兄さん。 今日ね、駅のホームで、後ろからいきなり兄さんの声がしたんだ。 驚いて振り返ったら、兄さんじゃなくて、全然知らない人が携帯で話してた。 そしたら、その人と目が合っちゃって……信じられる? その人が話し終わるまで、ずっと見つめ合っちゃったんだよ。だって、男のくせにすごく綺麗な人だったから目が離せなくなって、そうしたら何故かその人も僕のこと見てて……それでね。 電話が終わって、その人は僕にニッコリ笑いかけてくれたんだ。 * * * 海から帰って、紫は落ち着かない日を過ごした。博之に対する想いを自覚してしまうと、ただただ英にかわいがられている毎日が、何だか自分で許せない。 (英さんに……言ったほうがいいのかな……) いや、その前に博之に伝えるべきだ。そう思っても、そんな勇気はどこにもない。何しろ、海から後、夏休みの後半は、勉強会にも行ってない。宿題のプリントも終わってしまったし、何と言って訪ねればいいのか。 (普通に、また勉強教えてください、って、行けばいいのかな) 悩み事がある者の常で、普段より早く目が覚めた紫は、新聞を取ろうとポストを開けたところ、自分あての封筒を見つけた。差出人の名前のない手紙に、ほんの少し嫌な予感を覚えながら、自分の部屋に入って封をはがした。 中から出てきたのは、予想通り、写真。英と見知らぬ誰かだが、水着姿の英と背景を見れば、この間の海での写真と知れた。パーカーのフードを被った後ろ姿の少年は、どの写真でも顔がよく見えないけれど、二人が口づけている写真だけは、尖った顎と白い喉を晒していて、華奢な少年だとわかる。 (この人が、売店で偶然会ったという人? 前の写真の人とは、違うみたい) 冷静に見て、記憶の中の写真と比べている自分が不思議だ。初めて、あの写真を見たときは、教室を飛び出したほどなのに。 今、自分の心にいるのが英ではなくて、博之だからだ。 いつから、英より博之のことを好きになってしまったのか。 もともと博之に勉強を教えてもらおうと思ったのも、英に呆れられないためだったのに。 呆れられたくない。嫌われたくない。――英に対してはいつもいつも、どこか緊張していた。 それが博之相手だと、最初の出会いが悪かったせいか、変に肩に力を入れずにすんだ。博之の明るい性格や、話し上手も良かったのだろう。少しずつ、少しずつ、博之の占める割合が大きくなって、今じゃ、自分の心臓を刻んだら、博之でいっぱいだと思う。 (あ……) 紫は、閃いた。 (このこと、相談しに行こうかな) 博之に会うための口実。 英には申し訳ないけれど、自分あてにこんな写真が送られてくるのは気味の悪いことだし、この海には、博之も一緒に行っているのだから。 (それに、ひょっとしたらこの写真の相手にも心当たりがあるかもしれない) 紫は、博之に会いたいがために、自分を納得させる言い訳を探した。そして、決心する。 (今日、博之さんのところに行こう) バスを降りて、もう慣れてしまった道を小走りに走る。電話してから来れば良かったのだけれど、家には英もいるし、公衆電話に走る前に足はバス停に向かっていた。 (いなかったら、待っていればいいんだし) 角を曲がって、博之の家の門柱が見えたとき、中から博之が出て来た。 もう一人、一緒にいるのは誰だろう。背の高い博之とは対照的な小柄な少年。白い開襟シャツはどこかの制服のようだ。その子が首を振ると男の子にしては長い髪が、サラサラと揺れる。 「あっ…」 思わず声が出たのは、博之がその少年を抱きしめるように引き寄せたから。 少年は、いやがって身をよじる。胸に手をついて突き離す。博之は、それでも少年の腕を離さない。 (嫌だ) 博之が、必死に何か言っている。それは、まるで喧嘩した恋人同士の――。痴話喧嘩などという言葉も知らない紫にも、そう映った。 (誰……その人……) 紫は、呆然と立ちすくんだ。 少年は何か叫ぶと、博之の腕を振り切って、駆け出した。紫と逆の方向ということは、駅に向かったのだろう。博之は、二、三歩足を踏み出して、諦めたように立ち止まるとゆっくり振り返った。電柱の横にたたずむ紫に気が付く。 「紫……」 紫は、弾かれたように地面を蹴った。 自分でも、なぜそんなことが出来たのかわからない。身体が自然に動いたのだ。 「博之さんっ」 驚く博之の胸にすがる。 「嫌だ。嫌だ……」 「紫?」 「今の、誰? 今の人……」 胸が痛い。苦しい。