「ち、終わっちまったか。つまんねえ」
 白石が笑って立ち上がる。
「それにしても、いい止めさせかた知ってたな。タニ」
「まあ、二度あることは三度あるってね」
「なんだ、そりゃ……まあいい、帰るぞ」
 白石の言葉に、他の生徒たちも動いた。
 何人かの生徒は、英のそばに駆け寄ったけれど、英は片手で制してしっかりとした足取りでもと来た道を帰った。ギャラリーは道を開け、傷ついた英の姿をある種賞賛の目で見送る。
 英はそっと殴られた顎をさすり、奥歯のかみ合わせを確認した。
(手加減なしだったな……)
 お互いに。

 昨日、博之と話をするまで、英は博之の気持ちを疑っていた。雅之の言うとおり、自分に近づいたことも紫に手をだしたことも全部計画の上だとすると、自分はともかく紫を傷つけたことだけは許せない。そう思っていた。だから、博之が
「紫に会って、謝りたい」
 そう言ったとき、
「謝ってすむことか」
 と、吐き捨てた。
「わかっている。けど、どうしても会って話がしたい」
「会ってどうする。これ以上、紫を傷つけるな」
「英、俺は本当に紫のことが好きなんだ。わかって欲しい」
「ふざけるな」
 図々しい台詞にカッとした。
「こんな真似して、いまさら何を言ってる」
「すまない。けど」
 本気なのだと、紫に謝って許してもらいたいのだと必死に言う博之に、
「だったら、土下座しろ」
 そう言ってしまったのは、相当頭に来ていたからだ。今思えば自分らしくもない言葉。
 そして、躊躇なく地面に両手をついた博之に、一瞬、怯んだ。土下座してなお堂々とした態度に、余計に血をたぎらせて、その肩を思い切り踏みつけると、博之は地面に前のめりに倒れた。
 起き上がった博之が、擦った頬よりも、蹴られた肩よりも、真っ先に首に巻いていたマフラーの汚れを気にしたときに違和感を覚えて、
「何だ、そのマフラー。初めて見るな」
 そう言ったら
「紫に、もらった」
 博之は、愛し気にそのマフラーを握り締めた。
「ふうん……」
 これが誕生日のプレゼントだったのかと、その海の色を見つめて、
「よこせよ」
 と、手をだした。
「嫌だ」
「お前に、それを身に付ける権利があるのか」
 そう言ってやったら、博之は眉間にしわを寄せた。
「紫を傷つけたままで、そのマフラーをのうのうと首に巻いていられるのか」
 重ねて言ってやったら、博之はハッとして顔に血を上らせた。
「……だから、会って謝りたい。謝らせてくれ」
「会うには、条件がある」
「何だ」
「お前の本気を見せてもらおう」
「どうすればいい」
「まだるっこしいことは嫌いなんだ。明日の放課後――――」

 約束をして、マフラーを奪った。
 返して欲しかったら、腕ずくで取リ返してみろと。


 博之が返しに来たといったのは、かわいそうだが紫を試したのだ。「一晩ずっと考えた」という紫が、まだなお博之のことを好きなのか。
 いつだって、一番大切なのは紫の気持ちだ。
 そして真っ青になりながら、けなげに「大丈夫」と呟く紫に、決心した。 
 腕やあばらの一本くらい賭けてやろう。
(まあ、どこも折らずに済んだのは幸いだったな)



 裏庭の入口には、現生徒会役員と、二学期の選挙で選ばれた新役員たちがそろって英を待っていた。
「お帰りなさい」
「これはまた、派手にやりましたね」
「下級生や先生たちはシャットアウトしましたよ」
 副会長の言葉に
「でも、三年のあいつらと白石たちは止められなかったんだな」
 英は軽く睨んでみせる。
「すみません」
「まあ、いいさ」
 差し出された濡れタオルで顔をぬぐうと、
「それにしても、最後に大きな伝説を残しましたね」
 新生徒会長の柊が微笑んだ。
「うるさい」
 そう言いながらもやけにすっきりした顔の英を囲んで、生徒会の面々は、職員室に向かった。
 どうせ後で呼び出されるなら、自分から行ったほうがいい。
(もちろん、本当のことを言うつもりはないけれど)






* * *

「博之さん……大丈夫?」
 皆が気を利かして、裏庭で二人きりになった博之と紫。
 紫は博之の切れた唇の端に、そっと指先で触れた。博之は、その指を捕らえて
「すまない、紫、許してくれ」
 真摯な瞳で謝った。
「何を……?」
 紫は涙ぐんで尋ねる。
「全部。……雅之の言ったことは本当だ」
 紫の瞳に涙が盛り上がる。
「けど、紫に近づいてからすぐに、俺は本気で、紫のことを好きになった」
 博之は、必死に告げる。
「紫、好きだ」
「…………」
「本気で好きなんだ」
「…………」
「だましているつもりはなかった。俺は」
「もういい」
 紫は博之の胸に飛び込んだ。顔をあげて
「マフラー、もらってくれる」
 泣き笑いで尋ねる。
「僕ごと……」
「紫」
 博之は、痣も痛々しい顔で、心底嬉しそうに笑って、紫を抱きしめた。








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