「雪太郎」
「うん?」
「国光の実家って、どこにあるか知ってる?」
 俺は握り拳で涙をぬぐって、大きく鼻をすすった。

 いつまでも泣いていたって始まらない。
「知ってるけど、まさか、行くのかい」
「うん」
 俺は立ち上がった。
「国光に会いに行く」
「およしよ、行ったところで」
「嫌だッ」
 自分でも驚くくらい激しい声が出た。
「こんな風に引き離されるなんて嫌だ。俺、国光に会いに行く。そして直接話する」
「梅……」
「絶対、国光も俺に会いたがってる」
 そう思う。思いたい。
「国光も、絶対…」
 言葉に詰まって唇をかんだら、
「およし、血が出てるよ」
 雪太郎の指がそっと唇を撫ぜた。
「しかたないね。アタシも一緒について行くよ」
 雪太郎は、困った顔で微笑んだ。



 密偵になってから俺なんかよりずっと江戸の町に詳しくなっている雪太郎に案内してもらって、市ヶ谷にあるという真行の屋敷に向かった。
「寒いね。雪が降るかもしれない」
 雪太郎は、空を見上げて言った。
 俺は、カッカとしていて寒さなんか感じなかった。さっきは悔しくて悲しくて泣けてしまったけれど、時間が経つにつれて次第に怒りの方が大きくなってきた。

 何でこんな目にあうんだ。蹴飛ばされたりなんかして。
 俺が役者だからって、国光にふさわしくないなんて誰が決めたんだ。
 旗本だか武士だか知らないけどな。お前ら知らないだろうけど―――
「天は人の上に人をつくらずなんだよっ」

「梅、何をブツブツ言ってるんだい」
「デモクラシーについて」
「なに暮らし?」
「…………」
 とにかく、身分制度の壁になんか、負けるもんか。
 



 市ヶ谷界隈の武家屋敷はどこも同じような造りで、外から見ると白壁となまこ壁がひたすら続いていて、門はあっても表札の一つもない。
 本当に雪太郎がいなかったら、全くわからなかっただろう。
「ここだよ」
 雪太郎は迷いもせずひとつの門を指した。たぶん、前もって見に来てたんだ。
「何だ、お前たちは」
 入り口を覗くと、門番所からいかつい顔の男が顔を出した。
 当然、門は開かない。
「国光に会いたい」
 そう言うと、門番は不審そうに俺をジロジロと眺めて、それから一度奥に入った。しばらく待たされた後、同じ男が顔を出して、
「用は無い。帰れ」
 さっき以上に高圧的になった態度に、カチンときた。
「こっちにはあるんだ。会わせてくれるまで帰らない」
 言い返したら、小さな潜り戸が開いて
「とっとと帰れ」
 出てきた門番に、いきなり棒で殴りかかられた。
「わっ」
 間一髪で避けられた。まったく、さっきの奴らといい、なんでこんなに暴力的なんだよ。
「梅若、大丈夫?」
 雪太郎が俺の肩を抱くように支えると、門番はその雪太郎にもこん棒を振り上げた。
「何すんだよっ」
 俺はとっさにそいつを突き飛ばした。
「うぬっ」
 変な時代劇調の掛け声でうめいて、
「こいつ」
 門番は怒りの形相で俺に向かって来た。
(殴られる)
 身構えたところで、
「よせ」
 大きな背中が、俺と門番の間に割って入った。
「子ども相手に乱暴が過ぎる」
(あ…)
 この声は。

「誰だ、お前はっ」
「北町の長谷部兵庫」
 編み笠の下から、よく知る端正な顔が現れた。
「うっ」
 八丁堀の長谷部兵庫の名前に門番がひるんだところで、まるで今まで様子を伺っていたかのタイミングで、あの左近が現れた。
「これはなんの騒ぎだ」
 長谷部さんに向かい、いかにも迷惑そうに眉をしかめる。
「ご存知の通り当家は喪中につき、このような騒ぎを表で起こされるのは、迷惑千万」
「騒ぎって、いきなり殴りかかってきたのはそっちじゃないかっ」
 叫んだら、長谷部さんが片手で俺を押しとどめた。
「長谷部さん?」
 長谷部さんは、俺に小さく首を振って、
「失礼仕った」
 左近に、頭を下げた。
「そんな、長谷部さん」
 俺は納得いかなかったのに、
「あっ、何するんだよっ。放せ」
 長谷部さんと雪太郎に引きずられるようにして、その場から連れ出された。
「何であんな奴に頭下げるんだ」
「あんな奴って、真行家の御用人、日野左近殿だぞ」
「……長谷部さんより、偉いの?」
 長谷部さんはクスと笑って、黙ってポンポンと俺の頭を撫でた。雪太郎が代わりに
「町方は、旗本には手を出せないんだよ」
 俺の腕を取って、たしなめるようにさすって言う。
「あの場は引くしかなかったよ。しょうがないだろ」
「…………」
「そんな顔するな」
 長谷部さんは、苦笑い。
「でも……」
 うつむいたら、鼻の頭にヒラリと冷たいものが落ちた。
「あれ、やっぱり雪だよ」
 雪太郎が手のひらを上に向けて、空を仰いだ。
「あったかいうどんでも食いに行くか」
 長谷部さんの言葉に、雪太郎が
「いいねえ、このあたりだったら、鶴元がすぐだよ」
「バァカ、この辺でうどんって言ったら、権六のオヤジの鍋焼きだよ」
「へえ、そりゃ知らないねえ」
 俺の気持ちもお構いなしにうどん談義なんか始める二人を、俺は立ち止まって恨めしげに睨んだ。すると二人は同時に振り向いて
「梅はどっちがいい?」
「権六だよなぁ」
 俺の両わきを挟んだ。
「腹が減っては、戦はできぬ」
「ほら、雪がひどくなってきた。早いとこ近い方の店に入っちまおう」

