バスケ部の誰かの仕業だろうか。いわゆる「便所の落書き」のようないやらしい絵に、ご丁寧に僕と陸さんの名前が書いてある。僕は全くの事実無根だとも言えず、ただ黙ってそれを見た。探るような視線も感じたけれど、どうすればいいかなんてわからないから。 そこに陸さんの声がした。 「何を騒いでんだ」 みんながハッと振り向く。僕ももちろん振り向いた。陸さんは、僕の表情(かお)を見てわずかに眉をひそめ、そして部室のドアに目をやって顔を強張らせた。 じっと見つめる陸さんの横顔からは、何を考えているのか全然わからない。みんなは陸さんがどうするのかを固唾を飲んで見守っている。 その緊張を破るように 「何見てんだよ、さっさと消せよ」 白石先輩の声。陸さんと一緒に来てたんだ。 「俺らの部室にきったねえ落書きされてんだろ。さっさと消せ。ほら、一年」 言われて服部が、慌ててバケツと雑巾を取りに走った。 「待ってください」 硬い声を出したのは、僕と同じ一年の木村だ。鈴木や服部ほどじゃないけれど、陸さんに可愛がられているパワーアタッカー。 「本当なんですか。本当にキャプテンと相川はホモなんですか」 木村の性格そのままの真っ直ぐな問いかけに、周りにいたみんなが息を飲んだ。僕も、拳をぎゅっと握った。 陸さんはチラリと僕を見て、目が合ったとたん、強張っていた頬を緩めた。前に進み出ながら「気にすんな」と言うように僕の肩を軽く叩く。そして、木村に向かってと言うより、みんなに告げるように言った。 「男が男を好きになるのがホモだって言うんなら、今の俺はそうだよ」 (陸さんっ) 昼間に続いての、みんなの前でのカミングアウトに僕は腰が抜けそうになった。 みんな驚いている。 事情を知っているはずの高島先輩も目をパチクリさせている。白石先輩だけがニヤッと笑って肩をすくめた。 「相川と付き合ってる。隠してたのは悪かった……のか、どうかわからんが。こんな風にわざわざ発表することでもないし」 「そりゃそうだ」 白石先輩のあいの手。陸さんはそれを咎めるように見て、真面目な顔で続けた。 「もしそれで、俺をキャプテンとして認められないとかいう奴がいるなら、今はっきりそう言ってくれ」 ゆっくりと周りを見回した。みんな気まずそうに目をそらす。僕も居たたまれない気持ちになったけれど、逃げ出すわけにはいかない。だって陸さんが、逃げていないんだから。 陸さんと僕を交互に窺うたくさんの目。僕は握っていた拳にますます力が入って、関節が白くなった。しばらくは誰も何も言えずにいたけれど、 「俺は嫌です」 さっきの木村が思い切ったように言った。 「自分たちの部がホモの巣窟だなんて言われて気持ちいいはずありません。同じ部の中に男同士のカップルがいるって言うのも……やりにくいです」 「……そうか」 陸さんがうなずくと、 「だったら、辞めれば」 白石先輩が横から口を挟んだ。 「お前は黙ってろ」 陸さんが言ったけれど、木村はカッと顔に血を上らせて、 「何で俺が辞めないといけないんですか。辞めるんなら……」 「ほお、キャプテンにやめろってか、この一年坊主が」 白石先輩は、おかしそうに、木村を挑発した。 「どっちがうちの部の戦力だか、わかってんのか」 「おい、黙れって、敏」 陸さんの言葉が終わらないうちに 「だったら、相川が辞めるべきだ」 木村が叫んだ。 (えっ) 「少なくともホモカップルが目の前にいるわけじゃなくなるし、戦力って言うなら、僕は相川より戦力になる」 そう自負している、と結んだ。 有名なジュニアチームからバレーを始めて、中学の大会でも活躍したらしい木村は、かなりの自信家だ。自信に見合う力もある。でも、僕だって、そんな風に言われたら黙っていられない。 「どうして僕が辞めるんだよ。退部させられるような悪いことなんて、してない」 「部内の風紀を乱すって言うのは、十分悪いことだろ」 「なっ」 「まあまあまあ」 僕と木村の間に白石先輩が割って入った。 「わかった。それじゃあ、相川と木村のどっちがうちの部にとって必要か、試合で決めようじゃないか」 「はい?」 白石先輩の提案に、僕は目を丸くした。 「一年同士で紅白戦をするんだ。