「あの日は、どこに行ってたんだ?」 「あ……」 紫は、咄嗟に嘘をつく。 「谷山くんたちと……」 「谷山?」 紫のクラスの、白鳳には珍しい不良生徒。英からは、絶対近づくなと念を押されていた。なぜそんな名前を出してしまったのか、紫にもわからない。ただ、博之のことがばれるくらいなら、不良と遊んでいたと怒られたほうがましだった。 「谷山って、あの? 何でそんなヤツと一緒にいたんだ」 「あ、たまたま帰りが一緒になって、その、ゲームセンターに行くって言うから、ちょっと覗いてみたくって」 「なんだって」 英が顔色を変えた。 「何もされなかっただろうなっ」 紫は急いで首を横に振る。 「誘われて、見ていただけだよ。他にもみんな居たし」 「紫」 「ごめんなさい。怒られると思って言えなかった」 「当たり前だ。お前は、ああいうヤツラから自分がどんな風に見られてるかとか、もっと自覚した方がいい」 「ごめんなさい」 英の剣幕に、紫は涙ぐむ。 英の怒りも恐ろしいが、嘘をついてしまったことも紫の胸を苦しくする。 (ごめんなさい……) 心臓の上で、左手の拳をぎゅっと押さえる。 英はまだ言い足りなかったが、そんな紫の様子に、 「とにかく、二度とそんな連中について行ったりするな」 言い捨てて、部屋に戻っていった。 その夜、紫は布団の中でポロポロと泣いてしまった。 初めて会った博之の弟雅之に嫌われているということ、そして、博之がその雅之に遠慮しているように思えたこと、博之のことを隠す為に、英に嘘をついてしまったこと―――。 全部が悲しくて、苦しくて、涙が止まらなかった。 翌朝、赤い目をしてリビングに入って来た紫を見て、英は困ったように眉をひそめ、 「昨日は、悪かった」 そっと紫の髪を撫でた。 紫は、何も言えずに黙ってうつむく。 英は、その様子に小さく溜め息をついて、ポツリと言った。 「俺は、お前のこととなると、普通じゃなくなるんだ」 その言葉が、紫の胸をえぐる。 英は、母親がそばにいない事を確認して続けた。 「過保護だってわかってる。でも、本当に、どうしようもないくらい、お前が大事なんだ。自分のいないところで、お前に何かあったらとか思うと……」 「もういい」 紫はごく小さく悲鳴をあげた。 「紫?」 「いいんです。ごめんなさい。僕が悪いんです。ごめんなさい」 英の制服の袖を握り締めて謝る紫を、英は思わず抱き締めそうになった。 「何? どうしたの」 紫の声に、澄子が台所から出てきた。英は紫の背中にまわしかけた手をそっと下ろす。 「喧嘩?」 珍しいわねと澄子が笑う。 「喧嘩じゃないよ」 「そうなの? たまには兄弟喧嘩するくらい、元気が良くてもいいと思うんだけど」 澄子は、泣きそうになっている紫の顔を覗き込んで、目が赤いことにも気がついたけれどそれには触れず、 「さあ、立ってるならお皿持って行ってちょうだい」 明るい声で、朝食を差し出した。 「……兄弟じゃない」 英の呟きは、あまりに小さく、誰にも聞こえなかった。 その日の登校では、博之は一緒にならなかった。 今までも、三人常に一緒ということはない。朝は電車を利用する博之だが、時間に余裕があるときは気が向くとバスも使うし、今のように雨が降っているときは、駅までの自転車を嫌がって、早く出てバスに乗るときもある。そう聞いている。 けれども、紫は、今日博之が自分と顔を会わせないのは、意図的なものだと感じた。 英との距離も、いつもより遠い気がするのは、傘を差しているせいだけではないと思う。 シトシトと降る雨に、身体も気持ちも重くなっていく。 (博之さん……会いたい……) 心で呼びかけても、想い人は、現れることはなかった。 「谷山くん」 ホームルームの最中に登校してきた谷山が、一時間目からサボろうとするのを追いかけて、紫は声をかけた。意外な組み合わせに廊下にいた生徒たちが目を見開く。 谷山も驚いたように振り返り、それから 「何だい? お姫様」 黙っていればそれなりに見られる顔を、下品にニヤつかせた。 「俺なんかに、何の用だ?」 紫は、周りの目を気にして、歩きながら小声で言った。 「お願いがあって」 「そりゃあ、すげえ。紫の上様が、この俺にどんなお願いだよ」 教室から離れ、周りに生徒がいなくなったのを見計らって 「この前の木曜日の夜、僕、谷山くんたちと一緒に遊んでいたことにしてくれる?」 「はっ?」 紫の言葉に、谷山は今度こそ本気で驚いた顔をする。 「俺たちと、お前が?」 