だけど――だから――声が震えても上擦っても、言わないといけない。 「嫌だ。博之さんが……僕じゃない人に……」 「紫」 「好きです。博之さんが、好きです……」 博之の広い胸に顔をうずめて、背中のシャツごと指が手のひらに食い込むほど固く握って、 「博之さんが…好き……」 あふれる涙で博之のシャツにシミを作る。 「紫」 博之の手がそっと紫の髪を撫でた。そのままゆっくりと滑って、震える背中を優しくさする。 「う…ふっ…」 紫の苦しそうな嗚咽を静めるように何度も背中を撫でて、博之は囁いた。 「俺も、好きだよ」 ピクンと紫の身体が痙攣した。怯えたような顔で博之を見上げる。博之は、今まで見せたことも無い、とろけそうな微笑みを見せた。 「今のは、弟だよ」 「え…」 「兄弟喧嘩」 紫は、しばらく言葉の意味がわからないようにぼうっとしていたが、自分の勘違いに気が付いて、 「う、うそ……」 死ぬほど恥ずかしくなった。 身体を離そうとしても、博之の背中のシャツを掴んだ指が、麻痺したように動かない。 「やっ…」 うつむいて耳まで真っ赤にして、どうして良いかわからないようにジタバタする紫を、博之はあらためて抱きしめた。 「あ」 すぐに紫は大人しくなる。 「俺も、好きだ。紫」 両手にきつく力がこもる。 「ひ、ろゆき、さ……」 舌が乾いて、上手く動かない。酸素が足りないように息苦しい。紫の気持ちが届いたのか、博之はそっと紫の頬に手を当てて顔を上向かせた。 優しい唇がおりてくる。 「ん…っ」 (ファーストキス) 最初にこんな言葉が浮かんだ自分を、女の子みたいだと、紫は思った。 そして、その相手が博之で幸せだと思った。 他にも色々考えそうになったけれど、口の中に滑り込んできた舌が全部忘れさせてくれた。 (博之さん…好き…好き……) 生まれて初めての深い口づけに、紫の頭の中は真っ白になって、ただ博之の名前だけを何度も何度も胸の中で呼びつづけた。 「か、帰ります」 長い口づけの後、紫は小さく呟いた。 「何で」 博之が不思議そうに訪ねる。自分に会いに来て、たった今恋人同士になったばかりだというのに。 「だ、だって……」 博之の家の玄関先でこんなことをしてしまったのも恥ずかしければ、この上、博之の母親にあわせる顔などあろうはずがない。挨拶なんかしたら、顔から火を吹いて死んでしまう。そう言うと、博之は笑って応えた。 「大丈夫。今日は、うち親いないから」 「え?」 「それで、雅之、弟だけど、アイツも来てたんだよ。いや、仲が悪いとか言うんじゃなくて。母親に父親のことを色々聞かれるのがウザいとか言って」 「そうなんですか」 「どうする?」 「はい」 「うち、来る?」 じっと見つめる博之の瞳の奥に、雄の欲望をはっきりと感じた。 紫は、魅入られたように博之の瞳を見返し、そしてゆっくりとうなずいた。 「おいで」 博之が差し出した手を取ると、エスコートされるお姫様のように、迎え入れられた。 ポケットの中には、博之に見せるはずだった写真が入っている。けれども、もうそんなことはどうでもいい。これから起こることの予感に、紫は胸を昂ぶらせていた。 「入って、座ってて」 そう言われても、紫は入り口で立ち止まったまま動けなかった。何度も来たはずの部屋なのに。入れない。空気が違う。奥のベッドは、この前までは何でも無かったくせに、今日は正視できないほど存在感がある。所在なさ気にたたずむ紫に、博之はフッと笑った。 「ゴメン」 「えっ」 顔を上げると、博之の大きな手が片頬をつつんだ。 「そんなに、緊張するなよ。今日は、もう何もしないから」 「え……」 「変なこと聞くけど、やっぱり、初めてだろ」 紫の顔が真っ赤になった。 博之は「参った」と言う顔をした。 「やっと思いが通じたのに、ムードもへったくれもなく、すぐベッドだなんて……俺も、がっつき過ぎだよな」 博之は、紫の髪に優しくキスして、そっと身体を離した。 「あ、待って」 離れていく身体を、紫が引き止める。そのまま、自分の身体を押し付けるようにして、 「いい、です」 掠れた声で言った。 博之は、固まったまま紫を見下ろす。 紫は博之の胸に頬をつけて、背中に回した手に力を込めた。 「いい。博之さんなら、僕……」 そのつもりで部屋に来たのだから。 正直、少年らしい興味もあった。送られてきた写真。英と他の恋人たちの密かな行為。 紫にも、中学生になってから、性の知識は人並みに入ってきている。