エースアタッカーはそれぞれ相川と木村な。それで、試合が終わってどっちがうちの部に必要な選手か公平にみんなで投票しよう」 「敏樹、お前、何言ってんだ?」 さすがの陸さんも呆れている。白石先輩はそれを無視して、 「よし、じゃあ早速チーム編成だ。公平に分けるぞ!」 はしゃいだ声を出した。 何がどうなってるの? 「あの、これ、消していいですか?」 雑巾を持った服部が恐る恐るという風に陸さんに尋ねる。 「あ、ああ」 と陸さんは頷きかけて、 「いや、待て」 何を思ったか、服部を止めた。 「いい。置いとけ」 「え、何で」 僕は思わず声を上げた。こんな恥ずかしい落書き早く消したいよ。 陸さんは、僕を振り返って、男らしい顔で笑った。 「ちょっとの間だけだ。こんな恥ずかしい真似しやがった奴に言ってやらねえと」 「あ、俺も行くぜ」 白石先輩が楽しそうに言うと、 「じゃあ、まあ、俺も」 「俺も一言、言わせてもらうかな」 高島先輩と石塚先輩も陸さんに付いて行った。 「んじゃ、俺も」 「置いていくなよ」 三年の先輩全員がゾロゾロと、バスケット部の部室のほうに消えていった。 「お前ら、面白がってんじゃねえ」 陸さんの笑い混じりの声を最後に。 取り残された僕たちは、しばらく間抜けに突っ立っていた。 「まさかと思っていたけど、相川……」 二年の坂元先輩が僕に向かってポツリと言った。僕は自分でも顔が赤くなったのがわかった。 「あ、いや、いいんだけど」 坂元先輩が、焦ったように両手を振る。 「そういや、去年の夏、かわいかったよな」 「はあ、どうも」 妙に和やかな空気になりかけたけれど、木村の視線だけは厳しかった。 それから間もなく、陸さんたちが戻ってきた。行ったときの倍の人数になっているのは、バスケ部の人たちが付いて来たからだ。 「ホラ見ろよ、お前んとこの部員がどんだけ腐ってるか」 陸さんに言われて後藤先輩が前に進み出た。落書きに眉をしかめる。 白石先輩と高島先輩が、 「なんかさあ、頭悪そうだよねえ」 「ていうか、スポーツマンの風上におけないっての?」 両脇から交互に言う。 後藤先輩は、不機嫌な声で 「書いたのは誰だ?」 自分とこの部員を振り返った。何人かが気まずそうに目で牽制し合って、そして、 「俺たちっスけど、本当のことじゃないスか」 昼休み、陸さんに睨まれていたあの人が、ふてくされたように口を開いた。 「ホモキャプテンの率いるバレー部、ホモ集団」 言われて、うちの部員がザワッといきり立った。陸さんが何か言おうとする前に、 「じゃあ、お前らもおんなじだ」 後藤先輩が口許を歪めて笑った。 (へっ?) 「キャプテンがホモならみんなホモなのか。だったらバスケット部もそう言われるってことだな」 「な、ど、どういう意味っスか」 バスケ部の連中がざわめくと、後藤先輩は陸さんに向かって言った。 「俺も相川のことが好きだ」 (嘘っ?!) 一瞬、シンとした中で、 「…ンだとぉ」 こめかみを引きつらせた陸さんが低くつぶやいた。後藤先輩は、そんな陸さんを見て、 「昼間、目の前で大告白見せつけられて、正直やられたと思ったが。まあ、ここで言ってしまえば、俺にもまだチャンスはあるかな」 後藤先輩は、おもむろに僕に向き直った。 「入学式で、惚れた」 (ひいっ…!) 今日一日で、僕は何回カミングアウトの対象になっているんだろう。ていうか、夢? 普通の高校で、こんなに堂々とホモ宣言がまかり通っていいのか。僕は、そっと自分の頬をつねった。 「かわいいなあ」 後藤先輩が豪快に笑う。 「告白されてほっぺたつねるなんて」 いや、そうじゃなくて。 「何を言ってやがるっ」 ぶちキレた陸さんが、叫んで僕を抱き寄せる。 「ふざけんなよ、コイツは俺のもんだ」 「まだ決まったわけじゃないだろう」 「決まってんだよ、俺たちはなぁっ」 「お、陸さぁん……」 僕たちを取り巻いていた輪が、少しずつ遠巻きになっているような。 (退かれてる?) 恥ずかしい。穴があったら入りたい。地球の裏側までもぐりたい。 |
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