 結局、三人で権六おやじの店に入った。




「見回りをしていたら、梅若が血相変えて歩いて行くのが見えたから、何事かと後をつけたのさ」
 正義の味方よろしく颯爽と現れた種を、長谷部さんは太いうどんを飲み込みながら、そう明かした。
「なんだい。だったらずっと見てたんだ」
 雪太郎は赤い唇を尖らせた。
「何もなければ、出る幕じゃねえからな」
「まあ、出てきてくれて助かったけど。ねえ、梅」
 雪太郎に促されて、渋々という風に黙ってうなずいた。本当は俺だって、助けてもらって良かったって思ってる。なのにふてくされて見せているのは、国光に会えなかった八つ当たり。そんな俺の態度を気にせず長谷部さんは
「美味いだろ、ここのうどん。もう一杯食うか」
 俺の顔を覗き込んだ。
 また黙ってうなずいたら、長谷部さんは破顔して、俺にはうどんのおかわりと自分と雪太郎には熱燗を頼んだ。




「で、弁慶の手がかりは? 相変わらず何もないのかい」
「残念ながら」
 長谷部さんの返事に、雪太郎はわざとらしく肩をすくめて言った。
「江戸でも評判のダンナがたが、そろいもそろって何てザマ。たった十日やそこらで、八人も斬られちまって」 
「そう言うな。何しろ相手は、かの武蔵坊弁慶様だ。信太の森の性悪狐をチョロッとつかまえるのとは訳が違う」
 長谷部さんの嫌味に雪太郎は露骨にムッとして、長谷部さんは笑って謝った。
「悪かった。俺もちっとイライラしてんだよ。お前さんの言うとおり、今月に入ってたった十日やそこらで八人。ただの辻斬りにしちゃあ、急ぎ過ぎだ」
「急ぎすぎ?」
 それまで黙っていた俺も、つい話に引き込まれた。
「どういう意味?」
 長谷部さんは、クイと猪口を空けて
「普通、辻斬りってなぁ、何日で何人なんて決まりはねぇが、一人殺(や)ったらしばらくは大人しくしてるもんだ。血が鎮まるって言うかな。それが、今度のは連日」
「確かにね」
 雪太郎はその猪口に酒を注ぎながら相槌を打つ。
「こんなに続けて出てたら、捕まる危険も大きいってのにねぇ」
「それをあえて、やるってなぁ」
「よっぽど自信がありなさるのか」
「あるいはただの狂人か」
 どうでもいいけれど雪太郎と長谷部さんは、片や元罪人、片やそれを捕らえた役人、という間柄なのにこうしていると妙に息が合っている。 妬くわけじゃないけどね。
 俺は、長谷部さんの言葉の意味を考えた。そして
「ねえ、弁慶が二人いるっていうのは?」
 現代のミステリー小説でよくあるネタを思いついた。犯人、二人説。
「二人?」
「そう、だから立て続けに出ていて、神出鬼没なの」
 俺の言葉に長谷部さんはうなずいた。
「それは、実は考えた」
 顎をこすって、
「しかし、二人だとして、どうして二人で同じようなことをする。同じ日に二人の弁慶は出ない。交代で辻斬りを急ぐのは、どうしてだ」
「それは……」
 俺は頭をひねった。そして、
「計画的な犯行だからとか」
「何だって?」
「弁慶にとって殺した人物は全部意味があった。だから、迷うことなく、素早く、相手に逃げられる前に、次々殺していく必要があって、それで」
 連日の凶行に及んだのだと言いかけて、思いなおした。
「でも、そしたら国光のお兄さんもその中に入っちゃうんだ」
(殺される理由があった、ってこと……)
「そんなの嫌だよね」
 ポツリと言ったら、長谷部さんはうなずいた。
「殺された八人の間には、本当に何のつながりも無いんだ。生前には、すれ違ったことすらない」
「そうなんだ」
「じゃあ、やっぱり、次に誰がやられるかはわからない」
 雪太郎は、言いながら空になった徳利を倒して
「せめてアタシの周りでは、誰も死なないで欲しいよ」
 長いまつげを伏せた。




 その日、国光のことはもう少し様子を見ろと長谷部さんに説得されて、俺はしかたなく家に帰った。国光のいない家に帰りたくなくて、雪太郎と一緒に菊川に行こうかとか、長谷部さんの家に行って静さんに会おうかなんて考えも頭をよぎったんだけれど、国光が後で知ったら絶対怒ると思ってまっすぐ帰った。

 門から玄関に続く道、薄く積もった雪の上に、草履の足跡があった。
「誰か来たのかな」
 近づいてみると、扉の隙間に懐紙で幾重にも包まれた手紙が挟んであった。
「何だ?」
 江戸にきて半年。『習うより、慣れろ』で、俺も少しは読み書きできるようになっている。


『明日 巳の刻(朝10時) 神楽坂の松邑』

 この手紙を持って女将を訪ねて来てほしいという。
 その筆跡は女性の手によるもののようだったけれど、差出人の名前は無かった。
 
 俺には全く心当たりがない。

 いったい、誰なんだ。








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