どんな気持ちになるのだろうと、自分で慰めたことだってある。その時の相手は、英だったけれど―――。 「僕……」 それでも恥ずかしくて、顔はあげられない。しがみついたままの紫を、突然博之が抱き上げた。 「もう、前言撤回は無しだからな」 「あっ」 思いのほか高い位置まで頭がきてしまい、怖くてぎゅっと博之の首にしがみついた。 ふっと潮の香りが甦った。 足のつかない海の中で、必死に博之にすがりついた。あの時と同じ。不安でたまらなくても、博之さんと一緒なら大丈夫。 (博之さんなら……) そっとベッドに降ろされて、仰向けに寝かされた上に博之がまたがる。膝をついた長い足が紫の腰をベッドに縫いとめる。 「今さら、逃げられないぞ」 言いながら、博之がTシャツを脱ぎ捨てた。厚い胸板が眩しくて、紫は目をそむけた。 「紫」 上半身裸になった博之が、紫のシャツのボタンを外していく。こんな時、手伝うべきなのかどうかもわからない。紫は、ぎゅっとシーツを掴んで、ただじっとしていた。 全部のボタンを外すと、博之は大切なプレゼントの包み紙をはがすように、そっと開いた。海に行っても焼けなかった白い胸が晒される。 ゴクリと喉を鳴らしてしまったのは、二人同時。 博之の手が胸を撫でると、紫の腰がピクッと跳ねた。けれども、そこは博之の太腿に押さえつけられている。 「逃げるなよ」 博之の舌が、色づいた胸の飾りに吸い寄せられるように降りて、 「あぁっ」 紫は、生まれて初めての甘い喘ぎをもらした。 「やっ…」 薄い皮膚が、舌の先で擦られるうちに、次第に固くなっていく。 まだ誰も触れたことのなかったそこがこんな風になるのも初めてなのだと思うと、博之は背中が震えた。色を濃くして立ち上がったそれに軽く歯をあてると、紫は可愛い悲鳴を上げた。初めてのくせにひどく敏感な身体に、博之は我を忘れるほどそそられた。 後ろに指を這わせた時は、さすがに緊張した紫の身体が強張った。 「なるべく、痛くしないようにするから」 耳元で囁くと、紫はコクンとうなずいた。 「横向いて」 仰向いていた紫の身体を横にして、博之は後ろから抱きしめるようにした。なるべく楽な姿勢をとらせて、時間をかけてほぐしていく。紫の熱が冷めないように、もう何度か果てた前にも指を絡める。 「ふ…っ…んっ…」 「苦しかったら、声出していいから」 囁きとともに、耳朶に口づけると、 「あぁっ」 甘い叫びとともに前が反応し、ほんの少し後ろが柔らかくなった。 「今みたいに、力抜いて」 「あ、博之さん……あっ、あっ……」 博之の我慢強い動きに、固い蕾が少しずつほぐれていく。気が遠くなるほど長い時間をかけて、ようやく指を三本飲み込むまでになったとき、紫はグッタリとベッドにうつ伏せになっていた。 「紫」 肩甲骨に唇を這わせると、きゅっと蕾がしまった。 「ダメだよ、力抜いてくれないと」 「あ…博之さん……」 肩越しに振り返る顔が、壮絶に色っぽい。 博之は、その顔を見ながら入りたいと思ったが、紫が少しでも楽なようにそのまま腰に手を回して持ち上げ、高く浮かせた。 「あっ、いやっ」 けれども、楽なようにと選んだ体勢は、紫にとってはひどく羞恥心を煽られるポーズだった。 「こんなかっこう……」 目元を赤く染めた涙混じりの瞳が、振り返って見つめる。 「ゴメン」 もう耐え切れない。 博之は、指を抜くと、もうずっと前からいきり勃っている自分自身をかわりに押し当てた。 「ああっ」 博之が身体を進めた分、紫の身体がずり上がる。その腰を博之の腕が掴んで引き寄せる。 「きゃぁっ」 女の子のような悲鳴をあげてしまって、紫は慌ててシーツに顔をうずめた。 「う……んっ……」 痛みをこらえて、くぐもった声をシーツに飲み込ませる。 痛いけれど、やめて欲しくはないのだ。 「我慢しないで、声出せ」 博之が、腰を支えていない方の手で、紫の顔を撫で、シーツから離して横を向かせる。 「ふ…はあっ」 苦しそうに息を吐いたその唇に、博之の唇が噛み付くように重なった。 同時に、身体も進めて、つながりが深くなる。 「んんっ」 「くっ」 激しい口づけと、後ろにうがたれる楔。 紫は、もう痛みもわからないほど朦朧としている。苦しいのだか、気持ち良いのだか。 はっきりとわかるのは、自分が幸せだということだった。 |
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