身体と心は別ものなんて、ねえ、一体誰が言ったんだろう。





* * *


「おはよう、源」
 いつものように英と二人並んで登校していた紫は、後ろから突然呼びかけられて立ち止まった。 振り返ると、言葉の主は自分ではなく隣の英に笑いかけている。けれども、紫はその顔を見て
「あっ」
 思わず声をあげた。
 あの裏庭で出会った背の高い男子生徒。彼は、まるで今初めて気がついたかのように眉を上げて紫を見た。
「やあ……そういえば、君も源だっけね」
「何だ、知り合いなのか。いつの間に?」
 英が不審そうに訊ねると、
「いや、たまたま前に一度会っただけ。紫の上のことは知ってて当然だけど、たぶん逆は無いね」
 人好きのする笑顔を見せて、問い掛けるように紫の顔を覗きこんだ。
「は、はい……」
 紫は、あの日自分が裏庭などを歩いていたことを英に告げられたらどうしようと、頭の中で咄嗟に言い訳をさがした。けれども、そのことには触れられずにすんだ。
「ついでだから、自己紹介させてもらおうかな。このたび、源のクラスメイトになった松浦博之。宜しく」
「このたび?」
 一学期が始まって三ヶ月も経つのに……と考えて、紫はオウム返しに聞き返した。
「転校してきたんだよ」
 答えたのは英。
「たまたま同じクラスにいらっしゃった生徒会長様が、面倒見良くってねえ。慣れないところで色々助かってる」
「お前が、しつこく寄ってくるからだ」
 わざとらしく嫌そうな顔を作って、それでもどこか楽しそうに、英は博之の肩を小突いた。
「転校生には、親切にしましょうってね」
 博之は、白い歯を見せて笑った。
「図々しいヤツ」
 英の方は、苦笑い。
 紫は、不思議なものを見るように二人を見つめた。
「何?」
 博之が視線に気づく。英も振り向いた。
「どうした、紫」
「英さんが、こんなふうにお友達とふざけているの、初めて見た」
 言ってしまって、失言だったかと口を押さえる。
「……ごめんなさい」
 英はクスッと笑って、
「いいさ。確かにね、不思議なんだよ」
 傍らに立つ博之を見る。
「転校してきて間もないって言うのに、妙に気が合う。似てるんだよ。俺たち」
(似てる?)
 紫は改めて、博之を見上げる。
 似ていると言えば、初めて会ったときに感じたが、声はよく似ている。けれども、容姿や、身にまとう雰囲気は、どちらかと言うと対照的ではないだろうか。英が、いかにも生徒会長というイメージの、一般受けする美貌の持ち主であるのに対して、博之のほうは美貌というよりは男らしく精悍な顔立ちだ。二人ともひどく魅力的という点では、同じと言えたけれど――。
「似てますかね。それは、光栄」
「外見じゃなくてね」
 紫の内心を察したように、英が言った。
「考え方とか、趣味とか、面白いくらいに似てるんだ……ちょっと、気持ち悪いくらい」
「気持ち悪いってのは、ひどいんじゃないか」
 博之は歩き始めた。思い出したように英と紫も歩く。時間に余裕はあったけれど、いつまでも立ち話ししてもいられない。三人が仲良く話しながら登校する姿は、嫌でも他の生徒の目を引いて、白鳳学園の新しい噂となるに十分だった。
「じゃあ、また」
 昇降口で、博之が片手を振った。
「そこで待ってろよ、すぐ戻るから」
 英は博之にそう言って、一年の靴箱まで紫を送る。
 紫は、チラリと振り返って頭を下げたけれど、すぐに背を向けてしまったので、その後博之がどんな目で自分たちを見送っていたか気づくことはなかった。



「いつもああやって送ってるんだ」
「え?」
 紫を送ってきた英と並んで教室に向かいながら、博之は言った。すれ違う下級生が目礼して道をあける。
「噂どおりだな、源氏の君」
「何だよ」
「かわいいに紫の上に悪い虫がつくのは、許せないか」
「当たり前だろう」
 しゃあしゃあと応えた英に、博之はクスッと笑って言った。
「自分はしっかり、よそで『悪い虫』をやってんのにな」
「何のことだ」
 英が片眉を綺麗につり上げた。博之は悪びれず、とぼけた調子で言った。
「何でかなぁ。わかるんだよ、お前のこと。不思議だよな」
「気持ち悪い」
 英は、先ほど紫の前で言ったのと同じ台詞を繰り返した。けれども心底嫌がっているわけでない証拠に、瞳の奥が笑っていた。
(不思議なヤツ)

