「あっあっあっ」
 国光の腰の動きに合わせて、耐え切れない声が出る。
 一度放ったはずなのに、節操無しの俺のムスコはもう首をもたげて腹についている。
「ああっ」
 四つんばいの格好で腰を高く持ち上げられたから、身体を支えきれずに額を擦り付け、畳を爪で掻きむしった。
「くに、みつっ……国光っ、あっ」
「っ…くっ…」
 腰を打ちつけながら国光も、殺しきれない声を漏らす。
「うっ」
 今日の国光はいつも以上に激しい。
 さっき初めて剣を交えた国光が、意外なほどに強い雄の匂いをさせてたことを思い出して、俺もいつもに増して乱れてしまった。
「もっ、助、けて……国光……」
 両の目から流れる涙が畳に吸い込まれる。歪む視界、畳の色がぼやけていく。
「梅若、愛しているよ。可愛くていやらしい、私の……」
「あ…」
「梅若っ」
 苦しげに俺の名前を呼んで、そしていっそう激しく貫いた。
「やっ、ああ――っ」









「……………………」

 しかし、いったいどんだけやってたんだ。
 確か素振りを始めたときは、明け六ツ(朝六時)にもなってなかったと思う。それが、もう九ツ(昼十二時)の鐘の音を聞いている。

「ほら、着替えだよ」
 自分だけ見繕いを済ませてやけにスッキリした顔の男が、鮮やかな唐紅色の着物を持ってきた。
「きれいだろう。お前に似合うと思って作らせておいたのさ」
 俺は気だるい身体でようやく起き上がって、
「わかった」
 ポツリと言った。
「何が?」
「国光が今日しつこかったわけ」
 国光が小首を傾げてみせる。
「俺が長谷部さん、長谷部さんって何度も言ったからだ」
 今まで隠してたのに剣が使えるところを見せたのも、俺が長谷部さんを見習えとか言ったから嫉妬したんだよね。それにいつもの国光だったら、あの手合わせも最後の一本くらいはわざと負けたはずだ。それを全部取るなんて、
「やっぱり、長谷部さんに妬いたんだ」
 俺が言うと、悋気男は優雅な美貌で微笑んだ。
「わかっているのにわざと煽るんだから、梅若はよっぽどイジメられたいんだよねぇ」




「梅ぇ、梅若ぁ〜」
 国光にもらった新しい着物に着替えていたら、表から雪太郎の男にしちゃ甲高い声がした。
「いるんだろ。お汁粉持ってきてあげたよ」
 庭に回って、遠慮なく、縁側からずんずん上がってくる。
 雪太郎――もと葛葉小僧、和泉座の白雪太夫、いろんな名前をもっているこの男は、つい二ヶ月ほど前、この俺をさらおうとした悪党だ。なのに今じゃ火盗改めの密偵。それなりによく働いているらしい。普段は大川沿いの名のある料亭「菊川」に住み込んで、気が向くと酔客に唄や舞などの芸を見せて暮らしている。
「お邪魔するよ」
 すっかり部屋に入ってしまってから取って付けたように言う雪太郎は、俺が入れ替わる前の梅若と幼馴染。久しぶりの再会を果たしたものだから喜んで、この国光の家にもしょっちゅうやってくる。
 最初はとまどったけれど、俺の中の梅若が許してやってくれって言うんで(いや、そんな気がするだけ)いつの間にやら仲良しさんだ。
「おや、きれいな着物だね。梅は色が白いからそういう鮮やかな色がよく映えるよ」
 抜かりなく誉めそやしてくれて、
「ほら、お汁粉。好きだったろ」
「ありがとう」
「昔、よく取りあって食べたねぇ。それで二人ともお腹こわしちまって」
 火の近くに腰をおろして、雪太郎はまだ少年のような笑顔を見せた。
 その記憶は俺じゃなくって死んでしまった梅若のものだと思うと胸がチクンとうずいた。

 中村座の人気女形梅若の霊が同じ顔をした俺を二十一世紀から呼びつけたなんて、自分のことでもなけりゃ到底信じられない話、俺は、国光と長谷部さんにしかしていない。他の人に言っても絶対信じてもらえないだろうし(いや、国光たちだって信じているかどうかは怪しいけれど)とにかく混乱をなるべく抑えるために、今の俺はわからないことは全部「忘れ病(やまい)――記憶喪失」のせいということにさせてもらっている。