紫は、コクンとうなずいて、 「誰も聞かないと思うけど、ゲームセンターで谷山くんたちが遊んでいるのを一緒に見ていたってことにしてくれれば……」 言いながら、何か間違っただろうかと思う。川島ならともかく、この谷山が家に電話を掛けてくるなどということはありえない。英と話すことだって――。 けれども、一度失敗しているからこそ、今度の嘘は、ばれたくなかった。だから、念のために口裏を合わせるお願いをしようと思ったのだ。 (でも……) こんなことを頼むこと自体、嘘の傷口を広げているだけのよう。 「何のアリバイ工作だよ?」 面白そうに尋ねてくる谷山に、紫はその思いを強くした。 「ごめんなさい。大したことじゃない。ちょっと……やっぱり今のこと、なかったことにして」 教室に戻ろうとした紫の手を、谷山がつかむ。 「待てよ」 「やっ」 恐ろしさにビクッと身体を震わせると、 「何だよ、何もしてねえだろ」 谷山は、下卑た笑いを見せた。 「は、離して」 腕をとられた紫が怯えた声を出す。それが谷山の嗜虐心を煽る。 「紫の上から、わざわざ近寄ってもらえたんだ。こんなチャンス逃すかよ」 グッと顔を近づけると、紫は唇を震わせる。 「やっぱ、かわいいな」 谷山は目を細めた。 (嫌だ…誰か……) 紫は辺りを見渡すが、他人に聞かれないようにとしたのが仇になった。教室に面した廊下を曲がってからは、通りかかる生徒も教師もいない。 (大きな声を出せば、誰か来てくれるかも) そう考えたときに、 「手を離せ」 後ろから聞こえた声に、紫は顔を上げた。 「あ、博之さん」 谷山の後ろに博之の姿を見て、紫は思わずホッとした声をあげる。振り返った谷山は、露骨に嫌な顔をした。 校内の噂話に疎い谷山でも、紫の従兄の生徒会長、そしてその親友のことは耳に入っている。見た目どおりの腕っ節は持っているらしい。 その博之から険しい顔で睨まれると、さすがにびびって、紫を放し、 「何だよ、タイミングいいな。源氏の君の代理ってか」 悪ぶって肩をそびやかす。 「博之さん」 紫は、走って、博之の背中にすがるように寄り添った。谷山は、 「だから、何もしてねえだろ、まだ」 チッと舌打ちして、去って行った。 紫はそれを見送って、ようやく安心すると、博之の制服を握り締めていた手をゆっくり開いた。掴まれていた手首をそっとさする。 「大丈夫か」 「うん。博之さんが助けに来てくれるなんて」 すごい偶然、と微笑んだ紫に、 「偶然じゃないよ」 博之は苦笑いした。 「え?」 「紫に話があって来た。そしたら、アイツと歩いてるのが見えて」 「僕に話?」 「ああ……」 「何?」 紫は、不安に鼓動が早くなった。 今朝、現れなかったことと関係がある? 弟、雅之のことと、関係ある? 「やだ……」 「紫?」 「別れるとか……そういうこと?」 紫の泣きそうな声に、博之はわずかに目を瞠って、ポツリと言った。 「その方が、いいのかな」 「博之さんっ」 紫の悲鳴のような声に、 「冗談だよ」 博之は、困った顔で笑った。 「冗談?」 「ああ」 「本当に?」 今にも涙を零しそうな顔で見上げる紫に、博之はうなずく。紫は、 「良かった。僕、昨日のことが気になってて」 目元を赤く染めて、うつむく。 博之は胸を詰まらせて、何も言えなくなった。 「じゃあ、話って?」 可愛らしく小首を傾げた紫を、博之はしばらく黙って見つめて 「今度の土曜、俺の誕生日なんだけど、うち、泊まりに来ないか?」 優しい声で誘った。 「え?」 「その日、うちの母親、親父と田舎に行くんだよ。離婚の後始末で色々あるらしくって」 博之は、照れを隠すように首の後ろを掻いて、 「誕生日なんて、今さら親に祝ってもらうもんでもないから、どうだっていいんだけど、家で独りってのも何だから」 「僕、行っていいの?」 「来られる?」 「うんっ」 紫は頬を薔薇色に染めた。 「ありがとう、博之さん」 「別に、礼を言うのは……」 その時、予鈴がなった。 「あっ」 「マズい。もう時間か」 博之は、時計を見て 「ほら、早くいけ。英の耳に入ったらまたコトだ」 「あ、うん。じゃあ、博之さん。また後でね」 紫は、教室に向かって駆け出した。 「こら、廊下は走るな」 後ろ姿に呼びかけると、チラッと振り向いて笑った。 博之の胸が痛んだ。 「誕生日か」 その日、かたをつけよう。 本当に、言いたかったこと。 言わないといけないこと。 (その時、お前は、俺のこと嫌いになるかもしれないな……) |
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