 英は階段を上りながら、いつのまにかあまりにも自然に自分の友人の座についた博之の横顔を盗み見た。友人という言葉が親友に変わるのも、そう遠くない気もする。新しい年度が始まって二ヶ月少しというなんとも中途半端な時季に来た転校生は、勉強でもスポーツでも群を抜いていて、あっという間にクラスの輪の中心になった。本来なら英にとって珍しいライバルの登場といえたが、博之の方にはそんな気がさらさら無いというのは明らかだった。
 転校生と言う立場を利用して何かと英にまとわり付いて、それは人が違えばおもねるようにも見えかねないものだったが、こと博之だとそんな卑屈さは微塵も感じられなかった。
 二人は、話をすればするほど、互いによく似ていると感じた。
 趣味、考え方、好きな本、たまたま見て感動した映画……色々な話題を重ねれば、重ねるほど、面白いほど似通っている。シンパシーとか、親近感を覚えるとはこういうことを言うのだと、英は思った。

 英は、そのうち博之には全部ばれてしまうだろうと考えて、白状するよと応えた。
「そういう相手がいないわけじゃない。でも虫扱いは心外だな。俺の場合は、相手から懇願されて付き合っているんだから」
「なるほど」
「博之だって、いるんだろう?」
「セフレ?」
「はっきり言うんだな」
「いないこともない。オトシゴロの男だからね」
「そう。溜まったら出さないと」
「そっちのほうが、ダイレクトな表現だな。いいのか、生徒会長様が」
「お前以外に、誰が聞いてるって?」
 クスクスと笑う二人を、すれ違う生徒たちはただ遠巻きに見ている。
「紫の上は、知ってるのか?」
 博之がポツリと聞いた。
 瞬間、英の顔が不快気に歪んだ。
「知らないに決まってるだろう。知らさないよ、絶対。あの子の耳にそんな下世話な話など入れたくない」 
「ふうん」
「博之。友人だと思って話したんだ。紫に変なことを吹き込んだりしたら、許さない」
「そんなまね、するわけないだろう」
 開けっ放しの教室のドアに手をかけて、ゆっくりと博之は英に向き直った。
「俺はお前と友達になれて嬉しいんだ。友達の嫌がることは、しないよ」
「……ありがとう」





 そして、博之と英は急速に親しくなっていった。
 もともと誰からも慕われながらも特別な友人というものは持たなかった英だったが、博之には心開いて、何かと相談もした。生徒会のこと、進路のこと。出来すぎの親友はいつも、自分が心密かに『こう言ってもらいたい』と思っている言葉をくれた。それがあまり続くと、不安になることすらあった。
「なあ、お前、本当は、何も考えてないんじゃないか?」
「えっ?」
「こう言ったら、俺が喜ぶだろうってことを選んで言ってないか?」
 昼休みの生徒会室。英の仕事を手伝っていた博之に、英は持っていたペンを突きつけるようにして言った。博之は、おかしそうに首をかしげた。
「それで、俺に何の得があるんだ?」
「……そうだな」
 英は、そのペンの尻で額の生え際を掻いた。
 そんなことをして博之に何か得があるとしたら、自分に気に入られるということだけだ。それは一般の生徒なら嬉しいことかもしれないが、博之ほどの男なら、自分に気に入られなくても、他に友人はいくらでも作れるだろう。
「俺の言うことが、お前の気に入るっていうんなら、それは俺たちが似ているからさ。同じことを考えるから、望む答えも同じなんだろう」
「そうだな」
「しかし、だとしたら、お前、今度から俺に何を相談してもダメだぜ」
「え?」
「だって、お前と同じ答えしか用意できないんじゃ、一人で考えているのと一緒だろう」
「確かに」
 英は吹き出した。
「どうりで、最近の俺は自己中度が高まっていると思った」
「自己中?」
「今までなら少しは悩んだことも、お前が背中を押すから、どんどん進めてしまう」
「統率力がますます身についたってことだろう。喜べよ」
「ふふふ……本当に、お前って」
「何だよ」
「何でもない」
 英は広げていた書類を片付け始めた。
「もういいよ。ほとんど終わりだ。手伝ってくれて助かった」
「いつでも言ってくれよ」
「それで今日の帰りなんだけど、頼まれてくれないか」
「何を?」
「紫を家まで送って欲しい。俺は、今日ちょっと……」
「溜まったものを、出さないと?」
「下品だな」
「お前がいつか使った言葉だぜ」
「知らないね」
「いいよ。放課後、教室に迎えに行けばいいんだな」
「ああ、紫には、委員会の仕事が終わらないからと言っといてくれ」
「イエス、ボス」
 らしくなくはしゃいだ返事が、博之の内心を覗かせているなどと、親友を信じきっている英が気づくはずもなかった。









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