜も長いし」 「泊まる気か?」 「追い出す気かい」 俺は大きくため息ついて、台所にたった。 「夕飯、食ったのか」 「え?」 「食ってないなら、何か出すけど」 食ってたら酒のつまみくらい出してやろう。結局俺も、今夜独りになるのは嫌なんだ。 「うれしいねえ、梅が何か作ってくれるのかい」 「いや、飯と卵くらい」 「ご馳走だよ」 心底うれしそうな顔に、俺は口元を緩めた。 何をどうしていいかわからないとか、頭の中が八方塞で途方に暮れそうなとき、他人(ひと)のために身体を動かすってのはいいことだ。 「はい、どうぞ」 俺は、昔、母親に「これだけは作れるようになっておけ」と言われて仕込まれた卵おじやを作った。自分で言うのもなんだけど、塩加減が絶品。仕上げにちゃんと葱も散らした。風邪のときにいいんだって。 「へえ、おいしそうだ」 「国光も、これ好きなんだよ」 滅多に作ってはやらなかったけど。 (もっと作ってやればよかった……) うっかり落ち込みかけたら 「梅」 雪太郎が、心配そうに俺を見つめた。 「で、長い話ってのは?」 「あ、うん……」 「それで、国光はその美幸とかって女と夫婦(めおと)になるって?」 「…………」 「信じられないね」 雪太郎は、空になった椀にお茶を注ぎながら言った。 「あの国光が、おまえと別れるはずないだろう」 「でも祐四郎は、武士だったらそうするって」 家のために、そうせざるを得ないって。 「だから、あのセンセイのどこが武士だってんだい。あんな助平でいいかげんな、刀の代わりにアレしか振り回せないような男」 「ちょっと、それはないだろ」 あれで国光もけっこう男らしかったりするんだから。 恋人のあんまりな言われように、俺はむきになって言い返した。 「剣の腕だって立つんだから」 「アッチはもっと立つんじゃないの」 「アッチ……勃つ、って……」 俺は顔に血を上らせた。 「雪太郎、下品っ! 」 「はい? 」 きれいな顔してオヤジみたいな下ネタ言うんだから。 顔を熱くしていると、 「アッチって、絵のことだけど」 「え? 」 「アレって、絵筆のこと」 「え、ふで?」 (刀の代わりに、って、それ?) 「梅、何だと思ったの? 」 すました顔の雪太郎。 「ば、馬鹿野郎っ」 「やだねえ、何かいやらしいこと考えたんだろ」 「おまえが、助平とかいいかげんとか言うからだっ」 雪太郎はひとしきり笑った後、 「すぐにアッチを連想するくらいやっぱり国光は助平なんだよ、おまえにね」 ことさら「おまえ」を強調して言った。 「それだけベタベタに惚れているおまえを、どうして手放せるだろう、あの男が。いや、手放してくれんならアタシは大喜びだけれどね」 「でも……」 俺は、うつむいた。 「だったら、何で、手紙の一つもよこさないんだよ」 「まあねえ、それはアタシも不思議だよ」 雪太郎は、懐手をして首をひねった。 「あの男がおまえと離れて、何の連絡もしないってのは、考えられない」 「うん……」 ここを出て行くとき、国光は言ったんだ。 『すぐ戻る。……もし、遅くなるようでも、必ず連絡するから』 (なのに……) キュッと唇をかむと、 「考えられるのは、手紙もかけない状況にあるとか」 「え? 」 「閉じ込められてるんじゃないかねえ」 雪太郎は物騒なことを言った。 「そんなこと……」 「アタシたちが行ったときの追い返されようからしても、考えられなくないだろ」 「…………」 (そうかも……) 俺は、国光がどんな目にあっているのかと思うと、身体が震えた。 「まあ、総領つかまえて、無体なことはしてないよ」 雪太郎は笑って言った。 「アタシが明日、様子を見てきてあげるよ」 「えっ、まさか、忍び込むのか」 うちみたいに。 