「そんなことも、忘れちまったのかい」
 黙っている俺に、少ししんみりした言葉。何か言おうと答えを探していると、
「あれっ」
 雪太郎は、突然素っとん狂な声を出して、俺の顔をじっと見た。
「何?」
「おデコ……」
「え」
「畳の目の跡がついてるよ」
「ええっ」
 俺は慌てて、額を押さえて後退さった。
「……そんな真っ赤におなりでないよ。恥ずかしい」
 雪太郎はそれが何だかわかったらしく、ムッとして、懐手して肩をすくめる。
「お盛んでけっこうなこと。まったく、ここに来るたんびに当てられてやんなっちまう」
「嫌なら無理に来ることはないんだよ」
 国光がニッと口許だけで微笑みながら言うと、雪太郎は下唇を突き出してみせた。
「梅がここに住んでなけりゃあね。アタシだってこの幸せ独り占め男の顔なんか見たかないよ」
 そして俺に向かって
「やっぱりアタシと一緒に暮らさないかい、昔みたいに」
 冗談ともつかない口ぶり。
「……ごめんね」
 俺は困った時のいつもの返事。そう、これはいつもの会話。
「やれやれ、また振られちまった。通算何回目だろ」
 雪太郎は薄い背中を丸めた。
 国光は俺の返事に満足そうにうなずいて、お汁粉を温めなおしに行った。


「こないだも言ったけど、顔見世、よかったよ」
「ありがとう。うちの座長も白雪太夫の話をしたら舞いを見たがってたよ」
「だったら菊川に来とくれよ。一緒においで。終わったばかりだから暇だろ」
「座長に言ってみる」
「すぐに忙しくなるから、早いほうがいい」
「うん」
 江戸の芝居は、十一月に始まる顔見世興行を(年末は何かと忙しいので)十二月の十日あたりでおしまいにする。だから暇なのは絵師の国光だけじゃなくて、実は俺もそうなの。
 だから朝っぱらから剣術の稽古もできるし、昼までアンナコトも――。
(いかん。思い出すな、自分)




 火にあたりながらおしゃべりしていたら、温めたお汁粉を国光が運んできた。二人分だって雪太郎が念押ししたのに、ちゃっかりきっかり三等分。それでも十分な量があったのは、何だかんだ言って国光の分も持ってきてくれたんだ、雪太郎。
「おいしい、これ、どうしたの?」
 甘い匂いをフウフウ吹いて
「菊川の女将さんに頼んで作ってもらった。京風だよ。豆も良いもの使ってるだろ」
「うん」
 江戸に珍しい上品な味のお汁粉をすすりつつ訊ねた。
「最近は、忙しい? 何してるの?」
 雪太郎は紅い唇をペロリと舐めて答えた。
「アタシは大したことしてないけど、みんなはもっぱら弁慶のことで走り回ってるねえ」
「えっ、弁慶って、あの? 北町が追いかけてる?」

 最近江戸の町を騒がせている辻斬りの通り名が『弁慶』だ。武蔵坊弁慶。なんで弁慶かっていうと、辻斬りが切った相手の刀を持ち去っているのをかわら版屋がもじってそう名づけた。長谷部さんが寝ずに追いかけている相手。でも北町奉行所が扱っている事件を火盗改めも一緒になって追っているなんて珍しい。

「北町と組んでるわけじゃないよ、相変らず仲は悪いんだ」
「じゃあ」
「ついこないだ弁慶に殺されたのが、火盗改めの同心でね」
「えっ、嘘、ほんと?」
「敵討ちだって、やっきになってるよ。北町に渡すなってね」
「火盗改めの同心っていったら、強いんだろ」
「ああ、その男は、前回の捕り物で、大盗賊火鼠の大吾と最後は一騎打ちで斬り捨てたってぇ凄腕だよ」
「そんな相手を斬っちゃうなんて、弁慶って、ひょっとして、すっごい強いんだ」
「ひょっとしなくても、今まで辻斬りにあって死んだ連中の七人のうち四人は名のあるお侍だしね」
「うん」
「だから、腕に自信のある狂人が強い相手に喧嘩売ってんのかって思ったけど、そうじゃないのも混ざってたりするから、わかんないんだよ」
「最初に辻斬りにあったのは、町人だったよね」
 殺されたのは質屋の若旦那。飲んだ帰りに一石橋のたもとでバッサリやられたそうだ。その時はもちろん弁慶なんて派手な通り名はついてない。その後続いた辻斬りで毎回刀が持ち去られたことと、この質屋の若旦那も質草の刀を持って歩いてたのをその辻斬りに奪われていたってのがわかってから、かわら版屋がはやし立てた。

 京の五条の橋の上、九百九十九本の刀を奪ったという怪僧弁慶。千人目の牛若丸に懲らしめられた。辻斬り弁慶も一日も早く捕まって欲しい。どうか、これ以上刀を、ううん命を、取られる人が出ませんように。



「刀が欲しくて襲ってるんじゃないのか」
 相伴にあずかっていた国光が会話に加わった。
「それがね、切られた人間も色々だけど、刀だってピンキリでさ。最初の質屋の若旦那が持っていたのと四番目に殺されたお侍の刀は、名刀と呼ばれていいものだったらしいけれど、その他の刀は銘もなければ、その辺で簡単に手に入りそうなもんだったって」
「ふむ」
「じゃあやっぱり、辻斬りの記念に持ってってんのかな」
「ぞっとしないねえ」
「梅若、やっぱり、暗くなったら出かけちゃいけないからね」
「またぁ」

 

 そんな風に三人で弁慶の話をしていた時は、まさか自分がその弁慶のために大変な目にあうなんてこと、まったく思いもしなかった。








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