「旗本屋敷と、庶民の家を一緒にするんじゃないよ」 「じゃあ、どうやって」 「大きい屋敷ほど、入ってしまえば、中は案外動きやすいんだよ」 だから、どうやって入るんだよっ。 翌日、雪太郎は、うちにある中村座から借りっぱなしの衣装をかき回して、 「どうだい」 凛々しい美剣士になった。 「すごい。かっこいいよ」 「フフフ……」 「で、どうするの」 「まあまあ、見ておいで。って言っても、梅は顔がバレてるから近くに来ちゃまずいねぇ」 二本差しを腰に据え、 「様子を見たらすぐ帰るから、ここで待っておいで」 ニッコリ微笑む。 「俺も行くよ」 「うーん、見つかったら元も子もないからね」 「だけど」 「それじゃ、途中まで一緒に来て、離れたところから見といで。アタシが真行の屋敷の中に入ったら、すぐ引き返してここで待っているんだよ」 そうして雪太郎と二人で、再び真行家に向かった。 「ここまでだね」 言われて、俺は大人しく立ち止まった。 「じゃァ」 「気をつけて」 「大丈夫だよ。うまくいったら、国光、連れて帰ってあげるから」 片目をつむって手を振って、雪太郎は、真行の屋敷に近づいて行く。 「神様、仏様。雪太郎が、どうか無事でありますように」 両手を合わせた。 そして、国光を連れ戻してくれますように。 雪太郎は、この間俺たちを追い返した門番のいる方には行かなかった。 かわりに裏口に行くと、白壁に背中を預けて、人待ち顔で佇んだ。 しばらくそうしていたら、裏口から女が出てきた。真行家の奥働きの女中だ。 「あ」 雪太郎は、いきなりフラリとしゃがみこんだ。女が慌てて駆け寄る。 うずくまったまま二言、三言、何か話している。ふいに雪太郎が、その女を見上げるように顔を上げた。 (なるほどね) この世のものとは思えない美剣士に、見つめられてどんな気持ちになっただろう。 女は雪太郎に手を貸して、出てきた所からまた中に入った。 (入っちゃったよ) 雪太郎の姿が見えなくなっても、しばらくそこでぼんやり見ていた。 けれどもはっと気づいて踵を返した。 俺が見つかってしまったら元も子もない。そう言われていたんだ。 (おとなしく、家で待っていよう) 雪太郎を信じよう。 そして、ここから先は後から聞いた話。 「持病の癪だが、薬を飲むのに水を一杯所望したい」 美剣士雪太郎の揺れる眼差しに訴えられ、 「大丈夫でございますか」 女は頬を染めて、裏門から屋敷の中に案内した。水を飲ませるくらい誰に憚ることでもない。しかしながら雪太郎は、その女が 「こちらで少しお待ちくださいませ」 と、水を取りに台所に行った間に、 「かたじけない」 とか何とか言いながら、さっさと上がりこんでしまった。 「おかげさまで色んな屋敷にお招きいただいたからねえ、どこがどういう造りになっているかなんて、大体わかるんだよ」 家に個性が求められる二十一世紀と違って、この当時の武家屋敷というのは、ほとんど同じ造りをしているらしい。 だから、国光が囚われているとしたら間違いなく奥の座敷牢だろうとあたりを付けて進む。案の定、 「いた」 錠の下りた格子戸の向こう、特にやつれもせず背筋をピンと伸ばした国光は、文机に向かって何やら一心不乱に書いている。 「国光先生」 小さく声をかけると、国光は、 「お前は…」 振り向いて雪太郎の顔を見て、切れ長の目を丸くした。 「今開けますよ」 雪太郎は扉に付いた錠を調べると、持ってきた針金で何度かつついてカチリとはずした。 「器用なことをする」 「幸か不幸か、育ての親にしこまれてね」 「ほう」 「さあ、早く出て」 大きく扉を開いて言ったら、国光は眉をひそめた。 「何故?」 「な、ぜ、ぇ?」 予想外の反応に、雪太郎は目を点にした。 |
HOME |
小説TOP |
NEXT |